後山の子明石のふるさと自慢&オカリナ日記

主な内容・・・①後山の子明石のふるさと自慢、②趣味のオカリナ&コカリナ日記、③趣味の新聞投稿、④愛唱歌「山の子の歌」

後山明石家に伝わる「カモン伝説」の内容

2016-12-29 22:14:16 | カモン伝説
 後山明石家に伝わる「カモン伝説」の一番の根拠は、「大坂の陣」から400年の今日まで、後山明石家の本家に代々言い伝えられてきたということにつきます。現在の当主は第27代にあたりますが、その間すべて男系で続いているのも珍しく、貴重だそうです。
 それを裏付ける内容が、江戸時代の後期に津山藩の手により編纂された「東作誌」という歴史書に登場します。また、1979年に発行された「東粟倉村史」にも、「落武者の土着」という項目の中で、「東作誌」を受けた内容の記述があります。この村史は岡山県内の歴史に詳しい、当時、岡山県教育庁文化課主幹であった柴田一(しばたはじめ)氏の監修でまとめられたものです。
 さらに後山明石家の本家には、「東作誌」の中にある樹齢400年のクロマツに上る「凌霄花」(ノウゼンカズラ)が存在していました。ただし、数年前(2008年4月21日)にクロマツが枯れたために、それに巻き上っていた凌霄花も一緒に伐採されてしまい、現在は朽ちた切り株と写真が残るのみです。
 これらから後山明石家に伝わる「カモン伝説」は、専門家の間でもかなり信憑性が高い、有力であると見られているようです。

大河ドラマ「真田丸」の最終回、明石掃部頭全登の行方は?

2016-12-25 20:56:35 | カモン伝説
 12月18日(日)、大河ドラマ「真田丸」の最終回が放映されました。この中で、大坂城5人衆の中の真田・後藤・毛利・長曽我部の4人は大坂夏の陣の中でそれぞれ討ち死にしたわけですが、明石掃部頭全登(あかしかもんのかみてるずみ)だけは討ち死にした場面が無かったことに注目してください。
 これは、美作市後山をはじめ、高知県・秋田県など、全国至る所に明石掃部の子孫を名乗る一族があり、それぞれに「カモン伝説」があることを考慮して、原作者の三谷幸喜氏が(討ち死に場面を)わざと書かなかったのだと考えられます。このことに感謝しながら、私たちは引き続き後山明石家の「カモン伝説」を深めて行こうと思います。

「H~O~T沿線」が作東デイサービスのクリスマス会でオカリナ演奏

2016-12-19 10:11:57 | オカリナ&コカリナ
 12月7日(水)午後、美作市の作東デイサービスセンターのクリスマス会「H~O~T沿線」が5名でオカリナ演奏をしました。当日は11時より直前練習、昼食後移動して、14時すぎから約30分間演奏しました。
 曲目は、①「四季の歌」②「旅愁」③「たき火」④「七つの子」⑤「大きな古時計」⑥「小さな世界」⑦「上を向いて歩こう」⑧「瀬戸の花嫁」⑨「高原列車は行く」⑩「野に咲く花のように」⑪「赤鼻のトナカイ」⑫「俵星玄蕃」⑬「寒い朝」⑭「365日の紙飛行機」の14曲。このうち⑫⑬は後山の子明石がリコーダーとオカリナの独奏、他は全員で合奏しました。
 また、12月10日(土)の例会には7名が参加して、練習の後は会場を移動し、来年の予定などを話しながら、忘年会的昼食会をしました。

晩秋から初冬にかけての後山の風景です

2016-12-10 21:29:09 | ふるさと後山

 11月の下旬に撮した晩秋から初冬にかけての後山の風景です。
写真① わが家の横から見た後山(=行者山)と船木山で、紅葉は終わり、山頂は少しだけ白くなっています。
写真② わが家の前の道から見た日名倉山(=美作富士)で、かなり高いところに白く見えるのが日名倉山の茅場です。
写真③④ ハクモクレンの大木も紅葉から落葉へ、わが家の庭は落ち葉で埋め尽くされています。
写真⑤⑥ 「後山川宮ノ下」の歌詞の中にも登場する稚児の淵(=稚児淵)で、後山の隠れた名所です。