これはなかなかの良著。
……良著ではあるが、読むの時間かかった~。
正味で10時間とかは読んでたかもしれない。
講談社学術文庫で本文480ページだから、まあボリュームもそこそこあるんだけど、
とにかく理解しようと、あわよくば記憶しようと努力して読んだから大変だった。
集中力を必要とする。
数年前から磯田道史をつぶしているので今回たまたまこれを読んだのだが、
まあちょうどいいといえばちょうどいいタイミングでしたね。
この本、「社会階層としての武士とは何か」というテーマを含んでましたから。
もともとは論文だったようなんですよ。だから内容としてはかなりガチガチです。
適切な章立てはされているとはいえ、段落も1ページに2つあるかないかですからねー。
詰まっている。密に詰まっている。
でも文章は明晰だし。……正直言って、この細かい内容をこんなに明晰に書けるのは
頭いいんだなあ、と見直した。テレビだと単なる歴史オタク(←一応褒めてる)だけど。
データ分析も細かい。本人がやったのなら驚嘆するし、研究室の学生がやったのなら、
ちゃんとバイト代をあげて欲しいレベル。
――いや、しかしそんな感想はどうでもいいのだ!!
内容です。
これをしっかり定着させるために、ノートを取りたくなった。
が、実際に取るのはあまりにも面倒で。多分高校レベルのノートの取り方をしていたら、
この本でノート1冊はいく自信がある。
100分の1――200分の1かもしれないが、ほんとーに浅い部分だけでもメモっておく。
浅い部分だけでも、もう一度読み直さなければならないんだから大儀ですよ。
ちなみに、この本は個人の論文だからして、内容の一から十までが「正確な歴史」ではない。
「正確な歴史はこうではないのか」という個人の研究である。
歴史は常に「確定的な事実」ではない。
なお、以下のA、B、Cなどの番号振りはわたしの便宜上。
それから、内容については個人的な理解によるので、文責はわたしにあります。
A:「武士」の階層は大きく分ければ「侍・徒士・足軽」。とはいえ、時代や地域、
藩でも相当の相違がある。名称のバリエーションも多い。
「給人・中小姓・徒士・足軽」と4つに分けることも。その下に中間・小者。
この著書では主に3つ分けを採る。
B:宇都宮藩(戸田家)の場合の格分けは十種類、七段階。
御家老ー御番頭・御用人・御取次ー御給人ー御中小姓ー御供徒・御使徒ー小役人ー足軽
この場合は御給人以上が侍、真ん中が徒士、小役人以下が足軽。
C:上記宇都宮藩では給人以上が「武士」。これは騎馬し、扶持は知行取の人々。
「侍」は徒士まで。
ただし「侍」「士分」「侍中」など、藩によって用語と定義は違う。
D:彦根藩の明治3年の藩政改革による区分の変化。
士分・徒士・銃手小役人・諸仲間→上士・下士・卒・使丁
E:中小姓は藩によって士分に含まれたり、徒士に含まれたりする。
F:同じ部屋に入れるのは同格の者だけ。呼びかけ、書式の様・殿の区別も厳しい。
G:絹物を着られるのは徒士以上。足軽は少なくとも公の場では禁止。
足軽には足駄・雪駄・下駄・白足袋を禁止した藩もある。
H:対面時の礼儀は厳しい。特に足軽に対しては厳しく、藩によっては士分と行き会ったら
下駄を脱いで最敬礼、あるいは土下座。(Gの下駄禁止と矛盾するようだが、
藩によって違うということか?)
I:Hから、徒士と足軽の格の差は現行のイメージよりも大きいのではないかという意見。
足軽は士分に土下座、あるいは最敬礼しなければならない(藩がある)こと、
百姓・町民身分が足軽相手に土下座は求められていない藩がある。
J:格による礼儀は厳しく設定されていた。相手と自分の格によって、さまざまな敬礼義務を
守らなければならなかった。どんな礼になるかは文書によって厳密に設定されていた。
シチュエーションによっても違い、非常に煩雑なものであった。
礼を失すれば処罰された。
K:身分表象は刀の有無と思われがちだが、「袴」の方がより明確な表象である可能性もある。
徒士以上は袴着用可、足軽は不可。(役務によっては一時的にあり)
L:狭義の「御家中」は士分のみ。時代によってだんだん御家中の範囲が広がり、
徒士も含むようになる。足軽も無礼打ちの対象だった場合がある。
なお少数だが、徒士も無礼打ちの対象になっていた藩もある。
――以上が第一章分。約100ページ分の話。はー、疲れた。
第一章は全体に対して5分の1だから、かなりボリュームがありました。
100ページを一言にまとめるのは乱暴にもほどがあるが、ここでのポイントは、
AとIだと思います。
士分・徒士・足軽。
そして現行では足軽は一般的に武士の側に入っているけど、一概にそうは言えないかもしれない
ということ。それを補強する内容として第二章へ続きます。……あー、大変……。
a:婚姻相手について。戦前に書かれてよく引用される論文があり、その「武士の婚姻は
藩内婚・身分内婚・降嫁婚傾向」の内容が通説となっていた。
が、磯田道史は「それは根拠の史料として最上クラスの武士のみを扱ったためでは
ないか」と問題提起する。
b:近年、新しく「士分と軽輩」の違いに注目した論文が出た。
士分は士分同士かあるいは他藩の同格の家、軽輩は軽輩同士か近隣の百姓とも婚姻した。
だがこれは明治初期の戸籍簿による調査で、少々時期が限定的なうらみがある。
c:磯田は、今回岡山藩とその支藩の鴨方藩の「婚姻願」により統計を出した。
一例として鴨方藩の徒士の妻の27人の実家を挙げると、百姓・17人、町人1人、
神主1人、同藩藩士1人、岡山藩藩士5人、岡山藩陪審2人。
d:結果をざっくりいうと、藩士(士分)社会では格式相応の通婚が主流。
降嫁婚か昇華婚、どちらかの明確な傾向は見られない。知行高はかなり近接している。
それに対して徒士層は百姓との通婚が多い。ただし百姓への嫁入りは少ない。
二章は史料の分析が主なので丁寧に読めば数字の納得感は高いが、まとめは難しい。
い:養子率は3割~4割。異姓養子は東アジアでは珍しい存在だが、
日本では異姓養子が過半数(←これは少々疑問)。
ろ:史料があった清末藩については、徒士層に百姓が養子に入る例はかなり稀。
松代藩では徒士層に百姓が養子に入る例はある。
は:もし同姓からの養子以外を拒絶した場合、100年程度で7割の家が断絶する試算。
父から子への俸禄はほぼそのまま継承されていた。士分の場合。
に:次男などが養子に出ることで階層移動が起こるデータはなさそうだ。
三章は養子の実態について。
――ああ!もうだめだ!めんどくさい!これ以上出来ない!止めます。
今後の内容をざっくり言うと、
4章:士分は比較的早婚。徒士はけっこう晩婚。宇和島藩の史料では士分の平均初婚年齢
23歳、徒士層31歳。この差は主に収入額の差ではないかと思われる。
5章:徒士層における一代抱え(能力・フィジカル重視)→世襲化への流れ。
足軽は「譜代」という存在もあったが、基本は一代抱え。後に「株」という形で
身分を譲り渡すことも広く行われる。
6章:足軽はより一層能力重視。見た目・体格も重要だった。
能力重視なため、幼年者が足軽身分につくことはありえない。
7章:隠居年齢。
8章:足軽の編成実体。
9章:足軽・中間(ちゅうげん)はここでは武家奉公人と扱われている。
津山藩の場合、足軽へは10~25俵の切米、中間は13~15俵という史料がある。
武家奉公人は近隣の農村から供給されることが多数。町人はごくわずか。
町人を抱えると風紀が乱れるという意見もあった。
10章:足軽・軽輩(仲間、小者など)は近隣の百姓が務めることが多かった。
一軒の家から2人以上奉公に出ている家もある。
基本的には城下へ居住していることが多いが、通いの奉公人もいた。
なお徒士層は(特に世襲化した後の徒士層は)、もらえる扶持は足軽よりも
多かったにせよ、それ以外の収入がほそぼそとした内職程度しかなかったので
百姓としての収入もある場合の軽輩層より貧乏なことは珍しくなかった。
11章:士分の経済状態。普通、知行の4割くらい支給されるのが普通だったが、
時代が進むにつれて2割、1.5割に減ってくる。
さらに奉公人の給料が2、3倍に上がって来るので、どんどん士分が貧乏に。
一家の奉公人の数は時代が下がるにつれて半減している。
本人が終章として45ページで内容を要約している。
この要約もなかなか手際がよく、ここだけを読んでも内容はつかめる。
しかしせっかく読むなら具体的な事例を読んで納得しつつ読みたい。
……が、7章8章はわたしも興味が続かなくて、ほとんど読んでない(^^;)。
ああああ~、めんどくさかった~~~!!
この本でわたしが残したいことは、
AとI。bと10章、11章。あ、そうそう、Kもか。
ただし問題は、――徒士って何なのかわからないことだ!
時代によってもいろいろ違ってくるんでしょうねえ。地域によっても。藩によっても。
徒士って、ふだん何やってるのかわからないのよねえ。
それをいうなら足軽もわからない。この本の中に足軽の職務は、門番、飛脚と何とかと何とか、
4つくらい並べられていたんだけどどこだったか忘れた。
戦国時代だったらまあ歩兵ということで、槍兵、鉄砲とかのイメージはあるけど、
平時は何をやっていたのか?
多分幕府において旗本は士分ですよね。で、御家人は徒士でしょう?
ここにはお目見え以上とお目見え以下という区分もありますよね。
騎乗と徒歩という区分もありますね。
でもこの区分では徒士と足軽の区別も大してつかないのよね。
足軽はふだんどんな服装をしていたんだろう。袴着用不可というから……着流し?
それもなあ。
中間は奴さんみたいなイメージではあるが、いつもいつもその恰好なのか?
wikiには「筆書・測量・算術のほか、塗物師・左官・小細工・大工・紙漉
白銀(彫金等)細工の棟梁、薬師や塗物師」などとあるが、これは逆で、
これらの技術職が徒士として抱えられたとか、特殊技能の気がする。
「武士の家計簿」の猪山家は士分だろうなあ……。
奉行所の与力は徒士格だろう。御家人。
時代劇に出て来る「浪人」は士分だろうか。士分もいただろうが、徒士もいたんだろうか。
まあフィクションでそこまで背後事情を設定してはおらんだろうが。
坂本龍馬は下士?とすれば徒士?でもたしか彼は才谷屋……。足軽?
あ、本家が才谷屋か。いや?でもたしか長兄は商人だった気が?
商人→徒士というのは、この本によるとなかなかなりにくかったんじゃないの?
それも藩ごとの個性の範囲なのか。
初めて坂本龍馬について読んだ時は、「土佐藩は上士と下士の溝が深く、それも幕末の
土佐藩の倒幕活動に影響を与えた」とあった気がしていて、上士に反感を抱いていたが、
その後、長曾我部系家臣と山内家臣の反目だったようなことも読み、
「そりゃ無理ない」と思うようになった。
この本でなあ。徒士と足軽の定義というか、姿をわかりやすく描いておいてくれればなあ。
まあ論文の趣旨と離れるので難しいだろうが。
だったらあとがきで説明して欲しかった。ここがわからないので、
今回この本で啓蒙された知識と、今まで知っている「武士として描かれた姿」が
きっちりと結びつかない。残念だ。
根性と頭がないので、本の5%くらいしかまとめられなかったが、書かないよりはましだろう。
以上。疲労困憊。ここまでといたします。
ありがとうございました。