2018年に発表された論文によると、功利主義的判断はその被害者に同情するかどうかで施行されるかが決まるという。
まず、功利主義的判断とは『最大多数の最大幸福』を最優先する判断基準で、大多数の幸福や社会単位の利益のために少数の犠牲を厭わない選択のことを指す。
「制御不能のトロッコが直進し続ければその先にいる5名が犠牲になる。あなたが分岐器のスイッチを切り替えることで5人は助かるが、切り替えた先にいる1人を救うことはできない」という、俗にいうトロッコ問題のような状況でスイッチを切り替えるという行動が例として当てはまる。
そして、例に挙げたトロッコ問題のように、功利主義的な判断が求められる場面では少なからずリスクが付きまとうため
「スイッチを切り替えた人たちは、きっと『スイッチを操作することで得られる社会の損得』を必死に考えたうえで切り替えてるんだろうなぁ」
という考えを抱くことは少なくない。
が。
この功利主義的な判断は特にサイコパスな人が下しやすいという知見がある。
サイコパスとは主に共感性に乏しく衝動性が高いとされる性格特性で、会話相手の感情すら上手に理解できない社会不適合的な特徴と捉えられることが多い。
またサイコパスは自己中心的なものの考え方をする傾向にあり、『スイッチを操作することで得られる社会の損得』なんてまず考えない、他人を思いやるという選択肢が頭にないことがほとんどだ。
そんな性格を持つ人が、なぜ功利主義的な判断を下しやすいのか。
その答えの1つに、功利主義的判断はその被害者に同情するかどうかで施行されるかが決まるという今回の結論が挙げられる。
また、研究結果を参考にする限り功利主義的な判断を下すかどうかと『スイッチを操作することで得られる社会の損得』などの道徳的な思考や指向にはほぼ関係がないという。
ある程度の道徳観を持ち、そしてある程度人の気持ちがわかってしまう人は、トロッコに轢かれる人の気持ちを想像できてしまい、切り替えをためらってしまう。
どれだけ頭で理論を組み立てようが、言い訳しようが、犠牲になる人の主観が頭から離れず、結果的に『最大多数の最大幸福』が未達成となる。
だが、サイコパスはそうではない。
彼らは意識が常に自分に向いていることも重なり、犠牲になる人の気持ちが想像できないのだ。
だから彼らはためらいなく切り替えられ、結果的に『最大多数の最大幸福』が達成されるのだ。
参考文献
Reina Takamatsuz (2018) Turning off the empathy switch Lower empathic concern for the victim leads to utilitarian choices of action.
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