●エゾリス【蝦夷栗鼠】●山子【ヤマコ】●樵(きこり、木樵)●たたら(鑪∥踏鞴)●折衷【セッチュウ】
★1.エゾリス【蝦夷栗鼠】
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%82%BE%E3%83%AA%E3%82%B9
エゾリス(蝦夷栗鼠、Sciurus vulgaris orientis )[学名:Sciurus vulgaris orientals] 哺乳(ほにゅう)綱齧歯(げっし)目リス科の動物。ユーラシアに広く分布するキタリスの亜種で、北海道の森林に分布する。体長22~27センチメートル、尾長15~20センチメートル。本州、四国、九州にすむニホンリスに比べて大きい。 ... 1940年代までは「木鼠」(キネズミ)という俗名で猟師や山子(やまご)の間で呼ばれていた。
★2.キタリス【北栗鼠】
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AD%E3%82%BF%E3%83%AA%E3%82%B9
キタリス(北栗鼠、Sciurus vulgaris)は、ネズミ目(齧歯目)リス科リス属に分類されるリスの一種。
体長22-23cm。尾長17-20cm。体重0.3-0.5kg。体毛には季節や亜種(地域)により変異がある。冬毛には外耳の先端には房状に体毛が伸長する。
新生児の体重は8-12g。生後10-13日で体毛が生え始め、生後3週間程で全身が完全に体毛で覆われる。生後1ヶ月程で眼が開く。門歯は下が生後22日程、上が生後35日程で生える。
★3.ニホンリス【日本栗鼠】
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8B%E3%83%9B%E3%83%B3%E3%83%AA%E3%82%B9
ニホンリス(Sciurus lis)は、齧歯目リス科リス属に分類される齧歯類。
平地から亜高山帯にかけての森林に生息し、低山地の松林を好む。樹上棲。昼行性。
10ヘクタールの行動圏内で生活し、行動圏はオス同士や異性間では重複するがメス同士では重複しない。
樹上に木の枝や樹皮などを組み合わせた球形の巣をつくる。
★4.リス【栗鼠】
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AA%E3%82%B9
リス(栗鼠)は、ネズミ目(齧歯目)リス科に属する動物の総称である。
リス科には、5亜科58属285種が含まれる。 樹上で暮らすリスのほか、地上で暮らすマーモット、プレーリードッグ、シマリス、イワリス、ジリス、滑空能力のあるモモンガ、ムササビもリスの仲間である。
★樵(きこり、木樵)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A8%B5
樵(きこり、木樵)
森林の樹木を斧などにより伐採すること、もしくはそれによって生計を立てている者を指す。
樵夫(しょうふ)や杣夫(そまふ)ともいう。
昔話などにもよく登場する職業である。
「木伐(こ)る」というラ行四段活用動詞(「木」と「伐(こ)る」との複合動詞)の連用形「木伐り」からの転成名詞と考えられる。
「伐る」は、「木を切る/伐採する」の意味。
★やま‐こ【山子】
1 《「やまご」とも》きこりなど山で働く人。
2 山中に住む妖怪。山の精気の凝ったもの、また、猿の年を経たものという。〈和名抄〉
★「やまご物語」
https://www.town.kamifurano.hokkaido.jp/hp/saguru/1015sagawa.htm
北海道の開拓は、先ず樹木を伐ることから始まった。しかも厳しい自然の雪と寒さに助けられる形で、「やまご」と呼ばれる人たちの手によって、進められたのであった。
現在では年間を通じて機械力を利用し、作業も能率的に行われているが、私の若い頃開拓に従事しながら冬期間の「やまご」として働いた時のことを、思い出しながら述べてみたい。
「やまご」とは
本州では「木樵(きこり)」又は「杣夫(そまふ)」と言うが、北海道では「やまご」(山子)と言って、山に入って木を伐ることを業とする人を言う。
やまごも渡世人と言って、冬夏通して山を廻って歩く専門の人と、私共のような百姓の出稼ぎの者もいた。
渡世人は、犬皮のチョッキに、絹コールまたは、ラシャのズボンといういで立ちであったが、私共はよくて雲斉(うんさい)と言う木綿のズボンに、股下から紐で長い軍隊払下げの赤ラシャの脚絆(きゃはん)を着ける。
履物はつまご「ツマゴ」(爪籠)、これは暖かく雪にぬかり難いので沢山作って持って行った。
角材を削る時は「金カンジキ」と言って三木爪の滑り止め金具をつける。
軍手もあったが、指先のない自家製の手甲をはいた。
指を差し込むところは糸で丸く輸にしてあって、指先が自由で作業し易く手も疲れにくい、しかも母親やオッカア(妻)の心尽くしだから、実に暖かく冷たさ知らずである。
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★山子学【サンシガク】デジタル大辞泉
江戸時代の日本儒学の一派。片山兼山が始めた折衷学のこと。
★折衷【セッチュウ】デジタル大辞泉
[名](スル)いくつかの異なった考え方のよいところをとり合わせて、一つにまとめ上げること。「両者の意見を―する」「和洋―」「―案」
★山子(鑢)世界大百科事典内の山子(鑢)の言及.
【たたら(鑪∥踏鞴)】より
それがしだいに高殿と記される炉をもった作業施設がつくられ,定着するようになった。たたらを中心とする山内(さんない)にはたたら師,鍛冶師,炭焼きなどが住み,経営者との間に親方子方関係を結び山子(やまこ)として働いた。たたら師は鉱山関係者のなかでもとくに信仰や伝承が多く,かつ古いものが残されている。
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★《山子垂統》世界大百科事典内の《山子垂統》の言及.
【折衷学派】より
古学派全盛のあとを受けて,18世紀の後半,当時高名の儒者10人のうち8,9人は折衷学といわれるほど流行し,儒学界の主潮流を占めた。その代表的な学説は,折衷学の提唱者である井上金峨(きんが)の《経義折衷》(1764),片山兼山の《山子垂統》(1775)などにうかがえる。共通点は,朱子学や陽明学などの既成の学説のいずれにも拘束されず,漢・唐の注疏学から宋・明の理学まで先行諸学説を取捨選択して〈穏当〉をはかるという学問方法にあった。
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★やま‐こ【山子】 goo辞書
1 《「やまご」とも》きこりなど山で働く人。
2 山中に住む妖怪。山の精気の凝ったもの、また、猿の年を経たものという。〈和名抄〉
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★山子のタンポ
http://www.tanpo.or.jp/his_infre2.html
用野目にお住まいの田中さんは、長年、営林署の作業員のチーフをお やりになった方です。民間でいえば「山頭:やまがしら」にあたる方です。
いつがお会いした時 「田中さん、山子のタンポ串、持ってながんすか」と聞きましたら 「持ってはいねぇが、こしゃでやる」と言われ、間もなく 「少し短いが、まぁ、こんたらもんだべ」と、杉の棒を削って何本か持ってきて下さいました。 普通のタンポ串の長さが1尺3寸(約40cm)なのに、山子のタンポ串は優に2尺5寸(約75cm)はあるのが普通なのだそうです。
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★たたら(鑪∥踏鞴)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%9F%E3%81%9F%E3%82%89%E8%A3%BD%E9%89%84
http://www.hitachi-metals.co.jp/tatara/index.htm
http://www.hitachi-metals.co.jp/tatara/nnp01.htm
たたら製鉄(たたらせいてつ、英:Tatara)とは、日本において古代から近世にかけて発展した製鉄法で、炉に空気を送り込むのに使われる鞴(ふいご)が「たたら」と呼ばれていたために付けられた名称。
砂鉄や鉄鉱石を粘土製の炉で木炭を用いて比較的低温で還元し、純度の高い鉄を生産できることを特徴とする[。
近代の初期まで日本の国内鉄生産のほぼすべてを担った。
この記事では基本的に、初出時を除いて「鉧」を「ケラ」、「銑」を「ズク」、「鞴」を「フイゴ」、「鉄滓」を「ノロ」とそれぞれ表記する。
名称について
「たたら」という用語は古くより「鑪」や「踏鞴」、「多々良」などと表記されてきたが、それらは製鉄のさいに火力を強めるために使う鞴(ふいご)を指し、既に「古事記」や「日本書紀」にその使用例がある。
また、近世以降に屋内で操業されるようになると、たたら炉のある建物を意味する「高殿」という表記も使われるようになった。
このような経緯から、「たたら」という言葉は製鉄法の他にフイゴや製鉄炉、それらを収めた家屋をも指す広い意味で用いられたが、20世紀に入った頃より、特に製鉄法を指して「タタラ製鐵法」、「たゝら吹製鐵法」といった用語が使われ始めた。
また、たたらで製鉄をおこなう工程のことを「たたら吹き」と言い、現在では「たたら製鉄」と同じ意味で使われる場合がある。
一方で「たたら」という呼称そのものの語源については不明であり、確実なことはわかっていない。
一説によれば、サンスクリット語で熱を意味する「タータラ」に由来すると言い、他にもタタール族を介して日本にもたらされたためとする説がある。
大和言葉に語源を求める説もあり、「叩き有り」からの転化、簡略化であり「踏み轟かす」の意、とする文献が存在する。
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★たたら師
https://kotobank.jp/word/%E3%81%9F%E3%81%9F%E3%82%89%E5%B8%AB-93414
https://www.e-aidem.com/ch/jimocoro/entry/negishi06
たたら(踏鞴・高殿)炉で砂鉄の精錬作業をする職人。
古代・中世には、特殊の職能集団として移動・漂泊していた。
近世に入り1770年代から、それまでの露天の野(の)だたらにかわって、屋内に構築されたたたら炉が砂鉄産地に普及していった。
これには鉄師(鉄山師)の管理下にたたら職人が置かれた。
鉄師のことをたたら親方ともいい、たたら職人には村下(むらげ)(職長)、炭坂(すみさか)(炭の吟味役・職長補佐)、炭焚(すみたき)、番子(ばんこ)(天秤吹子(てんびんふいご)を踏む者)などの職階があり、これらを俗にたたら師といったものであろう。
いつごろからの称呼かはわからない。
たたら炉構築の技術者とも考えられるが、はっきりしていない。[遠藤元男]
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★砂鉄(さてつ)
http://www.wakou-museum.gr.jp/spot7/
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A0%82%E9%89%84
たたら製鉄において、中国山地の恵まれた立地条件の第一は砂鉄です。しかし、国内最古の製鉄遺跡とされる岡山県総社市の千引カナクロ谷遺跡をはじめ初期の製鉄炉は鉄鉱石を原料とするものでした。
古墳時代~奈良時代にかけて、鉄鉱石を用いた製鉄遺跡は中国山地の山陽側、近畿地方・滋賀県で発見されていますが、平安時代以降では、全国的に砂鉄原料に代わっています。
砂鉄は地下のマグマが冷却して形成した火成岩中に含まれるチタン磁鉄鉱やフェロチタン鉄鉱が風化作用により母岩から分離したものです。このうち、フェロチタン鉄鉱はヘマタイト(Fe2O3)とイルメナイト(FeTiO3)からなり、チタン分(TiO2)が20~30%と多く含まれ、還元には高温を必要とし、また還元しても鉄の歩留まりが低かったりするため製鉄原料としては不向きです。
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★商神(あきないがみ)
https://kotobank.jp/word/%E5%95%86%E7%A5%9E-1498875
商売守護の神の総称。
商業都市が形成されて、生活基盤を得るようになった商人によって支えられた信仰。
その方法は、講を組織したり、屋敷内に祠(ほこら)を設けたりいろいろである。
京都市伏見(ふしみ)の稲荷(いなり)神や兵庫県西宮のえびす神、島根県出雲(いずも)の大黒神などが多くの信仰を集めた。
えびす神は元来漁業の守護神であったものが、七福神の一つとして商業守護神となっていったものである。
同業によるえびす講の結成は中世末期から現れているが、江戸中期以降、京坂の誓文払い、江戸の戎(えびす)講は呉服商を中心に、大売り出しを行うようになった。
10月20日の講に対して、1月10日あるいは20日を十日えびす、初えびすという。
商神を広く職業の神とみなせば、
酒造業者には京都市の松尾(まつのお)大社、
奈良県の大神(おおみわ)神社が、
漁業従事者には香川県の金刀比羅(ことひら)宮、
宮城の塩竈(しおがま)神社、
大阪市の住吉(すみよし)神社が祀(まつ)られており、
中国地方の鍛冶(かじ)屋やたたら師は金屋子(かなやご)神に厚い信仰を寄せている。
また、
炭焼きや木こりの山神講、
大工や桶(おけ)屋の太子講、
馬方の観音講、牛方の大日講など、
職業仲間によって営まれる講もあった。[佐々木勝]
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★江戸の科学 - 科学受容の事例的考察 - ・近世科学書データベース構想
http://www.zinbun.kyoto-u.ac.jp/~takeda/edo_min/edo_bunka/kousou.html
... 図面を引き、鍛冶場を整理して新しく道具をつくり、島内各所のたたら製の鉄を用意してから銃身をつくるのだが、刀剣と勝手が違う。父の困惑と憔悴(しょうすい)ぶりに、まだ16歳の若狭は製法の一端を入手すべく ...
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★風祭(かざまつり)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A2%A8%E7%A5%AD
https://kotobank.jp/word/%E9%A2%A8%E7%A5%AD-44140
主として二百十日,二百二十日や八朔 (はっさく) などの台風の時期に,作物を風害から避けようとする祈願行事。
風籠り,風日待などといって,神社やお堂にお籠りする形が最も一般的で,各戸から1人ずつ出て飲食しながら祈願したり,念仏を称えたり,100万遍の数珠繰りをする。
関東から東北にかけては,風穴ふたぎといって団子をつくって家々の神棚に供える。
風祭のためと称して獅子舞をするところもあり,長野県をはじめ諏訪信仰の広がる地方では,風を切るまじないである風切り鎌を棟や軒につけたりする。
富山県には吹かぬ堂という風神堂が十数ヵ所あり,そこで大風が吹かないように祈る。
奈良県竜田神社の風の神祭は古くから有名であるが,
伊勢の風の宮,
長野県諏訪神社の薙鎌を立てての風祭,熊本県阿蘇神社の風鎮祭なども知られている。
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★鍛冶屋(かじや)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%8D%9B%E5%86%B6%E5%B1%8B
https://kotobank.jp/word/%E9%8D%9B%E5%86%B6%E5%B1%8B-44364
打物(うちもの)つまり金属鍛造の職人のこと。鍛冶ともいう。居職(いじょく)である。
番匠(ばんしょう)(大工)と並んで、その専業化の早い職種の一例である。
技術史的には古代前期の5世紀末の鍛冶部(かぬちべ)や鍛冶戸(かじべ)の系統を受け継ぐものであるし、社会史的にはそうした工人身分から解放されたものもあったであろうが、鍛冶製品の需要の増大によって、農民層から分化したものが主流であった。
12世紀の古代末期には職人として成長していた。しかも、そのなかで、処理・加工する金属の種類による分化や生産品の種類による分化もみられる。
銀加工の銀(しろがね)鍛冶・銀(ぎん)細工、銅加工の銅細工、鉄加工の鍛冶というように、鍛冶はおもに鉄加工の技術者のこととなってきた。
そうした鍛冶のうち、まず12世紀に刀を生産する刀鍛冶、中世後期の15世紀に農具生産の農具鍛冶、近世の17世紀に鉄炮(てっぽう)生産の鉄炮鍛冶と庖丁(ほうちょう)生産の庖丁鍛冶が分化してきた。
一般の鍛冶屋は、刀と鉄炮は別にして、農具・工具や庖丁・鋏(はさみ)などの刃物を需要に応じて生産していた。
やがて、そうした金物の特産地として、庖丁の堺(さかい)(大阪府)、工具の三木(兵庫県)、鎌(かま)の武生(たけふ)(福井県越前市)、鎌・庖丁の三条(新潟県)などができてきた。
製鉄原料の砂鉄は野たたらによって精錬されていた。
近世中期の18世紀になってたたら炉による精錬が始まり、鉄製の農工具や生活用具の生産に発展の基礎をつくり、また、鍛冶屋の生産と経営も安定し、特産地を成立させる条件ともなった。
一般の鍛冶屋の道具は、鉄製の金槌(かなづち)、金床(かなとこ)(金敷)、金箸(かねばし)(やっとこ)と箱ふいごである。
加熱した固体の金属材料(おもに鉄)を金床の上にのせて金箸でつかみながら金槌で打って形をつくる。
金槌は向き合った1人か2人で交互に打つこともある。
それは徒弟か手伝いで相槌(あいづち)といい、親方が小さい金槌で軽く打つのに対して、大きい金槌で強く打つ。燃料は木炭である。
中世・近世を通じて、鍛冶屋の大部分は一般の顧客を相手に、都市や村落で仕事を続けていたが、近代になると、多くの者は鍛冶工として鉄工場の賃金労働者へと転化して自主性を失い、あるいは関連生産部門に転業していった。
また、ある程度の機械を設備することによって、大工場の下請けとして仕事を続ける者もあった。
一方に、これまでの道具や設備で特定の顧客を対象に職人としての仕事をしている者も都市や村落にいるものの、その社会的・経済的役割は非常に軽いものになっている。
鍛冶屋の職祖神または祖神は、一般的には金屋集団の金屋子神(かなやごがみ)(金山神)である。
採鉱と冶金(やきん)が未分化で、各地を遍歴していた時代からのものであろうと考えられる。
それとは別に、古代では、天目一箇神(あめのまひとつのかみ)や八幡(はちまん)信仰に結び付く鍛冶翁(かじのおきな)、中世では稲荷(いなり)信仰に結び付く稲荷明神が、いずれも祖神あるいは守護神として祀(まつ)られた。
これは技術の伝来経路によったものであろう。
近世になって、都市に定住するようになると、個別に金属加工職人の内祭(うちまつり)として、稲荷神社の火焼きの日の11月8日に鞴祭(ふいごまつり)が行われるようになったが、今日ではみられない。
いまでは職人ではなくて金物問屋などの商人が、金山神を祭る鞴祭を行っている。[遠藤元男]
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★金屋子神(かなやごがみ)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%91%E5%B1%8B%E5%AD%90%E7%A5%9E
http://www.hitachi-metals.co.jp/tatara/nnp020607.htm
https://kotobank.jp/word/%E9%87%91%E5%B1%8B%E5%AD%90%E7%A5%9E-465190
金屋子神(かなやごかみ、かなやこかみ、等)
鍛冶(かじ)職、鋳物(いもの)師、冶金(やきん)業者、炭焼きなどが祀(まつ)る神。
中国山地を中心に鍛冶(かじ)や鋳物師(いもじ)などの間でまつられる。この地方におおい,たたら(大型ふいご)の守り神とされ,島根県能義郡(のぎぐん)広瀬町の金屋子神社をはじめ各地の神社でまつられている。この神は,血のけがれを忌(い)むが,死のけがれは忌まないという。
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★巨人伝説(きょじんでんせつ)
http://tocana.jp/2016/12/post_11712_entry.html
http://karapaia.com/archives/52219665.html
滑稽(こっけい)味を備えた異常なほどの巨漢にかかわる伝説。... また、タタラと関連させて鍛冶(かじ)屋の伝播(でんぱ)とする説もある。 東京都世田谷区代田(だいた)の地名はダイタラボッチの伝説に由来する。
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★ダイタラボッチ(だいたらぼっち)
https://kotobank.jp/word/大人弥五郎-1061385
大人弥五郎
主として九州南部で語られている巨人伝説の主人公。全国的には,ダイダラボッチと称する巨人が,各地に山や塚,湖や沼を作ったという伝説は多い。鹿児島県大隅町の岩川八幡神社の祭りには,大人弥五郎の人形が登場することが知られている。弥五郎人形は,ヤマトタケルに滅ぼされた隼人族の長であるという伝説がある。この事例は,八幡信仰と結びついたものだが,そのほかにも,悪い病気を追放する牛頭天王と結びつき,邪霊を払う弥五郎人形が,村境まで送られ,焼かれてしまう例もある。人形はしばしば悪しきものをとりこめて追放される形代として用いられており,巨人伝説の大人弥五郎は,強力の持ち主だったので,庶民にその力が期待されたのである。
◆ダイダラボッチ - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/ダイダラボッチ
ダイダラボッチは、日本の各地で伝承される巨人。類似の名称が数多く存在するが、以下では便宜的にダイダラボッチと呼称する。山や湖沼を作ったという伝承が多く、元々は国づくりの神に対する巨人信仰がダイダラボッチ伝承を生んだと考えられている(鬼や大男などの妖怪伝承が巨人伝承になったという説もある。) 。
名称
「でいだらぼっち」、
「だいらんぼう」、
「だいだらぼう」、
「でいらんぼう」、
「だいらぼう」、
「デエダラボッチ」、
「デイラボッチ」、
「デイラボッチャ」、
「デーラボッチャ」、
「デエラボッチ」、
「デーラボッチ」、
「タイタンボウ」、
「デエデエボウ」、
「デンデンボメ」、
「ダイトウボウシ」、
「レイラボッチ」、
「ダダ星」、
「おおきいぼちゃぼちゃ」。
等様々な呼び名がある。
大太法師(だいだらぼっち)、
大太郎坊(だいだらぼう)とも表記し、
九州では大人弥五郎(おおひとやごろう)と呼ばれる。
◆ダイダラボッチ-民間信仰 | 日本の神様辞典
https://yaoyoro.net/%e3%83%80%e3%82%a4%e3%83%80%e3%83%a9%e3%83%9c%e3%83%83%e3%83%81.html
・ダイダラボッチの別名
大太郎法師
デイダラボッチ
・ダイダラボッチの御神徳
山の神
ダイダラボッチの伝承地
・主に関東地方・中部地方
ダイダラボッチの継続
・不明
ダイダラボッチの鎮座
天宮神社(静岡県周智郡)
・
ダイダラボッチの解説
ダイダラボッチ
ダイダラボッチ ダイダラボッチ
関東地方や中部地方に広く伝わっている巨人伝説は、
すべてダイダラボッチによって起こされたものだと伝えられています。
国民的アニメーション作品にも登場したダイダラボッチとはいったいどのような巨人だったのでしょうか。
目次
1 名前の由来
2 ダイダラボッチと茨城県
3 ダイダラボッチと富士山
4 ダイダラボッチが由来となった地名
5 ダイダラボッチとアニメーション
6 まとめ
◆伝説のダイダラボッチは存在していた
https://00m.in/8wJSq
伝説のダイダラボッチは存在していたのです。撮影されたのは昭和12年夏です。
これしか書いてありません。写っている風景は茨城県の常陸太田市の山の中です。
ダイダラボッチは、地球内部にいるとされる伝説があります。
全裸で現れたと言うと地下の亜空間は、暖かいのでしょうか。
目次
1 伝説のダイダラボッチ
2 写真に残るダイダラボッチ
3 巨人伝説
4 地球内部存在説
5 日本のダイダラボッチ伝説
6 まとめ
7 紹介欄
◆ダイダラボッチの湯|天然温泉|浜名湖かんざんじ温泉 …
https://hanasakinoyu.jp/onsen/daidarabosch
ダイダラボッチは日本各地に様々な山や池をつくった伝説の巨人です。 その昔、日本一高い山を一晩でつくろうと思い立ったダイダラボッチは、近江の国(滋賀県)を掘って出た土を、駿河(静岡県)と甲斐(山梨県)の国境にせっせと運びました。
何回もモッコを担いで往復していたダイダラボッチは、さすがにお腹が空いて遠江の国(浜松)あたりで足がもつれてよろけてしまいました。その時、思わず左手をつき地面に大きな穴があきました。その穴に水が溜まってできたのが「浜名湖」だと言われています。
また、お腹を空かしたダイダラボッチが本坂峠(三ケ日町)に腰をおろしお弁当を食べ始めました。するとお弁当の中に小石が混じっていたので、ダイダラボッチはその小石を浜名湖に投げ込みました。そうしてできたのが浜名湖に浮かぶ唯一の島「礫島(つぶてじま)」だと言われています。
ちなみにその時つくった日本一高い山は「富士山」で、近江の国の土を掘り出した跡地が「琵琶湖」になりました。
だいだらぼっちのゆ
「健康」がテーマの多彩な温泉
男女ともに8種類のお風呂が充実
男女それぞれ8種類の変わり湯を楽しめます。
露天風呂のほか、高温遠赤サウナ、炭酸泉、バイブラ湯、座湯、寝湯、など
様々なお風呂で癒しのひとときを。
ダイダラボッチの湯(男湯)
◆デイダラボッチ (でいだらぼっち)とは【ピクシブ百科事典
https://dic.pixiv.net/a/デイダラボッチ
ダイダラボッチの別名。
またはジブリのアニメ映画『もののけ姫』に登場した神。
巨人 日本の伝説に登場する巨人で一般に「ダイダラボッチ」と呼ばれ、その別名の一つとされる。
またはジブリのアニメ映画『もののけ姫』に登場した神。
目次
1 巨人
2 もののけ姫
巨人
日本の伝説に登場する巨人で一般に「ダイダラボッチ」と呼ばれ、その別名の一つとされる。
もののけ姫
ジブリのアニメ映画『もののけ姫』に登場するシシ神の夜の姿。英語名ではナイトウォーカーと言い、オーロラのような肉体を持つ獣頭型の巨神。
月の満ち欠けと合わせて生と死を繰り返し、生命の与奪を司る古の神。
夜は巨人の姿で森を徘徊して命を採集しているという。
◆【鬼太郎の妖怪大図鑑】ダイダラボッチ - YouTube
2,955 回視聴
•2018/02/18
https://youtu.be/F2m8QapHNRU
【鬼太郎】の「妖怪大図鑑」DX
チャンネル登録者数 222人
◆【まとめ】茨城の巨人伝説(茨城県各地)
https://ibamemo.com/2017/01/18/okushihureai/
2019/06/10
ダイダラボッチはダイダラボウ、でいだらぼっちなどとも呼ばれる伝説の巨人のことです。奈良時代に編さんされた常陸国風土記ひたちのくにふどきにも載っている由緒正しき伝説なんですよ♪
ダイダラボッチに関することは茨城県の各地に山ほどあります。名前は色々なんですけどね。知るたびに「へー」となりますが、バラバラに知るよりも一気読みした方がわかりやすくて楽しいはず。
◆日本の巨人伝説は全国各地に伝承されていた?ダイダラ …
https://chikyu-corekara.com/archives/583.html
ここ日本でも民話や歴史書などにも巨人の存在していたという伝承の記録が残されており、ダイダラボッチの巨人の話は皆さんも一度は耳にしたことがあるのではないでしょうか?
ダイダラボッチとは?
ダイダラボッチは地域によって呼び方が違いますが、デエダラボウ、ダイダラボウなどと呼ばれたりしています。ダイダラボッチは主に
・山や川、湖などを作った
・人間の暮らしを支えた
・足あとや手型を残した
という伝説が全国各地にあるそうで、とても大きな巨体で、富士山から筑波山まで36歩で歩いたり、山に腰掛けたりするぐらいの巨人だったそうです。
そして世界各国にも多くの巨人伝説が存在していて、やはり同じように大きな岩を動かしたとか、人間の為に働いていたとか、多くの伝説が残されています。
◆巨人 (伝説の生物) - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/巨人_(伝説の生物)
巨人(きょじん、英 ジャイアント(giant)、ジャイガント(gigant))は、様々な神話や伝説、ファンタジーに登場する伝説の生物の一種で、長身・巨体の神や人間あるいは人型の生物、亜人間のことである。
英語のジャイアント・ジャイアンツは、ギリシア神話のギガス(ギガンテス)に由来する。
また、ティーターン(タイタン)など、神である場合は巨神と書く事もある。
◆世界の巨人伝説!巨人が実在した証拠10選 - 雑学ミステリー
https://zatsugaku-mystery.com/giant
日本のデイダラボッチ、ギリシア神話のギガス、へカトンケイル族、旧約聖書のゴリアテなど巨人の伝説は世界各地に存在しています。
地理的なつながりがないのに似たような存在が世界各地に見られるのは、古い神の信仰が残っているからだと言われます。