1997年に発表された論文によると、『地位が低い』というステレオタイプを貼られた人は、張られたステレオタイプによって発生するダブルスタンダード(二重基準)に悩まされるという。
具体的には、『地位が低い』人には比較的低めのボーダーラインが設けられ評価されるが、地位の向上や能力の信頼にはステレオタイプが貼られていない人と同等かそれ以上の労力をかけないと評価に至らないのだという。
なお、このダブルスタンダードは対象を評価する側の人間が陥りやすく、当事者や第二者が『地位が低い』というステレオタイプに陥ることはあまりないのだそう。
『地位が低い』と受け止められたことにより、ボーダーラインは引き下げられる。『地位が低い』と決めつけられたことにより、ボーダーラインは引き下げられる。
「女のくせに、よくやるな」と。
「黒人のわりには、悪くないじゃないか」と。
評価する側の第三者は何の違和感もなく、むしろ良かれと思い、または適切だと思い、これを施行する。
また『地位が低い』というステレオタイプは、同時に蔑視と軽視をも生む。
「女が、ここまで上り詰めることはまずできない」と。
「黒人が、これを成しえるなんて不可能だ」と。
評価する側の第三者は何の違和感もなく、疑うこともなく、偏ったイメージを持ったまま、これを施行する。
『地位が低い』というステレオタイプが成績評価に絡んだとき、甘く見られたことと、甘く見られたことによる評価基準の狂いが発生し、評価対象をひどく惑わす。
ある時は余計なお世話だと感じ、ある時は能力を示しきっても『地位が低い』ことを理由にまともに受け持ってくれない。
評価基準の狂いは、『地位が低い』ことによる生きづらさの1つとなる。
この評価基準の狂いをどう受け取るかは人次第だが……
ーーー少なくとも私は、それが正当な基準なのかが気になるのだ。
ステレオタイプという、偏見により構築された先入観と知識。
それをものさしとして計ったとき、果たして対象を計り切れるかが、気になるのだ。
参考文献
Biernat, M., & Kobrynowicz, D. (1997). Gender- and race-based standards of competence: Lower minimum standards but higher ability standards for devalued groups.
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