スピリチュアル大学自愛学ニューエイジ教室

「自分への愛」とは魔法の鍵です。自分を幸せにするばかりでなく、自分以外のたくさんの方々を幸せにする、すばらしい愛です✨💖

「世の中、油断すると何が起きるか分からない」という役に立たない思い込みをすてましょう!

2005-07-29 10:32:52 | スピリチュアル
質問者: Yさん

私、今直面している問題があります。

自愛学とは関係ないかもしれないのですが、さちこさんのHP(www.sachikolove.com) のエクトンのページを読んでいて、さちこさんにメールを書きたくなりました。「今人生で起こっていることから学べること」はなんだろうと思っています。

先週、クラスメイトのシスターと美術館に行きました。シスターの車で行ったん
ですけど、私が車から降りようと思ってドアを開けた時、隣の車(ボルボ)のドアに傷をつけてしまったんです。

しまったと思ったけれどもう遅い。シスターは「電話番号を残していきましょう。そして車の持ち主と話しましょう」といい、私の電話番号を残していきました。

一週間後、車の持ち主から電話があり、「修理代を払ってほしい」とのこと。

そのときには、私は、友達から「自分の電話番号を残すなんて正直すぎる。ここはアメリカなんだよ。車の傷なんて無視して当たり前なんだよ。」といわれ、「そういえば、車は道具だし、道具は汚れても当たり前なんだ」「車の外見に執着しなくてもいいんだ」と気持ちが変わっていました。

しかし、車の持ち主は一番高い修理工場、ボルボが行きつけで、今回もそこに行っ
て、修理するからお金を払ってほしいとのこと。

私は「すみません、私の保険は車との事故はカバーしないし、私は学生でお金がありません。」と電話で言ったんですが、そうしたら持ち主のだんなさんがかんかんに怒って、私はその剣幕に押されて泣き出してしまいました。とても怖かったんです。

シスターに相談したら、「私がお金は払うから、もうこの問題をはやく片付けましょう。お金のことは心配しないでいいから」と。

私は、正直「小さな傷に何百ドルも払うなんてもったいない」と思っていて、払いたくないのですが、シスターは持ち主と話をして「お金を払う」と話したとのこと。

心配してくれた私の家主さんが安い修理工場に連れて行ってくれたのですが、持ち主は結局ボルボじゃなきゃだめといってシスターにお金を請求するということでした。

私はシスターにお金を払ってもらうのはとても悪いと感じます。「後で後悔しない選択」をしたいんですが、どうしたらいいんだろう。。?と思っています。もし、アドバイスがあったら、教えてください。



《さち子とのレッスン》

《さち子》Yさんご質問ありがとうございました。それでは、もう一度読みながらお返事したいと思います。

《Yさん》私、今直面している問題があります。
自愛学とは関係ないかもしれないのですが、さちこさんのHPのエクトンのページを読んでいて、さちこさんにメールを書きたくなりました。「今人生で起こっていることから学べること」はなんだろうと思っています。

先週、クラスメイトのシスターと美術館に行きました。シスターの車で行ったんですけど、私が車から降りようと思ってドアを開けた時、隣の車(ボルボ)のドアに傷をつけてしまったんです。

しまったと思ったけれどもう遅い。シスターは「電話番号を残していきましょう。そして車の持ち主と話しましょう」といい、私の電話番号を残していきました。

一週間後、車の持ち主から電話があり、「修理代を払ってほしい」とのこと。

そのときには、私は、友達から「自分の電話番号を残すなんて正直すぎる。ここはアメリカなんだよ。車の傷なんて無視して当たり前なんだよ。」といわれ、「そういえば、車は道具だし、道具は汚れても当たり前なんだ」「車の外見に執着しなくてもいいんだ」と気持ちが変わっていました。



《さち子》この辺はYさんの良心の問題だと思います。逆に考えて、Yさんの車がもし知らないうちに傷ついていたらと考えてください。仕方ないと思ってあきらめます? もしそう思うのでしたら、それはそれだと思います。

ただね、こういうことが起きるというのが、Yさんの心理の中に、「世の中っていうのは油断してると思いもしないことが起きるものなんだ。」っていう信じ込みがある気がします。だから「自分の電話番号を残すなんて正直すぎる。ここはアメリカなんだよ。車の傷なんて無視して当たり前なんだよ。」はその信じ込みに加担するように、人の車を傷つけても、それはあっちが油断してるからいけないんだって、Yさんが言って、この信じ込みを世間に広げる助けをしていることになるのかもしれない。もちろんYさんからしてみたら、自分が被害者になっているわけで、正に「自分が油断してたから、こんなことを引き起こした」っていう風に思ったかもしれません。要するに一方方向でなく、両方向にこの、「世の中っていうのは油断してると思いもしないことが起きるものなんだ。」という信じ込みが働いてると思います。自分にとっても信じて役に立たない信じ込みを他の人にも信じさせる役割をする? それってどうですか? 

私はみんながそういう役に立たない信じ込みをしなくなるのが一番いいと思いますが、そういう信じ込みを役に立たないものなんだって知るためにも信じ続ける人もいるはずですので、本人しだいでもあります。

「そういえば、車は道具だし、道具は汚れても当たり前なんだ」「車の外見に執着しなくてもいいんだ」ですが、それは、人が大切にしているものを自分にとってはどうでもいいものだと言って踏みつけることも肯定してしまいそうです。自分が信じていることは自分だけの真実です。それを人に押し付けることも、押し付けられることも違うことだと思います。自分の真実は大切に自分の心の中にしまい、相手を巻き込んでしまった時には、相手の「真実」に耳を傾け、無理なことだったら拒絶し、そうでなければ聞いてあげる。そして、自分のことに置き換えて考えてみると、もっと理解が広がると思います。


《Yさん》しかし、車の持ち主は一番高い修理工場、ボルボが行きつけで、今回もそこに行って、修理するからお金を払ってほしいとのこと。

私は「すみません、私の保険は車との事故はカバーしないし、私は学生でお金がありません。」と電話で言ったんですが、そうしたら持ち主のだんなさんがかんかんに怒って、私はその剣幕に押されて泣き出してしまいました。とても怖かったんです。

シスターに相談したら、「私がお金は払うから、もうこの問題をはやく片付けましょう。お金のことは心配しないでいいから」と。

私は、正直「小さな傷に何百ドルも払うなんてもったいない」と思っていて、払いたくないのですが、シスターは持ち主と話をして「お金を払う」と話したとのこと。

心配してくれた私の家主さんが安い修理工場に連れて行ってくれたのですが、持ち主は結局ボルボじゃなきゃだめといってシスターにお金を請求するということでした。



《さち子》「小さな傷」といっても傷は傷です。その方たちにとっては大切な車だったかもしれません。一生懸命に働いてためたお金で買ったのかもしれないです。それをいつもピカピカにしていたいという気持、あっても普通じゃないでしょうか。自分の理解だけで物事を判断するは乱暴かもしれません。ボルボといえば、日本では高級車と思われています。大切に扱うにはボルボ専門の所で修理するは不思議ではないことです。自分にとってどれだけの価値があるかって言うのはみんな違いますよね。そういう価値観を自分の価値観と比べても同意できるものではないです。

それよりは、「世の中油断すると何が起きるか分からない」という信じ込みを捨てる方が建設的な行動だと思います。自分が自分の人生のシナリオライターなんだという意識を持ち、信じても役に立たない信じ込みを捨てることで、こういう起きて欲しくないことを起こさないという人生の設計をする。そういうこと始めませんか? 私は、まずそういう信じ込みを捨てるワークをした上でもなおかつ、いつも天使や光の存在たちに、守ってね、助けてねってお願いして、うれしくないことを起こさないようにしてますよ。


《Yさん》私はシスターにお金を払ってもらうのはとても悪いと感じます。「後で後悔しない選択」をしたいんですが、どうしたらいいんだろう。。?と思っています。もし、アドバイスがあったら、教えてください。


《さち子》ここはシスターに甘えてお金を払ってもらい、後でお返しするというのが、一番後腐れないと思います。払わないで、踏み倒してしまったりしたら、よっぽど良心が痛み後悔するんではと私には思えます。おそらくそうなったんだろうと思いますが、違いますか?

なお、自分を愛するということにご興味おありの方は、さち子のウエブサイトへお出でください。www.sachikolove.com

最新の画像もっと見る

コメントを投稿