発熱している、と感じたことはなかった。
しかしながら定期的に測定される体温は39度近くあり、自分が恐ろしく熱を出しているとわかる。
寝て、起こされて、また寝て。
丸い無機質な時計が一周したかと思っていたが、実際はたった3時間ほどしか経過しておらず軽く凹む。
時間よ、進め!
看護師さんはわりと足繁く通ってくれた。
耳に届くのは血栓防止マッサージ機の音と、頭元で聞こえる電子音だけ。
隣の部屋に老人(男性)が寝ていることは看護師さんとの会話でわかった。
集中治療室にはもちろんスマホなど持ち込めない。
実際、手術前の意思疎通が出来てなかったせいで、主人は恐ろしく大きな私の荷物を一旦全部持ち帰る羽目になっていた。
その中に大事なスマホもある。
このシステムについては、病院にヒトコト物申したい。
集中治療室に入る予定の患者には最小限の荷物だけをもってくることと伝え、その後一般病棟に移ってから、家族が送り届ければいい。
二度手間、三度手間はいかんともしがたい。
切れそうな主人の顔が目に浮かんだ。
これについては婦長の名札をしたキレッキレの看護師さんが後々謝罪にこられた為、私としては溜飲を下げるしか無い。
しかし当日の主人の不機嫌さは押して図るべし。
聞いた時、少し笑った。
だいたい手術の結果についても不安で仕方のない家族なのだから、少しでも精神的、肉体的負担を軽くすべきではないのか?と思う。
術日前日と当日二泊三日、万が一何かあったときのため、彼には近くのホテルに宿泊してもらっていた。
雪の中、タクシーでの行き来。
大変だったろうな。
私は意識が戻ってから、どうにかして主人と連絡を取りたいと思ったが、叶うことはなく、執刀医YDr.から電話で手術について説明がなされていることを聞いたのはしばらく経ってからだ。
8時間半の大手術。
内容については後ほど教えてもらったから、その時の私は自分の体がどうなっているのか全くわかっておらず、主人が不安がっていないかどうかだけが心配で仕方なかった。
何にせよ、時が経つのは遅い。
遅すぎる。
口には酸素マスクが装着されていて、渇くことはなかったが、ぼやっとする頭のまま時計とカレンダーを交互ににらめっこする事は五分で飽きた。
寝て、起きて、また寝て。
徐々に熱が下がっていく。
血糖値も計られていて、後から計測したのを見て、んぎゃ!ってなるくらいそれらは高かった。
ま、術後はそんなもんらしい。
ベッドはなかなか柔らかく、もちろんモーターで上げ下げ出来るタイプ。
今の一般病棟はまさかの手動なため、本当にあれは有難かったなぁと感じた。
※やはりそこは市民病院。予算下りないのかな?是非とも投書しておこう。
不思議とお腹は空かなかった。
そして次第に自分が今何月何日に生きているか不安になってきた。
熱が出て、頭おかしくなってるんじゃないか?
そこで口ずさんだのが、いろはにほへとちりぬるを(略)だ。
何回も何回も口にして、頭が生きていることを確かめる。
手足の指も動かし、麻痺などないことを確認する。
この頃になると、手術がうまくいったことは先生から聞いていた。
思っていたよりガンが浸潤しておらず、必要以上のリンパ節を取り除かなくてよかったことも教えてもらった。
だからこその8時間半。
出血もそこまでひどくなかった。
主治医と患者。
私のような手術初心者にとっては、彼しか頼る人がいない。
親を待つ雛のように全神経を集中させる。
もちろん私だけが彼の患者ではないのだから、過度な期待は出来ないが。
それでも情報の欠片すら漏らすまいと必死だ。
集中治療室でまる二日間暮らして思ったこと。
二度と手術はごめんだってことだけ。
でもその愛想も何もない空間で、主人や友人たち、他界した父、愛猫への感謝を何度口にしたことか。
何度涙したことか。
だから決して無駄な時間ではなかった。
身体の回復も含めて。
あそこは必要な場所、そして時だったのだ。
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