握りこぶしでファイト!

認知症の母との生活を中心に、日々のよしなし事を書きます。

中村哲医師アーカイブ

2021-08-25 19:21:00 | 日記
タリバンが実権を握ったアフガニスタンでは、まだ一部で戦闘が続いていたり、国外脱出を巡って
混乱している様子も報道されていて、事態を見守る必要がある。

アフガニスタンは厳しい気候風土のもと、民族同士の内戦やソ連の侵攻、そしてアメリカの駐留など
複雑な歴史を歩んで来た。

今回はアメリカ軍の撤退に伴って復権したタリバンであるが、以前のような強硬な統治はしないという
ニュースも散見される。
しかしながら、タリバンと聞くと、バーミヤン遺跡の破壊、女性の人権抑圧、世界同時テロの首謀者される
「ビンラディン」の保護など、恐怖政治を行なっていた過去の記憶が甦ってしまう。

まずは、強権的な行動ではなく、人命を第一にしたソフトランディングを期待しているのだが、、。


そんなアフガニスタンは我々にとっては遠い国であった。
ひとりの医師、「中村哲」氏による35年にわたる長年の人道的な活動が広く知られるようになるまでは。

簡単に中村哲さんの活動を紹介するとー

2019年、中村哲さんは現地で銃撃され、73年の生涯を閉じた

・・・

1984年、パキスタン北西部ペシャワールにNGOの派遣医として赴任し、ハンセン病患者の
診療に当たったのが活動のスタートであった。
その後、隣国アフガニスタンにまで活動範囲を拡大、NGO組織の「ペシャワール会」と共に
無医村地区での医療に当たった。

2000年、アフガニスタンで大干ばつが発生。農地の砂漠化が進み、住民たちが次々と村を捨てた。
飢えと渇きの犠牲者の多くは子供たち。
「もはや病の治療どころではない、医療では飢えと渇きは救えない」と、灌漑事業を決意し井戸掘りを始める。

アフガニスタンの安定は政治や武力では解決できないことを見抜いた決意でもあった。

2003年、井戸掘りを進める中で直面したのが、地下水の枯渇
水不足で小麦が作れない住民たちは、現金収入を得るため、乾燥に強く、ヘロインやアヘンの原料となるケシの栽培を
広げていた。
地下水に頼る灌漑の限界を知り、用水路の建設を始めたのである。

2010年、用水路が完成
荒れ果てた農地に加え、もともと砂漠だった場所までが緑に生まれ変わった。

2019年、アフガニスタン政府から名誉市民権を授与される。
造り続けてきた用水路で潤った土地は、約16,500ヘクタール、福岡市の約半分に及ぶ広さとなった。
日本全国から「ペシャワール会」に寄せられた寄付と、共に汗を流したアフガニスタンと日本両国のスタッフが
事業を支えたのである。

そして、この年の12月4日、悲劇が、、。


今年の3月21日、中村哲さんの母校である九州大学において、中村さんの著作物などを公開する事業
「中村哲医師メモリアルアーカイブ」オープニングセレモニーが行われた。

この事業は、九州大学が進めている「中村哲先生の志を次世代に継承する九大プロジェクト」構想の一環として、
実現したもの。
九州大学附属図書館(中央図書館)にコーナーを設けて、中村哲さんの活動を振り返る映像や著書を展示すると共に、
現地報告、講演記録、新聞雑誌記事などについてはデジタル化し、「中村哲著述アーカイブ」としてネットワーク上に
公開される。
展示については、新型コロナウィルスの感染が落ち着けば一般公開の予定としている。
一方、著述アーカイブは既にアクセス可能となっている。
https://www.lib.kyushu-u.ac.jp/ja/nakamuratetsu

中村哲さんからのメールによる現地報告など興味深い貴重な資料を読むことができる。

一貫して現地住民の視点に立って、医療と灌漑事業に取り組んで、住民の命を救ってきた中村哲さんとペシャワール会。
その志や業績を知ることは、平和的国際貢献、人道支援のあり方を考える上で役立つものと思われる。

政権崩壊で混乱している現在、ペシャワール会の動向が気掛かりである。

中村哲さん亡き後、現地で人道支援を継続しているペシャワール会の活動は、一時中断を余儀なくされているようだ。
ペシャワール会の村上優会長は、取材に対して次のように答えている。

「現在も、約100人の現地スタッフが活動しており、福岡から資金や技術面で支援している」
「これまでに現地スタッフへの被害は確認されていない」
「これまでも度重なる内戦や外国軍の攻撃の中、事業を続けてきたペシャワール会。アフガン支援の想いが途絶えることは
ありません」
「医療であるとか水とか農業とか、命をつなぐ方に活動していることを理解していただければ。
どのような政権がどのような考えを持とうとも、共闘できるだろうと」
そういう信念が中村先生にはありましたので、我々も継続していきたい」