「2025年7月5日の大災難」
身体が震えた。
この題材を取り上げていたのは奇跡体験!アンビリーバボーだっただろうか。
日本とフィリピンの中間あたりで爆発のようなことがあり、巨大津波を引き起こすという。
これは2011年3月11日の東日本大震災を夢によって予知していた漫画家のたつき諒さんが、復刻する際に加筆を加えた漫画、完全版『私が見た未来』に書かれている内容だ。
信じる信じないは人それぞれだろう。
私も鵜呑みにしたわけではない。
ご本人も夢で見たことが全て現実になるわけではないとおっしゃっている。
けれど備えあれば憂いなし。
防災意識が高まってほしいということでテレビにご出演されていた。
何と無しに見ていた。
普段見ている番組でもない。
ただ番組の終わりに差し掛かった頃〝終わり〟というものがふっと目の前に現れた。
長生きするつもりでいる。
何があっても生き延びたいと思う。
けれどもしかしたら終わるかもしれない。
あと3年。
自然災害なんてものはいつ起こるかわからない。
半年後かもしれないし、今日かもしれない。
だから備えておく。
わかってる。
この間だって東北で大きな地震があったばかりだ。
けれどなぜだろう、うまくイメージできない。
そんな時に〝終わり〟は「やあやあこんにちは」とやってきて、いとも容易く私をすり抜けていったのだ。
もしかしたら先日漆の作業が終わらず切羽詰まっていた際に見た世界の終わり日の夢を、まだ心のどこかで引きずっていたからかもしれない。
世界が終わる日、私は父と母と姉の4人でトランプをしていた。
原因は隕石か何かだったような気もするが、終わる時刻は決まっていた。
何かやり残したことはないか考えて、大事な人に「来世でまた会おうね」とLINEした。
その時に感じた迫り来る恐怖とシンクロしてしまったのかもしれない。
あと3年。
何ができるだろう。
最悪、物はなくなってしまう。
これまでの作品もなくなってしまうだろう。
噂によると東日本大震災の時の3倍はある大きさの津波らしい。
ならば物に固執するのはよそうか。
生き残った時に残るもの?
それはおそらく自分の中にあるものくらいじゃないだろうか。
技術だったり知識、経験、そういったもののような気がする。
ならばより多くのものを経験したり吸収したい。
ウクライナとロシアの戦争もそうだ。
これまでと変わらないようで変わっていく世界と意識。
平和ボケしていた頭が最近よく頭痛を起こすようになった。
1999年に人類は滅亡するとしたノストラダムスの予言のように何事もなく過ぎ去ることを願いつつ(2022年に72時間の暗闇の後、人類の3分の2が神に見捨てられて消滅するとも予言しているらしいが…)いまを大事に生きていくことを頑張りたい。