未だひっそりと続いている「わにぶたの修行場」
「もういいんじゃない?」っていう声が聞こえてきそうだが
たたまないのにはそれなりの理由がある。
電車走行キットの新しい走行シーンを作るにもそれなりのクリエイティブな発想が必要。
よりぬきわにぶただってそうだ。
わにぶたのサイトが出来たのはブログもツイッターもなかった時代。
個人サイトを立ち上げてクリエイティブを競い合う時代からの名残なのである。
20代からの何にでも興味を持ちクリエイティブに仕上げていく喜びを忘れたくないのだ。
最近じゃ外出奨励日に図書館の勉強席で古い時刻表や路線図とにらめっこする日々。
鍵のかかったツイッターをメモ帳がわりにして新しいことを模索しているのだ。
子供の頃は古い路線図など紙切れに過ぎなかったが、大人になってみるとそれが貴重な資料であることに気づいた。
どうせなら福島交通のバスに張り付いていた古い路線図の画像を入手しておくべきだったと悔やむほどだ。
古い路線図や時刻表を見ながら思いついたこと。
それが前回のよりぬきわにぶた「第6話 廃止になったバス覚書」なのだ。
今は見る人がいなくてもゆくゆくは一個人が記した資料ともなるべきコンテンツであると信じるがゆえ
今週も勉強席での資料まとめに熱中してきたところだ(いや、途中で飽きたじゃねえか)
考えてみりゃ、電車走行キットだってよそのサイトがやってるのを指咥えて見てて
「こんなカッチョいいのウチでもやりてぇ」的な気持ちで始めたんだよね(´・ω・`)
ほかのサイトみたいなめっちゃリアルな奴はウチでは作れないかもしれない。
それでも「わにぶたらしさ」を追求していまでもシーン作りを 諦めてないのである。
いまの障害持ってると「何にでも興味を持つこと」をついつい忘れがちなんだけど
それを忘れずに自分なりに物を作る楽しみを忘れたくないがゆえ
「わにぶたの修行場」は2000年も19年代になった現在でも続くのである(m´・ω・`)m
たとえアクセス数が1日1~3人であったとしても
「もういいんじゃない?」っていう声が聞こえてきそうだが
たたまないのにはそれなりの理由がある。
電車走行キットの新しい走行シーンを作るにもそれなりのクリエイティブな発想が必要。
よりぬきわにぶただってそうだ。
わにぶたのサイトが出来たのはブログもツイッターもなかった時代。
個人サイトを立ち上げてクリエイティブを競い合う時代からの名残なのである。
20代からの何にでも興味を持ちクリエイティブに仕上げていく喜びを忘れたくないのだ。
最近じゃ外出奨励日に図書館の勉強席で古い時刻表や路線図とにらめっこする日々。
鍵のかかったツイッターをメモ帳がわりにして新しいことを模索しているのだ。
子供の頃は古い路線図など紙切れに過ぎなかったが、大人になってみるとそれが貴重な資料であることに気づいた。
どうせなら福島交通のバスに張り付いていた古い路線図の画像を入手しておくべきだったと悔やむほどだ。
古い路線図や時刻表を見ながら思いついたこと。
それが前回のよりぬきわにぶた「第6話 廃止になったバス覚書」なのだ。
今は見る人がいなくてもゆくゆくは一個人が記した資料ともなるべきコンテンツであると信じるがゆえ
今週も勉強席での資料まとめに熱中してきたところだ(いや、途中で飽きたじゃねえか)
考えてみりゃ、電車走行キットだってよそのサイトがやってるのを指咥えて見てて
「こんなカッチョいいのウチでもやりてぇ」的な気持ちで始めたんだよね(´・ω・`)
ほかのサイトみたいなめっちゃリアルな奴はウチでは作れないかもしれない。
それでも「わにぶたらしさ」を追求していまでもシーン作りを 諦めてないのである。
いまの障害持ってると「何にでも興味を持つこと」をついつい忘れがちなんだけど
それを忘れずに自分なりに物を作る楽しみを忘れたくないがゆえ
「わにぶたの修行場」は2000年も19年代になった現在でも続くのである(m´・ω・`)m
たとえアクセス数が1日1~3人であったとしても