プラムフィールズ27番地。

本・映画・美術・仙台89ers・フィギュアスケートについての四方山話。

◇ 池澤夏樹個人編集「世界文学全集Ⅱー12 ギュンター・グラス ブリキの太鼓」

2024年07月03日 | ◇読んだ本の感想。
ノーベル賞受賞者。「ブリキの太鼓」は、非常に具体的なところが印象的で、
タイトルとして昔から記憶にはあった。今回初めて読んだ。

うん。面白く読めた。純文学にしては。
何よりも文体が平易なところが勝因だろう。平易とまではいえないのか。
しかし「永遠の三歳児」(物語の後半では成長するが)の語りなので、
――なので、とも言い難いがそこまで抽象には走らない。
登場人物の具体的な行動、一文が短いので読みやすい。
一文が短いのって大事ですよねー。著者並びに訳者:池内紀のお手柄。

内容は、ノーベル賞受賞の時に評されたらしい「陽気で不吉な寓話」という言い方が
合うと思う。内容はかなりブラック、時々グロテスク、しかし語り口はユーモラス。
一人称の文体。というより語り物に近いか。回想だから語り物になるか。

主人公は精神病院に入院している、30歳くらいの男性。
3歳の時に地下室に落下したことが原因で、背が伸びなくなっている。
その落下も、本人が(当時3歳の)それ以上の成長を止めるためにわざと行なったことに
なっており、それ以降、精神は年齢相応以上に成長していたのにも関わらず、
20歳くらいまでは3歳児のふりをして生きてきた。
その主人公がユーモラスに、ブラックに語り続ける周囲の人々のエピソード。

おばあさんのことから始まるのよ。ジャガイモ畑でジャガイモ色のスカートを
4枚重ねたおばあさん。通りがかりの放火犯であるおじいさんをそのスカートの下に
かくまい、そこから娘=主人公の母が生まれる。
母は父と結婚し、しかし従兄?と不倫しており、主人公は従兄を推定父と考える。
父への軽蔑と疎ましさ。推定父への軽蔑。母への愛着と憐み。

家族以外のご近所さんとか、知り合いとか、友人とかだんだん登場人物が増え、
(そしてまた、主人公がユーモラスに、ブラックに語り続けるエピソード。)
母が死に、推定父が死に。
3歳児に擬態して生きていた主人公が少し年上の少女と交わり、生まれた子ども。
しかしその少女は、やもめになった父と結婚して義理の母になり、子どもは弟になる。

ブリキの太鼓は、3歳の時に母から与えられたお気に入りのおもちゃ。
主人公は太鼓をたたき続ける。叩き続けては壊し、叩き続けては壊す。
主人公には特殊技能があり、声でガラスを自由自在に割れること。
ひ弱な3歳児として生きる上で、この声と太鼓は武器だった。

「陽気で不吉な寓話」のまま、30歳までの人生を丹念に語る物語。
シュールにフェイドアウトするエンディングなので、特に結末がついた気がしない。


一人称を「ぼく」と「オスカル」をずいぶん混ぜて使うことにはどんな意味を込めたのかな。
一人称自体は相当回数多く使われている。「ぼく」だけだとあまりに頻繁過ぎたのか。
やはり「オスカル」の距離を取った目線も欲しかったのか。

ラス2の章だけ、他人の一人称なんだよね。
これまで長い話を饒舌に喋ってきた主人公なのに。
その他人は裁判の陳述として主人公のことを証言するんだけど、
出てきたばかりの、関係性の薄い登場人物だったので、それで饒舌に語られてもという
違和感がぬぐえなかった。どうしてこうしたのかな?グラスは。


物語が終わった時の主人公の人生は破滅してはいない。
死体遺棄かなんかで裁判を受けて、その後に精神病院に入れられ、そこから解放され、
さあどうする、と光が差した段階。光が差した?差しているけど、実際は?

破滅はほんの先にあるようにも思える。でも意外に牧歌的に生き続けられるかも。
今後、オスカルは同じように生きていくんだろう。
人気楽隊として。太鼓叩きとして。モデルとして。石工として。
歌いながら、消えていく。


まあどういう話だったかはあんまり分かりませんでしたね。
でも読んでる分には面白かった。50ページくらいは続けて読めたから。
ただもう一度同じ本を読めと言われたらごめん被る。
読むとしても10年くらいの間は置きたいよ。


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◇ 佐藤雅美「覚悟の人 小栗上野介忠順伝」

2024年06月21日 | ◇読んだ本の感想。
ここのところ小栗上野介関連の本を何冊か読んでいる。
今回のこれは、小説だと思って読み始めて、数ページ読んで「小説……?」と思い始め、
途中から小説じゃないんじゃないか?と釈然としなかった作品。
一応、分類番号は913なので小説らしいんですけどね。

第一章がアメリカとの不平等交換レートの話で、それをけっこうひっぱるのよ。
分量でいえば4分の1くらい。

まず単純に自分の好み的に、初っ端からこっち側が理不尽に損をする話を読むのがツラかった。
江戸時代末期、通商の最初の頃は3倍のレートで交換していたらしいから。
3倍損してたら、早晩国として立ちいかなくなりますよ。
それに加えて、理不尽に巨額な賠償金を払わせられたり、幕閣たちは軒並み経済オンチ
だったらしいので、交換レートの本質も知らない。ツライ。

そりゃ、全てに無知な国に対して外国が公正に振る舞うことは期待できないよね。
人間やっぱり得をしたいものでしょう。それを「国益」というと、
とたんに大義名分が立つしね。日本だって歴史的にずるく立ち回った時期があった。
まあ西欧諸国ほどではないだろうけど。でも五十歩百歩。

そんな時期の日本を見ているのは歯がゆいよねー。


内容というか、書いてあることの素材は面白かったとは思うんだ。
偏りは感じたけれども、いろいろ細かいことを書いていてくれたし。
わたしはこの辺の知識に薄いから、内容自体には不満を持たず読んだ。
しかしこれ、「小説」でいいのかねえ。

あんまり小栗にフォーカスが当たっていないきらいがある。
むしろ幕末の幕府をめぐる状況が主なテーマであって。
小栗がしばらく出てこない部分がざらにある。小説だからといって常に主人公が
出てなければならないわけではないが、小栗は単に一要素でしかない気がする。
これを小説・小栗上野介と題するのは外れてるんじゃないかと……

そして小説として読むと、あんまり面白くないんだよねー。
特に会話部分が壊滅的。地の文でいいところをわざわざ会話にするのは安易だし、
単に字数が増えるだけで、小説としての締りがない。

そして小栗があまり活躍しない……。
まあ小栗の人となりが全く描けてないとは言わないが、そんなに魅力的じゃなくて、
せっかく読んだのにこんなもんかあと思うと残念感が。

第一章、これでもかというほど「一分銀は紙幣のような通貨」という文言を繰り返すが、
それがまったくピンとこない。最初に説明はされて、うっすらとわかる気がするけど、
その後20回くらい繰り返されるほど有効なフレーズである気が全くしない。


この作家は雑誌記者からの小説家。わたしが偏見を持つ経歴だ。
著作のラインナップ的に経済に強かったようだから、それはアドバンテージとして、
文章としての味わいは……ないねえ。
むしろ普通の歴史エッセイとして書いた方が良かったと思う。
その場合、もう少し状況を整理して書いて欲しかった。細かいのはいいが、
全体的に詰め込み感があった。

ただ小栗の死の状況は、関連本の何冊目かのこの本で初めて知った(今までの本では
死の状況はまったく印象に残っていなかった)ので、それが読めたのは良かった。
うーん、でもやっぱり不満の方が多い小説でしたな。

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< ハロルド・フライのまさかの旅立ち >

2024年06月18日 | ◇読んだ本の感想。
おお!これが映画になるのか!と驚いて見に行った。
こんな地味そうな映画、わたしの他に誰も見ないだろうと思ったら観客は十数人いて、
なんだったら普段わたしが見ている映画より多いくらいだった(笑)。

これは十数年前に原書をプレゼントしてもらって。
ストーリーが簡単で、登場人物が少なくて、文章がシンプル。というリクエストを出した上で
いただいたものなので、読みやすいはずだとは思いつつ、十年以上手を付けられず。
数年前に風邪ひいて寝込んだ時に半分弱まで読んだけれども、
それ以来、あらすじを忘れる前に読まねばと思いつつ、途中で止まっている。

そうですか。こういう話ですか。
半分近くまで読んだといっても内容は3割程度しか理解出来てないから、
話が新鮮だった。まあ大枠はなんとかつかんでたんですけど。
ストーリーとしては、隣人の何とかさんに打ち明けるシーンはまだ読んでないところだった。

多分前半の細々したエピソードはだいぶ省略されていると思う。
そしてわたしはもっとコミカルな(若干シニカル寄りの)前半だったと思ったんだけどなー。
イギリスお得意のユーモア&シニック。映画はだいぶ柔らかくなってましたね。

読んだ時に犯した痛恨のミスは、時代を間違っていたこと。
原書の表紙の色合いがセピアっぽいし、タイトルに「巡礼」という時代がかった単語が
使われていたこともあって、1900年代前半くらいの話だと思っていた。
が、だいぶ経ってからモバイルフォンが出て来て、あ、これ現代の話だったのか!と。


映画としては、まずなんといってもイギリスの風景ですよ!
そう、こういう、可愛くて少しわびしさを秘めた街並み。
郊外に延々と続く牧草地。天気がいい時はもっと映えたはずの風景を、
イギリスらしい雨催いの中に置く。
目的地のベリックも橋があっていいところなんですね。行ってみたくなった。

役者が良かったですね。ジム・ブロードベントなる人。
出演作は数作見ていて――でも印象には残っていなかった。
苦悩の表情はいくらでも達者な役者はいるけど、旅の途中でモーリーンと出会って
ケーキを食べるシーンで、あんな(良い意味で)ビー玉のような丸っこい無邪気な
目が出来る人はなかなかいないだろうと思った。

でもエンディングを迎えても、多分ハロルドはモーリーンのことはあまりわかってないよね。
というか、わかろうとはしていない気がする。
まあ長年わかってない人が、人生も終盤にさしかかって、急にわかる人になるのもなさそう。
モーリーンは自分が彼を愛していると認識した上で、諦めて生きるしかないんだろうな。

それから、クイーニーと最後に会ったのが、多分30年近く前な気がするのに、
絵的にそう見えなかったから、話の説得力がちょっと減った気がしている。
はるか昔の話。としないと、おとぎ話的な部分が足りないんじゃないか。

この映画ではハロルドがすごくいい人に描かれているけど、
実際にやったことは、なんかなあ……という。
でもまあクイーニーに対しては負い目があっただろうし、
そういう時、人間は逃げるものだけれどもね。

あと息子との具体的な関係性は描かれないのね。これは原作でもそうなのかな?
全部説明することがエライんじゃないだろうが、わたしは説明してくれた方が好み。

サポーターとそんなに簡単に別れられるのか?とも思うし、
今どき、テレビ局はしつこいほど密着するだろう、と思うし。
クイーニーとの再会はあっさりしすぎていたんじゃないかと思うし。


映画タイトルとして多少整理したということはあるんだろうけど、
「ハロルド・フライのありそうもない巡礼の旅」じゃダメだったんかね?
巡礼だと宗教イメージが強すぎて、映画としては色がつきすぎる?
「まさかの旅立ち」ってタイトルはピンとこなかったなあ。


まあ全体的には楽しんで見たけどね。いかにもイギリスらしい。
そしてイギリスらしい風景。堪能しました。


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◇ 入間田宣夫「平泉藤原氏と南奥武士団の成立」

2024年06月15日 | ◇読んだ本の感想。
20年くらい前に平泉関係の本を相当読んだ。
それ以降出版された本をある程度つぶそうと思ってリストアップしたなかの一冊。
入間田さんは平泉が専門の歴史学者。

この本は歴春ふくしま文庫というシリーズとして編まれたらしい。
歴史春秋社という会津にある出版社が出してるんですね。
こういう地方出版社あるあるだが、地元の細かいテーマを拾う本を出してくれる。
この本自体は2007年出版、その時点で101巻で完結しているみたい。
民俗・歴史・植生・生物相・地理などの多様な観点のシリーズ。

だから――というわけでもないだろうが、けっこう書き方が雑な感じですね。
でもそのラフさが吉と出ていて、サクサク読めて読みやすい。
根が学者だからそんなに適当なことは言ってない(と思われる)し。
関連論文もかなり挙げてくれているし、これを頼りに拾って行って、
図書館から借りてくることも出来る。

この本で意外だった内容は2点。

会津は奥州平泉の勢力範囲ではなかったらしい。むしろ越後の城氏との関係が深かったそうだ。
城氏の遺構の何とかっていう遺跡(←陣ケ峯遺跡)の規模がでかい。
恵日寺との関係も城氏の方が深い。へー。知らなかった。

あといわきあたりの領主もそこまで平泉との関係が深くない。
わたしは白水阿弥陀堂があり、秀衡の妹が嫁入ったという話もあるから
緊密な関係だと思っていたが、むしろ緊密じゃないからこその嫁入り。という線もありそう。
そもそも「白河以北」という言い方は近代の言い方で、浜通りが白河の関で
区切れるわけないのだ。もちろん勿来の関の存在は大きいだろうけど。

あ、あともう一点。

奥州合戦の時の阿津志山防衛線は、地形的に実に納得出来るんだけど、
いわき、会津あたりまでが勢力範囲外だったなら、
佐藤庄司一族が石那坂で防衛線を張った意味や状況は、今まで思っていたのと
ちょっと変わってくる。

まあ福島県中央部は少なくとも平泉の範囲内としても。
思っていたよりはるかに心細い状況で、最前線のさらに外で戦ったことになるから。
飯坂の地が本拠地だから、本拠地を捨てて阿津志山まで退くほどの背水感は
なかった気がするが、ここまでは来ないだろうと楽観視出来たほどの地の利じゃない気がする。

あ、もう一つあった。

「人々給絹日記」は、わたしはてっきり家来たちに渡す被け物としての装束だと
なんの疑問もなく思い込んでいたけど、身内へのプレゼントだとは思ってなかった。
思い出すのは「源氏物語」の元旦の装束配り。たしかにあれは被け物ではないよなあ。
ああいうノリなんだろうか。
装束を被け物にするのもないわけじゃなかったはずだけど、事前に配っておいて
大宴会の見た目を整える、お仕着せ、というのもありうるなあ。


他者の論文についての言及も多数で、文句を言ってるところも素直に受け入れてるところも
あってオモシロイ。こういうのに書いたことも相手の目に触れるんですかねえ。
せっかくだから、面白そうなのを控えておいてそのうち読もうか。

この本は気軽に読める良い本でした。




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◇ 万城目学「べらぼうくん」

2024年06月09日 | ◇読んだ本の感想。
てっきり小説だと思って読み始めたらエッセイだった。
実は今まで読んで来た万城目学のエッセイはいまいち……ちょっと薄くて。
でもこれはけっこう面白く読んだ。

これは大学受験を失敗した時点から浪人、就職を経て、小説家になるまでの
イロイロを書いたエッセイ。

この人は自己卑下系の人なんだけど、自己分析がなかなか面白かった。
建設的な(あるいは「ほほう」という)分析もあったよ。


いわく、自分は抽象的な論を受け付けない。具体的なイメージを連ねて物語を構成する。

いわく、海外旅行に出る人は、その国の暗部が見える人と見えない人の二種類がいる。

万城目は沢木耕太郎の「深夜特急」を読んで海外に憧れた口だそうで、
ノンフィクション作家は暗部を見る力が強いと書いていた。

わたしは「深夜特急」を読んで、「他人のうちの台所を勝手に覗く行為」と感じて嫌いだったけどね。
まあわたしは「深夜特急」を読んだのは遅かったし、そもそも暗部を見る姿勢に反感を持つ。
わざわざ行くのに、なぜその場所の暗部を見るのか。見たくないです。
せっかく行くのなら素敵なところを見て幸せになりたいよ。

いわく、将来について悩んでいる人は、他人の成果について「こうすればいいのに」と
自然に、あるいは簡単に発想が沸いて来るジャンルに注目してみるといい。

これは一面の真実かも。少なくとも手がかりの一つかも。
自然、簡単という部分は他人がどのくらい思っているのか難しいけど、
しかし文句が出てくる=不満があるということは、少なくともその分野に興味関心が
あるのは間違いない。興味関心がない分野には、興味も知識もないわけだから。
そこを追求してみる価値はある。


――全体のページ数の半分くらいを読み直して、こんなとこかな。
最後まで読み直したら倍くらいに増えるかもしれないが、疲れたので以下は省略する。



その他に面白かった話題は、

ロザン宇治原と同期生だったこととか、
初めての海外旅行一人旅で置き引きに遭ってすってんてんとか、
大学に入ることがゴールで、京大に入ったら人生バラ色を本気で信じていたとか、
「文化」の盛衰を音楽シーンによって実感したとか、
京都大学の学生は、卒業が150人、留年が300人とか、
山寺宏一にサイコロトークの極意を聞いたこととか、

要はけっこう面白かったという話です。
万城目学のエッセイを読んでみようかという人は、これをまず読むといいよ。


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◇ フランソワ・チェン「さまよう魂がめぐりあうとき」

2024年06月03日 | ◇読んだ本の感想。
訳者・辻由美がゆえに読んでみた。この人の訳は好きだ。

このタイトルで荊軻と高漸離の話だと知った時は意外だった。
そもそもフランス語で書く中国系の作家が、古代中国を書くとは思わなかった。
まあ思い込みですが。

すごく短い小説なんですよね。小さめの単行本で100ページちょっと。
あっという間に終わってしまった。漢字の比率は少し多めだが、かなりシンプルな文章。
3人の人物のモノローグを主体にしていて、するする読める。

3人の人物とは、荊軻と高漸離、そして春娘。2人の男が愛する女。
荊軻は秦の始皇帝を暗殺するために弱小・燕国が送った刺客。
使いを装って始皇帝に拝謁し、献上する地図の巻物に隠した匕首で始皇帝を殺そうとし失敗。
すぐに捕まって惨殺されてしまう。

高漸離は荊軻の刎頸の友。……というと別な中国故事になってしまうが、
筑という楽器の名手だった。
荊軻の処刑後、燕を離れて諸国を流浪し、名前を隠して暮らしていた。
しかしその技量が噂になり、始皇帝の下へ召されてしまう。
荊軻の親友であることを考慮して、始皇帝は高漸離の眼をつぶし、
それで安心して身近に召して楽器を演奏させていた。

が、高漸離はその状態で虎視眈々と荊軻の仇討ちを狙っていた。
筑を凶器として使えるように、鉛を仕込んで重くしており、それを狙って
始皇帝に投げつけたのだった。
しかし盲人の悲しさ、ねらいはわずかに外れ、激怒した始皇帝によって
高漸離もまた処刑される。


――というのが一般的な荊軻と高漸離の話だが、作者はこの話に春娘という人物を登場させる。
この3人はもともと互いに尊敬しあった親友だったという設定で、
春娘は荊軻が始皇帝暗殺を命じられた後に、荊軻と結ばれ短い時間をともに過ごし、
荊軻の死後は高漸離と逃避行を共にする。

……読んでる間は面白く読んでいたんだけど、読み終わってしばらく経ったら
なんか釈然としない気分になった。
春娘、要る?ここに恋愛要素を関わらせる必要ある?

荊軻が死ぬ前に見得を切って言う言葉がこの話の「芽」かなあと空想した。
「始皇帝を生け捕りにしようと欲張ったから失敗したのだ」とうそぶくのには
昔から不自然さを感じていた。無理だろ。それは。

燕の国から。遠くまで王様を暗殺しに行って。その国からどうやって王様を連れてくるのだ。
もし暗殺の仕事のバディである秦舞陽が有能であったとしたって、
周りをみんな兵士に囲まれたところから、戻るのに何日もかかる自国まで。
いくら始皇帝を盾にして逃げても、秦にだって弓の名手はいるだろう。
現実的ではない。

この作者はそこに、死地に赴いてなお、心から愛する女との再会を望む
(無理な)執着を見たのだと思う。
だから春娘を登場させた。うん、それはまあいいと思うのよ。

だが、荊軻の死後、高漸離と春娘がくっつく状況になるのは……
しかも高漸離は荊軻と春娘がくっつく前から春娘が好きだったというのだから。
そして荊軻の死を悼む心は悼む心として、春娘と生きる幸せを吐露するのだから、
それに荊軻への罪の意識を感じるというのだから、
……これは、けっこうメロドラマですよね。

男性の友情に夢を見すぎるのもどうかと思うが、
ここに異性愛を出すことによって、なんかありきたりの話になってしまった感がある。

文章はきれい。詩的。訳も好きだ。
だが荊軻と高漸離の話を別にメロドラマで読みたくはなかった。
大前提のところでひっかかったな。恋愛じゃない、別な話を読みたかった。


そして小説部分は100ページで終わり、そのあとは著者の二か国語話者
(中国語・フランス語)についてのエッセイと、
辻由美によるフランソワ・チェンへのインタビュー、そして訳者あとがき。
なのだが――わたしはインタビューのパートまで、
フランソワ・チェンが女性だと思ってたよ!

女性だとフランソワーズか。そりゃそうか。
でも文体に女性感が漂ってた気がするなあ。こちらがそう思い込んでいたことも
大きいだろうが。以前に読んだ訳書も女性だったということも。
そもそもタイトルで「さまよう魂がめぐりあうとき」と平仮名を多用するのも
女性っぽいですよね。話も。メロドラマだし。

作者が男性か女性かは読み手としては知って読みたい情報だから、
訳にはそれを含めて欲しい。……というのは読みそこなったわたしのわがままだろうか。
まあフランソワと書いてあるのに女性だと思われたら、
辻由美としてはため息もんだろうけどね。


エッセイはするする読める小説と違って、けっこうがっつり哲学的。
読みにくくはなかったけど、それほどじっくりは読めなかった。
詩情あふるる古代小説の翻案は好きだが、そのメロドラマ化になじめなかった気がする。
しかも書いてることは格調高く、詩や音楽などの形而上学的なことなので。
もうちょっと普通ならば古代中国の歴史小説と読んで面白かっただろう。

いい小説かといわれると、うーん……だが、いい詩人かと言われれば、多分。と答える。
ほんと、文章は美しかったのよ。散文詩といってもいい。
だが、やはり荊軻と高漸離と春娘の関係性が乗り越えられなかった。
ということで。

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◇ 丸島和洋「武田勝頼 試される戦国大名の器量」

2024年05月28日 | ◇読んだ本の感想。
面白かった。みっちり面白かった。良書。力作。
タイトルからイメージするほど人物評伝ではなかった。
戦国期の武田氏を中心にした、主に北条・上杉・織田・徳川とのわちゃわちゃ。
いや、わちゃわちゃじゃなくて、しっかりした歴史解説。

わたしの武田勝頼のイメージは、強い強いお父さんの死後、家を支えきれずに
滅亡させてしまった不肖の息子。
でも「どうする家康」かなんかを見てから、信玄の死と武田家滅亡は意外に時間が経っていて10年ほど持ちこたえたのは知っていた。
そしてこの本で、勝頼の時代に信玄時代を超えて最大版図を達成したことを知った。
イメージと違った。

(この本の)3分の1くらいのところで信玄が死ぬんですよ。
その頃までの勝頼の資料は少ない。あまり出てこないらしい。
間違いがあったら申し訳ないが、勝頼は四郎という名前の通り信玄の四男で庶子、
なので、名実伴った嫡男の義信が謀反の疑いで廃嫡されるまでは他家を継いでいた。
それが義信の廃嫡に伴って、後継ぎは盲目の次男、夭折の三男ではなく勝頼に回ってきた。

――まあみんな足元が危ういのよ。戦国大名なんて。
早い話、最終的に天下を取った家康以外、みんなどこか弱みを持っていたからこそ
天下を取れなかったわけで。
家康だって(おそらく)取りこぼしは多々あっただろうし、
信康殺害もそうだよね。ちょっとした選択の誤りでいくらでも滅亡の可能性はあった。

しかし信玄は戦略家のイメージにしては、大きな取りこぼしが多いように思う。
わたしが以前から疑問に思っていたのは、諏訪氏を攻めて滅ぼして、
その娘をおそらく強引に娶って、その子供を(高遠)諏訪氏の跡取りにしたこと。
そういう形で、果たして諏訪側が心服するかどうか。そして、勝頼が本家を継いだ後、
本家の家来たちが「あれは高遠の者だ」という目でみるのではないか。
どっちつかずで、子飼いの部下がいないんじゃないかなあ。

まあ嫡男の謀反の方が大きな取りこぼしであり、それに比べて勝頼の件はそこまで
大きなことではないかもしれないけど。しかし勝頼の支持基盤の弱さは、
その後の領国支配にやはり大きな影を落としたのではないかと思う。


あとわかってたことながら、武田・北条・織田・上杉の婚姻政策は非常~にややこしい。
何代にもわたって繰り返された婚姻。
勝頼だって、北条氏義の娘と織田信長の養女を娶ってるし。

途中で出てきた、武田・北条・今川の小さい家系図を見てつくづく思った。
その系図で一番ややこしい位置にいる今川氏真を見てみると、

氏真のひいおばあさんは北条宗家の姉妹。
氏真のおばさんは北条宗家の嫁。
氏真の嫁は北条宗家の娘。
氏真の母は武田信玄の姉妹。
氏真の姉妹は信玄の(廃嫡された)長男の嫁。
氏真の嫁の兄弟は氏真の姉妹の義姉妹の夫。

まさに二重三重――それ以上のしがらみ。
ここには仲の良さ、縁の深さではなく、これでもか、というほど政略結婚を
繰り返さなければならなかった利害関係の対立を見るべきだろう。


あと思ったのは、――やはりこれほど広い領国を領有し続けるのは無理があるよなあ。
勝頼の頃に版図は最大。元亀4年で、1573年頃らしい。
北は新潟県境。東は群馬県の西半分。山梨全域と、南は静岡県の中央部を中心にほとんど、
愛知県の東部をちょっと、岐阜県は飛び地的なものもありつつ半分程度、そして長野まるまる。

しかもそれが本州中央にどんっとあるわけですから。
静岡の海に面するごくわずかの部分を除いて、領土のほとんどが敵と接しているということ。
これだけの国境線を持ったのは織田信長くらいなのではないか。 
そして信長は範囲はもう少し広かったかもしれないけど、北と南は海に面していた気がする。
なので、敵に接する国境線という意味では武田氏が一番長いまであると思う。

そしてその中に国人衆も多いわけでしょう。
一応味方で、領土の中に含まれるとはいえ、最後まで支えぬくという立場にはないからねえ。
真田家だって、信玄には相当心服していただろうけど、それでも武田が危うくなったら
上杉や北条、織田との連携を模索するわけだし。
国人衆的な人々はそれなりに日本国中にいたんだろうけど、
日本アルプスで領土を寸断される信濃あたりは、より独立性が強かったのだと思う。

長篠の戦いの大敗でダメージを被り、主だった武将を多数失った上で、
その人的・経済的復旧が十分でないまま新府作りを始め、最終的には高天神崩れが
致命傷となって滅亡した流れ。
うーん、やっぱり伸るか反るかのギャンブル性が強かったということなのかなあ。
それに対して家臣たちの意見を取り入れられてなかった気がする。
これも、結果論にはなるんだけども。衆愚論に陥る可能性もあるわけだし。


もっといろいろ面白い内容はありましたが、覚えてられたのはこの程度。
あとがきを読むと、「入門書と専門書の間の、一歩踏み込んだ概説書を目指した」という
ことを書いてあったので、その狙いは十全に果たされたと言いたい。
面白かった。こういう本があるとありがたい。
今後、丸島和洋の本は拾っていきたい。


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◇ 風呂本武敏編「アイルランド・ケルト文化を学ぶ人のために」

2024年05月22日 | ◇読んだ本の感想。
内容自体はちょっと難しいし、近年の記憶力の低下からして
ほとんど覚えていないのだが、読み始めてから「ほう、こういう本か」と
意外性があったのでおすすめしておきたい。

この1年くらい、5、6冊ケルト関係の本を読んでいたのよ。
で、その一環でこの本を読むことになった。図書館のリストから拾ったタイトル買い。

ケルトというキーワードで出てくるのは、だいたい歴史か美術か神話の話。
わたしが求めていたのもそうだったので、この本で大飢饉やアイルランド併合、
北アイルランド問題、近代の作家たち、アイルランドの映画、などなど、
書いてある範囲が広かったのが面白かった。

まあ求めているのは歴史や美術や神話なんだけど。
でもそれ系はすでに数冊読んだからね。目新しくて良かった。

文章もあっさりしていて頭良さそうで、なかなか好きだなと思いつつ読んでいた。
が、途中で気づいたんだけど、これはいろいろな人の小論文を集めたものなんですね!
2、3を除いて、文体がかなり揃っていたので気づかなかった。
これは編者がある程度揃えましたか?それとも小論文はだいたい一定の文体に
収まるものですか?

個別作家という章立てで後半の17章、それ以外で前半の13章。全部で30章。
けっこう近現代の文学のボリュームが多かったですかね。
ほとんどが聞いたことない人だった。「ガリバー旅行記」を読んだことがないので
読んでみようと思う。

アイルランドに興味がある人――というのはけっこうレアかもしれないが、
ケルト文化よりアイルランドに興味がある人が読んで吉。
そんなに興味がなくても、アイルランドの近現代文学・映画・舞台の概説をしてくれるので、
読んでみるとちょっと面白いと思います。なかなかの良書。


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◇ 稲見一良「ダブルオー・バック」

2024年05月14日 | ◇読んだ本の感想。
ハードボイルドはキライなのよ。
なら読むなって話だが、この人の小説は、読むと「面白い」と思わされちゃうのよね。
道具立てはほぼキライなのに。
たとえていえば、嫌いな食材を使った美味しい料理という感じ。

読むのはこれが4作目か5作目。今回が一番ハードボイルドな気がしたなー。
パラパラめくって、もう字面がイヤなんだもの。暴力的で。
よほど読まずに返そうかと思った。

でも読むと面白い。
今回の趣向は「呪いのライフル」……ライフルかどうかは失念したが、
因縁のある銃が、関りのない人々の間をめぐって命を奪っていく物語。連作短編。中編か。

銃、サバイバル、屋外生活の蘊蓄がふんだんに。
こういうのはともすれば嫌味になりがちで、この人も嫌味ぎりぎりまで行くんだけど、
どこか透明感があるのよね。その爽やかさが全体を救っている。

作者は繊細な人だったのではないかという気がする。
ハードボイルドは男臭さを売りにするのが常なのだが、おそらく本人は
一見物静かな人だったのではないか。

あまり詳細ではないWikiを見ると、「記録映画のマネジメント」、「放送作家」と
書かれているので、もう少し文章に臭みがありそうな経歴だが……という偏見も持つが
これがけっこう清冽で。
ハードボイルドじゃないジャンルを書いてくれればかなり好きになれただろうなあ。
いかんともしがたいが、残念に感じる。まあ私事だが。

63歳で死去。肝臓がんで。若かった。
40歳前に小説を書いて賞をとるも、小説家の道ではなく実業を選んだ人。
でも54歳の時に肝臓がんの手術を受け、58歳の時に本格的に小説家としてデビュー。
それから5年の間に何冊かの作品を書き、そのうちのいくつかで文学賞を受けた。
ふと立ち止まるような、不思議な経歴の人。

ハードボイルドは嫌いだけれども、書いて作品を残してくれたのは良かった。
わたしは読んだ。いい書き手だった。


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◇ テランス・ディックス「とびきりお茶目なイギリス文学史」

2024年05月08日 | ◇読んだ本の感想。
とびきりお茶目な=かなり簡易的なイギリス文学史だった。
簡易的でもあり、ノリが軽くもある。でもわたしにはこのくらいが適当だった。
おかげで何人か、評伝と作品を読んでみようかと思った作家が出来た。
まあ実際に読むのは早くて8年後くらいだろうけど。

そんなに厚くない本で40人弱のイギリス人著述家に言及している。
何人かアメリカ人作家もいる。
顔ぶれ知りたいですか?


ジェフリー・チョーサー
シェイクスピア
ダニエル・デフォー(「ロビンソン・クルーソー」)
アレグザンダー・ポープ
ロバート・バーンズ

ワーズワス
コールリッジ
ジェイン・オースティン
バイロン卿
シェリー

キイツ(もしくはキーツ)
テニスン卿
ブラウニング
ディケンズ
ブロンテ姉妹

ジョージ・エリオット(「ミドル・マーチ」、T・S・エリオットとは別)
マーク・トウェイン
トーマス・ハーディ(「テス」)
スティーヴンスン(「宝島」)
オスカー・ワイルド

バーナード・ショー
コナン・ドイル卿
キプリング(「ジャングル・ブック」)
H・G・ウェルズ
ジョイス

ヴァージニア・ウルフ
D・H・ロレンス(「チャタレイ夫人の恋人」)
J・R・R・トルキーン(トールキン)
ウィリアム・フォークナー(アメリカ人。「アブサロム、アブサロム」)
アーネスト・ヘミングウェイ


30人でした。
そのうちアメリカ人が多分3人。わたしはH・G・ウェルズがイギリス人
というのがどうにもなじまないんだけど、イギリス人らしい。
フォースターが入らないんだ、と軽く意外に感じた。
そしてフォースターがヘミングウェイより20歳年上にも関わらず、
わりと近年まで生きていたことが意外。

こういう目ぼしい作家を並べた本がありがたいのよね。
イギリス文学は多分日本文学以外では唯一聞いた人が多いジャンルであって、
聞いたことのない人はほぼいない。
とはいえ、ちゃんと読んだことがある人はというと……

わたしが2作以上読んだことがあるのは、
シェイクスピア。マーク・トウェイン(アメリカ文学の文脈で)。
コナン・ドイル。ヘミングウェイ。
シェイクスピアは読ませる力がすごいと思ったし(そのせいで地下鉄を何度か乗り過ごした)、
「シャーロック・ホームズ」はやっぱり好きでしたねえ。小学校の頃がっつり読みました。

時代順に並んでいて、特に前半はほとんど読んでいませんねえ。
理由はわりとはっきりしていて、ディケンズ以前はだいたい詩だから。
日本語でも詩なんてハードルが高いのに、外国の詩人を読む気になるかという……。
でもこの本でちょっと興味が出た人もいたから、奏功だった。

「ロビンソン・クルーソー」がこんなに時代的に早いというのが驚き。
読んだことはないんだけれども。1700年くらいですよ。
イメージ的に、マーク・トウェインと同じくらいかと思っていたよ。
その200年近く前。読んでみるべきだろうか、と食指が動いた。

この本が1994年刊行だから絶対あり得ないだろうけど、
シリーズでこういった各国の文学史を出して欲しいな。
フランスのめぼしい作家は(読むとは約束できないけど)押さえておきたいし、ロシアも。
ドイツ、イタリアは知らん人ばっかりだろうな。
中国は、作品ではなんぼか辿れるけれども、小説を書いた人という意味では
フウ夢龍と魯迅しか知らん。

読んで良かった本だった。

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