この組み合わせは小生の交配。
父の交配ではなかったと思う。
30年前に掛け合わしたもの。
ピンクと真っ赤なお花の交配。
こんな感じで黄色のペタルやセパルになるのが面白い。
ラン科植物の花弁は2重構造になっていることが多く、
2色の花色の重なりで複雑に見えているのだ。
亡くなられたことが未だに信じられない。
本当に残念。
テレビの追悼番組を拝見していたら涙が出てくる。
『8時だヨ!全員集合』にどれだけお世話になっていたことだろう。
当時の一部のPTAなどから、子どもに悪影響を及ぼす番組だと云われたこともあったようだが、大笑いさせて頂いた思い出しかない。
ボクにしてみれば、いまでいう『花育』に匹敵するくらいの『笑育』だった。
『園芸と演芸を融合していこう』と、心に決めた理由は志村けんさんが発する滑稽なオーラに衝撃を受け続けたからだと思う。
大阪人のユーモアって、『よしもと新喜劇』さんの情操教育?のお陰だと思うが、志村けんさんのぶれないお姿は本当にかっこよく、ずっと憧れて続けてきた。
本当に愛され続けられたお方ってなかなかいらっしゃらないと思う。
志村けんさんのことを思い出すと、いつも必ず心がポッと温かくなる。
これはすごいこと。
志村けんさんの『笑育』のおかげで、『トミー』というお笑いを意識した園芸研究家が生まれたんだと思う。
32年前、まだ某放送局のひとつのチャンネルが教育テレビと呼ばれていたころ、番組のなかに『笑い』など、一切要求されていない空気が流れていた。
当時のディレクターさんからは何度も注意を受けた。
『あっ、富山さん。先程の場面の親父ギャグは不要です。もう一回、撮りなおします。』
反省した。
ボクには笑いのオーラがないことに猛省した。
あれから32年、いつしか『トミー』という芸名もつけて頂いた。
タイや台湾で海外ロケをさせて頂いたり、全国各地でトークショーをさせて頂いたり、本当に様々な経験をさせて頂いた。
いろんなプロデューサーさん、ディレクターさんにたくさんたくさん育てて頂いた。
感謝しないとバチが当たる。
様々な出逢い、様々な事象に感謝の念をずっと抱き続けてる。
この32年の間、何度も挫けそうになった。
自分でつくりあげた『トミーというキャラクター』が嫌になってしまうことは何度もあった。
本当の自分と演じるトミーとのギャップ、
ヒトって本当に複雑な感性を持った生命体。
「もうトミーキャラはだめだって、いやだ」って、何度も軌道修正しようとしたけど、
テレビの志村けんさんのお姿を拝見したら、もう一度頑張ろうって素直に思えた。
ぶれたらあかん。
志村けんさん、
本当にありがとうございました。全身全霊で笑いを届けてくださって、本当に感謝しています。
本当に偉大なお方でした。