2011年に発表された論文によると、子供の心理的欲求に応えるような親の働きは、子供の宿題へのやる気を促進させたらしい。
また子供の欲求や行動を支えるような親の動きの度合いは、親の宿題に対する考えや行動の仕方によって決まるのだそう。
宿題というのは大半の人にとって、初めての外発的動機づけ、幼い対象が自身のやりたいこと以外に課されたやるべきことになっただろう。
宿題という外発的動機付けは往々にして親子のストレスになることが多い。
「やらなきゃいけない」という子と、「やらせなきゃいけない」という親のせめぎ合い。駄々をこねる子と、淡々と指示したり時に怒鳴りつけたりする親それぞれの苛立ち。
親の指示や怒号に従い渋々子供は宿題を進めるが、子供は渋々やらされているという、まるで成績でも下がったかのような不快感を抱える。これは望ましくない。
理想的なのは子供が自ら進んで宿題に取り組むことだが、果たしてそんなことが可能なのか?
一応は可能だ。
人間は基本的に『意思決定の度合い』『貢献度』『能力への自信』の3つの心理的欲求が充分に満たされたときにやる気が発生するという言説がある。
対象が自発的に、物事への貢献のために、能力を発揮できる環境がやる気の発生へとつながるのだと言う。
また言説中には、この心理的欲求が十分に満たされたとき、周囲からの指示が自身の意思決定により自分のやる気や目的と統合するという現象も発生するとのこと。
この言説の通りに動くとするならば、子供の内にある『意思決定の度合い』『貢献度』『能力への自信』という欲求を満たせば、子供は宿題を自分のやりたいこととしても扱うようになる、ということになる。
このようにして子供へのやる気を発生させたい場合、必要なのは親の理解と行動になる。
宿題の性質上、そして子供の性質上、この心理的欲求を満たすことができる相手は基本的にその親となる。
たかが宿題だと思わないでほしい。そこにあるのは大人でも嫌がる指示と課題だ。そこにあるのは大人でも満たせられるかが怪しい3つの心理的欲求だ。
「どのようにして子供をサポートすればいいのだろう」という、𠮟咤や怒号では決して解決しない複雑な問題に、是非とも頭を悩ませてほしい。
きちんと頭を悩ませているその姿勢が、子供にとって良いものとなるはずだから。
参考文献
Idit Katz,Avi Kaplan et al. (2011) The role of parents' motivation in students' autonomous motivation for doing homework.