色々な想いを胸に秘めて多くの方々が震災5年を迎えました
ロイネットホテルで目を覚まし当日の会議の為に八重洲口のグループ会社に向かいました
会議も始まり終了予定の3時にあと10分・・『あ~もうすぐ会議もお終いだ・・早く終われ』
東京も揺れました・・壁に身体を預け倒れないよう踏ん張りました
後は皆様と同様・・帰宅難民になりました
どれだけ住み家に・・・仙台に帰りたかったか・・
帰る術を每日探し求め羽田空港に通いました・・朝6時には羽田にいました
16日は朝5時に並びました・・ヤット求めたチケットです
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/35/46/231b1545dce1f851710c334963a51fef.jpg)
夕刻まで空港内のベンチで過しヤット搭乗口・・・案内がありました
『到着地は現在雪です・・場合によっては当機は羽田に戻る事もあります』
祈りました・・何とか到着してくれ・・・
本当なら3月12日に東北新幹線の新しい時刻表のダイヤで帰る予定でした
利用されなかった幻の時刻表
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/22/46/d9dfe5de44329c17e267221eca60a2e6.jpg)
大切な思い出の品です・・・
俺の5年前の3月でした
その後のことは現実に目を向け悲しい情報に涙して每日生き延びる事に精を出して
被災地の住民として同様の生活をして来ました
何処で何時起こるか分からない災害を舐めてはいけません
経験者しかわからないことが多くあります
聞いてもわかりません・・自分の目で見て感じる事が重要だと思います
被災した全ての方々に哀悼の意を捧げます
合掌
ロイネットホテルで目を覚まし当日の会議の為に八重洲口のグループ会社に向かいました
会議も始まり終了予定の3時にあと10分・・『あ~もうすぐ会議もお終いだ・・早く終われ』
東京も揺れました・・壁に身体を預け倒れないよう踏ん張りました
後は皆様と同様・・帰宅難民になりました
どれだけ住み家に・・・仙台に帰りたかったか・・
帰る術を每日探し求め羽田空港に通いました・・朝6時には羽田にいました
16日は朝5時に並びました・・ヤット求めたチケットです
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/35/46/231b1545dce1f851710c334963a51fef.jpg)
夕刻まで空港内のベンチで過しヤット搭乗口・・・案内がありました
『到着地は現在雪です・・場合によっては当機は羽田に戻る事もあります』
祈りました・・何とか到着してくれ・・・
本当なら3月12日に東北新幹線の新しい時刻表のダイヤで帰る予定でした
利用されなかった幻の時刻表
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/22/46/d9dfe5de44329c17e267221eca60a2e6.jpg)
大切な思い出の品です・・・
俺の5年前の3月でした
その後のことは現実に目を向け悲しい情報に涙して每日生き延びる事に精を出して
被災地の住民として同様の生活をして来ました
何処で何時起こるか分からない災害を舐めてはいけません
経験者しかわからないことが多くあります
聞いてもわかりません・・自分の目で見て感じる事が重要だと思います
被災した全ての方々に哀悼の意を捧げます
合掌
お姉さまも東北の方におられたのでしょうか・・
何しろ連絡が取れない日々が続きましたのでね
そうですね・・あの日も雪が降り寒い夜に被災者の方々は
震えていたそうです・・
お気づかい有難うございました
仰有るとおりだと思います
ここでのchidoriさんや皆様からのお言葉は東北の被災者にとってどんなに嬉しいでしょう
本を送って頂いたのですね・・それはとても嬉しいことです
本を手にした方々はどんなに癒やされた事でしょうね
やはり遠隔地の皆様からの思いは確実に被災者の心に届いたと思います
有難うございました
震災ゴミが無くなるまでも時間がかかりました
知り合いのゼネコンの支店長が少なくても10年はかかると言っていたのを思い出します
被災者が聞きたくなかった言葉に頑張れがあります
辛いだけなのに・・頑張っているのにこれ以上頑張れないとその一言が重荷になったようです
仰有る通りだと思います
是非東北に訪れてみて下さいね
有難うございました
私は、姉の安否を祈る一日でした…
あの日も、こんなに寒かったのかな…
傍観者みたいな遠くに住む私もあれからずっと自分がもう一歩足を踏み出せなかったことが悔やまれます。被災地にピアノをおくろうとして、そのプロセスにあきらめてしまった事。本だけは100冊ぐらい、子どもの日の届くようにユニセフ?さん?の取り組みに参加できましたが・・。
先日テレビで山田洋次監督が寄り添う事すらできないほどの被災者との間の距離を言葉にされました。
安易な言葉は還ってかるくなってしまいそうです。
体験しない者ができることは、これからの人生の生き方が問われます。
あれからもう5年経ったのですね、
TVを見ているとまだまだ復興には程遠い感じがしました、
たとえ復興したとしても亡くした家族は戻らない、
私たちが何を言っても心の傷は癒える事はないでしょうね。
頑張れとか、前に向かって進んで欲しいなど
私には言えない。
何時か東北に行く機会があれば、美味しい海の幸を沢山食べに行きますねぐらいしか言えない。
コメント有難うございます
決して皆様の心を痛める為に書いたのでは
ありません
これを機会に皆様がこれから起こるかも知れない
時に参考になれば宜しいかと
あとは自分に注意喚起です
今の生活が出来ることへの感謝ですね
贅沢がいつも出来るとは限りません
あの頃を思えばどんなに幸せかと思います
コメントするだけでも、当時のことを
思い出してしまい心が乱れます…。
取り上げていただきまして、皆さんの
思いも、伝わってまいりました。
ありがとうございました。m(__)m
当時地元にいなかった俺も
いなかった事が悔やまれます
自分だけ逃れたみたいで心苦しい
仰有るとおりです
薄れても忘れはしないでしょうね
被災者が得た経験や知識は重要です
だから語りついでいくべきなのでしょう
将来の人類の為に・・
衝撃だけは忘れない
でも心にぽっかり穴が開いてます
ずーーっと
今でもです
傷は癒えないですよね・・・
薄れる事はあっても忘れる事は無い。。
あの日の事は生涯忘れないと思います。
合掌