◆インパール作戦とパル判事
http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-1164.html
白骨街道というのは、ご存じのとおり、インパール作戦における退却路です。
インパール作戦で敗退した日本軍は、退却戦に入っても飢えに苦しみ、陸と空からイギリス軍の攻撃を受けながら、退路地を退いて行きました。
◆インパール作戦の悲劇 2017/11/22
https://youtu.be/5z9mEsz4Le0
川幅600メートルにも及ぶ大河と2000メートル級の山々が連なるインドとミャンマーの国境地帯。今から73年前、日本軍はこの国境地帯を越えインドにあったイギリス軍の拠点「インパール」の攻略を目指した。しかし、誰一人としてその地を踏むことが出来ず3万とも言われる将兵が命を落とした。歴史的敗北を喫した戦場で何があったのか。新資料と新証言でその全貌に迫る。
◆対英独立戦争『インパール作戦』https://youtu.be/Ex7IDJR45CY 2018/04/28
日印共同の独立戦争、インパール作戦。
◆インパール作戦とパル判事 ② コメント
コメント
なんと、悲しいことなのでしょうか、インド独立のために戦い死んでいった方々いて、戦後日本軍がアジアに侵略したと教えこむ奴がいる、我々は彼らに対し敬意を払い語り継がなければならないだろう。
2011/02/08(火) 07:26 | URL | 玄米
No title
34歳の主婦です。主人の祖父がインパール作戦弓兵団の帰還兵です。孫には戦争のことは語りたがらなかったようですが、壮絶だったと聞きました。目の前で一部隊が瞬時に消失したと語っていたようです。
私の祖父は満州より帰還、主人の祖父がビルマより帰還し、私達に命が繋がりました。すごい確率だと思います。日本に帰還出来なかった英霊の方々のことを考えると胸が痛みます。祖父母の強い精神性、道徳心を少しでも受け継げるように生きていきたいと思います。昔の日本人のことをねずきちさんのブログで拝読する度に、申し訳ない気持ちと憤りを感じます。しかし、私達は強い精神性を持った日本人のDNAを確実に持っています。教育によって呼び覚まされると信じてます。自分の子供たちに当たり前の日本人としての教育が出来る世の中にしたいです。
2011/02/08(火) 08:35 | URL | ゆかり
No title
大英帝国は、勝って負けてしまった帝国。あの戦争で、得た物など、ほとんど無い。戦後も、復興するまで、とても大変な思いをしています。(実は決して完全な復興などありえませんが。)この国の歴史教育もかなり歪です。義務教育では、ほとんど、しっかりとした歴史を教えていません。日本と違うのは、その歴史の無知の部分が、あろうが無かろうが、王国のそれぞれの国々の人々は、自分の生まれた国を愛して止まない。この自然な事が、今の日本人が出来ないわけが無いと思っています。
2011/02/08(火) 10:04
No title
>負けた戦いを、単に「負けたからアイツはバカだ」というのは簡単です。
そしてそういう歴史から肝心なことを学ばない人達が今や権力を握ってバカをやっています。当然といえば当然の帰結でしょうが。
>戦いでは「負け」たかもしれないが、みんなを守ったという点では「勝ち」です。
欧米にしろ中国にしろ、主要国の指導者がまだ戦中派世代だった頃までは、日本を本気で怒らせたら怖いという意識があったのではないかと著名な知識人が言っていたことがいました。クリントンなど戦後世代が台頭するとすっかり舐められてしまいましたが。
また、山本七平の『私の中の日本軍』だったと思いますが、フィリピンで敗戦をむかえ米軍の捕虜になった当初は意外に扱いが悪くなかったのが、直接戦った敵であった米兵らが帰国し新たに本国から派遣されてきた米兵に交代するにつれて、扱いというかむこうの態度が悪くなっていったというような話が出てきます。凄惨な現代戦での敵とはいえ真剣に戦いあった相手への何らかの共感というものは生まれうるということでしょうか。
2011/02/08(火) 11:04 | URL | 名無しさん
父祖達の神觀
われわれの傳へてきた神觀は、ヨーロッパ人の神觀を以て解しうるものではなかつた。我々が、無造作に所有してゐる驚くべき人間學、驚くべき哲學、そして驚くべき文學的テーマは、今も昔も、日本の民衆の〝くらし〟の中で、神と人とのけぢめを何ほどにも思つてゐないといふことである。だからキリストの驚くべき敎へ、富をいやしむといふ敎へは、我々の國に於ては日常のくらしの中にころがつてゐる實踐倫理のほんの一つの戸口である。キリスト敎のさかんな西洋、アメリカ的繁榮が將來人類の目標と考へられてゐる國々で、永劫に守られぬ驚くべきキリストの敎へだつた。しかし我々はキリストの敎へを知らず、〝人間〟としてこの國土に生まれてきたのである。西洋に於ては、この神の子の出現がなければ、人はつひに〝人間〟たり得なかつたであらう。神話に於ける人と神との距離についての考へ方が、その事情を明らかにしてゐる。しかも神話は過去に終焉したものでなくして、今のもの、今日に生きてゐるものである。かういふことも異敎徒の私がいふのではなく、内村先生がはぼ同じことを外國宣敎師に對して斷言されてゐるのである。
保田輿重郎「現代畸人伝」涙河の辯
2011/02/08(火) 12:37 | URL | 名無しさん
情報操作
■「交通インフラこそ国力の要石」(藤井聡 京都大学教授)
1960年代につくられた橋梁は老朽化している。日本の道路は多いという世論の認識との乖離。
95年から減り続ける公共事業の背景には、公共事業不要論の物語に沿って、日本の道路は多いという有利な統計数字が用いられている。不況の今こそ、公共事業への投資が大事である。
TPP(環太平洋連携協定)への推進をいう大手新聞。関税撤廃でさらにデフレが深刻化する。
デフレの今こそ、公共事業が必要である。2011年2月5日放送
http://www.mxtv.co.jp/nishibe/archive.php?show_date=20110205
80年代の米国の空港、橋、道路の状態を思い出しましょう。
■「オバマ一般教書演説の報道」に見る我が国のメディア環境 (藤井聡 京都大学教授)
http://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/entry-10791914854.html
2011/02/08(火) 12:45 | URL | 名無しさん
マスゴミ洗脳装置
『騙されやすい日本人』(宮脇らい介)の流儀に従えば、なぜこの時期、急に八百長事件が公表されたのか?と疑いたくもなる。
いま菅内閣は政治的劣勢・・・・・それと愛知県知事選挙、名古屋市長選挙での惨敗・・・・4月末統一地方選挙を前にして、大変な時期にある。
すると警察当局に影響のある勢力は?となれば、ご承知のとおり。官憲は、ときの政府には従順。何でも公表時期やタイミングには“意味”がある。
3S政策ですっかりオメデタクなった国民といい、政治権力に安易に踊らされる、どうしようもなくバカなマスコミ・・・・・・
なにしろ、火事と喧嘩は江戸の華・・・朝から晩まで大切な紙面を使って、八百長問題を報じる新聞とテレビのどんちゃん騒ぎ。
劣化日本のすがたを象徴します。国民とマスコミの目をあることからそらすには、八百長事件も、もってこいの材料です。
こういうとき、誰がいったい得をするのか?・・という視点で眺めてみると何かが視えるかも知れません。
■毎日変態新聞の高木某が書いた『インパ-ル作戦』本が
今も売られていることに問題がありそうです。
2011/02/08(火) 12:59 | URL | 亜 #-[ 編集]
★日本の伝統芸能が総悪役 プリキュア
テレビ朝日のプリキュアでは、お祭りでおなじみの獅子舞、おかめ、ひょっとこ、天狗など・・・ぜーんぶ悪役に! ↓
http://whisper-voice.tracisum.com/?eid=173
これ見た子供たちは、お祭りへ行くたびにプリキュアの悪役を思い出すわけですね!
さすがは筋金入り反日のテレビ朝日! とってもよくできてます。
さらに、プリキュア・ダンスは北朝鮮の幼児体操ソックリ!
プリキュア・パワーで母娘揃ってパッパラパー洗脳!
2011/02/08(火) 13:01 | URL | アイリス
No title
ねずきちさん、いつもありがとうございます。
昭和5年生まれの父(戦地へは行っていません)にねずきちさんのブログで勉強した事を話すと、「悪い事をしようとすればできたけれど、やっていない。」と言いました。
ただ大東亜戦争に負けたからか、あまり戦争のことは話しません。 よく母は、「勝てば官軍、負ければ賊軍」と言ってます。
おかげさまで、両親とは今までにない会話をすることができています。
ねずきちさんには本当に感謝しています。
2011/02/08(火) 13:03 | URL | 二児の母
日本では「日本の英雄」と呼ばれる人はいないですね。
インド人であるパル判事が何故東京裁判の場にいたのだろう?という疑問は自分の中に今までなんとなくありました。元々どういう立ち位置で東京裁判に呼ばれたんだろうか?と、なんとなくですが不思議に感じていました。それが今日納得できました。
また、日本ではインド「独立の父」としてガンジーは誰もが周知のところですが、「独立の闘士」チャンドラ・ボーズはあまり馴染みがないです。
これだけ、日本と関わりがあるにも拘わらず、日本人の多くの人の知るところではないのは何故なのか。
インドでは今でもチャンドラ・ボーズは広く国民の間で人気があるというのに、です。
これも結局は、イギリスからのインド独立のために日本軍と協力し「武力で戦う」というボースを全く日本では歴史上認めず、「非暴力」を徹底したガンジーだけを極端に持ち上げて「歴史」を教えられてきた結果だと思います。
ガンジーの「非暴力」による抵抗が、結果として「インドの独立」をもたらしたけれど、そこに至るまでには、チャンドラ・ボーズの「武力による戦い」があり、また、その戦いは日本軍の「戦い」があってこそだったことは、全く日本人の子供達には教えられない。
日本人に、「『武力』は兎にも角にも『悪』である」と刷り込ませるには、ガンジーは格好の「教材」だったのだと。
ずっと前、ねずきちさんが「ビルマの建国に学ぶ」という記事を書かれたとき、ミャンマーの今の軍事政権とアウン・サン・スー・チー女史について、マスコミの報道と西村眞悟氏の「慎吾の時事通信」に書かれていたことが余りにも違いすぎるので驚いた旨をコメントで書いたことがあります。
ミャンマーの国際的イメージは、『軍事政権の国、アウンサン・スー・チーを軟禁している人権抑圧の国』。でも・・・。↓
ミャンマーってどんな国 – ミャンマー ファミリー・クリニックと菜園の会
https://mfcg.or.jp/what-myanmar
1.人(ひと)
ミャンマーには大きくわけて8つの民族、少数民族を合わせると135の民族がいると言われています。
ミャンマーに国籍を持っている人をミャンマー人とは言いますが、ミャンマー族という部族はなく、各人が文化や伝統の異なる民族に属しています。
主要8民族とは、ビルマ族、モン族、シャン族、カチン族、カヤー族、カレン族、チン族、ラカイン族(順不同)を指し、独自の文字や話し言葉を持っている部族もあります。
それに加えて華僑や印僑、イスラム教徒も少なからず住んでいるため、信仰もそれぞれ異なっておりとても複雑です。
【ミャンマー教育推進プロジェクト同志会】
『慰霊から始まった教育支援』
http://www.shinseisobi.co.jp/myanmar-index.htm
↑マスコミが意図的に流す「一方的な方向」からだけではなく、違った方向から物事を見ることが如何に大事であるかを思い知らされた内容でした。
スー・チー女史の父、アウン・サンが日本を裏切った人物であることもスー・チー女史を持ち上げる力として働いているのか・・とさえ思ってしまいます。
何もかもが日本を咎めるために利用され、日本人は知らずに歪んだ教育や情報を浴びていると感じます。
先日、どこのテレビ局か忘れましたが、スポーツニュースで李選手を「一躍英雄となった李忠成選手」と冒頭紹介していました。本人が「ヒーロー」という言葉を使っていたからかも知れませんが、「英雄」という言葉には違和感を覚えました。
英語の「ヒーロー」は「英雄」と訳すけれど、正直、全く同義語であるとは思えませんし、日本人は殆ど「英雄」という言葉を使わない気がするからです。むしろ、「英雄気取り」などと揶揄することのほうが多いです。
日本人の感覚とはそういうものだと思います。「リーダー」は望むけれど、「英雄」は特に望まない。そして「和」を望む、だからこそ「日本」があるのだと思います。
2011/02/08(火) 16:02 | URL | 共通一次世代
マスゴミ - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/マスゴミ
マスゴミとは、マスメディアを中心としたマスコミを批判的に扱う際に用いられる蔑称(俗語・スラング)であり、インターネットスラングの一種である。
報道機関(特に大手のキー局・全国紙)を批判する際に使用される用語で、「マスコミ」と「ゴミ」を掛け合わせた言葉(かばん語)。
韓国では、同じ発想で作られた「キレギ」という言葉がある。キは記者(韓国語でキジャ)とゴミ(韓国語でスレギ)を合わせた単語である。
英語圏では、政治家や世論調査会社、報道機関が、自分たちの都合の良いように意図的に情報を流すことを「スピン」と呼ぶ。そして「スピン」の技法に長けた者を「スピンドクター」という蔑称で呼ぶ。
オバマ大統領の一般教書演説について、日本では
全文が伝えられていない。その要点を、2月5日に
「「抗議運動」は「民主政治」ではない」の中で書いた。
それではマスゴミは、何を隠そうとしているのか。
それが分かれば、マスゴミの意図が分かる。
ニュースを隠蔽・捏造・偽装して報道する反日売国テレ
ビ局・マスコミは公共電波を占有する許可を得て公正
な報道を行う責務がある。
テレビ局の独自の判断や意図的に事実を隠蔽した
偏向報道をして視聴者を騙す行為は許されない。
判断は視聴者に委ねるべきである
【マスコミ隠蔽の掲示板】最新版
http://www.aixin.jp/axbbs/kzsj/kzsj4.cgi
【マスコミ隠蔽のタイトル一覧】最新版はこちらをクリックして下さい。
2011/02/08(火) 16:38 | URL | aixin
三等国兵士
日本兵は、略奪しない。
白人兵は、敵からだけ、略奪する。
支那兵は、敵味方、関係無く略奪する。
2011/02/08(火) 16:45 | URL | ケッセルリング
北朝鮮で「危険な替え歌」流行か…体制や最高指導者を揶揄(高英 ...
https://news.yahoo.co.jp/byline/kohyoungki
2018/10/30
北朝鮮当局は今月初め、国内外の音楽や映像作品70余りを「不純宣伝物」に指定し、視聴や上映、配布を禁止したとデイリーNKの内部情報筋が伝えてきた。発禁の理由として、歌い手や演奏する楽団に何らかの問題やスキャンダルが起きたという可能性もあるが、政治的な理由も否定できない。
北朝鮮「ガールズグループ」に異変(3)
北朝鮮当局による発禁措置について、収容所の警備兵出身で脱北者の安明哲(アン・ミョンチョル)氏は「事実のようだ」と語った。詳細な情報については不明だと前置きしたうえで「どうやら替え歌の内容が問題になったようだ」と述べる。
韓国の童謡「三匹のクマ」の歌詞を基に北朝鮮の
三代世襲を皮肉った替え歌が、北朝鮮で出回った。
【前航空幕僚長の国防問題の掲示板】第3巻
http://www.aixin.jp/axbbs/kzsj/kzsj10.cgi
【前航空幕僚長の国防問題タイトル一覧】はこちらをクリックして下さい。
2011/02/08(火) 17:58 | URL | 愛信
No title
作戦の名前と悲惨だったことは聞いた事ありましたけれど、こんなだったとは・・・・・
ガンジーの非暴力がどうして当時のイギリスに通用したかも、不思議でした。
もっともっと学ぶことはたくさんありそうです。
2011/02/08(火) 20:57 | URL | 楽仙堂
No title
ねずきち先生、いつも勉強になりありがとうございます。自分の祖父は元日本兵ですし親戚のおじさんは日中戦争に行き戦いました。ですから日本兵には小学校の頃から悪い印象は持っていませんでした。ちなみに沖縄の学校教育は酷い反日教育で子供達を洗脳しています。自分は日本軍オタクで沖縄を守った本土の兵隊さんには感謝しています。もし宜しければ陸軍のインハ゜ール作戦[宮崎繁三郎中将]と海軍のキスカ撤退作戦[木村昌福小将]を取り上げていただけないでしょうか?お願いします。
2011/02/08(火) 21:59 | URL | 本土の兵隊に感謝する沖縄人
No title
ねずきちさん、いつもありがとうございます。私の夫の父は元日本兵で終戦後満州から帰還しました。私の母の夫は支那とロシアの国境で戦死し、父と結婚して私が生まれました。なので私の命は戦死した方からも頂いていると思っています。又、夫の父が生きて戻ってくれたおかげで夫や子供達が命をいただきました。私達は決して忘れてはなりません。命をかけて守りぬいてくれた人たちのことを。
2011/02/08(火) 22:21 | URL | きなこ
インパール作戦は負けたのか?
20年8月18日まで戦い引き上げてラングーンで捕虜になったと聞いています、敗残兵ではありません、それは「小野田少尉」が帰還されたとき「あれは、生きた兵隊の目だ」といってました。
父はインパール作戦で日本兵は戦闘には勝ったが、病気と食料不足に悩まされた、兵隊は絶対に生水を飲むことは禁じられていましたが喉の渇きに負け生水を飲んでしまうとおなかを壊し次第に衰弱してしまう、食料はジャンクルの中は意外に食べるものはあるそうです、ただそれらを食べられるか食べられないかは兵士の生死を分けたそうです、猿に食べせてから安全を確かめ、父は生きる為に何でも食べたそうで、必ず火を通して、ジャングル線で生き延びた兵隊の原則だといってました、そしてこの戦争はアジアから白人の支配をなくす為の戦争だと兵士たちは理解して戦ったそうです、大東亜戦争が無ければ世界の植民地は未だに独立もできて居ないであろうと昭和40年ころ語ってました、終戦時、原隊に戻らずビルマ独立の為残った戦友がずいぶん居たそうです、ネットに書かれている「インパール作戦」無謀さで牟田口中将の作戦を一笑する人が居ますが、インパール作戦からの帰還兵は誇り高い兵士だったと思います、戦後の印象操作で敗残兵にすり替えられたか、語る事を「慎んだ」のでしょう。
大東亜戦争の正しい姿を伝えないと日本の心が全て曲がってしまうと思います。
2011/02/08(火) 23:38 | URL | ★★★★★
勉強になります
昨年末にインドツアーしたときの現地添乗員に「”チャンドラ・ボース”って知ってる?」って言ったら、「知ってるよ!」。
「まだ、彼は日本に居るんだよね?」って言ったら「うん」。
歴史をしっかり伝えること。”辛かった事、頑張ったことへの敬意と感謝”こそすれ、そこで生きた人達を今私達が貶めるような評価は絶対にしてはいけない。
MLで国立歴史民俗博物館(千葉県佐倉市)の展示について書き込んだが、ねずきちブログや西尾幹二さんなどの活動と、”平和、人権、差別、平等などを駆使して侮日、反日活動に邁進する連中とのイタチゴッコになっている。
そこにもうひとつ『民俗』に”歴史”を合体させ、利権と共に加わったツールを得てきた。”放置”は”痴呆”ですよ!
日本で全く語られないのは
「なぜ、日本は戦争をし続けなければならなかったのか?」。
「日本軍はどこでどの国と戦っていたのか?」
「当時、欧米諸国以外に国があったのはどことどこなのか?」
「当時、移動に何ヶ月もかかるという遠い国の人がどうして日本の周り(東南アジア、シナ、朝鮮)で活動していたのか?」
「植民地支配というのは自国の国税で鉄道をつくったり、学校をつくったりしたことだったのか?」
「なぜ同じ政策のはずなのに台湾や南方諸島の人達から感謝されてるのに、半島やシナからだけ非難されるのか?」
そんなこんなの質問をしましょうネ。
2011/02/09(水) 01:27 | URL | お達者クラブ
No title
誇り高き日本兵にただ感謝です。
2011/02/09(水) 07:07 | URL | イシコウ
大東亜戦争は植民地、奴隷解放戦争だ
インパール作戦の意味が良く分るエントリ内容です。
ガンジーの非暴力デモは、日本軍の崇高な戦争行為が為されたからこそ、成功したのですね。
インドを白人から解放し独立させるインパール作戦は、結果として勝利したと言えます。
2011/02/09(水) 08:44 | URL | 祖国復興
大東亜共栄圏のために
失礼します。最終的に「インパール作戦」を許可したのは、東條英機閣下です。大東亜会議を実のあるものとするために、日本の絶対国防圏が不安定になっている時期に、インド独立の為に、敢えて実行したのです。「チェロ・デリー!」は、今でもインドの人々に膾炙されています。
補給の問題に関しては、東條閣下は、作戦許可前にかなり厳しく質問をされたそうです。その点、牟田口将軍を手放しで讃える気にはなりません。
しかし、「インパール作戦」がイギリスをして心胆を寒からしめ、インド独立に繋がったことは、紛れも無い事実であり、イギリス、オランダがアジアから去っていったということは、「大東亜戦争は、本当は勝った」のです。
2011/02/09(水) 13:05 | URL | 歩三・安藤大尉
No title
祖父がシナ事変に従軍したことだけしかわかりません。
それも形見の記章をみて知りました。
祖父は戦後すぐなくなり故に父は一人っ子です。祖母も父が30のときには亡くなりました。父は戦争の事知らないんですよね。祖父と話したことないから。父は戦後の母子家庭で生きることで精一杯でだったようで祖父のことわからないのが悲しいです。母方は健在なのですが母が毛嫌いしており遠路もあって、まともな会話すらしたことがないです。悲しいです。さらに母方の祖母が亡くなった時に着物をたくさん形見わけしてもらったにも関わらず母はすぐに売り払ってしまいました。私に相談もなく。我が家では着物なんてそうそう購入できるものではありません。家族ばらばらですね。
世代間の断絶ここに極まれり。
2011/02/09(水) 13:24 | URL | k
No title
「インパール作戦」を詳しく説明してくださりありがとうございました。言葉一つ一つに意味があるのですね!!
>インパール作戦当時の英国のインドのトップは、英国王室の人物です。
その後最後のインド提督になったマウントバッテン卿ですね。
以下、夕映えのブログさんより
http://blog.livedoor.jp/yuubae1/archives/1405774.html
戦後、ネパール国王の戴冠式に臨まれた皇太子殿下(現、今上陛下)に対し、往時、ビルマ戦線で戦ったイギリス軍の最高指揮官マウントバッテン卿は「私が戦った日本軍は史上最強と思われ、かかる軍隊は今後、地球上に現れないでありましょう」と、いとも丁寧にお話しがあったと伝えられております。
パル判事が東京裁判に送り込まれた背景には裁判自体に批判的であったとされるマウントバッテン卿の意向もあったのかもしれません。
既にインド独立も視野に入れていたのでしょうか。。。
昭和天皇訪英の折レセプションは最後まで辞退したとか、IRA暫定派によるテロで亡くなりましたが葬儀に(遺言により)日本人の参列は拒否したとか、いろいろありますが日本軍を正当に評価していたとはいえるでしょう。
マウントバッテン卿の妻とネルーが親密な関係にあったというのも興味深いところです。
最後に、いつも感動の涙を浮かべて読んでいますが、今回のエントリーには悔し涙が溢れました。
日教組に騙され、愛国心の持てない人間になっていたのが悔しいです。
子どもの頃当然学ぶべきことを学べませんでしたが、これから日本の心を学んでいきます。
今後ともよろしくお願いします。
2011/02/09(水) 14:03 | URL | 春風
白骨街道に慟哭
戦争直後のひもじさ貧しい苦しみからも希望を持ってまっしぐら65年.
飽食の時代を当たり前のように生きてきた日本人。
『インド独立のために』と、純粋で高潔な志を持って堂々と立派に戦い果てた日本の英霊。
その英霊の遺骨は今でも雨が降ると地中からさらされ出されています。遠い異国で。
ミャンマーに住んでいる日本人の方のブログを先日読んでその実態を知り、悩んでいたところでした。
遺骨を出来るだけ召集してミャンマー日本大使館に届けてあるにも係わらず、日本には帰されずそのままの状態になっているようです。
一時も早く靖国に祭って安らかに永眠してほしい。
”私達に何かできることはないでしょうか”
”ミャンマーのつぼ”戦争関連(25件)
https://www.google.com/search?client=firefox-b-d&q=%E3%83%9F%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%83%9E%E3%83%BC%E3%81%AE%E3%81%A4%E3%81%BC
ミャンマーのつぼ
http://www.yangonow.com/jpn/blog/?p=25
http://www.yangonow.com/jpn/blog/index.php?c=-
2011/02/10(木) 03:43 | URL | ミノル
インパール作戦が大東亜戦争での失策のようなスタンスで語られる
のを目にする機会が多かったけれど、我が国がいまだ白人達の植民地にされた事がないのも当時家族や祖国を守って下さった先人の方々のまさに捨て身の行動があったからこそなんですね
命を差し出してまで護ろうとしていた今の日本を天国から見られていたら、恥ずかしいです
個人主義をはき違えたような自分勝手な生き方をする人、欲に目がくらんで日本人でありながら祖国を陥れる公人、偏向番組を垂れ流すテレビ局
ねずきちさんのブログは涙ながらに拝読させていただきました
これだけの文章力と構成力をお持ちの方でも相当な労力を持ってお書きになってらっしゃるでしょうにそれを無償でブログ提供なさっているとは
ねずきちさんの高い志が原動力となっていらっしゃるのでしょう
これからも訪問いたします
2011/02/10(木) 04:35 | URL | フー
本当は1943年に行うはずだったインパール作戦
1943年には、日本軍はインド進攻を予定しており、カルカッタをはじめとする英軍事拠点に連日空撃を実行、インド制空権を掌握していました。
しかし、実施に移されなかったのは、
南太平洋に米艦隊を引きずり出したい山本五十六長官の武士道に培われた負けじ魂(笑)に陸軍が折れ、航空戦力をあらかた引っこ抜かれたからです。
大東亜経済圏を確保、インドを落としてイギリス・中国を脱落させ、アメリカに不敗の態勢を構築しようとしたようとした帝国の戦略は、海軍の武門の意地によって叩き潰されましたとさw
2011/02/11(金) 20:50 | URL | MR2
負けると分かっていても
負けると分かっていても男なら戦わなきゃならないときもあります。奴隷志願者には一生かかってもわからないんでしょうね。
八紘一宇の信念の下に兵士ひとりひとりが欧米列強の植民地支配からアジアの国々の独立のために命をかけた作戦であることがよくわかります。
肉を切らせて骨を絶つとはこのことでしょうか。
日本は敗れましたが、アジアの国々は独立し、欧米列強の植民地支配は再起不能に陥りました。
2011/02/11(金) 23:12 | URL | 大東亜共栄圏
http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-1164.html
白骨街道というのは、ご存じのとおり、インパール作戦における退却路です。
インパール作戦で敗退した日本軍は、退却戦に入っても飢えに苦しみ、陸と空からイギリス軍の攻撃を受けながら、退路地を退いて行きました。
◆インパール作戦の悲劇 2017/11/22
https://youtu.be/5z9mEsz4Le0
川幅600メートルにも及ぶ大河と2000メートル級の山々が連なるインドとミャンマーの国境地帯。今から73年前、日本軍はこの国境地帯を越えインドにあったイギリス軍の拠点「インパール」の攻略を目指した。しかし、誰一人としてその地を踏むことが出来ず3万とも言われる将兵が命を落とした。歴史的敗北を喫した戦場で何があったのか。新資料と新証言でその全貌に迫る。
◆対英独立戦争『インパール作戦』https://youtu.be/Ex7IDJR45CY 2018/04/28
日印共同の独立戦争、インパール作戦。
◆インパール作戦とパル判事 ② コメント
コメント
なんと、悲しいことなのでしょうか、インド独立のために戦い死んでいった方々いて、戦後日本軍がアジアに侵略したと教えこむ奴がいる、我々は彼らに対し敬意を払い語り継がなければならないだろう。
2011/02/08(火) 07:26 | URL | 玄米
No title
34歳の主婦です。主人の祖父がインパール作戦弓兵団の帰還兵です。孫には戦争のことは語りたがらなかったようですが、壮絶だったと聞きました。目の前で一部隊が瞬時に消失したと語っていたようです。
私の祖父は満州より帰還、主人の祖父がビルマより帰還し、私達に命が繋がりました。すごい確率だと思います。日本に帰還出来なかった英霊の方々のことを考えると胸が痛みます。祖父母の強い精神性、道徳心を少しでも受け継げるように生きていきたいと思います。昔の日本人のことをねずきちさんのブログで拝読する度に、申し訳ない気持ちと憤りを感じます。しかし、私達は強い精神性を持った日本人のDNAを確実に持っています。教育によって呼び覚まされると信じてます。自分の子供たちに当たり前の日本人としての教育が出来る世の中にしたいです。
2011/02/08(火) 08:35 | URL | ゆかり
No title
大英帝国は、勝って負けてしまった帝国。あの戦争で、得た物など、ほとんど無い。戦後も、復興するまで、とても大変な思いをしています。(実は決して完全な復興などありえませんが。)この国の歴史教育もかなり歪です。義務教育では、ほとんど、しっかりとした歴史を教えていません。日本と違うのは、その歴史の無知の部分が、あろうが無かろうが、王国のそれぞれの国々の人々は、自分の生まれた国を愛して止まない。この自然な事が、今の日本人が出来ないわけが無いと思っています。
2011/02/08(火) 10:04
No title
>負けた戦いを、単に「負けたからアイツはバカだ」というのは簡単です。
そしてそういう歴史から肝心なことを学ばない人達が今や権力を握ってバカをやっています。当然といえば当然の帰結でしょうが。
>戦いでは「負け」たかもしれないが、みんなを守ったという点では「勝ち」です。
欧米にしろ中国にしろ、主要国の指導者がまだ戦中派世代だった頃までは、日本を本気で怒らせたら怖いという意識があったのではないかと著名な知識人が言っていたことがいました。クリントンなど戦後世代が台頭するとすっかり舐められてしまいましたが。
また、山本七平の『私の中の日本軍』だったと思いますが、フィリピンで敗戦をむかえ米軍の捕虜になった当初は意外に扱いが悪くなかったのが、直接戦った敵であった米兵らが帰国し新たに本国から派遣されてきた米兵に交代するにつれて、扱いというかむこうの態度が悪くなっていったというような話が出てきます。凄惨な現代戦での敵とはいえ真剣に戦いあった相手への何らかの共感というものは生まれうるということでしょうか。
2011/02/08(火) 11:04 | URL | 名無しさん
父祖達の神觀
われわれの傳へてきた神觀は、ヨーロッパ人の神觀を以て解しうるものではなかつた。我々が、無造作に所有してゐる驚くべき人間學、驚くべき哲學、そして驚くべき文學的テーマは、今も昔も、日本の民衆の〝くらし〟の中で、神と人とのけぢめを何ほどにも思つてゐないといふことである。だからキリストの驚くべき敎へ、富をいやしむといふ敎へは、我々の國に於ては日常のくらしの中にころがつてゐる實踐倫理のほんの一つの戸口である。キリスト敎のさかんな西洋、アメリカ的繁榮が將來人類の目標と考へられてゐる國々で、永劫に守られぬ驚くべきキリストの敎へだつた。しかし我々はキリストの敎へを知らず、〝人間〟としてこの國土に生まれてきたのである。西洋に於ては、この神の子の出現がなければ、人はつひに〝人間〟たり得なかつたであらう。神話に於ける人と神との距離についての考へ方が、その事情を明らかにしてゐる。しかも神話は過去に終焉したものでなくして、今のもの、今日に生きてゐるものである。かういふことも異敎徒の私がいふのではなく、内村先生がはぼ同じことを外國宣敎師に對して斷言されてゐるのである。
保田輿重郎「現代畸人伝」涙河の辯
2011/02/08(火) 12:37 | URL | 名無しさん
情報操作
■「交通インフラこそ国力の要石」(藤井聡 京都大学教授)
1960年代につくられた橋梁は老朽化している。日本の道路は多いという世論の認識との乖離。
95年から減り続ける公共事業の背景には、公共事業不要論の物語に沿って、日本の道路は多いという有利な統計数字が用いられている。不況の今こそ、公共事業への投資が大事である。
TPP(環太平洋連携協定)への推進をいう大手新聞。関税撤廃でさらにデフレが深刻化する。
デフレの今こそ、公共事業が必要である。2011年2月5日放送
http://www.mxtv.co.jp/nishibe/archive.php?show_date=20110205
80年代の米国の空港、橋、道路の状態を思い出しましょう。
■「オバマ一般教書演説の報道」に見る我が国のメディア環境 (藤井聡 京都大学教授)
http://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/entry-10791914854.html
2011/02/08(火) 12:45 | URL | 名無しさん
マスゴミ洗脳装置
『騙されやすい日本人』(宮脇らい介)の流儀に従えば、なぜこの時期、急に八百長事件が公表されたのか?と疑いたくもなる。
いま菅内閣は政治的劣勢・・・・・それと愛知県知事選挙、名古屋市長選挙での惨敗・・・・4月末統一地方選挙を前にして、大変な時期にある。
すると警察当局に影響のある勢力は?となれば、ご承知のとおり。官憲は、ときの政府には従順。何でも公表時期やタイミングには“意味”がある。
3S政策ですっかりオメデタクなった国民といい、政治権力に安易に踊らされる、どうしようもなくバカなマスコミ・・・・・・
なにしろ、火事と喧嘩は江戸の華・・・朝から晩まで大切な紙面を使って、八百長問題を報じる新聞とテレビのどんちゃん騒ぎ。
劣化日本のすがたを象徴します。国民とマスコミの目をあることからそらすには、八百長事件も、もってこいの材料です。
こういうとき、誰がいったい得をするのか?・・という視点で眺めてみると何かが視えるかも知れません。
■毎日変態新聞の高木某が書いた『インパ-ル作戦』本が
今も売られていることに問題がありそうです。
2011/02/08(火) 12:59 | URL | 亜 #-[ 編集]
★日本の伝統芸能が総悪役 プリキュア
テレビ朝日のプリキュアでは、お祭りでおなじみの獅子舞、おかめ、ひょっとこ、天狗など・・・ぜーんぶ悪役に! ↓
http://whisper-voice.tracisum.com/?eid=173
これ見た子供たちは、お祭りへ行くたびにプリキュアの悪役を思い出すわけですね!
さすがは筋金入り反日のテレビ朝日! とってもよくできてます。
さらに、プリキュア・ダンスは北朝鮮の幼児体操ソックリ!
プリキュア・パワーで母娘揃ってパッパラパー洗脳!
2011/02/08(火) 13:01 | URL | アイリス
No title
ねずきちさん、いつもありがとうございます。
昭和5年生まれの父(戦地へは行っていません)にねずきちさんのブログで勉強した事を話すと、「悪い事をしようとすればできたけれど、やっていない。」と言いました。
ただ大東亜戦争に負けたからか、あまり戦争のことは話しません。 よく母は、「勝てば官軍、負ければ賊軍」と言ってます。
おかげさまで、両親とは今までにない会話をすることができています。
ねずきちさんには本当に感謝しています。
2011/02/08(火) 13:03 | URL | 二児の母
日本では「日本の英雄」と呼ばれる人はいないですね。
インド人であるパル判事が何故東京裁判の場にいたのだろう?という疑問は自分の中に今までなんとなくありました。元々どういう立ち位置で東京裁判に呼ばれたんだろうか?と、なんとなくですが不思議に感じていました。それが今日納得できました。
また、日本ではインド「独立の父」としてガンジーは誰もが周知のところですが、「独立の闘士」チャンドラ・ボーズはあまり馴染みがないです。
これだけ、日本と関わりがあるにも拘わらず、日本人の多くの人の知るところではないのは何故なのか。
インドでは今でもチャンドラ・ボーズは広く国民の間で人気があるというのに、です。
これも結局は、イギリスからのインド独立のために日本軍と協力し「武力で戦う」というボースを全く日本では歴史上認めず、「非暴力」を徹底したガンジーだけを極端に持ち上げて「歴史」を教えられてきた結果だと思います。
ガンジーの「非暴力」による抵抗が、結果として「インドの独立」をもたらしたけれど、そこに至るまでには、チャンドラ・ボーズの「武力による戦い」があり、また、その戦いは日本軍の「戦い」があってこそだったことは、全く日本人の子供達には教えられない。
日本人に、「『武力』は兎にも角にも『悪』である」と刷り込ませるには、ガンジーは格好の「教材」だったのだと。
ずっと前、ねずきちさんが「ビルマの建国に学ぶ」という記事を書かれたとき、ミャンマーの今の軍事政権とアウン・サン・スー・チー女史について、マスコミの報道と西村眞悟氏の「慎吾の時事通信」に書かれていたことが余りにも違いすぎるので驚いた旨をコメントで書いたことがあります。
ミャンマーの国際的イメージは、『軍事政権の国、アウンサン・スー・チーを軟禁している人権抑圧の国』。でも・・・。↓
ミャンマーってどんな国 – ミャンマー ファミリー・クリニックと菜園の会
https://mfcg.or.jp/what-myanmar
1.人(ひと)
ミャンマーには大きくわけて8つの民族、少数民族を合わせると135の民族がいると言われています。
ミャンマーに国籍を持っている人をミャンマー人とは言いますが、ミャンマー族という部族はなく、各人が文化や伝統の異なる民族に属しています。
主要8民族とは、ビルマ族、モン族、シャン族、カチン族、カヤー族、カレン族、チン族、ラカイン族(順不同)を指し、独自の文字や話し言葉を持っている部族もあります。
それに加えて華僑や印僑、イスラム教徒も少なからず住んでいるため、信仰もそれぞれ異なっておりとても複雑です。
【ミャンマー教育推進プロジェクト同志会】
『慰霊から始まった教育支援』
http://www.shinseisobi.co.jp/myanmar-index.htm
↑マスコミが意図的に流す「一方的な方向」からだけではなく、違った方向から物事を見ることが如何に大事であるかを思い知らされた内容でした。
スー・チー女史の父、アウン・サンが日本を裏切った人物であることもスー・チー女史を持ち上げる力として働いているのか・・とさえ思ってしまいます。
何もかもが日本を咎めるために利用され、日本人は知らずに歪んだ教育や情報を浴びていると感じます。
先日、どこのテレビ局か忘れましたが、スポーツニュースで李選手を「一躍英雄となった李忠成選手」と冒頭紹介していました。本人が「ヒーロー」という言葉を使っていたからかも知れませんが、「英雄」という言葉には違和感を覚えました。
英語の「ヒーロー」は「英雄」と訳すけれど、正直、全く同義語であるとは思えませんし、日本人は殆ど「英雄」という言葉を使わない気がするからです。むしろ、「英雄気取り」などと揶揄することのほうが多いです。
日本人の感覚とはそういうものだと思います。「リーダー」は望むけれど、「英雄」は特に望まない。そして「和」を望む、だからこそ「日本」があるのだと思います。
2011/02/08(火) 16:02 | URL | 共通一次世代
マスゴミ - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/マスゴミ
マスゴミとは、マスメディアを中心としたマスコミを批判的に扱う際に用いられる蔑称(俗語・スラング)であり、インターネットスラングの一種である。
報道機関(特に大手のキー局・全国紙)を批判する際に使用される用語で、「マスコミ」と「ゴミ」を掛け合わせた言葉(かばん語)。
韓国では、同じ発想で作られた「キレギ」という言葉がある。キは記者(韓国語でキジャ)とゴミ(韓国語でスレギ)を合わせた単語である。
英語圏では、政治家や世論調査会社、報道機関が、自分たちの都合の良いように意図的に情報を流すことを「スピン」と呼ぶ。そして「スピン」の技法に長けた者を「スピンドクター」という蔑称で呼ぶ。
オバマ大統領の一般教書演説について、日本では
全文が伝えられていない。その要点を、2月5日に
「「抗議運動」は「民主政治」ではない」の中で書いた。
それではマスゴミは、何を隠そうとしているのか。
それが分かれば、マスゴミの意図が分かる。
ニュースを隠蔽・捏造・偽装して報道する反日売国テレ
ビ局・マスコミは公共電波を占有する許可を得て公正
な報道を行う責務がある。
テレビ局の独自の判断や意図的に事実を隠蔽した
偏向報道をして視聴者を騙す行為は許されない。
判断は視聴者に委ねるべきである
【マスコミ隠蔽の掲示板】最新版
http://www.aixin.jp/axbbs/kzsj/kzsj4.cgi
【マスコミ隠蔽のタイトル一覧】最新版はこちらをクリックして下さい。
2011/02/08(火) 16:38 | URL | aixin
三等国兵士
日本兵は、略奪しない。
白人兵は、敵からだけ、略奪する。
支那兵は、敵味方、関係無く略奪する。
2011/02/08(火) 16:45 | URL | ケッセルリング
北朝鮮で「危険な替え歌」流行か…体制や最高指導者を揶揄(高英 ...
https://news.yahoo.co.jp/byline/kohyoungki
2018/10/30
北朝鮮当局は今月初め、国内外の音楽や映像作品70余りを「不純宣伝物」に指定し、視聴や上映、配布を禁止したとデイリーNKの内部情報筋が伝えてきた。発禁の理由として、歌い手や演奏する楽団に何らかの問題やスキャンダルが起きたという可能性もあるが、政治的な理由も否定できない。
北朝鮮「ガールズグループ」に異変(3)
北朝鮮当局による発禁措置について、収容所の警備兵出身で脱北者の安明哲(アン・ミョンチョル)氏は「事実のようだ」と語った。詳細な情報については不明だと前置きしたうえで「どうやら替え歌の内容が問題になったようだ」と述べる。
韓国の童謡「三匹のクマ」の歌詞を基に北朝鮮の
三代世襲を皮肉った替え歌が、北朝鮮で出回った。
【前航空幕僚長の国防問題の掲示板】第3巻
http://www.aixin.jp/axbbs/kzsj/kzsj10.cgi
【前航空幕僚長の国防問題タイトル一覧】はこちらをクリックして下さい。
2011/02/08(火) 17:58 | URL | 愛信
No title
作戦の名前と悲惨だったことは聞いた事ありましたけれど、こんなだったとは・・・・・
ガンジーの非暴力がどうして当時のイギリスに通用したかも、不思議でした。
もっともっと学ぶことはたくさんありそうです。
2011/02/08(火) 20:57 | URL | 楽仙堂
No title
ねずきち先生、いつも勉強になりありがとうございます。自分の祖父は元日本兵ですし親戚のおじさんは日中戦争に行き戦いました。ですから日本兵には小学校の頃から悪い印象は持っていませんでした。ちなみに沖縄の学校教育は酷い反日教育で子供達を洗脳しています。自分は日本軍オタクで沖縄を守った本土の兵隊さんには感謝しています。もし宜しければ陸軍のインハ゜ール作戦[宮崎繁三郎中将]と海軍のキスカ撤退作戦[木村昌福小将]を取り上げていただけないでしょうか?お願いします。
2011/02/08(火) 21:59 | URL | 本土の兵隊に感謝する沖縄人
No title
ねずきちさん、いつもありがとうございます。私の夫の父は元日本兵で終戦後満州から帰還しました。私の母の夫は支那とロシアの国境で戦死し、父と結婚して私が生まれました。なので私の命は戦死した方からも頂いていると思っています。又、夫の父が生きて戻ってくれたおかげで夫や子供達が命をいただきました。私達は決して忘れてはなりません。命をかけて守りぬいてくれた人たちのことを。
2011/02/08(火) 22:21 | URL | きなこ
インパール作戦は負けたのか?
20年8月18日まで戦い引き上げてラングーンで捕虜になったと聞いています、敗残兵ではありません、それは「小野田少尉」が帰還されたとき「あれは、生きた兵隊の目だ」といってました。
父はインパール作戦で日本兵は戦闘には勝ったが、病気と食料不足に悩まされた、兵隊は絶対に生水を飲むことは禁じられていましたが喉の渇きに負け生水を飲んでしまうとおなかを壊し次第に衰弱してしまう、食料はジャンクルの中は意外に食べるものはあるそうです、ただそれらを食べられるか食べられないかは兵士の生死を分けたそうです、猿に食べせてから安全を確かめ、父は生きる為に何でも食べたそうで、必ず火を通して、ジャングル線で生き延びた兵隊の原則だといってました、そしてこの戦争はアジアから白人の支配をなくす為の戦争だと兵士たちは理解して戦ったそうです、大東亜戦争が無ければ世界の植民地は未だに独立もできて居ないであろうと昭和40年ころ語ってました、終戦時、原隊に戻らずビルマ独立の為残った戦友がずいぶん居たそうです、ネットに書かれている「インパール作戦」無謀さで牟田口中将の作戦を一笑する人が居ますが、インパール作戦からの帰還兵は誇り高い兵士だったと思います、戦後の印象操作で敗残兵にすり替えられたか、語る事を「慎んだ」のでしょう。
大東亜戦争の正しい姿を伝えないと日本の心が全て曲がってしまうと思います。
2011/02/08(火) 23:38 | URL | ★★★★★
勉強になります
昨年末にインドツアーしたときの現地添乗員に「”チャンドラ・ボース”って知ってる?」って言ったら、「知ってるよ!」。
「まだ、彼は日本に居るんだよね?」って言ったら「うん」。
歴史をしっかり伝えること。”辛かった事、頑張ったことへの敬意と感謝”こそすれ、そこで生きた人達を今私達が貶めるような評価は絶対にしてはいけない。
MLで国立歴史民俗博物館(千葉県佐倉市)の展示について書き込んだが、ねずきちブログや西尾幹二さんなどの活動と、”平和、人権、差別、平等などを駆使して侮日、反日活動に邁進する連中とのイタチゴッコになっている。
そこにもうひとつ『民俗』に”歴史”を合体させ、利権と共に加わったツールを得てきた。”放置”は”痴呆”ですよ!
日本で全く語られないのは
「なぜ、日本は戦争をし続けなければならなかったのか?」。
「日本軍はどこでどの国と戦っていたのか?」
「当時、欧米諸国以外に国があったのはどことどこなのか?」
「当時、移動に何ヶ月もかかるという遠い国の人がどうして日本の周り(東南アジア、シナ、朝鮮)で活動していたのか?」
「植民地支配というのは自国の国税で鉄道をつくったり、学校をつくったりしたことだったのか?」
「なぜ同じ政策のはずなのに台湾や南方諸島の人達から感謝されてるのに、半島やシナからだけ非難されるのか?」
そんなこんなの質問をしましょうネ。
2011/02/09(水) 01:27 | URL | お達者クラブ
No title
誇り高き日本兵にただ感謝です。
2011/02/09(水) 07:07 | URL | イシコウ
大東亜戦争は植民地、奴隷解放戦争だ
インパール作戦の意味が良く分るエントリ内容です。
ガンジーの非暴力デモは、日本軍の崇高な戦争行為が為されたからこそ、成功したのですね。
インドを白人から解放し独立させるインパール作戦は、結果として勝利したと言えます。
2011/02/09(水) 08:44 | URL | 祖国復興
大東亜共栄圏のために
失礼します。最終的に「インパール作戦」を許可したのは、東條英機閣下です。大東亜会議を実のあるものとするために、日本の絶対国防圏が不安定になっている時期に、インド独立の為に、敢えて実行したのです。「チェロ・デリー!」は、今でもインドの人々に膾炙されています。
補給の問題に関しては、東條閣下は、作戦許可前にかなり厳しく質問をされたそうです。その点、牟田口将軍を手放しで讃える気にはなりません。
しかし、「インパール作戦」がイギリスをして心胆を寒からしめ、インド独立に繋がったことは、紛れも無い事実であり、イギリス、オランダがアジアから去っていったということは、「大東亜戦争は、本当は勝った」のです。
2011/02/09(水) 13:05 | URL | 歩三・安藤大尉
No title
祖父がシナ事変に従軍したことだけしかわかりません。
それも形見の記章をみて知りました。
祖父は戦後すぐなくなり故に父は一人っ子です。祖母も父が30のときには亡くなりました。父は戦争の事知らないんですよね。祖父と話したことないから。父は戦後の母子家庭で生きることで精一杯でだったようで祖父のことわからないのが悲しいです。母方は健在なのですが母が毛嫌いしており遠路もあって、まともな会話すらしたことがないです。悲しいです。さらに母方の祖母が亡くなった時に着物をたくさん形見わけしてもらったにも関わらず母はすぐに売り払ってしまいました。私に相談もなく。我が家では着物なんてそうそう購入できるものではありません。家族ばらばらですね。
世代間の断絶ここに極まれり。
2011/02/09(水) 13:24 | URL | k
No title
「インパール作戦」を詳しく説明してくださりありがとうございました。言葉一つ一つに意味があるのですね!!
>インパール作戦当時の英国のインドのトップは、英国王室の人物です。
その後最後のインド提督になったマウントバッテン卿ですね。
以下、夕映えのブログさんより
http://blog.livedoor.jp/yuubae1/archives/1405774.html
戦後、ネパール国王の戴冠式に臨まれた皇太子殿下(現、今上陛下)に対し、往時、ビルマ戦線で戦ったイギリス軍の最高指揮官マウントバッテン卿は「私が戦った日本軍は史上最強と思われ、かかる軍隊は今後、地球上に現れないでありましょう」と、いとも丁寧にお話しがあったと伝えられております。
パル判事が東京裁判に送り込まれた背景には裁判自体に批判的であったとされるマウントバッテン卿の意向もあったのかもしれません。
既にインド独立も視野に入れていたのでしょうか。。。
昭和天皇訪英の折レセプションは最後まで辞退したとか、IRA暫定派によるテロで亡くなりましたが葬儀に(遺言により)日本人の参列は拒否したとか、いろいろありますが日本軍を正当に評価していたとはいえるでしょう。
マウントバッテン卿の妻とネルーが親密な関係にあったというのも興味深いところです。
最後に、いつも感動の涙を浮かべて読んでいますが、今回のエントリーには悔し涙が溢れました。
日教組に騙され、愛国心の持てない人間になっていたのが悔しいです。
子どもの頃当然学ぶべきことを学べませんでしたが、これから日本の心を学んでいきます。
今後ともよろしくお願いします。
2011/02/09(水) 14:03 | URL | 春風
白骨街道に慟哭
戦争直後のひもじさ貧しい苦しみからも希望を持ってまっしぐら65年.
飽食の時代を当たり前のように生きてきた日本人。
『インド独立のために』と、純粋で高潔な志を持って堂々と立派に戦い果てた日本の英霊。
その英霊の遺骨は今でも雨が降ると地中からさらされ出されています。遠い異国で。
ミャンマーに住んでいる日本人の方のブログを先日読んでその実態を知り、悩んでいたところでした。
遺骨を出来るだけ召集してミャンマー日本大使館に届けてあるにも係わらず、日本には帰されずそのままの状態になっているようです。
一時も早く靖国に祭って安らかに永眠してほしい。
”私達に何かできることはないでしょうか”
”ミャンマーのつぼ”戦争関連(25件)
https://www.google.com/search?client=firefox-b-d&q=%E3%83%9F%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%83%9E%E3%83%BC%E3%81%AE%E3%81%A4%E3%81%BC
ミャンマーのつぼ
http://www.yangonow.com/jpn/blog/?p=25
http://www.yangonow.com/jpn/blog/index.php?c=-
2011/02/10(木) 03:43 | URL | ミノル
インパール作戦が大東亜戦争での失策のようなスタンスで語られる
のを目にする機会が多かったけれど、我が国がいまだ白人達の植民地にされた事がないのも当時家族や祖国を守って下さった先人の方々のまさに捨て身の行動があったからこそなんですね
命を差し出してまで護ろうとしていた今の日本を天国から見られていたら、恥ずかしいです
個人主義をはき違えたような自分勝手な生き方をする人、欲に目がくらんで日本人でありながら祖国を陥れる公人、偏向番組を垂れ流すテレビ局
ねずきちさんのブログは涙ながらに拝読させていただきました
これだけの文章力と構成力をお持ちの方でも相当な労力を持ってお書きになってらっしゃるでしょうにそれを無償でブログ提供なさっているとは
ねずきちさんの高い志が原動力となっていらっしゃるのでしょう
これからも訪問いたします
2011/02/10(木) 04:35 | URL | フー
本当は1943年に行うはずだったインパール作戦
1943年には、日本軍はインド進攻を予定しており、カルカッタをはじめとする英軍事拠点に連日空撃を実行、インド制空権を掌握していました。
しかし、実施に移されなかったのは、
南太平洋に米艦隊を引きずり出したい山本五十六長官の武士道に培われた負けじ魂(笑)に陸軍が折れ、航空戦力をあらかた引っこ抜かれたからです。
大東亜経済圏を確保、インドを落としてイギリス・中国を脱落させ、アメリカに不敗の態勢を構築しようとしたようとした帝国の戦略は、海軍の武門の意地によって叩き潰されましたとさw
2011/02/11(金) 20:50 | URL | MR2
負けると分かっていても
負けると分かっていても男なら戦わなきゃならないときもあります。奴隷志願者には一生かかってもわからないんでしょうね。
八紘一宇の信念の下に兵士ひとりひとりが欧米列強の植民地支配からアジアの国々の独立のために命をかけた作戦であることがよくわかります。
肉を切らせて骨を絶つとはこのことでしょうか。
日本は敗れましたが、アジアの国々は独立し、欧米列強の植民地支配は再起不能に陥りました。
2011/02/11(金) 23:12 | URL | 大東亜共栄圏