私、希少がんP-net患者です

1996年に膵臓手術時は病名も不明。
膵内分泌腫瘍は10万人に一人の希少がん。
通称名 P-net(ピーネット)

お変わりありませんか~?

2020年07月09日 | 闘病記
ずっと気になりつつも大分時間が経ちましたね💦
コロナ禍の息苦しいような日常が当たり前のことのように慣れてきている自分がいます。
ずっと引きこもりのような・・・ ヒトの多いところへは行ってません。

糖尿病の教育入院したのは昨年だったのか~ なんて他人事のように思うんですけど
御茶ノ水の病院へは3月以降行ってません。市内のクリニックで処方箋を出してもらっています。
いつまで続くのかしらね~?
今日は都内での感染者が過去最高の220名。
もう一度外出自粛を呼びかけないの? と思いますが都内でそれをしてしまうと経済が止まってしまうとかでこれからの対策に何か名案でもあるのでしょうか?

糖尿病教育入院の退院をしてすぐに糖質量を守ってインスリンを使っていれば良かったのでしょうかね~?
しばらくすると好調って事にはなかなかならず突然起こる自分の不調についていけない気すらしていました。
2月には朝から(寝てる時から熟睡できず何か変だと思っていた)身体がごわごわする感じになって
以前のように両足が攣って身動き取れず、呼吸するのも必死になる目が回るような怖い状況になり倒れてしまいました。

倒れてから這いつくばってスマホで娘に「助けて」とLINEしました。
それをするのも大変な状況でした。
幸いなことに次女が産休中で自宅にいたので車で駆けつけてくれました。
自分の事だけで頭が回らず2月だというのに全身が汗だくでびしょぬれ、台所は棚がひっくり返り物が散乱していました。
血圧を測っても特に問題はなく、汗がたくさん出たのでミネラルなどのサプリと水を飲み少しづつ身体が楽になって落ち着けるようになったのです。
その日はそれ以外に特に問題もなく過ごせましたが、どうやら手首を棚に当ててしまったらしく右手首を骨折してしまい翌日から整形外科に通院しました。
先生は骨折の事も心配ですが倒れた原因の方が心配ですね。と血液検査などをしてくれましたが数値に出るような悪いものは見つかりませんでした。

前の夏に倒れた時もそうなんです。
あの時は救急車のお世話になってしまったけれど病院で検査をしても何も分からず・・・ 時間が経って落ち着いてきたので家に帰ってきたのですが
検査しても分からないのです。
ここ数年の間に何度か同じような不調で倒れているのですがそれに対して対処法を示してくださる先生はいません。
自分がなんとかして行くしかないんです。

糖質制限のし過ぎで痩せてしまった事も関係あるかもしれませんし、肝臓にある腫瘍が何か悪さしているのかもしれません。
とりあえず自己判断で糖質を控えるようなことを止めてある程度の糖質を摂りインスリンも使っています。
P-netの方でも通院はずっとストップしています。
本来なら飲むべきであろうお薬は私は自分には合わないと思っているので中止しています。
また、インスリンも糖質も腫瘍を育てるといわれているものでもあるため再発腫瘍が糖尿治療をしていることで大きくなってしまうんじゃないかと不安はあります。

コロナの感染予防で外出自粛があったころからは何もしないで一日が過ぎてしまうと翌日の不調が増すことに気づいて
家でもできるヨガをやったり音楽に合わせて踊ったりストレッチしたりするようになりなんとなーく体調も良くなってきたような感じがあって
外出自粛が解除されてからも安易に人の多いところへは行かずそれでも体を動かせるようにと次女が声をかけてくれてウォーキングを始めました。
次女の都合もありますからたまにしかできませんが最初の頃歩くことにもぎこちなさがあったのに何度か歩くうち、13000歩も歩いていた日もあります。
時間にして2時間程度ですが自分に合うペースだからなのか?負担にも感じずに気持ちよく歩き終えられました。



ウォーキングのあとはストレッチで体をほぐして汗を流して着替えます。
運動後、汗をかいたままでいるのがとても辛いです。身体が冷たくなってしまいます。
この辺りは何か代謝の事とか自律神経とかが関わるのでしょうか?
汗だくになって歩いてすぐそのあとに寒くて仕方がなくなるのですから困りものです。
歩くときは全身着替えるように一式準備して出かける癖がつきました。
ここ数日はずっと雨と風が吹き荒れてまるで台風のような天候でウォーキングができなくてちょっとストレス。



九州地方では大雨の被害が甚大で目を覆いたくなるような被災状況。
被害に遭われた方々の辛さを思うと心が痛みます。一日も早く安心できる日常が戻りますように





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