プラムフィールズ27番地。

本・映画・美術・仙台89ers・フィギュアスケートについての四方山話。

◇ 「夏目漱石全集 4 虞美人草 坑夫 (ちくま文庫版)」

2024年11月28日 | ◇読んだ本の感想。
「虞美人草」、久しぶりに読んだー。やっぱり漱石は面白いなあ。

蔵書なので一度は読んだはずだが、はるか昔でもあり内容はほぼ覚えていなかった。
女主人公が美しく、毒があって、めんどくさい女だった気が……程度しか。
虞美人草はヒナゲシ。ヒナゲシという花に藤尾のイメージは重ならないが、
これはやはり「虞美人草」という字面と由来の助けを借りてでしょうね。

こういう話でしたか。記憶にあるよりシンプルなストーリーだったなあ。
なるほどなるほど。こういう風にめんどくさかったわけですね。
複雑な話だった気がしていたけれどもわりとシンプルですね。
当時大学生くらいで、そんなに理解力がなかったわけではない気がするのだが……

ただキャラクターの人間関係は、見方によるけど浅いかね。
この小説は(わりと)絢爛たる描写と哲学的な思索がメインで、そこを愉しむもんだと思う。
逆に言えばその部分が愉しめないと全然面白くないだろう。

藤尾はいい人では全然ないし、実生活では友達になりたくない人だが印象的だよね。
小野さんはぼんやりしている。藤尾との関係性でもぼんやりしているし、
恩師の娘との付き合い方はさらにぼんやりしている。
甲野も韜晦しながら哲学しているし、宗近はまあまあはっきりしているけど、
立ち位置的にはかがいかない。
継母は上手く立ち回ろうとして韜晦しているのでぼんやりしている。

でも途中で宗近が急にしっかりしますよね。おやおや、突然いいこと言い始めたよと思った。
それだけではなく、お父さんを上手く使って立ち回らせ、前半はぼんやりしていた妹も
突然ピントが合い始めて。はっきり意見を言い始める。
宗近家は最後になってみればみんな気持ちいい人々でしたよ。
こういう人たちなら付き合ってもいい。

甲野はいやだね。まだるっこしい。
小野さんも嫌だね。最終的には義理を選ぶとはいえ、最初は計算ずくで選ぶつもりでしょ。
しかも藤尾を選ぼうとしていた人が、目が覚めて恩師の娘を選んだところで、
そちらを幸せにしてあげられるのかは甚だ心もとない。
結局何年か経てば、今度は上司のお嬢さんとかに目が眩んで、
恩師の娘と結婚したことを後悔する人生を送りそうな気がする。

今回で小野の目は開かれたのでしょうか。ほんとに?

甲野家もそれ以上に前途多難だよねえ。こっちのうちは、とにかく糸さんの気働きが
どう出るかにかかっている。甲野さん自体は悠々としてそんなに現実にまで
食い込んでいかないでしょう。全てを糸さんが回すようになっちゃう。
義母があれでは苦労だろうなあ。
あまりめでたしめでたしにはならない結末。




「坑夫」の方は、暗いというか地味というか。書きぶりはほのかにユーモラスなんだけど。

坑夫の生活を書いてみようというその挑戦はいいが、
おそらく漱石からはほとんど真反対の世界のことでしょう。
そこを青書生というか、坊ちゃんに視点を与えてうまく乗り越えているが、
だからといってプロレタリア文学になるわけではないから。

坑の中の描写は詳細で驚いたくらいだから、実際に取材には行ったんだろう。
だが完全に頭脳労働者の漱石には、やはり遠い世界の出来事だったはずだ。
わたしにとっても知らない世界のことで、そこを読めたのはいいんだけれど、
群盲象を撫でるという傾向があるのは否めない。

まあ本人が範囲を広げようという意欲を買うべき作品といっていいんじゃないかな。
結局最後もどうなるってわけじゃないしね。
坑の中に入った後は、20ページくらいか?もう少しあるか?で終わってしまうし。


まあでも。漱石は好きですよ。



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◇ 木々康子「林忠正とその時代 世紀末のパリと日本美術」

2024年11月12日 | ◇読んだ本の感想。
1987年出版の本。女性学者の人文書が出るのは、この年代では珍しいかもなあ……と
思いながら読み始めたが、読んでいるうちに学者ではなくて、林忠正の小説を書いた人
という情報が出て来て「おや」と思い、さらに途中であとがきを読むと、
「祖父林忠正」という一文が出て来て「おやおや」と思った。

(ついでに言えば、Wikiでは「義祖父」とあったが、義祖父って?
いろいろな場合があるから義祖父ってだけ言われても難しいよね。
そう書くならば、その関係性まで書いといて欲しいなあ)

まあちょっと詳しすぎるきらいはあったけどね。
本人は評伝といってるが、むしろ史料的な価値を目指したんだろうと思う。
なので、林忠正の概観を一本道で辿るというよりは、パリにおける日本人の状況と
周囲の交友関係、日本美術のパリにおける状況の詳細がメイン。

少し引用が多すぎる&長すぎるとも感じた。
でもこういうの、以後、林忠正で本を書く人には本当に有難いんだと思うよ。
年表もあるし、索引もついてるし。
いや、密な内容で労作でした。

内容で一番印象的なのは、林忠正自身についてではなく、
明治初期の日本人美術商の常識においては「日本美術は大したことない。
中国美術こそ高級」という志向があったということ。
なるほど。浮世絵が価値を認められていなかったというのは理解していたが、
それよりもっと広い範囲で日本美術の価値が低かったのか。

それは美術商ならではの価値観ではあると思うけどね。
隣の八ッつぁんが作っている根付よりは、はるばる海を越えてきた美術品の方が
有難味があるし、それだけ高値を付けられる。
やっぱりブランド信仰というのはいつの時代でもあるだろうし。

が、そういうことを置いても、日本美術を認めるなんて
(高級)美術商の沽券にかかわるという風潮まであったとは想像しなかった。
いや、この本ではそこまで書いてあったわけじゃないが。人にもよるだろうし。


林の人物に焦点があまり充てられていなかったのが、少し物足りなかったかな。
まあそれは小説を読んだ方がいいんだろうけど。
書きぶりが冷静だった。身内のことを書いてる感はほぼ感じなかった。
身内のことだったらもう少しかばって書いても良かったくらい。
毀誉褒貶半ばする人物のようだから。日本美術を流出させた悪党だとかね。

でもこういう人が海外で流行らせなかったら、日本美術への日本人自身の評価は
低いままだったろう。
もちろん商売だし、利益を追求した部分も大きいだろうが、それとともに
日本美術の良さを広告した功績は大きいと思うね。

次は別の視点から見た林を読んでみたい。

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◇ 中村弦「ロスト・トレイン」

2024年11月06日 | ◇読んだ本の感想。
はるか昔――な気でいたが、「天使の歩廊 ある建築家をめぐる物語」を読んだのは
2017年でそこそこ最近でした。7年前を最近というかは人によるだろうが。
「天使の歩廊」は日本ファンタジーノベル大賞受賞作。まあまあ好きだった。
今作は2作目。

いい意味で地味で小粒な作品。……うーん、悪い意味も含んでるかな。2%くらい。
序盤は地味で、最後まで読み続けられるか心配になった。
台詞に「?」を多用するのもちょっと気になった。
でも20ページくらい読んだら話が動いて、ちゃんと入り込めました。

真面目で地道な主人公が、年の離れた人品卑しからぬ老人と出会い、親交を深めるも、
彼は謎の失踪を遂げ、老人の行方を追う過程で知り合った女の子と一緒に旅に出る話。

そう書くとミステリっぽいが、基本的にはファンタジーです。
後半ちょっとだけミステリ、全体的にはサスペンスな雰囲気もあるけど、何しろ地味。
一番美味しいクライマックスの前に一部種明かしをしちゃうくらい。
ある意味、人がいい。良すぎる。もったいな!と思った。

けっこうな比重で鉄オタ&鉄子の要素があるので、鉄分があれば余計面白みを感じるだろう。
わたしも鉄分は若干あるので楽しめた。
でも作者はそんなに鉄オタではない気がする。もし本人が鉄オタで、それをこんな風に
ふんわりと仕上げているのであれば、それは腕。

結末は、そうするのとそうしないのと、どっちが正解かなと思った。
ちょっとねー。彼女の感情の流れが納得できないのよね。
わたしだったら続行一択で、心変わりはない気がする。
でもこれが最後のチャンスじゃないという意味では、いいのか、これで。

そして「奇跡」の部分はちょっと描写的に弱かったかなー。
ここはもう少し、わざとらしいくらい盛り上げても良かったかもね。
もったいないその2。

とはいえ――この地味さは映像化に向いてるかもなあと思いながら読んでいた。
あんまり派手なファンタジーだと実写ドラマ化は難しいが、
地に足がついたファンタジーなので、クライマックスのCGさえがんばれば
(ここで手を抜いたら駄目だけれども)けっこういいドラマになりそうじゃない?

主人公は思いつかなかったけど、それっぽく雰囲気を作れる役者なら
そんなに難しい役ではない。ヒロインは綾瀬はるかの若い頃をイメージしていた。
邪気のない感じの女優さんで誰か。
10回とかでやる話ではないから、NHKの6回か8回でちょうどいい気がする。


派手さはない。でも面白く読んだ。
ただ確かにねー。癖がない分、ファンはつきにくかったかもなあ……
この人は2011年に3作目を出版したのを最後に以来出版はなし。
もう書かないんだろうな。少し惜しい。




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◇ 万城目学「ヒトコブラクダ層ゼット」

2024年10月26日 | ◇読んだ本の感想。
万城目学は8年前にそれまでの出版はたしか全部読んで、ひとまず終了。
課題図書リストの順番が回ってきたらまた読もう。

で、今回課題図書リストの順番がきた。
「バベル九朔」「パーマネント神喜劇」「べらぼうくん」と読んで来て、
本作が(わたしが再会した後の)4冊目。

相変わらず訳の分からない話を書きますね。←褒めてる。
初期の数作――「鴨川ホルモー」「鹿男あをによし」「偉大なるしゅららぼん」の系譜。
ドタバタ幻想というか、シュールファンタジーというか。
ここら辺を読んでいた頃は、ずっとこの方向で行くんだろうなあと思っていたが、
久々に読んだ「バベル九朔」は、万城目学らしからぬ若干重苦しさのある長編。
おや?芸風変わった?と思っていた。


本作は久々にザ・万城目学というドタバタ幻想。
しかし前は舞台が京都・奈良・滋賀という近所(?)だったのに対して、
今回はなんと古代メソポタミアですからね!時間的にも空間的にも遠距離。
いや、古代メソポタミアを舞台にした小説なんてめったにないからありがたい。

まあ、古代都市をまるで見てきたかのように書けたかというと、
そこまでではなかったが……。もう少し描写力が欲しいと思わないではなかった。
とはいえ、それは相当に求めすぎだと思うから、最初に古代メソポタミアの町の想像図
なんかを一枚ぺらっと入れていただけるとありがたかった。

なんだったら装丁に組み入れてくれても良かった。
かろうじて復元ジグラットは何かで写真を見たことがあるけど、街並みなんかは全然。
――でもこのタイトルから突然古代メソポタミアへ話が飛ぶ意外性も魅力の一つかと
思うから、ネタバレになる装丁はダメかなあ。


長い話。単行本上下巻合計900ページ超。
これ10時間じゃきかないか。12時間くらいかかっただろうか。
苦労して描写をがんばっているのはわかったが、もう少し短くても良かった。
その解決としてやはり図版を……あ、見返しに印刷というのが一番オシャレだったかもね?

展開が全然読めなくて、まったく脈絡なくコロコロと話が展開していくので、
「え、そっち?そっち?」と10回くらい意外な方向に引っ張られた。
ここの部分は面白かった。

そして最後はまあまあめでたしめでたし。
爽快感は別にないけど、ほのぼのとした終わり方。
こういう話がいいよね。遠くまでひっぱっていって、楽しませてくれて、軟着陸してくれる。
ただ大団円は、複雑化した話をひたすら解説していく部分ではあるので、
楽しく読めはしたけど小説としての旨味は減じる。とはキビシすぎか。


万城目学にはこれからもこういうフィクションの愉しみを味わわせて欲しいと思うよ。
広げるだけ広げた風呂敷を苦労して畳む。
面白く膨らますのも才能だから、ここで勝負してほしい。
凡百が真似してもほとんどが失敗するだろう。



ところで、昔からの疑問なんですが。
双子の人や三つ子の人って、兄弟順にかなりこだわりますか?
わたし自身は双子ではない。昔、知りあいに双子が2組いて、
片方はお姉ちゃんと妹が厳然と決まっていて、妹は「お姉ちゃん」と呼んでいた。
もう一組の方は長幼の意識はあまりなかったように見えた。

youtubeで見る、体操やってる三つ子の人たちは長男次男三男といつも言ってるんだよね。
そして本作の主人公たちは長幼の順を峻別している。
一緒に生まれたのに、兄、弟って意識になるのかなあといつも不思議なのよね。

まあこの小説の場合は長男、次男、三男っていうのが必須だと思うが。
というより、別に年子の三兄弟でも良かったくらいだよね。
これだけ長幼の順にこだわるんだからさ。

ただ、三つ子じゃないと、梵天・梵地・梵人というネーミングにはならないでしょうね。
しかも梵天・梵人はまあなんとかだが、梵地という名前は無理を感じるが……
まあヨイ。



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◇ 千田嘉博「真田丸の謎 戦国時代を「城」で読み解く」

2024年10月19日 | ◇読んだ本の感想。

前に千田さんの本を読んだ時には、テレビで見るイメージとはかけ離れた
ガッチガチの文章で若干腰が引けた。
2冊目であるこれもガッチガチかと思ってちょっと怖々だった。
そしたらこっちは話し言葉で柔らかく、初心者向けでしたねー。
前のも新書だった気がするがなー。一体なんでそんなに書き方を変えたのか。
わからん。

本書では、
1.真田丸要害説
2.真田氏と城づくり
3.日本の城の歴史の(簡単な)概説
を書いている。だから「真田丸の謎」というタイトルに合致しているのは
第2章までだね。
しかしこの3つの内容はそれぞれ面白かったので不満はない。
むしろ順番的には3→2→1と進むべきではないかと疑問は持つけど。

1については、今まで真田丸は大阪城の馬出しとして作られたというのが定説だが、
実は独立した柵、要害として作られていたのではないかという話。
細かい検証は読んでも忘れたが、

馬出しというには大阪城との位置関係が離れすぎてる。
間になんか細かい地形があって直接的な連携がとりにくい。
馬出しならば本当はもっと西側にあるべきものだが、
東に寄せることで高い位置に建てて要害性を高めている。

こんな話だったように思う。けっこう納得できる話だった。
なんかうっすら真田丸には違和感を持ってて。
馬出しがそこまで防御性と攻撃性を持つか?と思っていた。むしろ要害の方が納得。

そして、真田幸村の――昨今真田信繁になっているが、幸村の方が馴染みがあるのよ――
当時の大阪方内での立ち位置は、そこまで重んじられてはいなかっただろうというのも納得。
父の昌幸の戦上手は知られていても、幸村自身の戦功はほぼゼロ。実績がない。
名も知られてない。

それに加えて、豊臣恩顧の武将ってわけでもないものねえ。
幸村が総大将になる選択肢はなかったんだ。ドラマとかで見てると、
「なぜ幸村に指揮をとらせなかったのか」と歯がゆく思うけれども。

2は特に思うことはなし。最近武田氏関連の本をなんぼか読んだので、
なるほどなるほどと思いながら読んだ。

3は北条・上杉・武田・今川、各大名の城づくりが面白かった。
やはり武田が滅びたのは必然だったのかもしれない。
城から具体的な統治の仕組みが読み取れるというのは面白いなあ。
ちなみに定説になっている「信玄が上洛途中に急死したので武田軍は途中で引き返した」
というのは千田さん的にナシ。であれば3万ぽっちの軍勢は少なすぎるとのこと。


読んでてなんかしみじみと思ったんだが。
家康が豊臣家を滅ぼしたのは、――権力欲を別としても必然だったんだなって。
狸親父が、秀吉に託された秀頼を死に追いやったのはエグイと思っていたけれど、
何の苦労もないおぼっちゃんの秀頼と、
苦労はしたけど全日本国という視点は持てない淀君と、
いくら有能でも生きてきた世界が狭く、官僚でしかない石田三成では
戦のない世を作るのはどう考えても無理だっただろう。

家康は、権力を求めたのも、その権力を子々孫々に伝えていきたいのも
たしかにあっただったろうけど、「厭離穢土欣求浄土」の理想を持っていたのは多分本当。
その理想を実現するためには、秀頼の存在は邪魔だ。

長い時間をかければ、もしかしたらうまく秀頼を一大名に格下げして、
家康が権力を握ることも出来たかもしれないが、
家康にはそれほど長い寿命は残されていなかった。



わたしはこのくらいの軽い読み物でお願いしたいですよ、千田さん。
千田さんの著作は今後も読んでいきたいと思う。
まあもう少し経ってから。
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◇ 星亮一「最後の幕臣 小栗上野介」

2024年10月13日 | ◇読んだ本の感想。
小栗判官と小栗上野介の区別がついていないので、
小栗上野介のことを読んでみようと思って、ここ半年か一年くらいで数冊読んだ。
あちこちでちらほら名前は見るんだけど、何をやった人かはほとんど書かれませんよね。
幕末の幕府側は江戸無血開城の勝海舟くらいで、あとは良くも悪くも新選組?
その後は戊辰戦争の悲惨な話で、あまり読みたくない。


小栗上野介、なかなかの傑物でしたね。
こういう人を活かせず瓦解してしまった幕府には無念の気持ちがわく。
小学校、中学校、高校と習ってゆく江戸時代から明治維新への流れは、
旧弊から清新へ、というイメージが先行していて、まあいいこと。という見方が主流。

でも薩長もなかなかに非道ですからね。権謀術数の限りを尽くす。
だからといって幕府が幕府のまま欧米列強に対応出来た気はしないから、
まあ幕府瓦解、明治政府樹立は相当な流れではあるのだろうけど。

しかしやはり戊辰戦争の残虐さは。
勝海舟と西郷隆盛の江戸無血開城は美談として語られることが多いと思うが、
それはそれとして、その身代わりとして戊辰戦争がより凄惨になった気がして仕方ない。
結局のところ、血を見ないでは済まされない心組み。

それがそもそも268年前の関ケ原の恨みから発していると思えば、
単純に言っちゃえば「因縁」だと思うし、
新式武器と新しい軍隊を初めて試す薩長側としては、実戦を経験出来る貴重な機会。
幕府側勢力はほとんど死に体ではなかったかと思うが、
でも下手に強力な軍艦を持っていたことが相手を刺激した部分もあると思う。
徹底的に息の根を止めておかないとあとが面倒だという計算もあっただろう。
あと武士の闘いではないことで、むしろ程度や駆け引きがわからなかったという可能性もある。

今さら何をいおうとすでに起こってしまっていることなんだけど。


小栗上野介は、戊辰戦争の前に現在の群馬県前橋市にあった自領に引っ込んでしまった。
本人はアホな幕府に見切りをつけたつもりで、でも会津藩に合流するか、
自領で晴耕雨読で日を送るか、まだ決めかねていたところもあったみたい。
それなのに自分さえ江戸から引き払ってしまえば、幕府との関係は切れ、
単なる個人になれると安易に考えていた。

しかし薩長側にすれば、大変な切れ者の小栗を野に放ったままというのは危険極まりなく、
なんら反逆の証拠もないのに軍隊を派遣して、調べることもなく斬首した。

他の小栗関連本は、おおむね彼の活躍をメインに記している。
その活躍は面白いので、
坂本藤良「小栗上野介の生涯 兵庫商社を創った最後の幕臣」
https://blog.goo.ne.jp/uraraka-umeko/e/c7428ca7fd8b0c5b231715941c74c0a1
をお薦めする。

しかし本書は小栗の人生の中で、最後の最後と、その後の家族の辛苦、
そして会津藩、奥羽列藩同盟についてだけ書いてある本。
ちくま文庫の230ページ内外だから短い文章ではある。

でもねえ。ここだけ取り出されるととりわけ憐れでねえ。
読むのが辛かった。特に戊辰戦争の部分。そこまで読まされると思ってなかったから苦痛。


小栗はなあ……。脇が甘くて。
合理的で大局を見られて、でも人付き合いとか水面下の権謀術数は全然見えない人。
後者部分を補佐する良い家来でもいれば良かったんだがなあ。
たまにいるよね、有能な補佐役がいたらどれだけ多くのことを成し遂げられたんだろうと
惜しまれる人。例は思いつかないが。

でも遠くまで見られる人は足元は見られないよ。それは完全に相反する資質。
不可能を求めても仕方あるまい。
今後現れる(かもしれない)小栗ほどの人は、願わくば有能な補佐役に恵まれんことを。


著者は仙台生まれで福島でおそらく長く暮らし、テーマも会津藩や東北の諸藩についての
地元著作家。ジャーナリスト出身というのはわたしの偏見にひっかかるが、
これは冷静な評伝・評論ではなくて、歴史エッセイ、部分的に小説。
満腔の思いをこめて東北の(小栗は群馬だが)敗者への悲憤を描いた。
地元を何度も何度も歩いた臨場感もあると思う。
小栗本として1冊目に読むのは薦めないが、最後の1冊としてはなかなか良かった。


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◇ 塩野七生「ローマ人の物語 1 ローマは一日にして成らず」

2024年10月07日 | ◇読んだ本の感想。
これは蔵書なのよ。で、本棚に入っているということは少なくとも一度は読んだはず。
わたしは「本は文庫で買う」が掟だったので(今もそうだが、今は年に1、2冊しか買わない)
「ローマ人の物語」が出た時、文庫化するまで読むのを我慢していた。
ところが待ちに待った文庫化!と思ったら……

――というわけで塩野七生は「ローマ人の物語」3巻まで読んで以来、疎遠。
文庫でいえばなんとかがんばって7巻買って終わっていた。

その後十数年は全然読んでなかったが、前述の通り「皇帝フリードリヒ二世の生涯」で
久々に再会し、相変わらず面白かった。
疎遠になって以来の著書も数多くあることとて、そろそろ読み始めないと
全部ツブすまで相当かかることになる。何しろ畢生の対策「ローマ人の物語」ですら
3巻しか読んでないじゃないか!読みましょう。


そして1巻目ですけどねえ。

相当かみ砕いたところから始めてくれたな、という感想。
ローマの始まりと言えばロムルス・レムスの兄弟。
まあこれは伝説として、その後の黎明期をじっくり書いてくれる。
固有名詞に馴染みがないものが多いから、このくらいゆっくり説明してくれるのは有難い。

そしてローマをある程度描いて上で、古代ギリシア史もかなりさかのぼって、
かみ砕いて書いてくれる。
これもわかりやすくて助かったねえ。
古代ギリシアについてはプルタルコスを面白く読んだ程度で、
ギリシア世界そのものについてはほぼ高校の教科書レベルしか知らないから、
ギリシア植民都市が母都市とほとんど交流がない存在だと聞いて、へー!と驚く。

スパルタのスパルタぶりも具体的に読んで、へー!と驚く。
まあ何しろ啓蒙されるところが多々ありました。
塩野さんも書いている通り、ローマを書くにはギリシアを書かずには不可能。
たしかにそうだと思う。

それから、下巻のあとがきが示唆に富んでいると思った。
あとがきではないのか。「ひとまずの結び」と題された章だった。
当該の時代について、塩野七生はたしかに膨大な近現代の研究書に当たったそうだ。
それは言うまでもない。わたしはインプットとアウトプットの比率は50:1が
基本だと思っているので、この内容だと多分300冊は関連書を読んだと思う。
数字に根拠はないが。

が、塩野さんが一番啓発されたのは――しっくりきはじめたのは、
それらの研究書を読んだ時より、古代に書かれた一次史料を読んで以降だったそう。
正確な要約が出来るかは自信がないが、このあたりの話を少し。

塩野さんは4人の著作を挙げる。

リヴィウスの「ローマ史」
ポリヴィウスの「歴史」
プルタルコスの「列伝」
ハリカルナッソスのディオニッソスの「古ローマ史」

……!わたしは今の今まで「デュオニソス」だと思っていたよ!
酒と豊穣の神。バッカスと同一視される。なんということでしょう!
しかも実はディオニューソス?うわー、いまさら言えない気がする。
そして、ハルカリナッソスだと思っていた。いやもう、カタカナそんなに弱かったか?自分。
子どもの頃はたしかにプレイオトマスだと思っていたけど。
――閑話休題。


彼らの背景は以下の通り。
リヴィウスはアウグストゥス時代のローマ人。最盛期のローマからの視点で、
ローマの歴史を編年体でよく書いた。
ポリヴィウスはギリシア生まれのギリシア人。彼は「ギリシアが衰退し、ローマが
興隆し続けているのはなぜか」という視点で「歴史」を書いた。
プルタルコスはギリシア人。列伝ではギリシアとローマの著名人の伝記を書いている。
ディオニソスはギリシア人。ローマへ移住して「古ローマ史」を書いている。

後三者はギリシア人。ギリシア人視点の著作が特に興味深かったらしい。
それはひとえに「ギリシアは衰退してローマが興隆し続けているのはなぜか」
という切実な視点が根底にあるから。

それは日本人の塩野七生が時を隔てて、「なぜローマがこれほど興隆したのか」
という視点で見る姿勢と通じる。

その他の共通点として、
1.繁栄の原因を精神・感性に求めていない
2.キリスト者ではない
3.(はるか後代の)フランス革命による自由・平等・博愛の理念に縛られていない
と分析している。

3についてはわたしが考えたこともない視点だったので新鮮に読んだ。
うーん……。理念は大事かもねえ……。というか、理念に縛られないことは大事かも。
理想は理想として存在はしないと、目指すべき到達点がないという意味で
困るとは思うのだが、理念に凝り固まってしまうと理念を唱えることが目的化してしまう
怖れがある。例を挙げれば昨今のポリコレ……
そもそも理念を唱えるということは、それが絶対的に不足している状況であるわけだから。

やはり現実性と、寛容性――という言い方が良すぎなら、柔軟性は欲しいよなあ。
でも現実性にしても柔軟性にしても、余裕というか、パワーがないと持てないものではある。
疲弊した現代社会にはなかなか望めない。



塩野七生の著作を読むと、このローマやヴェネツィアの歴史を現代日本に活かせないかと
どうしても思う。

が、古代と現代の複雑さの差がなあ……。
いや、参考に出来るところはあるはずなのよ、多々。
でもわたしは悲観的な人間だ。
日本の政治家の第一目標は自らの地位保全に尽きると思ってる。
これを何とかしないとまともな政治システムの構築というのは無理じゃないか。

地位保全になるのはそもそも現行のシステムとして当然のこと。
議員が党派に分かれて一応の最高権力者と政策を決定するシステムなんだから、
とにかく頭数を集めることになる。自分と味方を出来るだけ多く長く当選させることに
力と時間と金を割くことになる。
そりゃ「全体を見た政策」を考える時間も金もなくなるわ。

もう少しましな議員は地元や問題解決のために動くだろうが、
そういうのも必要で大事だけれども、個別状況を解決することと、
日本全体のことを時間的にも大局に立って政策を立てるということはやはり違うと思う。

議員になると金と権力と(一応)名誉が手に入る。一度手に入れたら手放せない地位だ。
これを……せめて金は入らないシステムに出来ないものか。まずは給料をぐっと下げる。
年2000万は上げすぎだと思うんですよねー。国会議員が10人いたら2億ですよ。
100人いたら20億。

ボランティアとまでは言わないから、日本全体の平均年収程度に抑える。
その代わり必要経費はある程度潤沢に与える。潤沢とはいえ、当然正当な運用が
されているかどうかには厳しく目を光らせる。

任期はある程度短めに。癒着防止のため。
一年というのはむしろ短さの弊害が出るだろうから、4年くらいでいいんじゃないのか。
重任はなし。2期空けたら再選ありくらいにしても。
当然賄賂はなし。なし、といってなくなるなら話は早いが、目付を24時間張りつかせてでも
疑惑の金遣いを撲滅する。

一代の名相なんてそうそう出るわけがない。1000年に1度、おまけしても
せいぜい100年に1度だ。だから総理大臣は多少のぼんくら(とまではいわなくとも)でも
務まる職務内容にしなければならない。
そもそも全ての事象に深く知見を持つなんて人間の能力では無理なんだから、
全体の問題をパズルのように組み合わせてよりよい解決策を出す、なんて
人間の能力を超えていると思う。


そこで……頼るべきは結局AIにならざるを得ないかなあ。
とにかく予算を割り振ることが内政の100%――はいいすぎだろうが、
当たらずと言えども遠からずであろう。
その予算を割り振るための情報は官僚たちが良質なものをひたすらに集める。
その情報を全部、今後能力を上げていくであろう超エリートAIを使って予算を割り振る。
これをたたき台にして人間が実際の運用に合うようにちまちまと手直しをする。

現在のAIは、わたしにとっては目下、
「死んだ人をロボット化して喋らせて見世物にする人権侵害の道具」であり
「絵画を描いてるとか小説を書いているとか言っているが、
そこにあるのはデータ収集という名の先行作品のパクリであり、芸術を生み出す主体に
意志がないために芸術とは呼びようがないモノを生み出すヤツ」だが、
そもそも数学的な計算だったらコンピューターの最得意分野なのよ。
だから適切な膨大な情報を数値化して入れてやったら、それなりの妥当性をもって
各部署・案件の予算の割り振りは出来るはず。

優秀な官僚は自分の範囲は上手く情報を取るだろう。
しかしその他の範囲はほとんど何も知らないだろう。
ならばデータを入れさえすれば無限に知識が増えるAIに任せるのはありかと思う。
AIにその内容の軽重を教えることに人間の意見の相違はあるだろうが、
多少であれば、今年は片方が譲り、その後はもう片方が譲るなりすればよい。
あるいは量的に加減する。

議員の他に、官僚で、政治システムを構築するための研究をする部署があってくれても
いいのかと思うんだが……。官僚は何十年もいるんだし。
それが解決すれば、大局を見るための研究部署があってもいいと思う。

そしてこれらの議員・官僚はそれなりの道徳と公徳心、ある程度の理想を備えた人限定とする。
それを期待するのは望みすぎであるかもしれないから、ほんとうは、
間違って私欲を追求するタイプの人が議員・官僚になってしまっても
それを洗い出せるシステムも欲しいんだけどね。思いつかないよ。


閑話休題。
というわけで今回は蔵書の読み直し。文庫・1巻2巻。

3巻(文庫7巻)までは持っているから、まあ適度に間隔を空けて文庫7巻までは読み、
4巻以降は図書館で単行本を借りようと思う。
まあ借りる分には文庫でもいいけどね。図書館では最大10冊借りられるけれども、
わたしは通常8冊を1ヶ月弱くらいで読むから、1冊が文庫3冊になってもまあいけるし。
文庫だとおそらくあとがきがつくだろうから、その分読み甲斐があるともいえる。

その後も続けて塩野さんの著作をそろそろつぶすか。
御大もそろそろお年なのでね……
   
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◇ 根本聡一郎「プロパガンダゲーム」

2024年10月04日 | ◇読んだ本の感想。
とあるきっかけがあって読んでみた。多分普通に暮らしていたらわたしの視野には
入ってこないジャンルの本。
なかなか面白かった。

正直、大学生の話で――就活生の話で、これはわたしには楽しめるのか?と
だいぶ疑いながら読み始めたが、予想より面白かったですね。

この話の中で行われるのは、広告代理店の第3次?面接としての「プロパガンダゲーム」。
4人ずつ、大学生が2つに組分けされる。政府チームとレジスタンスチーム。
ある一か所の無人島の取り合いをしている国があり、
政府がそのための戦争に対する国民の賛意を取り付けようと、
100人の国民(ネット上の、仮想の)第三者に向けて宣伝活動をする。
レジスタンスチームはそれを阻止する。

それが大手広告会社の就職試験として行われ――ここはリアリティはないが、
ファンタジーとして見ればまあありかと思う。

凡百の学生たちがこの試験に臨めば無理だろうが、普段から興味の方向が
政治・スパイ活動・ポリコレなどなど、いい意味で意識の高いの学生たちの集まりだから、
それぞれの得意分野を生かして活躍することになる。
面白かったのはそれぞれにスパイが1人いる。けっこうこれがドキドキする要素で、
わたしは全然見破れなかったから楽しめた。

ゲームで始まりゲームで終わるお話かと思ったら、そのゲームが終わったあとでも
あれ、まだ続く?続く?で、けっこうどんでんが並んで話をひっぱる。
どっちかいうと陰謀論的な世界観だが、そして若干子供っぽさがないこともないが、
予想よりもだいぶ楽しめた。


だがただ一つ、文句を言いたいところがある。
最後の一行の表現が、あまりにも紋切り型で陳腐だった。これはあかんね。
この一行で作品の良さが少なくとも1割は下がったと感じた。
ここはもっと練るべきだったよね。

とはいえ総じてけっこう面白かったので、今後この作者の別な作品も読んでみようと思う。
図書館利用で悪いが。

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◇ コリン・ホルト・ソーヤー「旅のおともに殺人を」(「海の上のカムデン」シリーズ)

2024年09月28日 | ◇読んだ本の感想。
コージーミステリが好きだが、コージーミステリが全て好きかというとそれは違う。
むしろコージーミステリは、ジャンルとしてはいろんな意味でアマイから、
好きと言える範囲は狭い。そのなかで、このシリーズはかなり好きだった。

「海の上のカムデン」シリーズ。
この「海の上のカムデン」とは何かというと、高級老人ホームです。
外国の地名には「海の上」とか「水の上」とつくものがままある気がする。
ボートン・オン・ザ・ウォーターとかね。リル・シュル・ラ・ソルグとかね。
そういうのはたいてい水際にある土地ですね。海とか川とか。
この老人ホームはたしかサンフランシスコ近辺の海沿いにあった気がする。

何しろ第一巻を読んだのがかなり昔で……20年?そこまでではないか?
原著が出たのは1988年、日本語版が2000年。
1から7まで順調に(図書館で)読んで、その頃8巻目が出たんだよね。
少し予約が立て込んだので、課題図書リストの後ろに回して数年後に読むことにした。
その頃には9巻目、10巻目とか出てないかな……と期待していたのだが、残念。
8巻目でシリーズ終了(あるいは日本語訳終了)らしい。


まー本作はそんなに面白くなかったけどねー。これで最後になるのは惜しい。
でも最後に読んでから何年も経っているのにキャラクターを覚えていられたのは、
やはりキャラクターが魅力的だったからだよね。

小柄でちょこちょこ動く好奇心旺盛なおばあちゃんのアンジェラと、
その親友の巨大な体でゆったりと動くキャレドニアと。
再会できたのは嬉しかった。

今回は老人ホームからメキシコに旅行に行く話。
その旅行がメインで、ミステリの部分はほとんどなかった。殺人はあったけど。
「リメンバー・ミー」のイメージがあったから、文で読んでもメキシコの想像は
若干出来たが、特にメキシコに興味がない人(わたしだ)にはちょっと退屈だったかなあ。

このシリーズは新顔及び嫌な人が犯人であり被害者だから、わかりやすいんだよね。
そのわかりやすさは別に嫌いではないが……ミステリとしてどうかというと、
やはり相当にアマイ。コージーミステリでアマイのは仕方ないが。

1巻目のタイトルが「老人たちの生活と推理」というのもちょっとマイナスな気がする。
地味ですからね。今さらですが。これでは新規さんが手に取ってくれる可能性は低かろう。
面白いですよ!コージーで。

さよなら、アンジェラ、キャレドニア。

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◇ 高橋克彦「天を衝く 秀吉に喧嘩を売った男 九戸政実 上下」

2024年09月13日 | ◇読んだ本の感想。
これ、新聞連載だと思い込んでいたんだけど、違うようだね。
だったらなあ……もうちょっと短くしてくれても良かったような。
単行本で上巻634ページ、下巻567ページあるんだよ。正直飽きた。

特に上巻がね。おそらく史実でもずーっと本家とぐだぐだやっていたんだろうし、
そのぐだぐだがあったからこそ最後の決戦が盛り上がると思ったのかもしれないが、
正直、そんなに能力がある人ならとっとと本家と決着をつけろと。
3回くらい同じことをやるでしょう。もたもたしている。ひたすらもたもたしている。


高橋克彦ってちゃんとした作品を書く人だとは思うんだけど、明確な欠点もあると思ってて。
まあ近年の作品は読んでないんだけどね。
でも20年前くらいに初期のミステリと、「炎立つ」「火怨」、「竜の柩」「霊の柩」……
10冊ちょっとは読んでいる。「竜の柩」はトンデモとはいえ、すごく面白くて買った。

でも「竜の柩」でもすでに顕著だったんだけど、
……この人はほんとーに人が描けない。

いや、かっこいいのよ。主役は常に。
だがそのかっこよさがあまりにも型にはまりすぎて。
全然書き分けが出来てない。作品は違えど造型はみな同じ。
主役みんなが頭が良くて、かっこよくて、人に慕われ、賞賛される。
「またこれか」と思うと……どうもねえ。

この人の話の作りは、主役が全てを見通して台詞で全部を説明するパターン。
ミステリもそうだし、伝奇ものもそうだし、歴史物もそう。
それに加えて、その会話文も全員同じなんだよなあ。
これは主役どころか登場人物の口調が全員同じ。語尾をちょっと変えたりするだけ。
もう少し何とかなってもいいだろうと思う。

台詞で話を進めるところが災いして、なかなか進まない。
「またこれか」と思っているから気持ちよく読み進められない。
小説として、……悪いってわけではないんだけど、うーん、やっぱり不満だなあ。


まあでも、全然知らなかった九戸政実について読めたのは良かった。
面白くなくはなかった。テーマ自体は。書き方に飽きただけで。

だが多分高橋克彦が書くと相当理想化されているだろうと思うので、
九戸政実と南部一族についてはいずれ人文書を1冊2冊読んでみようと思う。
課題図書リストに入れて、おそらく8年後くらいに。

源氏の血筋の九戸政実を、蝦夷の後継者として扱おうとするのは無理があると思われるが、
高橋克彦の日高見愛に免じていいことにする。



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