つぶ子のハードモードブログ~脳脊髄液減少症、バセドウ病、うつ病、毒親・毒家族のカルテット~

つぶ子「わたしたぶん前前前世で太宰治あたりと心中しようとしたから現世でこんなに業が深いんだと思うの…🐜」

ご報告。

2015-03-22 23:42:00 | 日記

ずっと更新していなかった受験についてのこと。
今後の進路についてのこと。


まずはっきり結果だけ言ってしまうと
あと1割とれたら…
ってところで、第一志望落ちました←←←
ついこの間が最後の補欠発表で結局人とらなかったみたい。


難関大学と言われているだけに
やっぱり1点1点にひしめくんですね…。


そして体調不良で
その第一志望の学校しか受けに行けませんでした。


第二志望以降の方がレベル高くて
受けに行ってもどうなるかわからなかったんですが、相性とかあるみたいですしね。
ふがいなーいやーいやー。


でもわたし、全然落ち込んだりしていないんです。
むしろスッキリ爽快!!
だって勉強期間3ヶ月難病持ちでここまでやったんだもん!!(開き直り☆)
って感じで、次に向かって頑張るぞ!!って前向きです。


実はしばらくブログを更新していなかったのは、
毎日新しく通う予備校の説明会や体験授業、空いてる日は単発バイト、今まで会うのを控えていたお友達と遊ぶ、とびっしり予定を作って家にいる日がなかったからです。


そう、つぶ子、また受験生です☆☆☆
この年齢でさ…(笑)


もう前の学校には戻らないと決めました。
てか戻れません。
脳脊髄液減少症で危うく一生寝たきりになるまで無理をして通った、家庭崩壊するまで通った、人間関係にトラウマが出来るほど我慢して通って鬱になったところにはもういけない。


もう1年やることは家族がすすめてきました。
今まで無理をさせすぎた、と。
だからもう好きにしていい、と。


わたしは脳脊髄液減少症になる以前から割と自分の好きなことを抑圧され、否定される家庭に育ちました。


人より時間もかかるし、お金もかかるし、一見親にめちゃくちゃ迷惑かけているけど、
てか経済的にはかけてるけど、
今までのことがあるからなんかもうだから許してくれるところまで好きなことしちゃおーみたいな←


脳脊髄液減少症に関しては親がしっかりしてればここまで悪化してないしナ…。ボソッ
まあ言っても仕方ないけれども!


受験に関しては毎回毎回中途半端なわたしですが、脳脊髄液減少症に関してはすっごい頑張ってここまで来たと思っています。


だから猶予はご褒美。
って言っても周りは就職したりしなかったりの年で
ああ、わたしは何してるんだ。
でも脳脊であんなに苦しかったんだぞ、少しは好きなことに向かって頑張る時間があってもいいじゃないか、いい加減許されていいじゃないか、
って思っても
自分を褒めてあげられたり、責めてしまったり、ぐるぐるぐるぐるして。


でも学校に戻ったら鬱が再発しそうだし、何にも目的も好きなこともないし通えなかった分友達も全然作れてないから辛いし。


だからもう絶対戻れないように、覚悟を決められるようにって地元の友達に学校を辞めること、勉強し直すこと、一部の子には鬱だったことを打ち明けました。


泣きそうになって頑張ったねって言ってくれる子がいたり、呆れたーって感じ子の子がいたり。
その賛否両論に励まされた傷付いたような今更何も感じないような。


でも他人に何を言われても
すねかじりって言われても
わたしはそろそろ楽に生きていいほど頑張ったし、結局自分が出す答えはひとつだなと思えるんです。


脳脊になる前に行きたかった学校諦められて、
脳脊の治療にある程度区切りがついて、
鬱の薬の減薬が始まって。


もう過去に固執するのはよそう、
忘れられないことは無理に忘れなくていいから、
次に進もう。
って今思っています。


わたしは親の扶養下にいられたから
まだ恵まれているわけで。
でもここまで来るまでには家庭内の暴言、暴力が普通にあって、
大人には働かないでいいだけまだマシじゃん!って思われるかもしれないけど。


実は区役所?市役所?(←もう忘れた)の家庭内暴力の職員さんとかシェルターとかの電話番号調べてって鬱が酷いときは結構追い詰められていて。


10代とか、20代ちょいのまだ社会に出ていない子ども(成人していても経済力持っていなかったらある意味まだ子どもですよね)
って無力なんです。
それこそ、脳脊髄液減少症みたいな難病をかかえたりしたら。


(でもうちの親は今は考え直して120%協力してくれるのでそれには感謝してます!)


でも許せないことは許さなくてもいいんだとも思います。


わたしはすごく中途半端な時期に脳脊髄液減少症になりました。
ちょうど自立の準備を始めるとき、周りが自立し始めるとき。
世間様では子どもであるけど、法律的には大人です。


わたしの青春って空っぽなんです。
普通の子が勉強して、友達と遊んで、恋愛して、部活して、夢を追いかけてるときに
わたしは頭ガンガン耳キンキンでぐわんぐわん揺れる自分の部屋の真っ白い天井を見るばかりで。


たまに学校に行けば物珍しいもんだからコソコソ言われて。


そういうの忘れようとしたけど、忘れられなくて。
忘れなくていいんだってわかったんだなけど、同時に楽しいこと積み上げるしかないんだともわかったんです。


わたしには心機一転しなきゃやり直せないなって思って。


たまにすごく罪悪感を感じたりします。
わたしはすごく贅沢をしてるんじゃないか。


でもわたしが思い留まったところで誰かの病気が治るわけじゃないし、そういうこと言い出したらキリないし、今までわたしがその誰かだったわけで…とか考え込みます。
誰に遠慮してるんだわたしは。
せっかくのチャンスだぞ、大好きなモラトリアム←だぞ、とか。


まあとにもかくにもいろいろ考えるところはあって。


でも
ニート?
すねかじり?
好きなだけ言え!!!
ばーか!!!
って感じで最終的にふっ切れます(笑)


そしたら
10代20代で病気した世の中の若者はみんなどうなっちゃうの?
運悪く病気したゃったらそこで人生終了なの?
って感じなので。


まっまあだだだだいにしんそつまでっていうのはちょっとこわいけどね?
りゆーあるしなんとかなるよね?
え、しゃかいはそんなにあまくないって?


ししししらねーよばーか!!!ガクガクブルブル


就職って意外となんとかなるよって
友達みんな言ってるもん…。


ま!
そんな先のことまで考えすぎても鬱ぶり返しそうだからまず目先の楽しいこと考えた方がいいよね☆~(ゝ。∂)←


毎日死にたいって考えてたわたしが
楽しいことしたいって考えられるようになったのはすごい進歩だ。


文章すごくブレブレだけどね!
ぶっちゃけ新しい学校行きたいだけであと1年受験勉強とかくっっっっっっそ嫌だ!!!!!!!!!!!!!!
くっっっっっっそ嫌だ!!!!!!!!!!!!!!
(大事なことなので2回言いました)


でももうわたしにはあとがない!
頑張ります!


以上。
遅くなりましたが、進路についてのご報告です。
応援してくださった方々、いいご報告が出来なくて本当にごめんなさい。
ありがとうございました。

3回目のブラッドパッチ。

2015-03-22 22:19:23 | 脳脊髄液減少症


2泊3日の入院生活を終えて、
おうちに帰ってきました!


いやはや、3回目はなかなか痛かったです。
でもみなさん脅しじゃないですよ!


たぶん、これっていいことです。
1、2回目のブラッドパッチは、わたしの場合ほとんど痛くなかったんです。
むしろ感覚がなくて。


RI脳槽シンチの残存率も8%でした。
ある程度事故から時間が経って頭痛も消えて自然治癒しかけていた?段階でそれなので結構な重症でした。


今回は痛覚が戻っていたので(←とっても良いこと!)
イタイイタイ言って
もう大人なんだからって先生に諭されました…(笑)


2ヶ所やって
予定量入ったようです。


症状は良くもならず悪くもならず。


ブラッドパッチは1年越しに効果が出てきたりするのはもう経験済みなので、焦らず気長に待ちます。


友達がお見舞いに来てくれたのですが
3時間も居座られたのには困った…(笑)


『元気そうだね~!』
って入ってきて
『楽しかった~!』
って帰っていきました…。


やっぱり脳脊髄液減少症は健康に見えるのですね。
わたしかなーーーーーーーーーーーり気を遣っていたのですが、気がついてもらえなかったようです…☆☆☆


入院するまで忙しくてずっとブログ更新する暇がなかったので、この安静期間を使っていろいろ近況を出来る範囲でご報告していきたいと思います。


とりあえず手術は無事成功!