kira kiraな☆しあわせ ~多発性海綿状血管奇形・心因性非てんかん性発作(PNES)と共に~

病気があるからこそ今いる私。楽しいことも悲しいことも、すべてがkira kiraの思い出になると信じて‥☆

入院日記 その4

2006-03-02 23:23:32 | 病気と障害と私の生活
~入院14日目~

相変わらず、身体中が痒くて仕方ない
寝る前に氷枕にたっぷり氷を入れてもらっても、痒いところにあてたり、寒くなって布団から出したり・・
一晩中動かし続けてるうちに、朝にはただの液体になってしまう
そうすると、今度は、薬を塗ったくることになる
2日でステロイド剤1本使いきる勢いで、とにかく塗ったくってた。

この日も朝からそれをしていて、薬のふたがベッドサイドテーブルから転がって床に落ちた。
とにかく面倒くさがりやで、横着ものな私
ベッドから身を乗り出して・・「あぁーもうちょっとなのにぃー
と手を伸ばしていると。
「危ないよ・・
と言って拾ってくれたのは、回診に来た先生でした

初めて会ったとき、「この人、私のことキライだ」とか、「きっと好きになれない・・」と思った、おしゃれメガネの先生。
退院前日になって、やっと冗談も通じるようになった。
 たぶん、それまでの私は、エレベーターで一緒になってもしかと(どこに行くにも医療スタッフと一緒だったから職員用エレベーターを使ってた)、いつも不満気オーラたっぷりで、ぶすーっとしてたけど・・
雑誌を見てニヤニヤ 友だちに手紙を書いてニヤニヤ
っていう、近づきやすい雰囲気(?)が出るようになったのかも・・。

初め苦手だと感じた人を、なぜかとても好きになることが多い。
どうしてだろう??
キライになるよりいいけどね・・

時間はいつになるかわからないけど、MRI検査があることを伝えられた。
入院してると、ずっとそこにいるから、空いたら連絡くれるみたいな感じ。
だから、いつ呼ばれるかわからないことが多い・・。
午後かもしれないし、午前かもしれない・・って、適当ね

午前のリハビリのときに連絡がきた。
「ひとりで(検査室まで)行ける?」っていう病棟からの電話に、私が答える前に
「行けません!!」と、PTのお姉さんが即答
「あ、私が答えることじゃないよね・・。だって、行ける?場所わかる??私が一緒に行ってもいいし☆」
 場所もわかるし、ひとりで行こうと思えば行けるだろうけど。
まだひとりで歩いたことないから、誰か居てくれる方がありがたかった
だから、お姉さんのナイスフォローに感謝

初めて会った病棟Nsに付き添ってもらって。

脊髄に異常がないかを調べるためのMRI検査。
一度に全部撮れないらしく、2日にわけて撮ることになってた。
これで異常が見つからなければ、今回の身体に起きた異常の原因は、はっきりとはわからないまま・・。
何かあっても嫌だし、何も見つからなくてもモヤモヤするし・・。
とても複雑ですが・・。
何も異常がないにこしたことはないと思うことにします
身体が元に戻るのならば、それでいい

MRI検査はもう慣れたものだけど、耳栓をしていても機械の音がかなりうるさいのはどうにかならないかなぁ?と思う。あの音で気持ち悪くなったりもするし。
 とても音が静かな機械があるのも知ってるけど、、いいなぁ~

そういうことを考えているうちに、いつものように眠気がやってきて・・
途中、造影剤の注射があってもそれで眠気が覚めることはなく、技師さんががんばってくれている間、最後までうとうと笑 

お昼の時間を挟んだからお腹ペコペコです
お迎えに来てくれたNsと一緒に、学校の話をしながら部屋に戻りました。
「大学いいなぁ~」と言う、小柄でかわぃぃNs
みんな若くてキレイでかわいいんだけどその中にいても、とても若そうに見えるし・・(って、ただの変態なオヤジみたいなこと言ってる
もしかしたら、私が一緒に受験した中にいたかもしれない?
と思った。
高校生のとき、一校だけ受けたい!と受験した3年制の看護学校は、この病院の附属の学校でした。ちょうどそのとき一緒に受験した人が1年目Nsとして働いているはず。私にしてみれば、Nsになる夢をかなえるためにそこで学んで、ここで働いているNsがとても羨ましいよって、言いそうになったけど、心にとどめた(笑)

リハビリ最後かも・・。
ということで、泣き虫の私はわーわー泣いた
PTのお姉さんに抱きついて泣き、リハビリ助手のお姉さんにも抱きついて泣き、それはもう、感動のお別れシーン
リハビリのための重りをポシェットみたいにかわいく身体にさげてくれて、「kira嬢の彼氏役・・え??私が??」と、隣りをいつも歩いてくれたPTのお姉さんが、本当に大好きだった 毎日送り迎えしてくれたお姉さんとお母さんのような助手さんも大好きだった 「私の娘のようだわ。ここの子になっていいのに・・」なんて言われたら、ますます泣けてくる
 居心地がいい そんな時間を過ごせて、みんなに感謝だし、とっても嬉しかった!!
お別れしたくない・・でも、出逢いには必ず別れがあるもの。いつかどんな形かで別れはやってくる・・。
外来に来るんだから、また会いに来ればいい



この日の夕方、次の日から修学旅行に出かける妹と、母が、チキンとケーキを買って来てくれた
私の希望・・ なんとなく口から出た食べたい物がそれで、クリスマス近いからテレビでそんなのばかり観てたのかも 
仕事帰りに父も来て、久しぶりに家族4人
病棟のデイルームで、ちょっと早いクリスマスパーティーみたいになった

本当に家族はいい。ずっと私の家族だから・・
家のこともあって仕事もあるのに、病院に来てくれる母、学校があるのに家のこと手伝う時間が増えてしまう妹。病院に近いからと、仕事帰りまっすぐ帰らずに寄ってくれる父。
生活を狂わせてしまって申し訳ない気持ちはあるけど、それでもいつもと変わらないものを感じる・・。だから、それが家族なんだね

夕飯も一緒に食べてくれて、病院から自宅まで1時間半はかかるので遅くなったら悪いと思ったけど、少しでも長く一緒に居られたら嬉しい 
友だちが来てくれたときも、家族でも、それは同じことで。
誰かが近くに居てくれることが、とてもとても、温かい

パーティーもどきを終えて、そろそろ帰らないと・・と部屋に戻ろうとしたとき、父と母が先生につかまった。(←言いかた悪いけど適当な表現がないもん・・。)
「私も入れて!!」とは、このときは思わず・・。
妹と一緒に、談話室にある新聞コピーを見たり、絵本とか漫画を読んで笑う方を選んだ。
これは、逃げなのかな??
今日の検査の結果を話すに決まってるんだけど、それを分かっていても話を聴こうとしない私の行動・・。

それでもなんとなく気になるから、聞いてないようでちゃっかり聞いてたり。
おしゃれメガネの先生は本当によく話をしてくれる先生。よくわかるように話してくれるし、自分の中で話を理解する時間もちゃんと与えてくれるし、わからないこと・聞きたいこともすごく聴いてくれる。血管造影検査のときは、「話をきいて、よく考えて、やっぱり嫌だと思ったらやめても構わないから」と、選択肢を提示して決定権をくれた。
ただ、それが私にとっては、あまりにも詳しいことや新しく知ることばかりで実感わかないというか、自分のこととして捉えられなくて、受けとめきれなかったりする・・。
私のことなのに、私のことと思えない・・。他人事っていう感じ・・。
他人事であってほしいから、そう思ってるだけなのかもしれないけど

逆に、「谷原」声の先生は、自分に起きていることを、自分のこととしてちゃんと捉えられるようにしてくれたと思う。
入院するとき、私が訴えるひとつひとつのことに対して、「それはちょっとおかしいことだよね?」という問いをくれた。それに応えるには、他人事ではすまされない・・。私自身にどんなことが起こって、それをどう捉えるのか、伝えなければいけない・・。


これ、どちらも必要。なんだけど、本当は、「谷原」声の先生がしてくれたことを自分でできなかったから、おしゃれメガネの先生の話を聴けなかったんだと思ってる。
入院している間なんて、嫌でも毎日が自分に起きていることを自分のこととして捉える機会であるのに・・。
それなのに、そこから目をそむけていたということだと思う・・。
せっかく、お医者さんがいくら情報をくれても、患者側が主体的になる意識がなければ、なんの意味もなくなってしまうと、そう感じた。
インフォームド・コンセントって、そういうもの。
逆に言えば、主体的になれるようなかかわりが、医療者に求められるのでは?ということなんだろうけど。
この日の、全く主体性に欠けた私の行動は、次の日Nsから注意されました・・
「なんで話に入らなかったのーー先生が聞いちゃダメって言ったの??ちゃんと話に入ってよぉ」って


絵本に夢中になってると、「谷原」声の先生に「少し歩いて見せてくれる?」と。へにょへにょなぴよこ歩きを「まだそんなかぁ~」って言われ、それ以上何も言わず「当直なんだぁ」と漫画をこっそり(?)白衣の下に隠し持って去って行った・・
いつも明るくてニコニコしてる先生は好き やさしいオーラを放っている人は、やっぱり近寄りやすいし、親しみやすい
あの声もすごく好きだしもう会わないのは・・残念


「早く学校行きたいでしょ?」
え?!その嬉しい言葉。学校・・
 おしゃれメガネの先生には、学校に行きたい。学校行っていい?と、「学校」という単語を何回か(何回も・・かな。)言ったと思う。
一度は、「まだ学校はちょっと・・」と呆れられたこともあった
だから嬉しい学校に行ける!毎日友だちに会える
こんなに恋しくなるようなところだと思ってなかったのに。
遠いし、大して楽しいことが何かあるわけでもないし。(←サークルとか入ってないから、家と学校を往復してるだけ。)
 それでも行きたいのは、友だちの存在の大きさだね


でも・・。今までお世話になったNsのみなさんや、リハビリスタッフの方、先生との関係もやっとなのに・・。
お別れするのはなんだかさみしいな



~入院15日目~

退院の日
でも、今日の日程を全部こなさなければ帰れない・・。
と言っても、検査と皮膚科外来だけなんだけど。そのたった2つのすべきことが、なかなか終わらない
 ヒマですることもなかったので、せっかくお別れの涙をたくさん流したのに・・
リハビリに行くことにした。
学校にすぐ行けるように、教科書の入ったバッグの重さ数キロ分の重りを持って歩行訓練をしたり、階段昇降したり、どちらの足から昇って降りるのが安全か?を教わったり。それだけじゃなくて、作業療法の道具を使って手の運動にぶれが起こるのが少なくなるようにとか、日常生活に戻るためのいろんな訓練をしてもらいました。
がんばった日は中庭に連れて行ってもらって「枯れ木しかないね」、噴水見て「夏だったら水の中入れるのに」って一緒に笑った 心の支えだったPTのお姉さんをずっと忘れない

 前の日から同じ部屋になったおしゃれなおばさまと、お姉さんと3人で中庭を歩いた。治療もせずに脳外科病棟に居住している不思議な私に、そのおばさまは、
「いいわね。治療もせずに?遊びに入ってるようなものじゃない」
と・・。
そう見えるんだろうなぁ。若いし、元気そうだし。
実際、検査とリハビリしかしてないし・・

病院にいればこう元気に見られ、外に出れば完璧な元気じゃない・・。私に適した居場所はどこ??

「遊びなんて言われちゃったら、私の立場ないですよぉー。これでも仕事ですから(笑)」そうお姉さんが言ってくれて、また助けられた・・。

 これで本当にお別れ!!
初めて来たときは歩けなくて泣いたのに。壁に手をつかなくても、ひとりで歩けるまでになった ありがとう


やっと1つめのすべきこと。皮膚科外来に呼ばれ、Nsと一緒に
そのまま検査に行ければ・・と思って連絡してくれたけどダメだった
お昼ごはんも終えて、お昼寝までして・・
それでもまだ

 ほんっとぉーーに遅い
今日帰れるの
でも退院予定なので、もう次の入居者が待っているらしく・・
「あのぉー大変申し訳ないんですけど・・
と、看護長さんから退去命令
少し前に来てくれた母に荷物を別室に移動を任せ、それとほぼ同時にやっと呼ばれた昨日の続きの検査へ・・。
 病棟が混みこみらしい 稼働率いいなぁ~
・・にしても、もっと早く言ってくれれば良かったのに。急に言わないでほしい。


検査から戻ったときには、相談室を一部屋借りて、帰り支度ばっちりにしておいてくれていた母。そこで着替えて、電車に乗れるくらいの化粧をして、髪を留めて・・ 今すぐ帰れますの状態。
でもやっぱり帰れない
「先生が1時間戻れないって・・。本当にごめんなさい
どこまでもついてない。時間の神さまに嫌われた?

外はすっかり暗くなって、窓の外の東京タワーがきれいに見える暗さ。この景色も、かわいいクリスマスツリーとジェルで飾りつけされたこの病棟ともお別れ とても居心地のいい病棟でした
かわいい音楽のcallが聞こえてきて、朝と昼は生活感あふれる音があるけど、とても落ち着た静けさを保ってて。
個室のドアが開いてるとテレビの音が聞こえたり、談話室でゆったり読書してる人がいたり、家族と過ごしたり・・。みんなが思い思いにゆったり過ごせるあの空間は良かった
「病気」はつらい。いろんな意味でつらい。だから、生活する場が居心地いいと感じられることは、とても大きいと思う。
 
 持ってたチョコレート一箱食べ終えて、だんだん眠くなってくるし、夕飯が運ばれてくるのを見て「あぁー夕飯ハンバーグだったのに。食べて帰ればよかったぁ」と思い・・。
私が帰らないから、きっと日勤であろうNsも帰れないのでは?と思って、何度も「もう一回、先生に連絡してみるね!」と言ってくれた水色エプロンNsに申し訳なくなった

それから、戻ってきた先生から話を聞いたわけなんだけれど・・。
画像をまともに見れなかった
他人事のように感じたというのもそうなんだけど、一番の気持ちは恐怖だと思う。何となく曖昧にしてきたことが、これを聞くともう曖昧にはできない・・。
 結局、歩けなくなったときに疑うという脊髄には異常がなく、血管造影で合併症が見つからなかったのでそれも違う。特に学校のこと、就職のこと、恋愛のこと・・とか悩んでることがあるわけでもないので、もともとある脳血管障害である血管奇形のうち2つが原因で、歩けなくなったのでは?と考えるしかない、と先生は言っていました。
実際、回復したからそれはいいんだけど。
問題はここからで・・。
 「運動に関係するところに血管腫がある」という言葉に、
初めて病名を聞いた高校生のときにも、「手や足が動かなくなることがあるかもしれない」そんなようなことを、なんとなぁ~く耳にして「歩けなくなったらどうしよー」って怖くなった気がしたけど、やっぱりそうなのかとちゃんと知ったのは初めて。
しかも、もしはっきりと症状が出るとすれば右側に出るそうで、利き手の方かぁ・・って思った。ということは、病巣が左にあるということだから(←ほとんど画像を見てないし、話も聞いてるような聞いてないような・・)・・左の小脳ってどんな働きとかあるっけ??教科書見なくちゃ!とか、いろんなこと考えちゃう。
でも、だからって今すぐ治療をしてほしい!!とは思えない・・。
別に、この病気はそれ自体があってわるいものではないから。もしも、大きな出血をしてもすぐに命に危険があるというものでもないらしいし・・。それに、治療をしたからと言って、症状として起こることが治るかどうかはわからないらしく、それなのに放射線治療で被爆するのはリスクがあまりにも大きすぎる。7箇所ある病巣をすべてなくすのには、もっとハイリスクな開頭手術が必要で、現時点では、それらのリスクを負ってまで治療をする必要はないと思った。お金もすごいかかるしね
 ただ、先生は「世の中には、病気を嫌う人もたくさんいるから、就職するときや結婚するときにそういう人に出会って、治療を選択肢のひとつとして考えることが必要になるかもしれないから・・」
と、今は必要なくてもそういうこともある。って、選択肢を提供してくれた 本当にいい先生
「もっとちゃんと歩けるようになりますか??」に、ちゃんと歩けるようになるから大丈夫と言ってくれて安心

と、ふいに「親子関係はうまくいってます??」
・・・
もう話すこと話した後で、これを聞かれた。見透かされてた
病気のことは家族に話さない私。
病気のことに触れられない母。
一人で病院に行くので、聞かれなければ興味ないと思ってあえて自分から話そうとは思わない。聞きたくないんだろうな、病気の話なんか。と思うし。
でも、「家族にちゃんと話さないとね」と先生に言われてしまった。これ、ずっと何年も前にもほかの先生から言われたことがある。
「どうしてお家の人に(体調が悪いこととか・・)話さないの?自分で言えないとダメだよ・・」。言えない私に代わって家に電話してくれたこともあったけど、2人が言うように、私が言わないから、家族が病気を知らない、私の気持ちを知らないままになってしまう。言わなければ何も分からないもの・・。
関心を持ってほしいなら、私が関心を持ってもらえるような態度にならなくちゃいけなかった。
 そんなことも教えられた・・
私の自分でも嫌になるあの態度も、先生はちゃんと見ていたんだね・・。
検査の前、自分で決めるから家族は関係ない!みたいな気持ちでいて、結局、過呼吸になったのも、先生はわかっていたんだと思う。
すごくすごくいい先生に出逢えました
もう会わないのが寂しいけど お世話になりました

お話しが終わって、Nsからいろんな証明書とか薬とか受け取って・・。
ついにお別れです
すっかり夜・・
「こんな夜になっちゃって、遅くまでごめんなさいありがとう」って、ホントに申し訳なくて言ったんだけど、水色エプロンNsは、「えぇ~そんなのいいんだよぉー外来に来たときに、病棟に遊びに来てねーー」と言って先生と、お見送りしてくれました

先生も、看護師さんも、リハビリスタッフのみなさんにも・・
本当に本当に恵まれたと思います
かかわったみ~んなに感謝の気持ちでいっぱいだし、この体験は、やっと本当に病気の自分・病気の私と家族や周りの人達と向き合ったと思う・・。


退院後、最初の外来受診の日。
いつも診てもらっている先生と久しぶりに会いました
入院中、一度も会いにこなかった(笑)先生に、まずそのことを謝られました。
確かに、初めの頃は知らないお医者さんばかりで心細かったけど・・
病棟でお世話になった人、みんないい人だったから大丈夫☆

でもやっぱり、長く診てもらってるからこそっていう安心感みたいなのが、この先生にはある。
「ここまでやってきたんだからがんばろうねぇ~
と言われて、嬉しかった
それまでの私の苦しさ、つらさ、努力したこと、それがあるから笑えること・・
いっぱい見ていて、ただそれの傍観者になってるんじゃなくて「一緒に」居てくれた人だからこそ。
言葉のひとつが、短い時間が、とても貴重であると感じられる

こんなふうに感じられる人に、一生のうち、何人と出逢えるか・・?
病気の私にとって、このお医者さんは本当に大きな存在です