子供は親を選べません
しかし何かの役に立つために使わされたのだろう・・・
でも俺のして来たことは親不孝だけだった
親父は厳しすぎるほど厳しく
ある霊能力をお持ちの方に見てもらう機会がありました
そうしたら俺の後ろに親父らしき男性が立って
『厳しすぎたな~』と言っているよ・・・と
俺はにわかに信じられなかったが
いきなり涙が溢れた
そうだよ・・俺はあんたから逃げたかったのかもしれない
小さい頃は勉強・勉強と母親の裁縫用の物差しで随分叩かれた
夕方ちょっとでも遅いと玄関の外で待って遅いと叱られる
夜寝る時布団の中で何度泣いたか覚えていない
でも俺が大きくなって強くなったら必ず親父を殺してやると思ってた
お袋は教育には全く無関心な母で勉強しろとは言われた覚えもない
ちょっと成績が良いといきなり褒めだし悪いといきなり
『ちょっと褒めたからっていい気になるな』と怒鳴られる
でもね良いところもあったんだよ
交通博物館に連れていってもらったことがある・・俺だけ連れて
帰りに荏原町のとんかつ屋さんで食べさせてもらった事がある
小学校4年生の頃かな自転車を買ってもらった事がある
俺にとっては勉強は親父を満足させる為にしてた
けれどいつも机の前に座っているだけで勉強なんてしたことない
罵られ叩かれてなんで俺が勉強なんかするものか・・・と心に深く誓った
中学生の頃先生に呼ばれてこう言われた
『お前は何で勉強しようとしないんだ・・お前は知能指数は学年でベスト5に入っているんだぞ
6大学は勿論国立も狙えるんだぞ・・・』
でも俺は先生にこう言った『先生俺は勉強大嫌いだから・・・』
でもお袋はいつも怒りながらもそばにいた
なにかあるとそばで泣きながら俺の脇にいてくれた
今でも俺の生き方正しかったか分からない
親父が俺のこと心配して言っていたのだろうが・・・
でも昔の4人家族がなんとなく恋しい
もう俺は一人残された・・・でも生きて行く
しかし何かの役に立つために使わされたのだろう・・・
でも俺のして来たことは親不孝だけだった
親父は厳しすぎるほど厳しく
ある霊能力をお持ちの方に見てもらう機会がありました
そうしたら俺の後ろに親父らしき男性が立って
『厳しすぎたな~』と言っているよ・・・と
俺はにわかに信じられなかったが
いきなり涙が溢れた
そうだよ・・俺はあんたから逃げたかったのかもしれない
小さい頃は勉強・勉強と母親の裁縫用の物差しで随分叩かれた
夕方ちょっとでも遅いと玄関の外で待って遅いと叱られる
夜寝る時布団の中で何度泣いたか覚えていない
でも俺が大きくなって強くなったら必ず親父を殺してやると思ってた
お袋は教育には全く無関心な母で勉強しろとは言われた覚えもない
ちょっと成績が良いといきなり褒めだし悪いといきなり
『ちょっと褒めたからっていい気になるな』と怒鳴られる
でもね良いところもあったんだよ
交通博物館に連れていってもらったことがある・・俺だけ連れて
帰りに荏原町のとんかつ屋さんで食べさせてもらった事がある
小学校4年生の頃かな自転車を買ってもらった事がある
俺にとっては勉強は親父を満足させる為にしてた
けれどいつも机の前に座っているだけで勉強なんてしたことない
罵られ叩かれてなんで俺が勉強なんかするものか・・・と心に深く誓った
中学生の頃先生に呼ばれてこう言われた
『お前は何で勉強しようとしないんだ・・お前は知能指数は学年でベスト5に入っているんだぞ
6大学は勿論国立も狙えるんだぞ・・・』
でも俺は先生にこう言った『先生俺は勉強大嫌いだから・・・』
でもお袋はいつも怒りながらもそばにいた
なにかあるとそばで泣きながら俺の脇にいてくれた
今でも俺の生き方正しかったか分からない
親父が俺のこと心配して言っていたのだろうが・・・
でも昔の4人家族がなんとなく恋しい
もう俺は一人残された・・・でも生きて行く
昔の親にとって子どもは生きていけるだけで良いんだよ
生きて行ってほしいから
自分で生きて行ってほしいから
だから厳しくもあったんだよね
今は家にママが二人いる(パパと呼ばれるママ)
親父はいないいわゆる親がいないんだ
一人で生きていくように育てる親がいないんだ
だからニートが多くなっているよね
引きこもりが多くなっているよね
本当にかわいいのかどうかわからない
素敵なお父様で良かったね
ケンスケさんを愛していたんだよね。
どうやったら良いのか苦しんでいたの案外お父さんだったのかも。
泣いていたのはお父さんも一種かも。
下手くそだっただけだと思う。
一度も抱くこともなく生まれたばかりの私を捨てて女の所にいった私の父。
中学になるまでフルネームも知らずにもちろん顔も知らない!
戸籍に載ってる名前が父親・・・
そうだね。父と母が出会ったから。
私も一人
頑張って生きていこう!そうだよね。
上も下も、比べたらキリがない~~
人生は「運動会」じゃないんだから
誰が1番でもビリでもない
ケンスケさんは、ちゃんとご両親がいて生まれた
だからケンスケさんは「1番」なんです
自分は地球で、一人しか居ない「貴重」な人間
世界初! 宇宙初! ケンスケさんは、1号!
二番はいない、己が大事にしないで誰がする
己を己が褒めないで、どーするの!
次はいつ自分に会えるかわからないんだから
褒めて、称えて、奮い起こす
これでいいのだ! 自信を持って生きようよ!
いろいろと家族にはあるものよね
ジッちゃんは仕事人間
叱られた記憶が殆どない
母はスパルタ教育ママゴン
私も家出の経験あるわ
その頃が懐かしい
自分の気持は未だに納得してないのです
でもね大学に行かせてもらったことや
嫌な事もたくさんあるけれど俺を心配してくれていたのも事実
再度当時に戻りたいかと聞かれれば戻りたくないですね
そうかもね・・良い親父だったと思わなければいけないのだけれどね
嬉しいコメントありがとう御座います
今自分がいるのは父と母がいたからで
それだけでも感謝しなければいけないです
流生はもっと心に傷を負っているかも
育て方が下手だったとはお袋も言っていた時あったね
自分でも心の迷いがあってね
吐き出して皆さまのご意見を聞きたかったのもありました
改めて思えば書いて良かった
皆さまの言うとおりでしょうね
考え方をちょっと変えてもう一度見直す良い機会と思いました
有難う
親父を恨んじゃいけないと思っているのですがね・・
甘ったれているかもね
もっともっと生きるにがんばっている人もいる
いまじゃ誰も意見してくれない
皆さまから意見を聞いて良かったよ
そうだよ・・俺は貴重な人間だよ
ちーさんと同じでね(笑)
嬉しいです
有難うございます
そうか。。懐かしい思いでとして捉えればいいんだ
有難う
皆さんからご意見伺って良かった
色々書けばあるけれど、それでは長くなってしまうので、ふと思った事を。
お父さんは、学歴はどうでしたか?それでご苦労なさった事はあったのでしょうか?
多分、お父さんはケンスケさんに一生懸命勉強させたかった何かがあったのではないかとも思いました。
期待か、願いか、ケンスケさん自身の為か、、。
その方法、やり方、させ方が不器用でわからなかったのかも。
又、男の子だから厳しくする事がいいと勘違いなさって、辛く当たったのかも、、ノウハウがわからなくて、なのかも。
それが、当の子供にとってどんなに辛く苦しい事かも思いも及ばずに。
子供からしたら罪な話ですよね。悲しい事です。
でも、そのケンスケさんの後ろに立っていたお父さんは、今ではその事に気付く事ができている、きっと済まなかった、と思っているのかもしれないですね。
もしかしたら、わかってくれたお父さん、よかったのではないかと思ってしまいました。
最近「自由になるため 許す」という言葉をみかけました。
検索すると、たくさん出てきました。難しい事だとは思いました。
偉そうな感じになってしまいまして、申し訳ありません、とふと思いました。
親父は府立第一工業高等学校とかいう学校でした
いつも総代(この字で良かった?)だったと言っていたし賞状もありました
祖父は医師で代々医師の家系でしたが自分は医師になれなかったと・
俺には勉強しないと将来背広を着ていく仕事につけないぞって
俺も興味のある学科はやればほとんどトップでしたがいつも親父から逃げたかったんです
でもね大学時代は仲が良かったと思いますよ
もう諦めたんでしょうね
だけどフト子供の頃を思い出すと憎しみがね・・
皆さまから色々なお考えを聞いて少しホットして
憎しみが薄れたきがします
有難うございました
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