著書である「永遠の彼~病気とともに社会福祉の世界に生きる」に書いたように、
医療職や福祉職ほど、病気や障害のある人にとって敷居の高い職はないと思う。
ほんとうに、病気とともに医療や福祉の世界に生きるなんてことは
簡単じゃない。
自分の病気体験を活かして働きたい・・・と、
私も思っていたことだけれど、現実は厳しくて
体験を活かして働こうとするんじゃなくて、
働いているうちに体験してきたことが活かされていた、
っていうふうになれたらいいのかなと思う。
今回の転職も、採用面接で、私なりに病気であることを話した。
病名は、PNES。てんかんに似ている発作がある。
でも、最近は発作がなく過ごせている。
現在の通院頻度は2週に1回。
新しい環境に慣れて、安定していれば通院回数は減らしていけると思う。
薬も飲んでいる。
主治医の許可のもと、福祉職の仕事を探しているから働ける。大丈夫。
こういうこともひっくるめて私を見てほしいと思ったし、
なんで後になってから言うのか、となるのも嫌だし。
でも・・
隠していたつもりも、言いたくないわけでもなかったけれど、
障害者手帳を持っていること
主治医が許可をくれても、環境の変化で不安定になることがあること
ストレスや疲れが発作の誘因になること
発作がどんな状態なのか
この、病気に関する追加情報を、就職してから伝える機会があって
ここまで言わないといけなかったんだ、と。
採用する側は、採用するかどうかわからない私に
あまり突っ込んだことは聞けないわけだから
私から話をしないと…。
でも、病気のことに時間をとる面接にしたくない気持ちがあるから
そんなに多くのことをペラペラ話せない…。
私が面接で話したことだけでは足りなかったとわかったとき、
過去の同じような場面ががよみがえった感じがした。
採用されるべき人は私ではなかったのかもしれない…
憧れのところで働けることは本当に本当に、うれしい。
けど・・。
やっぱり悔しいし悲しいし、病気のある自分が許せなくなって
涙があふれて止まらなくなった。
お昼休みの時間、ごはんも食べられず、
泣き続けて、鼻水も止まらなくてティッシュがなくなってしまい…
誰にこの気持ちを聴いてもらおうかと思いながら、
自分を責める気持ちがどんどん高まっていくのを感じて、
病院の看護師さんに電話しようかすごく迷って
助けを求めたのは大好きな友だち。
いっぱい聴いてもらって、そのやさしさに、
さらに涙があふれて滝のようになり…顔が大変なことに…。
いままでの私なら、ここでめげていたと思う。
家にも帰らず、いっそのこと遠いところへ行って、仕事に行けない・・
でも、もう違う。
福祉職を封印して4年。障害者雇用で、働く自信を取り戻した。
そう簡単には折れない強さも、少し身についた。
病気が不利になるなら・・のあれです。
不利になるものに勝てることを見つけてがんばる。
遠いと言われる距離を、元気に毎日通って
仕事で汚名返上(笑)するしかない!
負けない。
心配してくれる人もいるけど
元気な姿でいるところを見てほしいと思う。
だから、がんばりたい。
この苦しい4年、伴走しつづけてくれている病院の先生と
いちばん近くで、苦しい姿ばかりを見せてしまった母へ
感謝を、目指してきた仕事をがんばることで表したい
なぁーって思っています。