スピリチュアル大学自愛学ニューエイジ教室

「自分への愛」とは魔法の鍵です。自分を幸せにするばかりでなく、自分以外のたくさんの方々を幸せにする、すばらしい愛です✨💖

第88回自愛学トーク『感情を本気で受けとめるための知恵』

2008-04-18 19:46:18 | スピリチュアル

ハワイのみなさま、日本のみなさま、米国本土のみなさま、お元気ですか? 

例年の税金の確定申告が月曜日〆切で、いつもの通り最後の最後にやり遂げまして、今年はエアポートの郵便局が例年のように零時までやっていなく、一瞬ドキッとしてしまいましたが、初めて自分でやる料金計算機を使用し、無事終わりました。書留で送るため、これでできるのか不安でしたが、問題なくやれました。ああいう機械って言うのは、初めての時が一番不安でいやですねぇ。しかし、使い慣れるとできるもので、実際便利です。ハワイ来て16年目、確定申告に対し、妙な不安を抱かず、1日あればできるっていう変な自信?を持てて、それ以前も5分、10分と言う短い時間でできることをやるって言うのを覚えたせいか、本当に初めてあまりストレス感じずに順調にできました。物事って全部そうかもしれませんね。大変だと思えば大変だし、大丈夫って思えば大丈夫。実際、今回は体力が落ち気味だったので、「できなきゃできないで、もういいよ。どうにかなるよ。」って、なんか覚悟決めていたせいか、楽だったのかもしれません。そして、人っていうのは、何かをやり終えるとその達成感ていうのは、やはり気持ちいいものですね。エネルギーをあげてくれますね。だから、スポコンとか、それこそマラソンというようなものも、あの達成感感じるためにやってるのかもしれませんよね。私たちってまじめです。やっぱり。その翌日、もう何もしないで寝るぞーって思っていたにもかかわらず、達成感でハイになっていたせいか州の申告書もやってしまいました。それも勢いあったせいか、ものの30分ほどでできてしまいました! 達成感というのはすばらしいものですが、そこへ至る道がそんなに「痛く、苦しい」物である必要もない気は、ニューエイジに目覚めた今の私にはします。苦あれば楽あり、ではなく、何かを集中してやると言うことの後に来る達成感で充分なのではないかと思います。そうでないと、あまりすごい「苦」であると、次回やる時に始めるのが勇気いりますよね。ある意味トラウマになりえます。ニューエイジはいいとこ取りの時代ですので、達成感は楽しめる形でやり終えたいです。

さて、自愛学トークのおさそいです。前回のおさそいにも書きましたが、2月末から「いやがらせ騒動」があり、それが落ち着いてきたかと思ったら、職場で「青天の霹靂事件」があり、正直ここ10年以上なかった気落ちを感じました。今年に入りエネルギーは低めだったので、そこで気持ちまで落ちて、私の中はすっかり不安な子供性そのものになってしまいました。すべてのことは自分が何らかの理由でシナリオを書き起こしていると言う理解からすると、どうしてなのかっていうのは大体理解できるのですが、その中で「痛み、おそれ、いかり」などもリアルに感じる自分がいます。理解していることと自分の感じる気持ちのギャップについては前にも何度もお話してきたと思うのですが、これがニューエイジにスピリチュアルを生きることのひとつ大きな課題ですね。理解していることを自分に言い聞かせ、「ここで学ぶことがあるんだから。ここでキャストになった人もそれぞれの理由で今生を生きていて、それを私のためにやってくれたんだから、その人には感謝しないといけない。その人に対し、いつか幸せになって欲しいと祈るべきなんだ。」なんていう話をされると、腹が立ってくる自分が出てきます。本当に痛がっている人に「これは何かを学ぶための痛みなんだから、ありがたいと思わないといけない。いつか痛みは去るんだから。」なんて言っても何の役にも立たないのと一緒です。理解というのは魂レベルの自分が持っているもので、人間として地球に来ている私たちは、その理解があっても人間らしいさまざまな感情を感じる。それを感じるために地球に来たというのが正しいんだと思います。

そして、この事件は私の家族との関係と非常に関係があるというのもだんだんと気づき、だからこそ、私の中が子供性で満ちてしまったんだと思います。この事件を起こしてくれた人Bさんに対し、「こんな人が今後幸せになろうがなるまいが、関係なーい!」って言うのが子供性の言い分でした。それを「この人もいつか幸せになるといいね。」と言ってくれた人の言葉に対し、本当に怒りが湧いてしまいました。しかしその人も、今、私がそう感じられないのもそれでいいんだ、と言ってくれたにもかかわらず、そういう言葉を聞けば聞くほど、逆に不愉快になる自分がいました。本当に人って自責がオートマチックです。要するに「この人の幸せを祈れない自分は、できていない自分。情けない、だめな人、ETC.」それは意識の中にそういう言葉は聞こえていないけれど、いかりを覚えたと言うこと自身が、私がどこかで痛みを覚えたと言う証です。そして、痛みと言うのは叱られる、責められることによって起きる、それが一番よくあるケースです。要は聞こえない言葉で自分を責めていると言うことです。

目の前にいる人の言葉より、自分の中にある聞こえない自責の言葉、それにさいなまれているのが現代人だと思います。今回は予想外に私の根幹のトラウマに触る事件だったせいもあり、子供性が大暴れで、手をつけられない状態になり、久々復帰できず、へそ曲げている状態が続きました。最近では、理解と言うのがある分何かがあっても復帰が早くなっていたんだという事実にも改めて気づきました。

考えれば、私は過去にそれこそ、痛がっている人に対し、どうしてそういうことが起きているのかという理解を解き、「それは終わるからね」とさとすように言ってきたことが何度あったことかと気づきました。きっと腹立たしく思った人がたくさんいたんだろうなと本当に思いました。理解を解くこと自身間違えではないでしょうが、その人のその時感じている「傷み、いかり、おそれ」が本当にリアルなものであるということを受けとめなさ過ぎたように思いました。エクトンがよく言ってました。感る感情は、「リアル」なものなんだと。感じている感情はその人の人格イコールではないのも本当ですが、その感じている感情はそこにリアルにあるというのも本当だと言うこと。そこに何の矛盾もないということなんだと思います。

このことを通し、私は未だにやはりうれしくない感情を感ずる自分を受け入れたくないんだと言うことを見えない聞こえない所でやっているんだと言うことにはっきり気づきました。感情を受け取る方法として「実況中継」をするというのもやり始めましたが、それでほとんどの感情を受けとめ感じ流せていたのも事実ですが、多分30%くらいが未処理だったのかもしれません。そこで、自分の魂の部分、ハイヤーセルフと呼んでもいいかもしれません。その自分にそのことを聞いてみました。すると「そういう感情を感じることは恥じゃない。」と言うメッセージをもらいました。と言うことは明らかに私はそれを恥だと思ってたと言うことですね。このことは「すべての感情はただの感情であり、いいも悪いもない。」と言う理解はあり分かっていましたから、何も新しいことじゃないんですが、改めてこう言われると、本当に見えない聞こえない自分の内側、まだこの考えに固執している自分がいると言うことを教えられたんだと思いました。

そこで、どうしたらいいだろうと考えてみました。「恥じゃない」と言う言葉は否定形だし、言うたびに恥を思い出させるので、どうにかこの言葉を使わないで自分に言って上げられるアファメーションはないかなと思ったんです。そこで考案したのが、「貴重な体験をしています」と言うことばを思った気持ちの後に付け加えると言うことでした。「Bさんなんてどうにでもなれ! 『と思う貴重な体験をしています』」「すごい不愉快! 『と思う貴重な体験をしています』」という具合に心の中でこれをやり始めました。すべて意味あって感じている感情なんだと言うことを自分に受けとめるためです。これは結構功を奏しています。そのBさんといる時にそれをやると、自分を変に大人にして「寛大ぶる」ような事もせず、かと言って自分を責めずにいられると言う、結構微妙だけど、自分に無理をせず、自分に正直にいる言うバランスを作ることができたんです。

やっぱり今までの私は、すぐに大人らしく「寛大に」って言うので自分の怒りを押し殺して、丸く納めるって事にエネルギーを注いできたように思うんです。それって結構簡単ですからね.波風立てずに終われるし。でも後に残された自分の中のいかり、不愉快さは決してなくならないでそのままです。どこか、ある意味、寛大な大人らしく振舞うことがその相手との関係で「勝つこと」なんだからって思っている自分もいる。しかし、自分のニーズをちゃんと表現すると言うことをせずにいるのはやはり間違えだと今は強く思うようになりました。ましてや自分のニーズを表現することは何もケンかになる必要もないことです。なんと言っても自分の中にある押し殺された怒りなどは、後で爆発する時がきます。または肉体レベルでの病を引き起こします。要するにこれは自分を大切にする行為ではないということですよね。自分を愛すると言うことを考えれば、これは間違えです。いかりを感じている自分を受けとめる、そして私であれば「怒っている、と思う貴重な体験をしています」と心の中で言ってあげられればかなりその感情を終わらせることができるはずです。

うれしくない感情は人に対してぶつけるものではないが基本中の基本です。でも自分が一番受けとめてないからこそ問題になっているが事実だと思います。自分の内部の見えない聞こえないところで、当り前のように感じていい感情と感じてはいけない感情との選別が行われています。感じたくない感情を感じていて困っているのでしたら、それはあなたが明らかにその感情を受けとめていないから、問題を大きくしていると言うことです。それこそ「感じたくない感情」と言ってしまっている自分がいる事実が、受けとめてないということの証拠です。

今回は「・・・と思う貴重な体験をしています」と言うアファメーションをご紹介します。実践して役に立つ知恵をみなさんで一緒に使っていきましょう。

第88回自愛学トーク『感情を本気で受けとめるための知恵』

日時: 4月20日(日)1pm
場所: さち子自宅
料金: $20

ハワイお住まいのみなさん、または今ハワイにお出でになっているみなさん、お時間のご都合のつく方々は、どうかお出でください。参加可能のみなさんはこちらにご一報ください。いつものようにお茶菓子を用意して待っています! (今回はリクエストにより!ワードセンターSATURAのケーキです!!)

ホノルルに今いないとおっしゃる方々、またはご都合がつかないという方は、自愛学トークの模様を収録したCD(2枚組み)を販売していますので、ぜひご利用ください。お値段は$9/¥1000で日本への発送料は$6.50/¥700となっていますので、どうかご連絡ください。

LOVE & ALOHA

細川 さち子

P.S.T君の件、すみません。なかなかスピ大にアップできずにいます。しかし上記の通りで、エネルギーも時間もない状態でした。税金の方も終わりましたので、ボチボチやろうと思っています。どうかご忍耐ください。

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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
私はK君大好きです。 (ima)
2008-04-30 12:30:49
 はじめまして。私はK君が大好きでさち子さんのように最初彼の事を「助けたい!!」と強く思いました。でも私は助けられっぱなしなんですけどね。何の力があるわけでもないのに、何をもって助けたいと思ったのか自分でも不思議なんですがこれだけは全く根拠のない自信がありました。(今はナイです…)
楽しそうに歌っている時に「何がそんなにあなたを苦しめてるの?」と感じました。これってすっかり彼の虜になってしまった妄想なのかもしれませんが。
さち子さんがT君と出会えた事もいつかはわが身!と思いながらドキドキして読ませていただきました。また会えるといいですね!!
 それから「感情を本気で受け取るための知恵」は今まさにコレが必要でした。考えるより先に涙がボロボロです。自分を愛していないで甘やかしている、ケンカをしたくない、問題から目をそむける。いつも自責の念で止まってしまい底から進めないままでした。
「…と思う貴重な体験をしています」というアファメーション!実行します。一日中言ってるかも知れません。さち子さんの感情や気持ちの変化たくさんシェアして下さってありがとうございます。おかげで気持ちが軽くなりました。とっても救われた気分です。


 
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ありがとうございます! (さち子)
2008-05-19 20:27:52
コメントありがとうございました。また改めてお返事させていただきます。
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