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プラムフィールズ27番地。

本・映画・美術・仙台89ers・フィギュアスケートについての四方山話。

◇ 磯田道史「近世大名家臣団の社会構造」

2025年04月15日 | ◇読んだ本の感想。

これはなかなかの良著。

……良著ではあるが、読むの時間かかった~。
正味で10時間とかは読んでたかもしれない。
講談社学術文庫で本文480ページだから、まあボリュームもそこそこあるんだけど、
とにかく理解しようと、あわよくば記憶しようと努力して読んだから大変だった。
集中力を必要とする。

数年前から磯田道史をつぶしているので今回たまたまこれを読んだのだが、
まあちょうどいいといえばちょうどいいタイミングでしたね。
この本、「社会階層としての武士とは何か」というテーマを含んでましたから。

もともとは論文だったようなんですよ。だから内容としてはかなりガチガチです。
適切な章立てはされているとはいえ、段落も1ページに2つあるかないかですからねー。
詰まっている。密に詰まっている。
でも文章は明晰だし。……正直言って、この細かい内容をこんなに明晰に書けるのは
頭いいんだなあ、と見直した。テレビだと単なる歴史オタク(←一応褒めてる)だけど。
データ分析も細かい。本人がやったのなら驚嘆するし、研究室の学生がやったのなら、
ちゃんとバイト代をあげて欲しいレベル。

――いや、しかしそんな感想はどうでもいいのだ!!
内容です。


これをしっかり定着させるために、ノートを取りたくなった。
が、実際に取るのはあまりにも面倒で。多分高校レベルのノートの取り方をしていたら、
この本でノート1冊はいく自信がある。
100分の1――200分の1かもしれないが、ほんとーに浅い部分だけでもメモっておく。
浅い部分だけでも、もう一度読み直さなければならないんだから大儀ですよ。

ちなみに、この本は個人の論文だからして、内容の一から十までが「正確な歴史」ではない。
「正確な歴史はこうではないのか」という個人の研究である。
歴史は常に「確定的な事実」ではない。
なお、以下のA、B、Cなどの番号振りはわたしの便宜上。
それから、内容については個人的な理解によるので、文責はわたしにあります。


A:「武士」の階層は大きく分ければ「侍・徒士・足軽」。とはいえ、時代や地域、
  藩でも相当の相違がある。名称のバリエーションも多い。
  「給人・中小姓・徒士・足軽」と4つに分けることも。その下に中間・小者。
  この著書では主に3つ分けを採る。

B:宇都宮藩(戸田家)の場合の格分けは十種類、七段階。
  御家老ー御番頭・御用人・御取次ー御給人ー御中小姓ー御供徒・御使徒ー小役人ー足軽
  この場合は御給人以上が侍、真ん中が徒士、小役人以下が足軽。

C:上記宇都宮藩では給人以上が「武士」。これは騎馬し、扶持は知行取の人々。
  「侍」は徒士まで。
  ただし「侍」「士分」「侍中」など、藩によって用語と定義は違う。

D:彦根藩の明治3年の藩政改革による区分の変化。
  士分・徒士・銃手小役人・諸仲間→上士・下士・卒・使丁
  
E:中小姓は藩によって士分に含まれたり、徒士に含まれたりする。

F:同じ部屋に入れるのは同格の者だけ。呼びかけ、書式の様・殿の区別も厳しい。

G:絹物を着られるのは徒士以上。足軽は少なくとも公の場では禁止。
  足軽には足駄・雪駄・下駄・白足袋を禁止した藩もある。

H:対面時の礼儀は厳しい。特に足軽に対しては厳しく、藩によっては士分と行き会ったら
  下駄を脱いで最敬礼、あるいは土下座。(Gの下駄禁止と矛盾するようだが、
  藩によって違うということか?)

I:Hから、徒士と足軽の格の差は現行のイメージよりも大きいのではないかという意見。
  足軽は士分に土下座、あるいは最敬礼しなければならない(藩がある)こと、
  百姓・町民身分が足軽相手に土下座は求められていない藩がある。
  
J:格による礼儀は厳しく設定されていた。相手と自分の格によって、さまざまな敬礼義務を
  守らなければならなかった。どんな礼になるかは文書によって厳密に設定されていた。
  シチュエーションによっても違い、非常に煩雑なものであった。
  礼を失すれば処罰された。

K:身分表象は刀の有無と思われがちだが、「袴」の方がより明確な表象である可能性もある。
  徒士以上は袴着用可、足軽は不可。(役務によっては一時的にあり)

L:狭義の「御家中」は士分のみ。時代によってだんだん御家中の範囲が広がり、
  徒士も含むようになる。足軽も無礼打ちの対象だった場合がある。
  なお少数だが、徒士も無礼打ちの対象になっていた藩もある。

――以上が第一章分。約100ページ分の話。はー、疲れた。
第一章は全体に対して5分の1だから、かなりボリュームがありました。
100ページを一言にまとめるのは乱暴にもほどがあるが、ここでのポイントは、
AとIだと思います。

士分・徒士・足軽。
そして現行では足軽は一般的に武士の側に入っているけど、一概にそうは言えないかもしれない
ということ。それを補強する内容として第二章へ続きます。……あー、大変……。




a:婚姻相手について。戦前に書かれてよく引用される論文があり、その「武士の婚姻は
  藩内婚・身分内婚・降嫁婚傾向」の内容が通説となっていた。
  が、磯田道史は「それは根拠の史料として最上クラスの武士のみを扱ったためでは
  ないか」と問題提起する。

b:近年、新しく「士分と軽輩」の違いに注目した論文が出た。
  士分は士分同士かあるいは他藩の同格の家、軽輩は軽輩同士か近隣の百姓とも婚姻した。
  だがこれは明治初期の戸籍簿による調査で、少々時期が限定的なうらみがある。
  
c:磯田は、今回岡山藩とその支藩の鴨方藩の「婚姻願」により統計を出した。  
  一例として鴨方藩の徒士の妻の27人の実家を挙げると、百姓・17人、町人1人、
  神主1人、同藩藩士1人、岡山藩藩士5人、岡山藩陪審2人。

d:結果をざっくりいうと、藩士(士分)社会では格式相応の通婚が主流。
  降嫁婚か昇華婚、どちらかの明確な傾向は見られない。知行高はかなり近接している。
  それに対して徒士層は百姓との通婚が多い。ただし百姓への嫁入りは少ない。

二章は史料の分析が主なので丁寧に読めば数字の納得感は高いが、まとめは難しい。
  

い:養子率は3割~4割。異姓養子は東アジアでは珍しい存在だが、
  日本では異姓養子が過半数(←これは少々疑問)。

ろ:史料があった清末藩については、徒士層に百姓が養子に入る例はかなり稀。
  松代藩では徒士層に百姓が養子に入る例はある。

は:もし同姓からの養子以外を拒絶した場合、100年程度で7割の家が断絶する試算。
  父から子への俸禄はほぼそのまま継承されていた。士分の場合。

に:次男などが養子に出ることで階層移動が起こるデータはなさそうだ。


三章は養子の実態について。



――ああ!もうだめだ!めんどくさい!これ以上出来ない!止めます。
今後の内容をざっくり言うと、

4章:士分は比較的早婚。徒士はけっこう晩婚。宇和島藩の史料では士分の平均初婚年齢
   23歳、徒士層31歳。この差は主に収入額の差ではないかと思われる。

5章:徒士層における一代抱え(能力・フィジカル重視)→世襲化への流れ。
   足軽は「譜代」という存在もあったが、基本は一代抱え。後に「株」という形で
   身分を譲り渡すことも広く行われる。

6章:足軽はより一層能力重視。見た目・体格も重要だった。
   能力重視なため、幼年者が足軽身分につくことはありえない。

7章:隠居年齢。

8章:足軽の編成実体。

9章:足軽・中間(ちゅうげん)はここでは武家奉公人と扱われている。
   津山藩の場合、足軽へは10~25俵の切米、中間は13~15俵という史料がある。
   武家奉公人は近隣の農村から供給されることが多数。町人はごくわずか。
   町人を抱えると風紀が乱れるという意見もあった。

10章:足軽・軽輩(仲間、小者など)は近隣の百姓が務めることが多かった。
    一軒の家から2人以上奉公に出ている家もある。
    基本的には城下へ居住していることが多いが、通いの奉公人もいた。
    なお徒士層は(特に世襲化した後の徒士層は)、もらえる扶持は足軽よりも
    多かったにせよ、それ以外の収入がほそぼそとした内職程度しかなかったので
    百姓としての収入もある場合の軽輩層より貧乏なことは珍しくなかった。

11章:士分の経済状態。普通、知行の4割くらい支給されるのが普通だったが、
    時代が進むにつれて2割、1.5割に減ってくる。
    さらに奉公人の給料が2、3倍に上がって来るので、どんどん士分が貧乏に。
    一家の奉公人の数は時代が下がるにつれて半減している。    


本人が終章として45ページで内容を要約している。
この要約もなかなか手際がよく、ここだけを読んでも内容はつかめる。
しかしせっかく読むなら具体的な事例を読んで納得しつつ読みたい。
……が、7章8章はわたしも興味が続かなくて、ほとんど読んでない(^^;)。




ああああ~、めんどくさかった~~~!!



この本でわたしが残したいことは、
AとI。bと10章、11章。あ、そうそう、Kもか。


ただし問題は、――徒士って何なのかわからないことだ!
時代によってもいろいろ違ってくるんでしょうねえ。地域によっても。藩によっても。

徒士って、ふだん何やってるのかわからないのよねえ。
それをいうなら足軽もわからない。この本の中に足軽の職務は、門番、飛脚と何とかと何とか、
4つくらい並べられていたんだけどどこだったか忘れた。
戦国時代だったらまあ歩兵ということで、槍兵、鉄砲とかのイメージはあるけど、
平時は何をやっていたのか?

多分幕府において旗本は士分ですよね。で、御家人は徒士でしょう?
ここにはお目見え以上とお目見え以下という区分もありますよね。
騎乗と徒歩という区分もありますね。
でもこの区分では徒士と足軽の区別も大してつかないのよね。

足軽はふだんどんな服装をしていたんだろう。袴着用不可というから……着流し?
それもなあ。
中間は奴さんみたいなイメージではあるが、いつもいつもその恰好なのか?

wikiには「筆書・測量・算術のほか、塗物師・左官・小細工・大工・紙漉
白銀(彫金等)細工の棟梁、薬師や塗物師」などとあるが、これは逆で、
これらの技術職が徒士として抱えられたとか、特殊技能の気がする。

「武士の家計簿」の猪山家は士分だろうなあ……。
奉行所の与力は徒士格だろう。御家人。
時代劇に出て来る「浪人」は士分だろうか。士分もいただろうが、徒士もいたんだろうか。
まあフィクションでそこまで背後事情を設定してはおらんだろうが。

坂本龍馬は下士?とすれば徒士?でもたしか彼は才谷屋……。足軽?
あ、本家が才谷屋か。いや?でもたしか長兄は商人だった気が?
商人→徒士というのは、この本によるとなかなかなりにくかったんじゃないの?
それも藩ごとの個性の範囲なのか。

初めて坂本龍馬について読んだ時は、「土佐藩は上士と下士の溝が深く、それも幕末の
土佐藩の倒幕活動に影響を与えた」とあった気がしていて、上士に反感を抱いていたが、
その後、長曾我部系家臣と山内家臣の反目だったようなことも読み、
「そりゃ無理ない」と思うようになった。


この本でなあ。徒士と足軽の定義というか、姿をわかりやすく描いておいてくれればなあ。
まあ論文の趣旨と離れるので難しいだろうが。
だったらあとがきで説明して欲しかった。ここがわからないので、
今回この本で啓蒙された知識と、今まで知っている「武士として描かれた姿」が
きっちりと結びつかない。残念だ。



根性と頭がないので、本の5%くらいしかまとめられなかったが、書かないよりはましだろう。
以上。疲労困憊。ここまでといたします。
ありがとうございました。

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◇ クロフツ「クロイドン発12時30分」(半分以降パラ読み)

2025年04月09日 | ◇読んだ本の感想。

「樽」のクロフツ。「樽」を12年前に読んだあと、「樽」以外は面白いのか?と思い、
今回読んでみた。

……いやー、よく書けてる作品だとは思うんだけどねー。
なにしろこの話、犯人(=主人公)の内心をじっくり書いていくタイプの作品で。
決して悪人ではない犯人が、どういう過程ののちに殺人を犯していくのか。
ほんとに丁寧に書くから、……主人公に同化して読むタイプのわたしにはツライ。

ツライというか、心が痛いというか、いたたまれない。
半分までは、辛かったけどなんとか読んだ。しかしその辺りから
ばれずに済んだと安堵している主人公が次第に追い詰められていく展開で、
もう我慢できなかった。あとは解決篇まで飛ばしました。
どうせ名探偵が結局解決するんでしょ?

全体的には緻密でしっかりした作りの作品なのだが、若干淡々としすぎているきらいが……
とりわけ解決篇は完全に予定調和で(まあ仕方ないんだけど)、
名探偵フレンチ主席警部は食事会で自らの推理を披露し、全員が彼をほめそやすという。
褒めてもいいけど、褒め続けることは不要だったのではないかと思う。褒めすぎ。

殺される人も、良くは描かれていないのよね。
不況で会社経営に苦しむ主人公(甥)に「お前の努力が足りないのだ!」と言い放つ前経営者。
たしかに主人公は多少甘いかもしれないけど、そんな言い方しなくったって……
少しは知恵を貸すとか励ますとか、やってくれてもいいだろうと。


クロフツなあ。緻密な作家なのはいいけれど、こう書かれるとわたしにはツライかなあ。
もう少しユーモラスなものが好きかもしれない。もう1、2冊読むが、どうだろう。

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◇ 榎村寛之「斎宮――伊勢斎宮たちの生きた古代史」

2025年04月03日 | ◇読んだ本の感想。

今回斎宮についての本を、結果的には5冊読んだことになった。
そのうちの3冊はこの人の著書。どれも面白かったですね。
現在御年65歳だから今はどうかわからないが、8年前のこの本の出版時点では
三重県立斎宮歴史博物館の学芸普及課長だった人。

ま、斎宮はある意味マイナーなテーマでしょうから、研究者もそこまで多くはないと思う。
その中でまさに斎宮研究真っただ中の立場ということかね。
何しろ博物館に勤めてたんですから。


今後、斎宮についての本をなんぼか読みたい人に向けて、この3冊を簡単に説明します。
番号は便宜上。

1.「伊勢斎宮と斎王」
2004年発行。一番柔らかい内容。短い話題に分かれたコラム的なので読みやすい。
最低限の数字も挙げられているので簡単過ぎない。牽引もついている。
特筆すべきは、一つの話題について前半部がより基礎的な内容、後半部が
【もっと知りたい人へ】とあって、より掘り下げた内容になっている。
これいいシステム。ボリューム的には半々で、これがちょうどいい。
もっと各所に広がって欲しい。


2.「斎宮――伊勢斎宮たちの生きた古代史」本書
2017年発行。中公新書。中公新書といえばそれで説明は足りるであろう。
これはいい方の新書。わたしは中公新書を信頼している。読みやすく、内容もある。

面白い試みとして、ほとんど世には知られていない歴代斎宮を、人によりそって
――資料がとても少ないので、比較的有名な斎宮でも目鼻がはっきりするほど
キャラ立ちはしてないわけだが――の視点で書こうとしている。

取り上げられてるのは5人くらいだったかな。
それぞれ面白かったんだけど、何しろわたしは記憶力に問題があるので、
斎宮女御という人がかろうじて頭に残った。藤原忠平の孫で村上天皇の女御らしいよ。
歌人としても有名でサロン的な集まりがあったとか。


3.「伊勢神宮と古代王権 神宮・斎宮・天皇がおりなした六百年」
一般書だが内容は研究に近いので、読むのにけっこう時間がかかるし、
ここまで読まなくてもいいと思う人もいるだろう。若干重め。
が、内容は詰まっているし、読んだらとても面白い本。
これは別に独立して記事にしているので、こちらを参照ください。

わたしは3→1→2という順番で読み、それはそれで全然問題なかったが、
読みやすさで言えば1→2→3なので、勘案してもいいかもしれない。
だが細部の情報を入れてから簡単なものを読むと、読んで味わいが深まるので……
まあどっちがベストかは人による。要はどっちも楽しめる。



――この本について言いたいことがもう一つ。
あとがきでね。氷室冴子の名前が出て来るのよ。
著者は彼女と二度ほど面識があり、斎宮が出て来る小説について話したこと、
それが実現しなかったことが残念だと。通り一遍ではない哀悼の意を表している。

好きな作家だった。氷室冴子の死は。早すぎた。
まあ読んだのはほぼ時代物だけで、全体の作品に対しては3割程度だとは思うけど。

今でもめったにない、平安時代を舞台に面白い小説を書いてくれた。
源氏物語など古典の翻案ではなく、オリジナルのエンタメ小説はレアだった。
こんなん書けるんだ!と驚いたよ。こういうものの考証は常に不安だが、
少なくとも違和感のある話づくりはなかった。
面白く読んだよ。大好きだった。今でも惜しむ。

歴史・古典エッセイでわたしを古典の世界へ引っ張ってくれたのは
田辺聖子だが、氷室冴子も同じように田辺聖子のエッセイに導かれて平安時代へ入りこんだ。
わたしにとっては同窓の先輩のような人。


――ということで、著者に対してはこの件で親しみを覚えました。
内容もいいので、斎宮についてさらっと知りたい人はおすすめです。



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◇ 榎村寛之「伊勢神宮と古代王権 神宮・斎宮・天皇がおりなした六百年」

2025年03月27日 | ◇読んだ本の感想。
大変興味深かった。面白かった。けっこう難しかったけど。

半分くらいまで読んで、間に一週間くらい空いて、後半一気に読んだら
前半の細部は忘れているし、後半は2時間くらい続けて読んだら内容が細かくて若干飽きた。
書いてある内容は興味深いんだが、わたしの知識がそれをはっきり理解できるほど深くない。
加えて記憶力がない。

まあでもとにかく、前半の驚きは――かなり大きな驚きは、
伊勢神宮と斎宮は全く別組織だったということ。
なんだったら利害の対立さえあったかもしれないということ。

わたしは最上位に斎王がいて、伊勢神宮の大宮司がいて、まあ実務及び実際の権力は
大宮司が持っていたかもしれないけど、あくまで斎王が最高権力者だと思っていた。
斎王が参加しない伊勢神宮の儀式もあったと読んで「え!?」と思った。

伊勢神宮は祭主を世襲したい大中臣氏。その下につく宮司たち。
宮司たちに反発をする禰宜層。
それらとは違う権力構造を持つ斎宮。省庁としての機能もある。
経済基盤も違う。奪い合ったり競い合ったりもしたことだろう。



後半は、意外に斎王の重要性は流動的で、重んじられたこともあったし
それに伴って権力を持っていたこともあったが、思ったよりも王権からは離れていたこと。
時代的にゆるやかに衰退したり隆盛したりはしただろうと思っていたが、
むしろ天皇の代それぞれの政治戦略によってがらりと変わったようだ。
皇女を出しているんだから、王権との距離はある程度近いんだろうと思い込んでいた。
そうでもないらしい。

伊勢神宮自体も歴史的に祭神も祭神の立場も変わるし、権力者も変わるし、
もう本当に流動的なんだなあ。
斎宮はおろか、伊勢神宮さえこんなにあやふやな立場だとは思ってなかったよ。

本が終わりに近づくにつれて、内容はどんどん細かくなっていき、
なかなかついていくのが苦労になるが、そこらへんもがんばって読んだ。
頭には入らなかったけど。
メモを取りながら読んだら大変ためになると我ながら思うけれども、
そこまでする根性が……

伊勢斎宮についての本をあと2冊読もうと思って借りてきている。
が、良いのか悪いのか、他の2つも同じ著者なんだよね。
この本がとても良かったので著者自身に不満はないが、史料もそれほどない、
研究者もそれほどいないテーマだと、一人の見方で何冊も読むしかないから
視点が一面的になるよね。
出来れば2、3人の著書があるといいんだが、どうやら市の図書館にはない。
あとは専門書になる。まあ専門書を読むまでではなあ……

いい本でした。





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◇ 中村弦「クロノスの飛翔」

2025年03月22日 | ◇読んだ本の感想。
中村弦3作目。そしておそらく最後の作品。
この後多分書いてないんだよね。うーん、そうかあ……。
本人が書かないと決めたのか、依頼する人がいなかったのかわからないが、
わたしとしては少々惜しいけどなあ。

前二作がふわりとしたファンタジーだし、このタイトルだったので、
同じようなものを予想して疑いもしなかったのだが、今回はだいぶ毛色が違いました。
何しろ戦争のシーンから始まりますからね。
それも泥臭く、いや~な感じ一方の戦争。非人間的な上長とか。

で、戦争に出ていた主人公が戻ってきて、戦後の生活の中でようやく平和な生活が
始まるのかと思いきや、なかなかいつもの中村弦にならない。
もしかしてずっとこの暗めのトーンでいくのか?珍しー。

結局のところ、最後は後味いいし、ファンタジーでもあるということで
通常営業と言えないこともないが、いつもの中村弦よりもだいぶ暗めでした。
まあわたしにとっては暗め。普通の人が読んでツライと感じるレベルではない気がする。


伝書鳩の話なんですよね。戦争中に伝書鳩係をやっていた主人公が、
戦後は新聞社に入って記者をやっているんだが、新聞社で飼っている伝書鳩に
数奇な縁を感じて……というところから始まる。

鳩が可愛かったです。健気で。鳩視点の部分もほんのちょっとあり、
もちろん鳩が何を考えているかなんてのは想像でしかないわけだが。
この人の主人公は誠実でいい人だから、共感が出来やすくて好き。

だが、正直言って終盤になるに従って少々ストーリーは無理になる。
いや、無理というほどではないか。作者は納得感にかなりこだわる人で、
こういう結果になるからここで描写や設定を作っているんだなあというのがよくわかる。
こういう部分、いいと思う。納得できる。


この人の作品は、地味は地味だったが。でも丁寧に書いてあって好感は持てたね。
ものすごく好きかというとそこまでではないが。
丁寧に書くから準備に時間がかかるタイプだろう。
まあなあ。何年かに1冊のペースだと本業は止められないだろうし。
本業が忙しくなったらその他に本を書くのは大変だろうしなあ。
3冊。楽しませてもらった。ごきげんよう。


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◇ ドナルド・キーン「渡辺崋山」

2025年03月15日 | ◇読んだ本の感想。
渡辺崋山についてほとんど知らないので関連図書を何冊か読んでいるのだが、
外国人が書いたものだと思うと、少々腰が引けますね。
自分の知識がないから内容の正誤の判断が出来ないんだもの。
恐る恐る読んだ。

まず最初に、気になったことを。

読み直しをして正確な言い回しを探すことは面倒なのでしないけれども、
(だから精度的にはあやしいけれども)
「歌舞伎はキリスト教の寸劇から来ている」と書いてあるのは正直引いた。
誰だったかの(外国人の)論文でそういうのがあったらしい。

いや、そんなことを言われても。
歌舞伎といえば出雲のお肉……もとい、阿国というのは受験知識的に条件反射だし、
(ところで、この漢字でなぜ「おくに」と読むかね?)
どう考えても猿楽及び能の下地があった上での歌舞伎だろう。

こういう不用意なことはあまり言わない方がいいと思った。
自分の影響力を認識して欲しい。
まあわたしも該当の論文などを全く読まないで否定しているのは不誠実だが、
日本人としては頭から否定したくなる条項である。

わたしは以前より、踊りから演劇になる流れには若干疑問を感じていて。
それはたしかに現在でも歌舞伎の演目として踊りは主要な一つだが、
劇としての流れは能からの影響の方が強い気がしている。
「俊寛」とか、共通する演目もいくつかあるわけだし。
意外に能との関りはあまり言及されないよね。


もう一つ、日本人は中国の歴史は絵画にするが、日本の歴史は全く描く価値がないと
思っていた、とあったこと。
これはまあ言い回しというか、とらえ方の若干の齟齬の範囲だと思うが、
わたしとしては描く価値がないのではなく、絵画は風流なもの、美しいものを
描くものであって、日本の歴史は風流の範囲にはなかったと思われていたのだと思う。

それに対して中国の故事は故事成語など、より文学的なイメージと結びついて
風流の範囲だったのではないかと。
まあ歴史画としては応天門の変を描いた伴大納言絵詞とか、平治物語絵巻とか、
後三年合戦絵詞なんかもあるわけだしね。

なんかもう一つ小さめのものがひっかかった気はするが忘れてしまった。
以上、二点が気になったところ。
ちなみに読み直して確認はしていないので、わたしが間違って読んでいる可能性はある。



それ以外のところはおおむね納得しながら読んでいた。
この本は約300ページのまあまあみっちりした内容で、渡辺崋山の評伝としては
かなり主要なものの一つだと思う。
ドナルド・キーンは、晩年には崋山の地元である田原市博物館の名誉館長に就任している。

特筆すべきは、彼の政治的な人生とともに、芸術家の部分にも多くを割いているところですね。
歴史学者は主に政治的な面を見る。美術研究家は画家としての渡辺崋山を書く。
ドナルド・キーンはどちらも詳しく書いている。それはアドバンテージだと思いますね。
まあわたしは渡辺崋山の絵がすごく好きというわけではないが。
きれいな絵が好きだから。

あと、前藩主の異母弟で、経済的な(理不尽な)事情から藩主になれずに隠居させられた
三宅友信との関係もこの本で知れて良かった。
この人はこの人で失意の人だが、崋山が励まし、蘭学という愉しみへと導き、
その後息子が藩主の地位についたことによって、まあ不遇の一端は報われた形になっている。
これがあっただけでも、崋山は主を救ったと言えるのではないか。
のちに友信は崋山の略伝を書く。それを読んで後世の我々が崋山を知る。
細く細く続いていくもの。

全て貧乏が悪い。……というのは簡単だが、まずはそれしか言えないよねえ。
田原藩は貧乏だった。何しろ土地も狭ければ交通の要衝というわけでもなく、
海には恵まれた土地柄だっただろうけど、加工技術や冷蔵技術がない時代は、
せっかくの海の幸も運べないし、保存が出来ないから恒常的な資源にはならなかっただろう。


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◇ 駒田利治「伊勢神宮に仕える皇女 斎宮跡」(シリーズ遺跡を学ぶ)

2025年03月06日 | ◇読んだ本の感想。
これよ、これ。こういう本を求めていたの。
ほとんど知識がない「斎宮」についての基礎的なことを教えてくれる本が。
この本はまさにわたしのニーズにぴったり。

「とんぼの本」的なサイズ感、構成の本。この類はたくさんありますよね。
とんぼの本はかなり趣味寄りの構成で、見て楽しいものが基本コンセプトだけど、
このシリーズは「遺跡を学ぶ」だから、とんぼの本よりは若干絵面が地味。
でも写真だけじゃなく、表でわかりやすく見せてくれる部分も優れてるから、楽しく読んだ。

わたしが一番知りたかったことは、「どういう立場の皇族が斎宮に立ったのか」
だったのよね。
それを非常にわかりやすく一覧表にしてくれていたのでテンションが上がった。

673年の大伯皇女任命から1333年任命の祥子皇女まで、
実在が確認できない3人を含めて67人。
天皇との続柄は、不明の6人以外、娘20人・異母姉妹20人・同母姉妹2人・
おば4人・いとこ3人・姪3人・遠縁8人。数えミスあるかもしれないが。

こうしてみると同母姉妹の少なさが目立つな。
基本的に天皇の代替わりで任命されるから、若い天皇の場合、同母妹は幼すぎる傾向は
あっただろうし、単純に同母姉妹と異母姉妹の人数は異母>同母であるのはあるだろう。
それにしても10:1はわりと意外……
娘が20人で異母姉妹と同数なのにねえ。
同母姉妹は賀茂斎院に任命されがちとか、そういうこともあったのだろうか。

もう一つ知りたかったのは、斎宮が送る日常の生活の部分だが、
これは「遺跡」から知り得る部分は限られるだろうね。
発掘品として硯や土器はそれなりの数が出て来ているようだけれど、
そこから再現できることは少ない。
これは文書の方からだろうけど、斎宮関係の公的史料はあっただろうが、
何ということもない斎宮の日常を書き残した史料の存在は期待出来ないだろう。

斎宮寮の頭は従五位相当らしいね。地方官と同じレベルですか。
もう少し上の者が務めるイメージだった。
時期によって増減はあるけれど、斎宮寮に勤める人数は500人前後。
命婦から女儒まで50人前後。思ったよりも多い。
これも得られて良い情報。

遺跡発掘の建物詳細などはうっすら退屈だったけれども、復元模型なんかも
写真で見られたのでありがたい。まあこの本の本筋はこれですよね。


この本がとても良かったので、シリーズ「遺跡を学ぶ」を1からずっとツブしていこうかと
ちょっと思ったが、続巻中(であろう)なのにすでに60冊あるんですよね……
薄いとはいえ60冊増えるのはどうかと。
まあ、課題図書リストは優に1000冊は超えてるんだから、60冊増えたところで
どうでも良いというか、1000冊あるんだから60冊も増えたら大変だというか、
どっちの考え方を採用するか。悩み中。

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◇ 木々康子「林忠正 浮世絵を越えて日本美術のすべてを」

2025年02月28日 | ◇読んだ本の感想。
この著者の作品は2冊目。1冊目もなかなか面白かった。
今回のこれはさらにちゃんとした評伝。

実はこの人は、旦那さんのお祖父さんが林忠正らしいのね。
なので、家族内で言い伝えられた話もあるし、残した絵画も(わずかながら)あるらしい。
とはいえ、「我が家の話」ではなくしっかり調べられている。
大学に属する学者だった経歴はないようだが、冷静な書きぶりで最初は学者か?と思っていた。

この本は林忠正の出自(加賀藩支藩の高岡……いや、支藩じゃないのか?
まあ加賀藩に追従する高岡という地域で、蘭方外科医の息子として生まれた)から詳述する。
そこから書いているので、林忠正が自分の利益も大事にしたけれども、
広い視野を持って行動した人物であることが納得できるようになっている。
1冊目を読んだ時は、もう少し身内びいきが入ってもいいくらいだなあと思ったが、
2冊目は多少身内感が増していた。

この人が林忠正の身内として一番いいたいことは、多分以下のこと。
「浮世絵を山のように売りさばいて貴重な美術品を流出させた売国奴」という声に対して、
彼は浮世絵にはそこまでの価値を感じていなかったこと、
浮世絵が怒涛のように海外流出した際には、まだあまり浮世絵には手を染めてなかったこと、
願っていたのは(商売と並行してではあっても)
日本美術の最良の部分を世界に紹介したいということ。

商売だけを考えて節操なく売りさばいただけではないし、
良い工芸品も多く扱ったが、良い物は人を見て売っていたそうだ。
そして日本美術の最上のものは手元に残し、日本へ持って帰って来たもの、
あるいはヨーロッパで非常に深く付き合った人に譲ったものが多いと。

こう書くと身内びいきと感じるかもしれないが、実際に読むと抑えた筆致で書いてあるので
その部分は気にならなかったです。
……だが、この冷静な書きぶりを全面的に信頼したくなるので、その辺は自重せねばと思う。

ここのところ、本を読んでも「この本に書いてあることは妥当なのか?」と
考えすぎてしまって……
昔からそう思いながら読書をしてきたつもりだけれど、特に近年、
悪意をもって嘘を書く人もいるから、ついつい疑心暗鬼になってしまう。
こういう読書は疲れますよ。もっと気軽に読めてた時代に戻りたい。


それはともかく、林忠正について3、4冊読んだらいいだろうと思っていたが、
興味深い人なので、図書館にある本はツブしてみる。といっても6、7冊だけど。
木々康子以外の書き手がどう書いているのかも見たいしね。

林忠正の同時代の日本美術愛好家についても広く書いているので面白い。
ゴンクール兄弟とか、ピングとか、そこら辺の人の話も読んでみたくなる。
……しかし「ゴンクール」を図書館のサイトで検索すると、
「コンクール」も拾われてしまって、検索結果が何百冊にもなってしまうんですが、
これはどうしたらいいですか。



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◇ テオフィル・ゴーチエ「魔眼」

2025年02月22日 | ◇読んだ本の感想。
ゴーティエというかゴーチエというかが悩みどころ。

折にふれて目にする名前ながら、全然作品を読んだことがなかったので
今回重い腰をあげて読んでみた。
どんなに小難しい話を読まされるんだろうと戦々恐々としていたが、
喜んでください!とても平易なお話でした。

いや、こんなに平易な語り口でいいの?と思ったくらい。
文庫本1冊に「魔眼」が多分中編で半分くらい、「金の鎖またはもやいの恋人」と
「クレオパトラの一夜」が短編。

「魔眼」はとても素直な小説。舞台設定は19世紀くらいですか。
本を返してしまったので、記憶はとてもあやふや。

スペインに来ているフランス人の男とイギリス人の父と娘。
男と娘は婚約中。
が、迷信深い土地柄で、男がなぜか「魔眼」認定されてしまう。
魔眼とは、本人の意思に関係なく、見られた人を不幸にしてしまう能力。

男は自分でもそうと信じ、病弱な恋人を死に追いやってしまうのではないかと恐れ、
最終的に恋敵のスペイン貴族を決闘で殺した上に、自分で自分の目を抉り出し、
しかし恋人は死んでしまうという救いのない物語。

もっと漢語の多い、きらびやかな、読むのに時間がかかる文章だろうと思っていたが、
語りの系譜と感じたくらい平仮名が多めの文体。
これは本人の文章からしてそうなのかね?翻訳のテガラなのかね?
とはいえ、凝った文章を平易に訳すのは違うだろうしなあ……。不実な美人になってしまう。

話としても正直、安易とも感じたほどおとぎ話的だった。
小説として、なぜ魔眼認定されたのかとか、男がなんで自分を魔眼だと信じ込んだのか、
納得できないところも少々あった。
まあ小難しい話を読むよりは楽だったのでいいんですけども。

2番目の「金の鎖~」は古代ギリシアの遊女の話。これは元ネタがあるんだろうね。
高級遊女がいろいろあって恋人をもう一人の遊女と共有し、
最終的には仲良く3人で暮らすという、これもまことにファンタジー。

3番目はクレオパトラが気まぐれに美少年を愛する話。……だったか?
うん。まあ何しろ短編だから印象に残らない。記憶力の問題だが。

結論として、読みやすかったのはいいんだけど、正直言って毒にも薬にもならぬというか。
これは本人が意識してお伽話として書いたのかなあ。
そうであればまた見方が変わるが、こういうのばっかり書いているのだったら、
なんか今までのゴーチエの高名が……。別に悪い作品ではないけれども、
良くも悪くも普通なのよ。

評論系で小難しいことを書いている(のではないかとわたしは決めつけている)のであれば、
もう少し高踏的な作品でもいいんだけどね。
もう2、3冊読んでみる。

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◇ 高橋秀実「趣味は何ですか?」

2025年02月16日 | ◇読んだ本の感想。
いつもの高橋秀実節。
「趣味は何ですか?」と訊かれた時に答えに詰まったことから始まって、
高橋秀実は趣味を探求する旅に出る。(←嘘)
この人は対象に肉薄して取材していくスタイルだから、数々の趣味に自ら挑戦する。
そんなに変なものはなかった。ぱっと見には。

蕎麦打ち。ヨガ。登山。ガーデニング。切手。消印。
……本を返してしまったので忘れたが、20種類くらいあったかな。

高橋秀実は内省的で、基本的には同化しないタイプ。
蕎麦打ちなら蕎麦打ちをやってみるんだけど、同化はせず、結局距離を取る。
まあこういったら本人は不満だろうけど、どちらかというと揶揄の視線で見てるよね。

高橋秀実は、むしろその趣味をやらない理由を見つけてしまう。
気弱にツッコむ。まあこういう結論になったらその趣味をやる気にはなりませんな。
これはこの人のいつもの芸風なので、この部分を楽しんでいただきたい。
現役でその趣味を楽しんでいる人は若干バカにされたように感じるかもしれないが。

ある程度面白いので、何か趣味でも持たないと……と思っている人は
ぜひ読んでみてください。……とは大嘘。
この本を読んでも多分趣味は見つかりませんから。




※※※※※※※※※



――が、とりあえずこの本を読んで衝撃だった内容は他にある。

「武士道」は山鹿素行が無役の武士の暇をつぶすために作った。

漫然と読んでいたので、えーっ!と驚いた。
……が、前に戻って読みなおすことはしなかったので、事実かどうかは不明。
前述の通り、本をすでに返してしまったので内容を改めて確認は出来ない。

まあ噂程度に考えていていい話なので、あまり信じてしまうのもね。
妥当な言い方だと、山鹿素行が武士道についての見解をまた一つ付け加えた、
くらいに考えておいた方がいいでしょう。

武士道はね。かっこ良くて嫌いじゃないんだけどね。
近年あまりにも理想化されすぎてる気がするのよね。
あんまり理想化されてしまうと、結局は現実との乖離が始まって、
それはフィクションになってしまう。
が、武士は実際にいた存在だから、それがフィクションと意識されることなく
人々に根を下ろしてしまう。

坂本龍馬なんかも同じでしょう。
現行のイメージは実際よりだいぶ快男児寄りになっていると思う。
だからといって実害があるわけではないかもしれないが、
実害がないからといって、全てについて奔放なイメージを語り始めると
果てしなく実体と離れていくから。
……歴史には出来るだけスタンダードを求めていきたい。

とはいえ、「聖徳太子はいなかった」とか言われると。
わたしは聖徳太子が厩戸皇子でもかまわないし、大いに理想化されているだろうとは思うが、
「いなかった」とまで言われるとちょっと困っちゃうなあ。

まあ武士道や聖徳太子の異説について、それほど関連図書を読みたい気はしない。
理由は、……面倒だから。どれが史実か、とかそういう細かいところだけを
気にするようになると、歴史の面白みは薄れますよね。
なのでわたしは王道の学者が書いてくれた「最低限これだけはいえるといって良いだろう」
という大変慎重な部分の本を主に読んでいきたいと思います。

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