4~5年前にライオンズクラブに所属していた仲間とランチをした記事を書いた事があります
クラブに所属していた時代に仲の良かった友人達で一人は倒産してひっそり暮らしていたAさん
建設会社でこちらの地域の宮城県中小建設組合の理事もしていたが・・・
もう一人のKさんは駅西口にビルを持ち映画館や貸しビル業を営み名前を聞けば殆どの方が知る方でしたが
市の中心部に大きな駐車場設備が無く中心部の集客に問題があると市に提言してきたが
動かぬ市に苛立ち独自に街の中心部に大きな駐車場を建設したのだが、丁度バブル景気も終わり大きな駐車場は経営圧迫してきた時代でした
結局会社を閉鎖して奥様と慎ましく残された家で不動産業を営んでいました
私はある会社で役職に付き何とか彼らよりは気楽に生活してました
彼らとは別にやはりクラブを辞めた数人と交流を持ち飲みにこそ行きませんでしたがランチを時たま楽しんでおりました
私の息子が亡くなる前のある日に癌で闘病中のAさんに退院の報告を受けましたのでお見舞いの電話をして家にお邪魔しようとしましたが
彼から言われた言葉が「会いたくないから来ないでくれ」との返事にかなり病状が悪いと解釈して電話も控えておりました
昨日にもしかするともう亡くなったのでは・・・と電話をしてみましたが電話の向こうで「現在使われておりません」のメッセージに
自宅電話番号に掛けましたがやはり同様のメッセージが流れました
やはり・・・・
彼の息子さんに電話で聞く事にしました
やはり一昨年の12月に亡くなったとの事
哀悼の意を告げて少しばかりお話を伺い三回忌が予定されている様で、その節はお邪魔させて頂く事で電話をきりました
私より10歳上の彼です
当然と言えば当然ですが・・・彼の病状がまだ外出して食事が出来る状態の時電話を頂き「〇〇ちゃん、又仲間でランチしようよ」
との電話を頂き「そうだね・・彼らに連絡してみるからね」と言いましたが実行出来ずに再度仲間たちとのランチは出来ませんでした
動ける内に歩ける内に・・・必要だな~と再度実感しました
早速最後のランチで同席した仲間のKさんに連絡してAさんが亡くなった事を報告してコロナ感染が落ち着いて来たら
又二人だけでも良いからランチしようと約束して電話を切りました
そうだよな~5・6年前から言っていた「会えるうちに会おうな」は必要なんだな・・・とつくづく思った一日でした
どうぞ皆様には無事安泰な一日をお過ごし下さいね。