後山の子明石は、今年度初めてわな猟の狩猟免許を取得し、狩猟者登録も行い、昨年11月15日からの狩猟期間に入って、5本のくくりわなを仕掛けてみました。うち4本は裏山に、残りの1本はソバを栽培していた山際の田んぼと人工林(スギ・ヒノキ)の境界にセットし、ほぼ毎日、ウォーキングを兼ねて巡回をしていました。
今年はなかなか掛からないのかな?と思っていたところ、3月5日(土)の朝、1頭の大きな雄ジカが掛かっていたのです。自分にとっては初成果ですが、しかし、正直なところ掛かってみれば複雑な心境になります。後の処理が大変なわけですが、今回は猟友会の先輩にご無理をお願いしました。本当は、自分でやらないといけないのですが・・・・
今年はシカ・イノシシとも少なかったようで、その理由をいろんな人の話(=説)から紹介してみます。(順不同)
①私たちの東粟倉地域は、集落全体の山際を2mぐらいの高さの丈夫な金網で囲んでいるため、その中に入ってくるシカ・イノシシは、そう多くない。(私たち人間は、その檻の中で暮らしている!)
②ここ数年、害獣駆除に力を入れてきたおかげで、シカ・イノシシともかなり減少した。(狩猟の成果)
③この冬は暖冬であったため、山には結構緑があり、動物たちは危険をおかしてまで人里に出て来なかった。・・・・などで、それぞれ一理あります。
私が上田小にコカリナ指導に行くことになったきっかけは、その頃、上田小に何年かおられたT校長の発案によるものだそうです。
彼は、私の中学校の一級下の学年で、全校児童の数だけコカリナを買いそろえたそうですが、コカリナを指導する者がいないし、自分は他の学校に転勤になるので、後山の子明石に指導を依頼するようにというのが、次の校長先生への伝言だったそうです。
従って、T校長は落合の山の子さんの同級のはずです。
大型のですからね。食欲が落ちますね。
上田ですか!。3年間居ました。山の子の歌の似合う山の小学校でした。
展望台の方角写真は私が作成したものでしたが見られましたか?。
2003年まで居ました。当時ピアノの調律をしていた松岡さんでしたっけ、
太鼓の指導に来てもらって居ましたよ。
私の住まいは姫新線の敷地に接しており、縦貫道が我が家の田畑の中を横断していますが、谷水に頼る
水田農業で、法面の広い耕地ですね。いわゆる中山間地ですね。南は江原兵庫氏の領地「倭文西郷」旧旭町に接しています。
この江原氏には明石氏も関係していますね。たしか・・・・。
そう言えば、数年前に閉校になった上田小学校に行ったことがあります。2007年ごろだったと思いますが、全校児童7名に対してコカリナの指導に行ったのです。上田小学校は2011年3月で閉校になったようですが、最後の卒業式の記念に「思い出のコカリナ演奏」というCDを製作して送ってきて下さいました。
現在の当地にも出没はしているようです。しかしお目にかかかる
ことはないです。真庭の町近辺の山や尾根筋には鹿の存在がはっきり
と分かります。山城散策や毛利方の陣城探索に山へ上ると、山の上の水飲み場や遊び場所能く見かけます。
イノシシとは棲み分けをしているみたいですね。
水田に雪が残って居ますね。私の実家も負けないほどの山がですよ。
今日、競馬の厩舎に牧場が山の中に存在しています。
北島三郎の馬もいるはず・・・。「・・・エイシン」と名のつく厩舎です。下記が航空写真です。
https://www.google.co.jp/maps/@35.1160493,133.8277704,1700m/data=!3m1!1e3
蛇足・・・吉備高原地帯でも道路に鹿が出没するようです。
落合の山の子 より