普段履きの靴です。
原野に分け入り、森を走破するための靴です。
ここへ来て、殆んどアスファルトの上は歩きません。
買い物の時位のものです。
一歩一歩、靴底の下を意識して歩く事にだいぶ慣れてきました。
ふと思うのですが、平らな所しか歩かなくなった現代人は、歩くという行為の大切な部分を無くしてしまったのでは!?と思うようになりました。
凸凹あり、泥濘あり、ブッシュや倒木、穴や岩。
それらを靴の下に意識しながら歩く事は、歩きそのものが大地との会話のような気がします。
そして不安定な靴の下に対応するために、脳も筋肉も、微妙な動きを続けます。
歳をとって、少し入院などすると、すぐに歩けなくなりますが、ここの暮らしのように、歩く事そのものが濃厚な身体機能を必要とする生活だと、案外そういうことを回避できるようになるかもしれません。
こういう環境に移って、顕著に変化したのは犬たちです。
はじめは、草原も森の中も、歩き方が頼りなかった時期がありましたが今では自由自在に走り回り、食欲の気まぐれが無くなりました。
人間も同じように、平らな所ばかり歩いていると、なにか大切なものを無くしているのかもしれません。
原野に分け入り、森を走破するための靴です。
ここへ来て、殆んどアスファルトの上は歩きません。
買い物の時位のものです。
一歩一歩、靴底の下を意識して歩く事にだいぶ慣れてきました。
ふと思うのですが、平らな所しか歩かなくなった現代人は、歩くという行為の大切な部分を無くしてしまったのでは!?と思うようになりました。
凸凹あり、泥濘あり、ブッシュや倒木、穴や岩。
それらを靴の下に意識しながら歩く事は、歩きそのものが大地との会話のような気がします。
そして不安定な靴の下に対応するために、脳も筋肉も、微妙な動きを続けます。
歳をとって、少し入院などすると、すぐに歩けなくなりますが、ここの暮らしのように、歩く事そのものが濃厚な身体機能を必要とする生活だと、案外そういうことを回避できるようになるかもしれません。
こういう環境に移って、顕著に変化したのは犬たちです。
はじめは、草原も森の中も、歩き方が頼りなかった時期がありましたが今では自由自在に走り回り、食欲の気まぐれが無くなりました。
人間も同じように、平らな所ばかり歩いていると、なにか大切なものを無くしているのかもしれません。