川口はいいところよ・・  ようこそ新潟へ

新潟県中越地震震源地から今年で早や12年。そげ落ちた信濃川の河岸段丘の表土も自然の力で草木が戻りました。

地震その時(再掲5)

2007-01-29 18:28:53 | ワブログから引っ越しました
ICのゲートをくぐり月明かりを頼りに前方のエリアを目指した。

何本かのランプのうち段差の激しいところを避け躓きながら

度々余震で揺れるアスファルトを踏みしめた。

越後川口ICからのランプ(アクセス道路)をエリアに進んでいくと前方にヘッドライトが薄ぼんやりと多くの滞留車両を照らしていた。

その光のなかで絶え間なく影が行き来していた。



エリアの駐車場にようやくたどり着いた。

私は同僚の二人を探した。

「あ、Aさん、Sちゃんたち見ませんでしたか?」

「え、そのあたりにいるでしょう?」

「一生懸命物を出してたよ。」



・・・どこに行ったの?!・・・



エリアは滞留車両のヘッドライトと月明かりで騒然と人々が照らしだされていた。

暗闇になれた目で同僚の姿を探したがいない。

余震できしむ建物の中を恐る恐る見回すがそこにもいなかった。

駐車場中央には木製のテーブルと椅子がはこびだされ飲食物と救急箱が雑然とおいてあった。



地震から一時間ほど経って

すでに居合わせた人々は落ち着きを取り戻してきた。



滞留車両は4・50台。

車の中やテーブル近くに自分たちの状況をそれぞれが確認しあっていた。

その中の運転手らしき男性数人に

「どこにいましたか?」

「トンネルをぬけたあたりで何がなんだかわからなくなって、とりあえずSAにきました。」

「私たちはSAで休憩中でした」

聞く限り山本山トンネルの手前から・・の声は無かった。



同僚の姿はまだ探せないでいた。

・・・もしかして下り?・・・



門扉をくぐり下りへと向かった。



月明かりに照らされた下りSAへと続く細い道には亀裂が走っていた。

職員駐車場には数人が車の傍に不安な表情で所在なげにいた。



「大丈夫だった?」

「私たちはね。」

 ・・厨房の社員が火傷を負ったようだ・・



「川口橋は通れないみたい。山本もだめだって。

117は塩殿辺りが酷いってよ。17もだめらしいて聞いたけど・・」

「じゃあ帰られないね?」

「明るくなるまでここにいたほうがいいよ。」

誰もがどうしたらいいかわからないでいた。

余震は容赦なく絶え間なく私たちを襲った。

ゆれる度に建物からガシャガシャ何かがぶつかり合う轟音が響いた。






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