励ましは、意外なほどに私たちに活力をくれる。
運動会で懸命に体をはっている時にかけられる「がんばれ」の声援。
受験勉強に打ち込んでいる時に添えられる一切れのケーキ。
残業でくたびれ背筋伸ばしたときに渡される同僚のおごりのコーヒー一杯。
そんな他人からのささやかな気遣いを嫌がる人は、ほとんどいないだろう。
なぜ私たちは、励ましから活力を得られるのだろうか。
理由の1つに、私たちはエゴを抱え、自分の期待を満たすために生きていることが挙げられる。
その証拠として、2つの例を紹介する。
あなたがいま、何かしらの発表会で登壇していたとしよう。
この場合、ほとんどの人は「失敗するのがこわい」という緊張を抱えることだろう。経験したことは少なくないはずだ。
この緊張は失敗することで被害を被る聞き手のことを思ったものではなく、失敗することで自分が非難されるかもしれないという恐怖から来ているものである。
その証拠に、『よほどのことがない限り人は非難しない』という事実を経験すると、それまでの緊張が嘘のように消える。
非難されるかもしれないという恐怖がなくなったことで、緊張する理由の大半が消えてしまったからである。
ほとんどの人が経験した事があるであろう「あなたのためを思ってやっているのよ」というような主張。
一方的で極端な支援は的外れであることが多く、それを指摘すれば感情的な返答が帰ってくることだろう。
それもそのはず、この支援は対象を思いやったものではなく「対象を思いやっている私凄くイケてる!」といった自分への思いやりが具現化したものだからである。
本当に対象を思いやっている支援であれば批判を真摯に受け止めることだろう、間違っても「私の感謝が受け取れないっていうの!」なんて返してこないはずだ。
この通り、私たちは、私たちの想像以上に、自分自身に集中しているのだ。
ゆえに、自分を気にかけるような仕草であれば、たとえささやかな励ましであっても「私のことを気にしてくれている!」と対象の気分を上げてくれるのである。
この励ましがもたらす活力はどれだけのものなのだろうか?
2001年に発表された文献によると、研究者からの手紙を受け取った対象群は、手紙を受け取り続けた2年間自殺率が減少したという。
研究対象となったのは、主に自殺未遂を理由に精神科に入院した子たち。
そんな"一触即発"な子たちを食い止めたのが、研究者直筆の手紙だったと主張している。
手紙の内容はそこまで凝ったものではない。
「久しぶり。最近調子どう? 返事くれるとうれしいな」というような、日本でいうハガキぐらいの簡単なものだ。
現代であれば同内容をLINEでひとこと送るに等しいこの行為が、受け取った人の命を救っていたというのだ。
そしてこの行為がなぜ有効なのかは、その返答がよく示している。
"You are the most persistent son of a bitch I've ever encountered, so you must really be sincere in your interest in me.(あなたは今まで出会った中で最もしつこいクソ野郎だから、私のことを本当に気にかけてくれているに違いない)"
ささやかな励ましと気遣いは、人の命を救うほどに強いのだ。
参考文献
Jerome A. Motto,Alan G. Bostrom (2001) A Randomized Controlled Trial of Postcrisis Suicide Prevention.
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