私が担当した倭姫命の巡幸地は伊勢国の「磯宮(伊蘓宮)」
舟で伊勢の地に上陸したといわれている場所です。
これらの巡幸地をめぐってはいろいろないわれがあります。
というのも倭姫命について書かれた資料は主に3つ
・720年「日本書紀」
・804年「皇大神宮儀式帳」
・鎌倉時代中期「倭姫命世記」
とあるのですが、資料によって巡幸地が一部異なるのです。
今回訪ねた「磯宮(伊蘓宮)」は「皇大神宮儀式帳」と「倭姫命世記」のどちらにも名前のあるお宮です。
ところが「皇大神宮儀式帳」には〝磯宮〟とあり、「倭姫命世記」には〝伊蘓宮〟と書いてあるそうで、同じ〝いそのみや〟であるものの漢字が異なっています。
また写真にあるように、今建っているお宮は〝磯神社〟と呼ばれています。
〝磯宮〟あるいは〝伊蘓宮〟という行宮の跡に建てられたのが〝磯神社〟の起源と伝えられているそうですが、〝磯宮〟と〝伊蘓宮〟このふたつの関連を示す直接的な資料は存在していないようです。
そんな磯神社は三重県伊勢市の磯町というところにひっそりと佇んでいました。
私が訪ねた際には他に参拝客はいませんでしたが、専用の駐車場もあり、地元内外に愛されている神社といった印象でした。
創立は紀元前5年3月。
元々は国道23号線と近鉄の橋の間の中辺りにあったそうですが、洪水で崩壊し流され、今の場所に鎮座したとのこと。
いくつもの鳥居を潜った先には推定樹齢七〇〇年の御神木の大楠があり、その堂々とした佇まいに思わず溜息が漏れ出てしまいました。
境内はそこまで広くはないですが見どころが多く、整えられた拝殿にはこんなものも。
私も「おもかる石」を試してみましたが、残念ながら思った通りの重さでした。
皆さんもご参拝の際にはぜひこちらもお試しください。
神社そばの外城田川沿いには倭姫命が上陸したという場所があり、そこにも鳥居が建っています。
なんとなくここに立った瞬間がいちばん倭姫命を感じられた気がして感動しました。
無事に上陸を果たし、倭姫命もきっと安堵したことでしょう。
今回の「凛の集い」展の作品は、磯神社を訪れた際に見た景色を元にデザインを起こしました。
伊勢神宮からの帰り道、ちょっと寄り道してみるのも楽しいかもしれません。
倭姫命に思いを馳せる旅、次回は〝磯宮(伊蘓宮)〟の次に倭姫命が訪ねた場所と一説でされている〝瀧原宮〟をご紹介します。