後山明石家に伝わる「カモン伝説」の一番の根拠は、「大坂の陣」から400年の今日まで、後山明石家の本家に代々言い伝えられてきたということにつきます。現在の当主は第27代にあたりますが、その間すべて男系で続いているのも珍しく、貴重だそうです。
それを裏付ける内容が、江戸時代の後期に津山藩の手により編纂された「東作誌」という歴史書に登場します。また、1979年に発行された「東粟倉村史」にも、「落武者の土着」という項目の中で、「東作誌」を受けた内容の記述があります。この村史は岡山県内の歴史に詳しい、当時、岡山県教育庁文化課主幹であった柴田一(しばたはじめ)氏の監修でまとめられたものです。
さらに後山明石家の本家には、「東作誌」の中にある樹齢400年のクロマツに上る「凌霄花」(ノウゼンカズラ)が存在していました。ただし、数年前(2008年4月21日)にクロマツが枯れたために、それに巻き上っていた凌霄花も一緒に伐採されてしまい、現在は朽ちた切り株と写真が残るのみです。
これらから後山明石家に伝わる「カモン伝説」は、専門家の間でもかなり信憑性が高い、有力であると見られているようです。
それを裏付ける内容が、江戸時代の後期に津山藩の手により編纂された「東作誌」という歴史書に登場します。また、1979年に発行された「東粟倉村史」にも、「落武者の土着」という項目の中で、「東作誌」を受けた内容の記述があります。この村史は岡山県内の歴史に詳しい、当時、岡山県教育庁文化課主幹であった柴田一(しばたはじめ)氏の監修でまとめられたものです。
さらに後山明石家の本家には、「東作誌」の中にある樹齢400年のクロマツに上る「凌霄花」(ノウゼンカズラ)が存在していました。ただし、数年前(2008年4月21日)にクロマツが枯れたために、それに巻き上っていた凌霄花も一緒に伐採されてしまい、現在は朽ちた切り株と写真が残るのみです。
これらから後山明石家に伝わる「カモン伝説」は、専門家の間でもかなり信憑性が高い、有力であると見られているようです。