●こふん●【古墳】
★こふん 【古墳】
(1)日本で四世紀頃から七世紀頃まで行われた墳墓で石室・粘土槨などを築いて棺を副葬品とともに納め、土・礫などで覆って高塚を築いたもの。多くは当時の豪族などが被葬者。形の上から、前方後円墳・円墳・方墳・上円下方墳・前方後方墳などがある。
(2)古い墓。昔の人の墓。
「累々たる―のほとり/謡曲・藍染川」
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★孤憤
読み方:こふん
一人で憤ること。自分ひとりではどうしようもない世間の仕組みなどに、一人憤りを覚えるさま。孤憤の情。もとは『韓非子』に見られる語。
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★古墳 (こふん) 防府歴史用語辞典
土を高く盛り上げたお墓ですが、弥生時代に造られたものは含みません。主に前方後円墳[ぜんぽうこうえんふん]、円墳[えんぷん]、方墳[ほうふん]の3つがあります。
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★古墳(こふん) https://ja.wikipedia.org/wiki/古墳
一般に日本史上、3世紀後半から7世紀前半に築造された墳丘を持つ古い墓である。古代の東洋では位の高い者や権力者の墓として盛んに築造された。
日本史では、墳丘を持つ墓は墳丘墓と呼んでいるが、この内、3世紀後半から7世紀前半に築造されたものを特に「古墳」と呼んで区別している。
現代日本語の「古墳」は、国際的に通用する普通名詞として用いるか(※第2義)、日本の古墳のみを指す固有名詞に近い語として用いるかという(※第3義・最狭義)、未だ明確に定義されない異なる語義が並立しており、この点に断り無くどちらか一方の意味で用いられることにより、時として齟齬が生じる。なお、本項はこれ以降、特筆しない限りは日本の古墳について解説する。
現代日本語「古墳」に相当する現代英語は kofun が通例であるが、"ancient burial mound" など mound(意:塚、墳丘墓、ほか)に説明を付け加える形でのかなり曖昧な言い回しも多く、特に日本に限定する場合は "in Japan" を付け加えるなどする。
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★齟齬 https://ja.wiktionary.org/wiki/齟齬
名詞
齟 齬(そご)
物事がうまくかみ合わず、食い違ってうまく進まないこと。ゆきちがい。
簡単な実験でも何遍も繰返すうちには四囲の状況は種々に変化するから、結果に多少の異同や齟齬を来すのは常の事である。(寺田寅彦『物理学実験の教授について』)
語源
「齟」は、「咀」と同系で何度も歯をあわせること、「齬」は「互」などと同系で互いに入れ違うことであり、何度もかみ合わせてしっくりといかないことを意味する。転じて、物事が不整合であることを意味するようになった。
複合語
言行齟齬
翻訳
英語:disagreement;discrepancy
動詞
物事がうまくかみ合わず、食い違ってうまく進まない。ゆきちがう。
もし然らずしてこの二者の至り及ぶところの度を誤り、わずかに齟齬することあれば、たちまち不都合を生じて災いの原因となるべし。(福沢諭吉『学問のすゝめ』)
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★古墳とは|世界遺産 百舌鳥・古市古墳群(もず・ふるいちこふんぐん)
http://www.mozu-furuichi.jp/jp/learn/about.html
古墳の墳丘の周りの掘られた部分に水をためて濠(ほり)になっていることもあります。 また、墳丘の斜面には、石(葺石・ふきいし)が敷きつめられているものもあり、装飾や墳丘の崩れ ...
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★埴科古墳群 - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/埴科古墳群
森将軍塚古墳
長野県千曲市(旧更埴市)大字森字大穴山に所在する本古墳は、長野県で最大となる全長100メートルに及ぶ前方後円墳である。曲がった尾根上に築造されたことによって左右対称ではなく、後円部が楕円形に近い。墳丘は葺石で覆われ、三重の埴輪列のほか、墳頂には形象埴輪が配されていた。規模は以下の通り。
墳丘長:約100メートル
前方部
長さ:約40メートル
幅:約30メートル
高さ:約4メートル
後円部
直径:約45メートル
高さ:約4メートル
所属 埴科古墳群
所在地 長野県千曲市大字森字大穴山
位置 北緯36度31分52.86秒
東経138度08分14.02秒座標: 北緯36度31分52.86秒 東経138度08分14.02秒
形状 前方後円墳
規模 墳丘長約100m
埋葬施設 竪穴式石室
出土品 鏡片・埴輪棺・鉄剣等
築造時期 4世紀中頃
被葬者 不明(一説に初代科野国造の武五百建命)
史跡 国の史跡「森将軍塚古墳」(「埴科古墳群」に包含)
特記事項 長野県第1位の規模
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★乙訓古墳群/京都府向日市ホームページ
https://www.city.muko.kyoto.jp/rekimachi/rekishi_bunkazai/bunkazai/bunkazai/kuni/otokunikofungun/index.html
国指定等文化財
国登録有形文化財; 乙訓古墳群; 物集女車塚古墳.
向日市役所.
本館 〒617‐8665 京都府向日市寺戸町中野20番地. 東向日別館
〒617-8772 京都府向日市寺戸町小佃5番地の1. 電話番号 075‐931‐1111(代表)
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★車塚古墳 - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/車塚古墳
車塚古墳(くるまづかこふん)は、日本の古墳の名称。各地に同名の古墳があるため地名を頭につけて呼称する。前方後円墳を貴人が乗る車に見立てたことが語源とされる。
壬生車塚古墳(栃木県下都賀郡壬生町) - 国の史跡。
保子里車塚古墳(保子里1号墳)(三重県鈴鹿市国府町)
物集女車塚古墳(京都府向日市物集女) - 京都府指定史跡。
久津川車塚古墳(京都府城陽市平川) - 国の史跡。
千歳車塚古墳(京都府亀岡市千歳町) - 国の史跡。
大住車塚古墳(京都府京田辺市大住) - 国の史跡。
禁野車塚古墳(大阪府枚方市宮之阪) - 国の史跡。
牧野車塚古墳(大阪府枚方市小倉東町) - 国の史跡。
富木車塚古墳(大阪府高石市西取石) - 非現存。
雲部車塚古墳(兵庫県丹波篠山市東本荘) - 陵墓参考地。
備前車塚古墳(岡山県岡山市中区四御神・湯迫)
周防車塚古墳(山口県防府市車塚町)- 防府市指定史跡。古墳時代後期(6世紀初頭)の前方後円墳
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★鳥浜貝塚 - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/鳥浜貝塚
鳥浜貝塚(とりはまかいづか)は、福井県三方上中郡若狭町に所在する縄文時代草創期から前期にかけて(今から約12,000〜5,000年前)の集落遺跡。保存良好な木製遺物等1376点が国の重要文化財に指定されている。
若狭町の若狭三方縄文博物館に遺物が展示されている。
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★中部高地における縄文時代の栽培植物と二次植生の利用
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jaqua/54/5/54_285/_article/-char/ja
2015/12/19 松本 豪(1994)
鳥浜貝塚,桑飼下遺跡出土のマメ類について.
筑波大学先史学・考古学研究調査報告,
2015 年 54 巻 5 号 p. 285-298
DOI https://doi.org/10.4116/jaqua.54.285
詳細
発行日: 2015/10/01
受付日: 2015/02/20
J-STAGE公開日: 2015/12/19
受理日: 2015/06/30
抄録
植物考古学の進展の中で,縄文時代における栽培植物の存在が具体的に議論されるようになってきた.本稿では,レプリカ法による植物種子圧痕の分析結果を踏まえて,当該期の中部高地において,シソ属,ダイズ属,ササゲ属アズキ亜属などの栽培植物が組合せとなって利用されていることを示した.また,縄文時代におけるこれら草本植物の利用および栽培や,クリなどの木本植物の管理や栽培と見られる現象が,集落周辺の二次植生における植生変遷と資源管理の過程で発生し,栽培植物の利用が進展した可能性を指摘した.
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★サクラ(桜)|日本大百科全書(ニッポニカ)|小学館
https://japanknowledge.com/introduction/keyword.html?i=20
▲文化史
日本人とサクラのかかわりを示すもっとも古い記録は、福井県鳥浜貝塚遺跡の縄文時代前期の地層から出土した弓である。弓筈(ゆみはず)(弭(ゆはず)。弓の両端の弦(つる)をかけるところ)の部分をサクラの樹皮で丹念に巻いて補強し、赤い漆を塗ったものが3例発見されている。サクラの樹皮を使った細工物は現代も続いているが、その中心地は秋田県角館(かくのだて)町で、ここの樺(かば)細工は200年ほど前の天明(てんめい)年間(1781~89)に、佐竹家の藤村彦六(ひころく)が武士の手内職として広めたことに始まるという。なお、ヤマザクラの樹皮を茶筒や文箱などに貼(は)り付けたこの細工は、1975年(昭和50)に伝統的工芸品に指定されている。
サクラが実用面で利用されたものに、さらに農事暦がある。各地に残る「種播桜」「苗代桜」などの名称からうかがえるが、これは古代人の桜観にもつながり、国文学者折口信夫(おりくちしのぶ)は、『万葉集』の藤原広嗣(ひろつぐ)の歌「此(この)花の一弁(ひとよ)の中(うち)に百種(ももくさ)の言(こと)ぞ籠(こも)れるおほろかにすな」の背景には、サクラの開花を1年の生産の前触れとして重んじる習慣があったのではないかと推測した(『古代研究』)。また、サクラの花占いは『古事記』にも片影をみせる。木花開耶姫命の「木花」はサクラをさすという見方が一般的であるが、その姫は身ごもった子が天孫瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)の子であるかどうかを、自ら産屋に火を放って焼き占う。シカの骨や亀甲(きっこう)を焼いて吉凶を占うことは古くから行われていたが、その際に使った薪(まき)がウワミズザクラであったことは、『古事記』その他に記録されている。木花開耶姫命がサクラの象徴とすれば、サクラが吉凶の占いにかかわっていたことの裏づけとなろう。
こうした予祝とは別に、花を観賞の対象とする習わしは万葉時代からみられる。『万葉集』にはサクラを詠んだ歌が42首載るが、そのうちの4首ははっきりと庭や宿のサクラを詠んでおり、当時すでに観賞用として栽培下にあったことが知れる。
最古の品種はナラノヤエザクラで、聖武(しょうむ)天皇が奈良の三笠(みかさ)山で発見して移植したと伝えられる。「古(いにしえ)の奈良の都の八重桜……」と伊勢大輔(いせのたいふ)に歌われたナラノヤエザクラが各地に広がったのは、接木(つぎき)技術の発達によっており、藤原定家の『明月記(めいげつき)』にその接木の話が載っている。鎌倉・室町時代にはフゲンゾウ(普賢象)、スミゾメ(墨染)、タイザンフクン(泰山府君)など、現在も伝わる品種が登場するが、爆発的に品種が増えるのは江戸中期で、文献には江戸時代を通じて400近い品種が名をとどめている。
[湯浅浩史]
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★『福井県史』通史編1 原始・古代
https://www.library-archives.pref.fukui.lg.jp/fukui/07/kenshi/T1/0a1-03-01-04-07.htm
第一章 原始時代の社会と文化
第一節 ふるさとのあけぼの
四 古福井人の生活
木の文化
縄文時代は、世界史のなかでみれば新石器時代であるので、石器時代といわれたこともあったが、鳥浜貝塚からみた縄文時代はむしろ「木器時代」とよぶ方が適当であると思われる。わが国の縄文文化は木との深いかかわりあいのなかで成立したと考えられる。
鳥浜貝塚からは、最大の木製品である丸木舟のほか、櫂・石斧柄・丸木弓・尖り棒・小型弓・容器類・杭・棒をはじめ各種板類と用途や名称不明の木製品などが出土している。これらの木製品の樹種についての調査では、大変に興味深い結果が出されている。丸木舟は水に強く加工しやすいスギ、櫂は弾力性に富みやはり水に強いケヤキやヤマグワ製である。丸木弓は堅いカシ、小型弓は弾力性に富むカヤ、板は素直で加工が容易なスギ、盆や鉢などの容器類は緻密なトチといったように明らかに樹種の選択がされている(嶋倉巳三郎の鑑定による)。
木の加工技術の面から出土した木製品を観察すると、鳥浜貝塚人らは木の柾目・板目の使い分けをはじめ木の特性を熟知していたことがわかるのである。加工する石器は通常の縄文遺跡と変わることはなく、磨製石斧・石匙・石錐などである。木の加工方法については、基本的な十段階の工程が考えられる。木を石斧で削る、切断する、打ち割る、剥ぎ削る、溝を掻く、磨く、すりへらす、折り割る、穿孔する、焦がすなどと多彩である。実際の資料でこれらの木加工の工程が判明した意義は大きい。木製品の仕上げは、骨角器のそれと同様に磨くということが一般的になされている。このことから、完成品・未完成品の区別は容易に判明する。たとえば、一九〇点近く出土した石斧柄のうち、九五パーセントが未完成品である。櫂などにも多くの未完成品があるので、このことはそんなに珍しいことではないと思われる。
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★特別公開「重要文化財 鳥浜貝塚の縄文漆器」 | 展示紹介 | 福井
https://wakahaku.pref.fukui.lg.jp/exhibition/detail/post-450.php
2018/05/17
期間限定公開「重文 鳥浜貝塚の櫛」において、縄文時代の漆器として有名な「赤色漆塗り櫛」を公開し、ご好評をいただきましたので、第2弾の特別公開として、重要文化財鳥浜貝塚出土品の漆塗り製品の逸品を紹介いたします。1期は口縁端部に小石を並べて装飾している総赤漆塗りの木製鉢、2期は木地に陽刻や透かし彫りを施し、赤色漆を塗り残して文様を表現している、筒形で三足を持つ容器、3期は赤色漆などで飾られた弓を取り上げ、これまでに分かっていることとあわせて紹介いたします。
本特別公開では会期を1期・2期・3期に分け、「重要文化財福井県鳥浜貝塚出土品」のうち、漆塗り製品5点・木製品4点・骨角器1点の計10点を公開する予定です。各期の主な展示品は以下の通りです。
1期:小石を象嵌した赤色漆塗り容器
2期:漆塗り筒形三足器
3期:赤色漆塗り飾り弓
日本列島においても、縄文時代前期の福井県若狭(わかさ)町鳥浜貝塚出土の赤色漆塗りの櫛(くし)と盆状容器などが1975年(昭和50)に発見され、その歴史の非常に古いことが立証された。
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★図説福井県史 古代1 変わる縄文時代像(1)
https://www.library-archives.pref.fukui.lg.jp/fukui/07/zusetsu/A01/A011.htm
この縄文時代像の変化の始まりとなったのは、縄文前期(約6500~5000年前)を主とした三方町の鳥浜貝塚の、1962年から86年の発掘調査でした。 ... 狩猟と採集や原始的な漁にたより、長期の定住はできず文化程度も低いといったそれまでの縄文時代像を、根底から見直していく大きな転換点に ... さらに、木製品や土器に塗られた赤や黒の漆の技術は、すでに同時期の中国のものよりすぐれています。
福井県鳥浜貝塚(前期)からは、サカキ、ツバキなどの柔軟な樹種でつくられた精巧な柄と ... 鹿角製の釘で接合するという例が知られている(鳥浜貝塚)。木器が貴重に扱われていた証拠でもある。
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★若狭町にある水月湖の年鎬と鳥浜貝塚遺跡は、知らないと損するレベルのスゴさだった!【嶺南ふしぎ発見】
https://fupo.jp/article/%E6%B0%B4%E6%9C%88%E6%B9%96%E3%81%AE%E5%B9%B4%E9%8E%AC%E3%81%A8%E9%B3%A5%E6%B5%9C%E8%B2%9D%E5%A1%9A%E9%81%BA%E8%B7%A1%E3%81%AF%E3%80%81%E7%9F%A5%E3%82%89%E3%81%AA%E3%81%84%E3%81%A8%E6%90%8D%E3%81%99/
2018/07/04
こんにちは、ふーぽ編集部です♪
福井県の嶺南地方には、太古の遺跡や伝説など知的好奇心をかきたてる歴史ミステリーがいっぱいなんです。
中でも、三方五湖がある若狭町では、水に守られたタイムカプセルともいえる不思議で貴重なモノを発見。
今回はその2つのタイムカプセル、水月湖の年縞と縄文時代の鳥浜貝塚遺跡についてお話を聞いてきました。
index目次
タイムカプセル① 地球の歴史を刻む、水月湖の年縞。
タイムカプセル② 縄文の民に宿る和の心
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★福井県鳥浜貝塚出土品 文化遺産オンライン
https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/169385
福井県
縄文
一括
小浜市遠敷2-104
重文指定年月日:20020626
国宝指定年月日:
登録年月日:
福井県
国宝・重要文化財(美術品)
本件は、鳥浜貝塚から出土した縄文時代の資料一括である。 本件を構成する遺物は、その出土層位から縄文時代草創期に属するもの(下層出土)と、縄文時代前期に属するもの(上層出土)に大別される。
★こふん 【古墳】
(1)日本で四世紀頃から七世紀頃まで行われた墳墓で石室・粘土槨などを築いて棺を副葬品とともに納め、土・礫などで覆って高塚を築いたもの。多くは当時の豪族などが被葬者。形の上から、前方後円墳・円墳・方墳・上円下方墳・前方後方墳などがある。
(2)古い墓。昔の人の墓。
「累々たる―のほとり/謡曲・藍染川」
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★孤憤
読み方:こふん
一人で憤ること。自分ひとりではどうしようもない世間の仕組みなどに、一人憤りを覚えるさま。孤憤の情。もとは『韓非子』に見られる語。
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★古墳 (こふん) 防府歴史用語辞典
土を高く盛り上げたお墓ですが、弥生時代に造られたものは含みません。主に前方後円墳[ぜんぽうこうえんふん]、円墳[えんぷん]、方墳[ほうふん]の3つがあります。
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★古墳(こふん) https://ja.wikipedia.org/wiki/古墳
一般に日本史上、3世紀後半から7世紀前半に築造された墳丘を持つ古い墓である。古代の東洋では位の高い者や権力者の墓として盛んに築造された。
日本史では、墳丘を持つ墓は墳丘墓と呼んでいるが、この内、3世紀後半から7世紀前半に築造されたものを特に「古墳」と呼んで区別している。
現代日本語の「古墳」は、国際的に通用する普通名詞として用いるか(※第2義)、日本の古墳のみを指す固有名詞に近い語として用いるかという(※第3義・最狭義)、未だ明確に定義されない異なる語義が並立しており、この点に断り無くどちらか一方の意味で用いられることにより、時として齟齬が生じる。なお、本項はこれ以降、特筆しない限りは日本の古墳について解説する。
現代日本語「古墳」に相当する現代英語は kofun が通例であるが、"ancient burial mound" など mound(意:塚、墳丘墓、ほか)に説明を付け加える形でのかなり曖昧な言い回しも多く、特に日本に限定する場合は "in Japan" を付け加えるなどする。
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★齟齬 https://ja.wiktionary.org/wiki/齟齬
名詞
齟 齬(そご)
物事がうまくかみ合わず、食い違ってうまく進まないこと。ゆきちがい。
簡単な実験でも何遍も繰返すうちには四囲の状況は種々に変化するから、結果に多少の異同や齟齬を来すのは常の事である。(寺田寅彦『物理学実験の教授について』)
語源
「齟」は、「咀」と同系で何度も歯をあわせること、「齬」は「互」などと同系で互いに入れ違うことであり、何度もかみ合わせてしっくりといかないことを意味する。転じて、物事が不整合であることを意味するようになった。
複合語
言行齟齬
翻訳
英語:disagreement;discrepancy
動詞
物事がうまくかみ合わず、食い違ってうまく進まない。ゆきちがう。
もし然らずしてこの二者の至り及ぶところの度を誤り、わずかに齟齬することあれば、たちまち不都合を生じて災いの原因となるべし。(福沢諭吉『学問のすゝめ』)
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★古墳とは|世界遺産 百舌鳥・古市古墳群(もず・ふるいちこふんぐん)
http://www.mozu-furuichi.jp/jp/learn/about.html
古墳の墳丘の周りの掘られた部分に水をためて濠(ほり)になっていることもあります。 また、墳丘の斜面には、石(葺石・ふきいし)が敷きつめられているものもあり、装飾や墳丘の崩れ ...
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★埴科古墳群 - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/埴科古墳群
森将軍塚古墳
長野県千曲市(旧更埴市)大字森字大穴山に所在する本古墳は、長野県で最大となる全長100メートルに及ぶ前方後円墳である。曲がった尾根上に築造されたことによって左右対称ではなく、後円部が楕円形に近い。墳丘は葺石で覆われ、三重の埴輪列のほか、墳頂には形象埴輪が配されていた。規模は以下の通り。
墳丘長:約100メートル
前方部
長さ:約40メートル
幅:約30メートル
高さ:約4メートル
後円部
直径:約45メートル
高さ:約4メートル
所属 埴科古墳群
所在地 長野県千曲市大字森字大穴山
位置 北緯36度31分52.86秒
東経138度08分14.02秒座標: 北緯36度31分52.86秒 東経138度08分14.02秒
形状 前方後円墳
規模 墳丘長約100m
埋葬施設 竪穴式石室
出土品 鏡片・埴輪棺・鉄剣等
築造時期 4世紀中頃
被葬者 不明(一説に初代科野国造の武五百建命)
史跡 国の史跡「森将軍塚古墳」(「埴科古墳群」に包含)
特記事項 長野県第1位の規模
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★乙訓古墳群/京都府向日市ホームページ
https://www.city.muko.kyoto.jp/rekimachi/rekishi_bunkazai/bunkazai/bunkazai/kuni/otokunikofungun/index.html
国指定等文化財
国登録有形文化財; 乙訓古墳群; 物集女車塚古墳.
向日市役所.
本館 〒617‐8665 京都府向日市寺戸町中野20番地. 東向日別館
〒617-8772 京都府向日市寺戸町小佃5番地の1. 電話番号 075‐931‐1111(代表)
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★車塚古墳 - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/車塚古墳
車塚古墳(くるまづかこふん)は、日本の古墳の名称。各地に同名の古墳があるため地名を頭につけて呼称する。前方後円墳を貴人が乗る車に見立てたことが語源とされる。
壬生車塚古墳(栃木県下都賀郡壬生町) - 国の史跡。
保子里車塚古墳(保子里1号墳)(三重県鈴鹿市国府町)
物集女車塚古墳(京都府向日市物集女) - 京都府指定史跡。
久津川車塚古墳(京都府城陽市平川) - 国の史跡。
千歳車塚古墳(京都府亀岡市千歳町) - 国の史跡。
大住車塚古墳(京都府京田辺市大住) - 国の史跡。
禁野車塚古墳(大阪府枚方市宮之阪) - 国の史跡。
牧野車塚古墳(大阪府枚方市小倉東町) - 国の史跡。
富木車塚古墳(大阪府高石市西取石) - 非現存。
雲部車塚古墳(兵庫県丹波篠山市東本荘) - 陵墓参考地。
備前車塚古墳(岡山県岡山市中区四御神・湯迫)
周防車塚古墳(山口県防府市車塚町)- 防府市指定史跡。古墳時代後期(6世紀初頭)の前方後円墳
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★鳥浜貝塚 - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/鳥浜貝塚
鳥浜貝塚(とりはまかいづか)は、福井県三方上中郡若狭町に所在する縄文時代草創期から前期にかけて(今から約12,000〜5,000年前)の集落遺跡。保存良好な木製遺物等1376点が国の重要文化財に指定されている。
若狭町の若狭三方縄文博物館に遺物が展示されている。
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★中部高地における縄文時代の栽培植物と二次植生の利用
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jaqua/54/5/54_285/_article/-char/ja
2015/12/19 松本 豪(1994)
鳥浜貝塚,桑飼下遺跡出土のマメ類について.
筑波大学先史学・考古学研究調査報告,
2015 年 54 巻 5 号 p. 285-298
DOI https://doi.org/10.4116/jaqua.54.285
詳細
発行日: 2015/10/01
受付日: 2015/02/20
J-STAGE公開日: 2015/12/19
受理日: 2015/06/30
抄録
植物考古学の進展の中で,縄文時代における栽培植物の存在が具体的に議論されるようになってきた.本稿では,レプリカ法による植物種子圧痕の分析結果を踏まえて,当該期の中部高地において,シソ属,ダイズ属,ササゲ属アズキ亜属などの栽培植物が組合せとなって利用されていることを示した.また,縄文時代におけるこれら草本植物の利用および栽培や,クリなどの木本植物の管理や栽培と見られる現象が,集落周辺の二次植生における植生変遷と資源管理の過程で発生し,栽培植物の利用が進展した可能性を指摘した.
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★サクラ(桜)|日本大百科全書(ニッポニカ)|小学館
https://japanknowledge.com/introduction/keyword.html?i=20
▲文化史
日本人とサクラのかかわりを示すもっとも古い記録は、福井県鳥浜貝塚遺跡の縄文時代前期の地層から出土した弓である。弓筈(ゆみはず)(弭(ゆはず)。弓の両端の弦(つる)をかけるところ)の部分をサクラの樹皮で丹念に巻いて補強し、赤い漆を塗ったものが3例発見されている。サクラの樹皮を使った細工物は現代も続いているが、その中心地は秋田県角館(かくのだて)町で、ここの樺(かば)細工は200年ほど前の天明(てんめい)年間(1781~89)に、佐竹家の藤村彦六(ひころく)が武士の手内職として広めたことに始まるという。なお、ヤマザクラの樹皮を茶筒や文箱などに貼(は)り付けたこの細工は、1975年(昭和50)に伝統的工芸品に指定されている。
サクラが実用面で利用されたものに、さらに農事暦がある。各地に残る「種播桜」「苗代桜」などの名称からうかがえるが、これは古代人の桜観にもつながり、国文学者折口信夫(おりくちしのぶ)は、『万葉集』の藤原広嗣(ひろつぐ)の歌「此(この)花の一弁(ひとよ)の中(うち)に百種(ももくさ)の言(こと)ぞ籠(こも)れるおほろかにすな」の背景には、サクラの開花を1年の生産の前触れとして重んじる習慣があったのではないかと推測した(『古代研究』)。また、サクラの花占いは『古事記』にも片影をみせる。木花開耶姫命の「木花」はサクラをさすという見方が一般的であるが、その姫は身ごもった子が天孫瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)の子であるかどうかを、自ら産屋に火を放って焼き占う。シカの骨や亀甲(きっこう)を焼いて吉凶を占うことは古くから行われていたが、その際に使った薪(まき)がウワミズザクラであったことは、『古事記』その他に記録されている。木花開耶姫命がサクラの象徴とすれば、サクラが吉凶の占いにかかわっていたことの裏づけとなろう。
こうした予祝とは別に、花を観賞の対象とする習わしは万葉時代からみられる。『万葉集』にはサクラを詠んだ歌が42首載るが、そのうちの4首ははっきりと庭や宿のサクラを詠んでおり、当時すでに観賞用として栽培下にあったことが知れる。
最古の品種はナラノヤエザクラで、聖武(しょうむ)天皇が奈良の三笠(みかさ)山で発見して移植したと伝えられる。「古(いにしえ)の奈良の都の八重桜……」と伊勢大輔(いせのたいふ)に歌われたナラノヤエザクラが各地に広がったのは、接木(つぎき)技術の発達によっており、藤原定家の『明月記(めいげつき)』にその接木の話が載っている。鎌倉・室町時代にはフゲンゾウ(普賢象)、スミゾメ(墨染)、タイザンフクン(泰山府君)など、現在も伝わる品種が登場するが、爆発的に品種が増えるのは江戸中期で、文献には江戸時代を通じて400近い品種が名をとどめている。
[湯浅浩史]
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★『福井県史』通史編1 原始・古代
https://www.library-archives.pref.fukui.lg.jp/fukui/07/kenshi/T1/0a1-03-01-04-07.htm
第一章 原始時代の社会と文化
第一節 ふるさとのあけぼの
四 古福井人の生活
木の文化
縄文時代は、世界史のなかでみれば新石器時代であるので、石器時代といわれたこともあったが、鳥浜貝塚からみた縄文時代はむしろ「木器時代」とよぶ方が適当であると思われる。わが国の縄文文化は木との深いかかわりあいのなかで成立したと考えられる。
鳥浜貝塚からは、最大の木製品である丸木舟のほか、櫂・石斧柄・丸木弓・尖り棒・小型弓・容器類・杭・棒をはじめ各種板類と用途や名称不明の木製品などが出土している。これらの木製品の樹種についての調査では、大変に興味深い結果が出されている。丸木舟は水に強く加工しやすいスギ、櫂は弾力性に富みやはり水に強いケヤキやヤマグワ製である。丸木弓は堅いカシ、小型弓は弾力性に富むカヤ、板は素直で加工が容易なスギ、盆や鉢などの容器類は緻密なトチといったように明らかに樹種の選択がされている(嶋倉巳三郎の鑑定による)。
木の加工技術の面から出土した木製品を観察すると、鳥浜貝塚人らは木の柾目・板目の使い分けをはじめ木の特性を熟知していたことがわかるのである。加工する石器は通常の縄文遺跡と変わることはなく、磨製石斧・石匙・石錐などである。木の加工方法については、基本的な十段階の工程が考えられる。木を石斧で削る、切断する、打ち割る、剥ぎ削る、溝を掻く、磨く、すりへらす、折り割る、穿孔する、焦がすなどと多彩である。実際の資料でこれらの木加工の工程が判明した意義は大きい。木製品の仕上げは、骨角器のそれと同様に磨くということが一般的になされている。このことから、完成品・未完成品の区別は容易に判明する。たとえば、一九〇点近く出土した石斧柄のうち、九五パーセントが未完成品である。櫂などにも多くの未完成品があるので、このことはそんなに珍しいことではないと思われる。
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★特別公開「重要文化財 鳥浜貝塚の縄文漆器」 | 展示紹介 | 福井
https://wakahaku.pref.fukui.lg.jp/exhibition/detail/post-450.php
2018/05/17
期間限定公開「重文 鳥浜貝塚の櫛」において、縄文時代の漆器として有名な「赤色漆塗り櫛」を公開し、ご好評をいただきましたので、第2弾の特別公開として、重要文化財鳥浜貝塚出土品の漆塗り製品の逸品を紹介いたします。1期は口縁端部に小石を並べて装飾している総赤漆塗りの木製鉢、2期は木地に陽刻や透かし彫りを施し、赤色漆を塗り残して文様を表現している、筒形で三足を持つ容器、3期は赤色漆などで飾られた弓を取り上げ、これまでに分かっていることとあわせて紹介いたします。
本特別公開では会期を1期・2期・3期に分け、「重要文化財福井県鳥浜貝塚出土品」のうち、漆塗り製品5点・木製品4点・骨角器1点の計10点を公開する予定です。各期の主な展示品は以下の通りです。
1期:小石を象嵌した赤色漆塗り容器
2期:漆塗り筒形三足器
3期:赤色漆塗り飾り弓
日本列島においても、縄文時代前期の福井県若狭(わかさ)町鳥浜貝塚出土の赤色漆塗りの櫛(くし)と盆状容器などが1975年(昭和50)に発見され、その歴史の非常に古いことが立証された。
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★図説福井県史 古代1 変わる縄文時代像(1)
https://www.library-archives.pref.fukui.lg.jp/fukui/07/zusetsu/A01/A011.htm
この縄文時代像の変化の始まりとなったのは、縄文前期(約6500~5000年前)を主とした三方町の鳥浜貝塚の、1962年から86年の発掘調査でした。 ... 狩猟と採集や原始的な漁にたより、長期の定住はできず文化程度も低いといったそれまでの縄文時代像を、根底から見直していく大きな転換点に ... さらに、木製品や土器に塗られた赤や黒の漆の技術は、すでに同時期の中国のものよりすぐれています。
福井県鳥浜貝塚(前期)からは、サカキ、ツバキなどの柔軟な樹種でつくられた精巧な柄と ... 鹿角製の釘で接合するという例が知られている(鳥浜貝塚)。木器が貴重に扱われていた証拠でもある。
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★若狭町にある水月湖の年鎬と鳥浜貝塚遺跡は、知らないと損するレベルのスゴさだった!【嶺南ふしぎ発見】
https://fupo.jp/article/%E6%B0%B4%E6%9C%88%E6%B9%96%E3%81%AE%E5%B9%B4%E9%8E%AC%E3%81%A8%E9%B3%A5%E6%B5%9C%E8%B2%9D%E5%A1%9A%E9%81%BA%E8%B7%A1%E3%81%AF%E3%80%81%E7%9F%A5%E3%82%89%E3%81%AA%E3%81%84%E3%81%A8%E6%90%8D%E3%81%99/
2018/07/04
こんにちは、ふーぽ編集部です♪
福井県の嶺南地方には、太古の遺跡や伝説など知的好奇心をかきたてる歴史ミステリーがいっぱいなんです。
中でも、三方五湖がある若狭町では、水に守られたタイムカプセルともいえる不思議で貴重なモノを発見。
今回はその2つのタイムカプセル、水月湖の年縞と縄文時代の鳥浜貝塚遺跡についてお話を聞いてきました。
index目次
タイムカプセル① 地球の歴史を刻む、水月湖の年縞。
タイムカプセル② 縄文の民に宿る和の心
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★福井県鳥浜貝塚出土品 文化遺産オンライン
https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/169385
福井県
縄文
一括
小浜市遠敷2-104
重文指定年月日:20020626
国宝指定年月日:
登録年月日:
福井県
国宝・重要文化財(美術品)
本件は、鳥浜貝塚から出土した縄文時代の資料一括である。 本件を構成する遺物は、その出土層位から縄文時代草創期に属するもの(下層出土)と、縄文時代前期に属するもの(上層出土)に大別される。
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