私が「日本の曖昧力ー融合する文化が世界を動かす」(呉 善花)を手に取ったのは、来月開催される4人展に向けて、アート作品としては2作品目となるパネル作品の制作に取りかかってからでした。
前回(Independent Tokyo 2023)に引き続き〝アバター〟をテーマにすることは決まっていたものの、コンセプトをどう説明するかに悩んでいたからです。
やはりポイントとなるのは〝漆〟を使って表現することの意味です。
漆を日本の文化とするならば、やはり日本について知らないと何をどう言えば説得力を持たせてアピールできるのかがわかりません。
そう思って改めて日本のオリジナル性とはなんだろうと考えてみました。
sushi?sumo?kimono?anime?
海外の方が日本の何に魅力を感じるのか、物としてはなんとなくイメージされるものはあるものの、ではなぜそれに魅力を感じるのかまでは理解が難しく、説明することができませんでした。
多分それは私が日本で生まれ育った、海外を知らない日本人だからなのでしょう。
日本の独特といわれる文化がなぜ独特なのか。
日本の文化が当たり前の中にいるとその独自性に気づけないのです。
日本人はよく「自主性がない」「はっきりしない」というイメージを持たれています。
実際に私もそうなんだろうと漠然と思っていました。
しかしその理由を聞かれてもやはりうまく答えられません。
日本の文化をつくったのは日本人ですから、こうした日本人の性質が、外からみると〝独特〟と感じる文化を生み出したのでしょう。
つまり日本人の本質的な部分を客観的に理解すれば、日本の文化の理解に繋がるのではないかと思ったわけです。
そこで出会ったのが「日本の曖昧力ー融合する文化が世界を動かす」(呉 善花)でした。
呉 善花(お・そんふぁ)さんは韓国・済州島生まれで、韓国評論家であり日本研究者です。
今は日本に帰化しており、日本の大学の教授をされています。
そんな呉 善花さんが2006年〜2007年にかけて月刊「歴史街道」に連載していたものを一冊にまとめたのがこの本なのですが、「日本人の曖昧さはなぜ生まれたのか?」という紹介文を見たとき、何となく欲しい答えが得られるような気がして購入を決めました。
本の感想からいうと日本人の本質についてとても興味深く論じられていて、納得できる部分も多く、発見がありました。
ただ少し日本贔屓が過ぎるところもある気はして、あと2006年のデータなので現在はまた違ってきているだろうという部分もありました。
それでも私の知りたかったことは大方説明してもらえたように思います。
とはいえ全てを鵜呑みにはせず、一つの考え方としてまずは受け止めて、他にも多方面からの意見をもっと知りたいと思っています。
以上を前提として本の内容に移ります。
簡単にまとめると、
「日本は高地、平野、沿海地方が入り混じった複合的な自然環境にあったことで、縄文時代よりそれぞれの民の考え方が融合して文化がつくられてきた。
これが集団的、協力的に見える国民性の基本であり、その中で生まれたアニミズム的な日本の精神性が今も消えることなく残っている。
また外敵の影響を受けなかったことにより、古いものを切り捨てる必要がなく、元々のものに新しいものをミックスして独自のものに変えるという、世界でも稀な性質を持つ独自の文化を育てることができた。
思想面では、例えば物には魂が入っているから生きている、という人間と自然を一体のものとして捉える日本的な感性は、儒教やキリスト教文化圏で生きている人にはなかなか理解が難しい。
なぜなら西洋社会において長らく自然は征服する対象であったからである。
他にも、キリスト教文化圏、あるいは儒教文化圏が「どんな生き方が正しいか」という倫理観、道徳観が生き方の規範であるのに対して、日本は「どんな生き方(死に方)が美しいか」という美醜の観念が生き方の規範となっている。
これは日本がいわゆる〝恥の文化〟(周りにどう思われるかによって基準が変化する)であるのに対し、西洋は〝罪の文化〟(行為の善し悪しは、内面の心に宿る罪の自覚によって決まる)であり、そこには宗教的倫理の絶対基準がある。
このように日本人の自己は、西洋的な、相手が火だろうと水だろうとけっして変わらぬ自己(自己同一性=アイデンティティ)ではなく、その時々でその場にふさわしい自己へと変化させることから「主体性がない」と思われがちだが、これは普遍的な思想、正義よりも、まず共生を重んじる日本人の国民性のあらわれであり、ある意味では他者と調和のできる主体性のある人たちだといえるだろう。
そしてこうした対立よりも調和を大切にする国民性がもたらす曖昧さこそ、人と人との親和で平穏な関係を生み出すのに必要なことだといえる。」
というようなことが書かれていて(実際はもっと細かい例を挙げながら深く掘り下げてあります)
日本人の共生を重んじる国民性は「自然と人間は一体である」という縄文時代から今なお引き継がれている感覚によるもので、自分は自然に生かされているというような、ある種の根源的な〝受け身志向〟なわけですが、この受け身志向こそが相手を思いやる優しさであり、〝曖昧さ〟なのだそうです。
そしてこの〝曖昧さ〟を美学とするのが日本人であり、その感性が「わび・さび」であったり「いき」という独特な感性と文化を生み出してきたのです。
宗教観が違えばその感覚を理解することは難しいということはなんとなくわかってはいましたが、具体的にキリスト教や儒教との比較があったことで客観的に日本をみることができました。
そしてその違いこそが興味の対象なのでしょう。
ここからさらに漆に結びつけるとどうなるのかもう少し考えてみたいと思います。
とても読みやすく面白い本だったので、もしかしたら日本についてあまり知らないかも?と思った方はぜひ読んでみてください。おすすめです。
呉 善花さんの他の本も気になったので、私は次に「韓国人には理解できない 謙虚で美しい日本語のヒミツ」という本を購入してみました。
読むのが楽しみです♪
参考文献
呉善花著『日本の曖昧力ー融合する文化が世界を動かす』PHP新書 2009年より