スピリチュアル大学自愛学ニューエイジ教室

「自分への愛」とは魔法の鍵です。自分を幸せにするばかりでなく、自分以外のたくさんの方々を幸せにする、すばらしい愛です✨💖

大人性に目覚めよう!:子供性とのかかわり(しゅしゅ さま )

2005-04-21 08:11:05 | スピリチュアル
子供性について・その後 (しゅしゅ)

2005-02-16 23:45:56

こんにちわ。
先日は持って行き場のない気持ちに道しるべをつけていただいてありがとうございました。
自分の子供性との関係は、どうなんでしょう、話しかけることはしなくなりました。
ただ、鏡を見て『よし、可愛い』と思うことは増えました。
どうも可愛いと言われるのが好きなようです、わたし。

娘をまだ本当に子供なんだなあと受け止めてあげることが少しできる時があるように思います。
ほんとに少しずつですが。

学校にあがると口がたってくるので、大人扱いしてしまいがちですね。
言うこと言うなら、することもしろって感じで。

子供が喜びそうなこととか、どうしてわざわざそんなことをしてあげないといけないのだろうと今まで思っていたんですが、
たまには喜ばせてあげてもいいかと、思うこともあるようになりました。

どんどん、子供は抱っこもさせてくれなくなるし、親から離れていくのでしょうが、
私の方が子供に近づいていくようで、子離れのできない親になるかも・・・などとも思ったりします。

世間一般の母親とは少し違うようですね。

好きだった人との別れの日から1年が過ぎました。これで1年という時間の流れがわかった気がして、この繰り返しで10年が過ぎるんだなあとなんとなくホッとした感じがします。
毎日、何度となく関わりがあったのが、ある日を境にぴたっとなくなってしまうショックは、やはり癒えるのに時間がかかりますね。



さち子: では、まず、光の存在たちを呼びます。シュシュさん、そして私をサポートし最高の情報をもたらしてくれる方々、ここへ現れてきてください。いつもサポートをありがとうございます。

今日はめずらしく、ドリーン・ヴァーチューのカードを引きたくなり、女神のガイダンス・オラクル・カードを引いてみました。セクメット SEKHMET というエジプトの太陽の女神でした。「強くなりなさい。あなたが思う以上にあなたは力強い人です。その強さは幸せな結果を保証してくれます」というメッセージでした。おそらく、しゅしゅさんはどこかで自分が人生に翻弄されている、自分自身で人生を築くことは本当にはできないんじゃないかという不安があるのではないでしょうか。そういう不安を一番覚えるのがしゅしゅさんの子供性で(一番ナイーブな自分ですから)、人は不安だとその感情をいらだち、怒りというようなものに変形させます。それがご自分のお子さんに対するやさしい気持ちを邪魔しているのかもしれません。このセクメットはライオンを両側に従わせ、その野生界のキングであるライオンさえもコントロールしています。このセクメットがしゅしゅさん自身の本当の姿なんじゃないでしょうか。

人は、自分が不安であるという状態でいると、余裕はゼロです。それはどこから来るのか? 私にはそれが自分のすべてを受けとめ、すべて起きていることが計画通りであり、守られるために生まれてきたということを忘れてしまったことからではないかと思います。自分を愛するということを私はすすめていますが、自分を愛する行為というのが、この自分をすべて受けとめるということです。好きでも嫌いでも、今の自分はこうなんだと受けとめる。それはこのまま変わらないということを受けとめるということとはまるで違います。今の自分を丸ごと受けとめるからこそ、先へ進める、私はそこがみなさんが一番見えないところであり、隠された鍵だと思います。自分を愛す行為は、一番の成長を遂げることができる鍵です。それも自分の中に大きなエネルギーを湧かせ、健康と幸せを招く方法です。エネルギーが湧くからこそ、どんなことをしようとしてもできるという自信になります。

強さの影に守られているのが子供性だと思います。強い自分を認めることは、弱いナイーブな自分を無視することとはまるで違います。もしそれをやってしまったら、自分の強さはどんどんと削げ落ちていきます。自分の一部を否定することになるからです。そして、子供性は否定され、いじけさせられると、その不安が怒りと変形していき、それがたまりにたまった時に爆発的に切れ、強いはずの大人の自分にとって一番いやな結果を作ってくれることになります。

子供性と大人性のかかわりは、本当に親子のかかわりのように、大人は小さな子供を守り安心させる、それが基本です。そのナイーブな自分に「大丈夫だからね。大人の私が絶対守ってあげるからね」ということを確約する。そしていつもチェックしてあげる。その子供がこわがっていないか。そして、手始めとして毎朝鏡に向かって声をかけるというようなことを続けるのはよいことです。そのうち、自分の子供性が確かなものとして感じられるようになったら、自分が不安に思っている時に必ず、その子供性にチェックをかけ、大人の自分が守るを宣言してあげます。自分の大人性というのはこのセクメットのようなパワフルな存在です。自分がそんなにパワフルじゃないと思うかもしれません。でも自分の中にいる大人性というのは理想の大人性でいいんだと思うんです。自分の核にある、エッセンスの自分であり、神と直結している自分でいいんだと思うんです。人はみんな神を自分の内に持っていると言いますが、そういう部分が大人性の元なんだと思います。そういう部分を持って、子供性の自分も持って生きていくのが地球で生きるということだと思います。

自分の中の神の部分に目覚めようというのが、今日引いたカードのメッセージかもしれませんね。だからと言って子供性が大人性より下である、価値がないということでは決してないと思います。子供性は守られ安心した時に、私たち大人性にエネルギーを供給しているように私は思えます。子供性が喜ぶことをした時に、自分の今生の目的が達成されるとも思います。子供性は単純に自分にとって何がいいことで、好きなのかを言い当ててくれます。それが多くの場合自分が今生地球にしに来た目的を思い出させてくれるサインとなっていると言えます。子供性の純な部分があるからこそ、喜びを感じることができます。大人性、子供性両方があることで私たちは完成される、私はそれを強く信じてます。

しゅしゅさん、自分の大人性に目覚めてみませんか? 本当にしゅしゅさんはパワフルな女性であり、自分の人生を自分の思うままに作っていくことができる人です。それをさせない理由が、子供性の萎縮であったり、自分を信じなかったりと言う、自分を受け取ってない、自分を愛してないというところから来る不安おそれだと思います。これは現代人、オールドエイジに生まれた方にとり、当たり前のことです。ニューエイジというのはこういう価値観から卒業し、その教えに感謝し、手放す時代なんだと思います。ですから、自分のペースでできることをして行くのがベストです。こわいのに押すこともありません。子供性と一緒に、守ってあげるからねというスタンスをちゃんと作りながら、一歩一歩進んでみてください。三歩進んで二歩下がるが、ニューエイジへの橋がけ隊の私たちのテーマですので、あせらず、それを受けとめて、一緒に生きてみませんか? 水前寺清子さんの歌、大当たりです(笑) 私も日々進んでは下がり、進んでは下がりして生きています。でも確実に一歩進んでいる。それを信じてます。

大人性がパワフルになってきたら、娘さんとの関係もおのずと変わってくるんじゃないでしょうか? 彼女はしゅしゅさんの不安のはけ口になってしまってるだけだと思います。そういう不安さえ取り除けて、自分の子供性を安心させれば、余裕が出てくると思います。そうできない時もちゃんと自分に受けとめてあげ、地道に、自分の子供性を守りながら生きてください。

こちら付け足しです: 「世間一般の母親とは少し違うようですね。」とおっしゃってますが、世間一般なんていう姿、本当にはないんじゃないかと思いますよ。みんなそれぞれの親子関係をやっているだけです。それを十把一絡げに、すべての親は子供をいつも愛することができるなんて言葉で表現するのは、オールドエイジの人の気持ちに対して繊細さを持てなかった人達の限られた表現法であっただけだと思います。それに生きるか死ぬかの時代を生きた人達にとって細かい気持ちなど表現する余裕も時間もなかったと思いますし。

私たち現代人って言うのは、本当に隣の芝は青く見える、のメンタリティーなんですよね。同じように生きている人なんて言うのはいないです。私たちが現在63億人もの地球人の一人であるということは、63億の生き方があるということを神が見せるために作っているという話があります。だからこそ、同じだったら、神の失策になってしまうわけです。(笑) 私たちは隣の人と違うから生まれてきたんですよ。絵に描いたような「あたたかい親子関係」なんてものないんです、本当は。それをあるかのようにTVドラマとかで作ってますが、どっかで、本当に描いた絵に過ぎないんですね。

アメリカの1950、60年代のドラマとかも、本当に絵に描いたような、「強いかしこい父親とやさしい母親とかわいい子供たち」のドラマ、たくさんありましたが、実際には、そんな家庭ないよねっていう話がその後いろんなところでされました。実際、そういう家庭をやっているはずの人であるアメリカの大統領たちが、その妻や親がアルコール依存症だったという話はたくさんあります。それはきっと、周りの勝手なる想像と期待でプレッシャーを感じ、現実を隠し続けるということをしてきたんだろうと考えられます。だからこそ暴露本なんて言うものが後から出てくるわけです。有名なところでは、フォード大統領の奥さんのアルコール依存症の事実があります。しかし、彼女はとても勇気のある女性でもありました。世間に自分のアルコール依存症を公表し、自らそれを更生する施設に入り、その後更生施設のための基金を自分の名前の下作ったりしています。こういうことを見てもアルコール依存症になったことが恥ずかしいことというのではなく、それぞれの選んだ人生の道があり、それを認め、受け止めることによって、自分を健康に幸せにして、社会貢献するということができたということですよね。事なかれで生きるのだったら、地球来る必要は本当にはない。問題があるからこそ何かを学び貢献できる。過去は常識というのが狭い考えに凝り固まっていただけで、何もやって恥ずかしいということなど本当にはないのではと私は思います。そこから学ぶからこそ、問題は提示され、それに対して行動しているだけだと思います。

ある意味アメリカの絵に描いたような現実を信じてきた時代は終わろうとしています。映画やTVももっと現実的な人々を題材にするようになりましたし、それは日本でも同じことだと思います。ですから、絵に描いたような当たり前の姿なんていうのは、本当にはありえないと改めて思います。みなさん自分の悩みを公表したりあまりしませんからね。人を見て自分に劣等感を感じることは本当に必要のないことです。そこからまず変えてみませんか?

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