北海道富良野市を眼下に見下ろした私は、富良野西岳1,331mの頂上にいた。午前10時発の富良野ロープウエイに乗り、その山頂駅から野趣に富む細い登山道に入り、約2時間で登頂した。刈られた熊笹の葉を踏み、夥しい木の根を越え、時に泥濘に靴を汚しながら登った。途中、登り下りをする所が数ヶ所あり、いかにも山野を跋渉しているという感覚を味わうことができた。林の中の道を、或いは、左右に人の背ほどの草木がある細道を、常に熊よけの鈴を鳴らしながら歩いた。一つ目の山を越えて下る時、「せっかく登ったのに、・・・」と、古女房が心理的疲労を滲み出すように私の後ろで嘆いた。確かに山によっては頂上までひたすら上へ上へとジグザグに登るだけという山もある。私は、しかし敢えて、「これが山なんだ。人生と同じで、起伏があるのが山なんだ」と諭すように応えた。日頃運動不足の古女房の歩みは遅く、おまけに10歩ほど歩くと、足首辺りのゴムが緩い靴下が靴の中で脱げる状態だった。途中、とうとう登山靴を脱いで、踵にできた靴ずれにバンドエイドを貼る女房をいかにも素人だと思って私は眺めた。私たち二人の間には脚力・経験の差が歴然とあった。その味気ない差をこの先も引き摺るようにして登って行かなければならないと思うと、私の方のリズムも、快調になる段階の前に、いつしか完全に切り裂かれてしまった。心の奥で微かに泡立つ払いようのない不満を、私はただ苦々しい焦慮の中で感じ取っていた。
その日、平成25年9月6日(金)の登山客は、最も高所にあるリフト降り場付近で出会った若い一組の男女と、私たちが頂上手前にいる時に早くも頂上から下りて来た小柄で痩せた中年女性1人、そして私たちの5人だけだった。若い男女は午前10時20分発のロープウエイで登ってきた。私たちが一登りして、まだ稼働していないスキー用リフト設備(降り場)の板床の端に腰を下ろして休憩していた時、若い男女が私たちとは違う道から登って来て、私たちの左横に腰を下ろした。聞いた話を総合すると、どうも彼らはロープウエイ駅から近道を通ってきたと判断できた。20分後のロープウエイで登ってきた者に易々と私たちが追い付かれた原因は、彼らの足の速さだけではなかった。
私たちは休憩場所から先に立って歩き出したが、途中、眼下の富良野市街地が見下ろせる熊笹の原で彼らに抜かれた。女は無論のこと、男もやはり若いということはいい。擦れ違いざま私は彼らの肉体から何か香り立つようなものが発散しているのを感じた。登山道を歩き始めてどれほど経過した頃だろうか、その日下山するまで断続的に私の心を捉えた主たる想念は、その香り立つ若さについてのものではなく、なぜか死に関するものだった。既に完結した思い出として今振り返れば、今回の登山は、「見方によっては、陰気な、心沈む登山だった」と述懐せねばならない一面が浮かび上がる。それは日頃の私の心的傾向が原因だったのか、それとも、ヒグマとの遭遇や天気の急変に対する心配、こういうものからの単なる連想だったのか、いずれにしろ、私はこの山中で一人密かにずっと死の恐怖と闘っていた。死んだら、どうなる。死んだら、屍になるだけだ。一切が無になり、家族の行く末も地球上のすべての気掛かりもなくなってしまうのだ。苦もなければ、楽もない。(従って、よく見聞する「死んでしまった人間の冥福を祈る」とは、どういうことなのか、今の私には理解できない。私の辞書には「冥福」などない)。古女房の足は遅い。その靴下は脱げる。私は強迫観念としてのヒグマや雷雨に自分の心の視野の中で幾度も襲われた。想像上のものとは言え、それらが私に恐怖感をもたらすものであることには変わりがなかった。否、恐怖の対象が想像上のもの、予想上でのものであるがゆえに、不安な予想屋はただびくびく震えているしかなかった。何という情けない男か。何という意気地なしか。足手纏いの同行者に対する内に籠った怒りの感情を踏みしめ、自分の努力ではどうにもならない現状に対する焦燥感を踏みしめ、そして最後に、何も生まないと分かっている自責の念を踏みしめ、それでも私には、一歩一歩前へ前へ、頂へ頂へと進む道しかなかった。まだ現実には何も具体的には起こっていないのに、私はやや自暴自棄に近い感情に囚われていた。どうとでもなれ。いや、こんな所で死んでたまるか。雷に打たれて死ぬなんて、馬鹿げている。もっと早く歩けないのか。糞ったれ。・・・いずれ死ぬと分かっていても、人は、生きるしかない。条件が悪いと分かっていても、生きるしかない。思わしい結果が出ないと分かっていても、生きるしかない。心の中に湧き出す赤黒い想念の渦と息苦しい鬱屈。それでも、ふと体を左側に捻って振り返る時、樹間から見える黄色い長方形の田んぼや遠い山並みの風景が、まるで一つの救いのように、私の中で鬱積するばかりの濁った感情をわずかに洗い流してくれた。
斜め上に、頂上で休憩している青年男女を見た瞬間、私の歓喜は雀躍するばかりだった。大きな達成感が、長い尾のように引き摺ってきた緊張感を一挙に破砕し、私に「着いたぞ!」と後方に向かって叫ばせた。私の中の陰気臭い想念を消し去ったのは私の中の内面的な何かではなく、私の外側の表徴だった。目的地の明るい風景だった。
富良野西岳は、巨大な縦長の岩壁が頂上だった。頂上の広さは、5、6人が弁当を広げて食べれば満員になるほどの広さだった。眼下に広がる360度の眺望を心ゆくまでゆっくりと楽しみたかったが、灰色の雲が広がり始めていた。そそくさとお握りを食べると、すぐ下山することにした。雷に襲われたら終わりだ。心配性なのか、なぜか私はいつも物事を悪い方に考える傾向があった。標準以上の登攀時間がかかったが、頑張って征服したことには間違いない。私は重い女房を担いで帰る体力がないので、下山途中、滑りやすい場所に来る度に、幾度もくどいほど注意を促し、捻挫等の怪我を未然に防ごうとした。無事に麓の富良野プリンスホテルに着いたら、まず温泉に入るぞ。私は心の中で何度かそう宣言した。それだけを楽しみにして、私自身も集中力を保持しようとした。
翌日7日(土)は雨。朝、美瑛方面に向かう車の中で、急に私の喉の調子が悪くなり、あまり話もしたくなくなった。美しい花畑の季節もほぼ終わっていた。観光する気分にもならず、早めに旭岳温泉にある宿舎へ行くことにした。山小屋風のホテルには冷房設備はなかった。蒸し暑さはなく、扇風機も要らないくらいだった。チエックインの手続きの時、旭川市から通勤しているという娘っ子が、愛想よく応対してくれた。温泉上がりにホテルのロビーに行き、地ビールを注文すると、偶々近くにいた彼女は、スカートを穿いた脚を床に折って、(私はその脚の隙間を見ようとしたが、見えなかった)、所謂お酌までしてくれた。
「白熊ちゃんのデザインです」と彼女は指で瓶のラベルを示した。
「ほんとだ、白熊だ。どうして白熊なんだ?」黒褐色のヒグマを念頭に置いて、私が聞くと、
「旭川水族館の白熊ちゃんです。この栓の上のデザインは、白熊ちゃんの手です。可愛いでしょ?」と今度は栓の図柄を見せてくれた。
「ほんとだ、可愛いね」私はその栓だけを記念に持って帰ることにした。いずれ王冠バッジとして服に付けるつもりだ。(見る度に、古女房ではなく、その時の君を思い出すために)。
大雪山旭岳にもロープウエイがあった。だらしないことだが、宿舎から頂上までの全行程を歩く根性はなかった。ロープウエイを利用して、姿見駅まで行く。歩けば2時間程度かかるところをたった10分程度で移動できた。姿見駅から頂上までの標準登攀時間は2時間程度。私たちは2時間47分かかった。古女房は4歩歩く度に立ち止まり息を整えていた。歩いている時間よりも立ち止まっている時間のほうが長いように感じられた。7合目辺りで私は「勇気ある撤退」を提案した。女房は「これが私のリズムだ。死んでもいい」と抗弁した。空模様は悪くはなかった。もう一時間早く出発していれば、頂上でも最高の景色を満喫できたはずだった。私はこの時も最悪の想定をしていた。旭岳は麓からでも頂を見上げることができるので、安心して登れる山だった。登攀時常に左側に見える地獄谷からは激しい噴火が轟音とともに立ち上っている。立木のない岩石だらけの登山路には所々に黄色い印がペンキで付けられている。道に迷わない要素が多かった。それでも、女房が動けなくなったら、という心配が常に付き纏った。私は一人で登ることに慣れ過ぎていた。誰かを気遣いながら登ることには大きな心的エネルギーを必要とした。私は、突然、「一瞬一瞬に死に切る覚悟を持てばいいのだ。生き延びようとせずに、一瞬一瞬に自分のささやかな生を完全燃焼させればいいのだ。否、不完全燃焼でもいい。死んでも死にきれない思いの中で死ねばいい。そういう絶望的な死を生きる道しか自分には残されてはいない」という想念に到達した。一瞬一瞬を大事に生きるのではなく、一瞬一瞬に思い切って死に切る覚悟をすればいいのだ。そう付け焼き刃的に考えついても、無論、私の脳に巣くった不安は消えずに尾を引くばかりだった。段々と視界も不良になり、8合目辺りからは雲霧の中の登攀になった。重ね着をしたが、体も少し冷えてきた。頂上近くになった頃、下山してきた女性に私は念のため「頂上はまだ遠いですか」と尋ねた。彼女は振り返って、「すぐそこです」と指差し、まるで私と登頂の喜びを分かち合おうとするかのような満面の笑顔で答えた。何という素敵な女性なんだろう、見ず知らずの私のようなやくざ者の心にも輝くような喜びを注ぎ込もうとしてくれるとは。私は淡い感謝の気持ちを胸に抱いて、新たに気力を奮い起こすようにして登った。
頂上、それは、いつでも特別な場所だ。そこでは、そこにいる自分を肯定できる。今そこにいる自分は、今までそこにいなかった自分とは違う存在だ。一歩一歩登ってきた自分は、登らずに済まそうと思えば済ませた自分を超えてきたのだ。いや、説明や解釈をすることではない。現実に、ここ、頂上にいるのだ。それだけで十分だ。いや、こうしてここで幸福を感じていること自体が大切なんだ。私は現在を味わう。ただそれだけだ。空を見上げる。もう登るべき道はない。じわじわと達成感が心一杯に広がり、満ちてくる。私はささやかで、純粋な幸福感に酔う。頂上、その上にあるのは空だけだ。もうそこから先へは誰も登れない。馬鹿で、自己中心的で、何の役にも立たないやくざ者が、曲がりなりにも一つのことをやり遂げたのだ。糞ったれめ。実力もないくせに、ただ運が良いだけで登りやがって。私は、心の片隅で、ほんの少しだけだったが、素直に登頂を喜んだ。予想上のものに過ぎなかったとはいえ「状況の急激な悪化」という事態と闘いながら、私は、終着点に辿り着いた。亀の歩みだったが、古女房も無事に登頂した。どんな場合でも、心の持ちようは大事だ。その心の持ちようは、しかし、日々、修練する中で絶えず整えられていくべきものだろう。今回の山行は、私にとってその修練の忘れ得ぬ一つになるだろう。
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