Are you Wimpy?

次々と心に浮かぶ景色と音。
そこからは絶対に逃げられないんだ。

★「ネット小説大賞」にもチャレンジ中★

トイチの中のジジコ 第1話

2021年02月18日 | 日記
 「ね、ね、ジジコの話してよ」

 夏来という女生徒が授業を進ませてたまるかとばかりに切り出した。この高校の定時制で教鞭を執り始めて丸1年が過ぎようというのに、旭野は相変わらず生徒達のペースに巻き込まれて、年度初めに計画した内容を熟せずにいた。そんな状況に若干の焦りはあったものの、わざと旭野に教科書を開かせまいとする生徒達が、これまで貯めてしまった単語練習の宿題に一生懸命に取り組んでいるのを知っていたから、旭野自身も敢えて策略に乗ってみるのも良い気がしていたし、雑談の方が偉そうに英文法を解説しているより自分の性に合っていて楽しいというのが本音といったところだった。

 「ジジコか・・・。もう、ネタ切れなんじゃない?」
 「じゃ、同じ話でもいいからさ」

 このクラスの生徒達は誰もが複雑な家族の出で、夏来なんかは「アタシには種違いの弟が2人いて・・・」なんて気楽に語り始めるものだから、旭野もついつい自分の身の上話をひけらかしてしまったのが運の尽きだった。本来教えなければならない教科書をそっち退けて、人生相談をしたりエンカウンター張りにお互いに話し合ったりして時間を潰すことが多くなっていたから、英語というよりは道徳か学活といった雰囲気が漂っていた。ここで「ひけらかす」と言ったのは、教室では何かと自分の“不幸自慢”が飛び交うような有様を呈していて、ある種の「不幸対決」の様相を呈していたということだ。
 旭野も自分自身が他の友達よりも特別な子供時代を過ごしてきたことを心のどこかで自負としていて、彼らが持ちかける日々の憂いなど「大したことない」なんてあしらいつつ、ついぞ自分の人生を振り返って語ることがあった。それでも、旭野は、そういった身の上話も結局は体験した本人しかわからないことがほとんどで、そんな風にお互いに声に出して鬱憤を晴らすというエンカウンターなのだという事にも納得していた。

 “ジジコ”というのは旭野の亡くなった父親のことだ。所謂「破天荒」な父親で旭野の次男が誕生する前年に海の事故で突然亡くなったから、その年13回忌を迎えたばかりだった。ジジコは次男が旭野の女房の身体に宿っていることすらも知ることなく死んだ。
 ジジコが亡くなったとき、旭野は中学校の臨時講師として働いていて、1年契約ではあったけれどやったこともない野球の部活も持たされて土日もなく毎日朝早くから深夜まで働いていたから、既に2ヶ月以上ジジコが住む鹿嶋の実家に足を運んでいなかった。自宅から車で50分ほどかかる実家には女房が気遣って長男を連れて時々遊びに行っていたが、「久々に休みができたから」とジジコが死んだ週末には一家で出掛ける約束をしていた。実は、女房の懐妊報告が目的でもあった。
 水曜日に台風が去ったばかりで、ジジコはまだ波が荒い海に出て旭野たちに海の幸を振る舞おうと考えていたのだろう。堤防から波に浚われて沖で漁船に引き上げられた時、ジジコは必死で小さなクーラーボックスにしがみついて辛うじて波間に浮かんでいたという。
 鹿嶋警察署から電話をもらった時間、3年生の副担任をしていた旭野はまだ高校受験の面接指導の最中だった。丁度その時期に、電話で警察や弁護士を騙った教員をターゲットにした詐欺が横行していたから、父親が溺死したという唐突な話に最初は耳を貸さなかった旭野も、父親の車のことを詳しく説明されて一気に真実味を帯びてくるのを感じた。

 「何も身分を証明するものがなくてですね、ポケットにあったトヨタ車のキーが手がかりだったものですから・・・」

 ジジコが流された堤防は元々立ち入り禁止で、それでも良い漁場だという口コミで釣り好きには人気の場所だった。事故が起きて警察が来た途端、同じ場所で釣りに興じていた輩が一斉に散った様で、たった1台だけ堤防下の道路に駐車されたままだったマークⅡとその鍵が合ったのだという。車の中にあった免許証で顔を確認し間違いないということで、最初は実家の母親のところに直接出掛けたのだが信じてもらえず、その母親からインターホン越しに旭野の方に連絡してくれと頼まれたという顛末だった。
 信じたくない話だったし、臨時講師というのは教諭達に比べ年齢に関係なく弱い立場にあったから、そう簡単には私用で早退するなどと言い出せるはずもなく少々躊躇っていると、電話を取り次いだ事務員に怪訝な顔で警察から何の用か尋ねられて説明すると、流石に内容が内容だけに「すぐに退勤しなさい」という命令が校長から下された。後に残した生徒達のことも気になったが、未だ警察の話を信じ切れず半信半疑のまま旭野はそそくさと実家に向かった。
 2日ばかり早くなってしまった約束の再会だったが、警察署に近付くにつれて疑惑の念が少しずつ偽りであって欲しいという願望に変わって、旭野は車のハンドルを握り締めながら「まさか。そんなことあるわけない」と幾度となく自分自身に言い聞かせていた。
 数年前に実家の両親と仲違いして家を飛び出していた十歳年上の腹違いの姉に電話すると、彼女も実家に向かっているところだと言っていた。電話の向こうで泣いているのがわかって、それが旭野には不思議で仕方なかった。なぜなら、旭野自身もジジコから随分と酷い目に合わされていたし、義姉に至ってはジジコとは犬猿の仲で、事ある毎に「早く死ねばいいのに」などと口走っていたからだ。それどころか、酔った勢いでパタークラブを取り出して既に寝床に入ったジジコの頭を小突いてやろうかなんて冗談すら言う始末だった。だから、義姉の啜り泣くような声に白けた様な気分にすらなって、「嘘であって欲しい」と願いながらも、旭野自身は冷静さを取り戻してひたすらに職場からは2時間弱かかる目的地を目指していた。


巡り逢いの妙巡り逢いの妙⑪  ペットを巡る不思議な体験 第6話

2021年02月18日 | 日記


(5)生まれ変わり

 2011年6月26日 日曜日

 思いがけず目を覚ました私は, 深い寝息を湛えている次男の無防備な寝顔の向こうに据えられた置き時計に何気なく目をやった。その週末に5歳の誕生日を迎えようとしている次男を寝かしつけていて,どうやらいつの間にか自分も一緒に眠ってしまった様だ。午前2時丁度から数秒だけしか先回りしていないところだと知って、私は嫌な胸騒ぎを覚え、物音を立てないように気をつけながら,ももたろうが寝ている玄関へと急いだ。
 齢十二歳となる老犬のももたろうは近頃容態が芳しくなく,いつ粗相をしても良い様にと私の書斎に設置された特性の小屋ではなく、玄関の地べたに寝かされていた。ももたろうもひんやりとした場所が気持ち良さそうだったし,かまちを上がる体力も残っていなかったから,数日前からそこに寝かせるようにしていた。
 毎年必ず受けさせている予防接種を兼ねた定期検診で「悪性腫瘍」を獣医が見つけたのは4月初頭だった。3月に12歳の誕生日を家族で祝ってもらったばかりのももたろうは、人間で言えば80歳以上。手術を受けさせて延命することも可能だったが、獣医師はそれを勧めはしなかった。

「痛い思いをさせるより、短くとも残された日を一緒に過ごしてあげた方がいいでしょう」

 折しも東日本大震災が未曾有の災害をもたらした年であった。水道や電気が止まってしまった我が家から何の影響も残らなかった妻の実家に妻子が避難して過ごしている間も、ももたろうと私はリビングに灯油ストーブを1台置いて、以前妻が身ごもって実家に帰っていた時以来の“親子”水入らずの時間を楽しんでいた。地震から1ヶ月程はそんな風に過ごしていたから、病気のことを知らされた時、私は余計に打ちのめされる思いだった。
 それでも、ももたろうが元気に走り回ったり食欲も旺盛な様子に、「病気というのは間違いなのかもしれない」という一筋の希望を抱いて祈るような毎日を送っていたのだが、六月の初め頃には白内障が急激に進み足取りも覚束なくなり始め,亡くなる数日前にはとうとう歩くことも食べることも出来なくなって,みるみる弱っていく愛犬の姿を見るのが悲しくてたまらなかった。
 その場所に寝る様になってからは,ももたろうは私が近づくのに気付いても耳だけを動かすくらいで起き上がることはなかったが、その日は耳すらも微動だに動かさない様子に恐る恐る腰を下ろして首元を撫でてやると反応が全くなく、私の不安はいよいよ現実の物となった。私は呼吸ができなくなるような苦しい気持ちを必死で抑えながら「どうした,ももたろう」と声を掛けて、すっかり軽くなった愛犬の身体を抱き締めた。身体にはまだ温もりが残ってはいたが,ももたろうは力なくぐにゃりと曲がったまま、いつもの様に抱き返してくれることはなかった。そして、そのいつもと変わらない体温と匂いに、ももたろうが正に亡くなった直後なのだと悟って,きっと別れを言う為に私を起こしてくれたのだと確信した。しかも、その頃は早朝から深夜まで働き休日すらない様な日々を送っていた私にとって、久し振りの休暇の未明に息を引き取るなんて・・・、ももたろうがその日を選んだのだとさえ思えて胸が熱くなった。

「いい子だったな、本当にいい子だった。ありがとうな」

 私はももたろうのお気に入りだった座布団の上に姿勢を整えて寝せてあげ,いつでも運び出せる様に予め準備しておいたケースの中に収めてから、しばらく身体を撫でてやりながら夜明けまで別れを惜しんで過ごした。
 余命宣告を受けた段階で,ペット火葬専門の業者に声を掛けておいたので,翌朝にはももたろうを荼毘に付すことができた。人間さながらに遺骨を壺に納める儀式も行って,あんなに大きくて頑丈だったももたろうは小さな白磁の壺に納められて金色を基調とした綺麗な骨袋に入った状態で私の手に戻された。
ももたろうが真っ白な骨だけになって火葬炉から出された瞬間,一緒に来ていた長男が全身を震わせながら大声を上げながら泣き始め,その号泣は帰宅してからもしばらく止むことがなかった。昼前にはひととおり必要な事を済ませ,家族でももたろうの身の回りを片付けるなどして喪に服した後, 夕方になってようやく落ち着いた長男を宥めながら,未だにももたろうの死を理解していない様子の幼い次男も連れて,いつもの散歩コースをももたろうの首輪を持って歩くことにした。
 近所に比較的大きな運動公園があって,夜明け前と私が帰宅した深夜の誰もいない時間帯,リードを外して思い切りグルグルと何週も疾走するのをももたろうは楽しみにしていた。散歩に向かうももたろうは本当にうれしそうに私の顔を幾度となく見上げたものだった。
 そんなことを思い出して胸が詰まるような感覚を抑えながら黙って歩いていると,公園の入り口の石畳の上で一匹の猫がこちらをじっと見据えているのが見えた。下の子は喜んでその猫に走り寄ったが,私同様に猫の毛で喘息発作や皮膚アレルギーを起こしたことのある息子を呼び止めようとした瞬間,走り出した次男を避ける様に,その猫はくるりと向きを変えて公園の方へゆっくりと歩いて行ってしまった。息子は諦めずに何度か近寄ろうとしたが,その度に猫は私たちより10mくらい離れた所へさっと身を移して,最初と同じ様にこちらを向いて座って近付いて行く私達の様子を見ていた。「びっくりしちゃったんだよ」という私の一言に,今度は次男も私たちと一緒にゆっくりと慎重に近づいて行ったのだが,やはりあと数歩という所で猫は私たちから離れて行ってしまう。そんな事を繰り返している内に私は猫の不思議な様子に気づいた。長男も私と同じ事を想像しているということが,猫の方を真剣に見据える表情から見て取れた。猫はその後もずっと私たちの10mくらい先を,まるでももたろうの散歩コースを知っていて案内する様に何度もこちらを振り返りながら,私達を先導した。
 そうしてとうとう自宅の前まで来たときに,我慢できなくなった長男が「ももちゃんだよ!ももちゃんが帰ってきたんだ」と泣き叫びながら私にしがみ付いた。
 先に自宅の玄関に辿り着いた猫は,今度は私たちが部屋に入るのを見届ける様にドアの真ん前で静かに座ってじっとしていた。私たちがアレルギーを恐れて頭を軽く撫でてやるしかできないのも受け入れつつ,まるで禁じられたかの如く家に入ろうとする素振りは一切見せずに,ただそこに座って目を閉じて満足気にしていた。子供たちが何度か「おいで」とも声を掛けたが,猫は目を瞑ったまま佇んでいるのだった。
 私は再び泣きじゃくる長男の背中をさすりながら「きっとお別れを言いにきたんだね」と言ってあげるのが精一杯だった。「じゃあね」と言いながらドアを閉める時も猫は置物みたいにじっとしていた。
 長男はベッドに飛び込んでしばらく泣いていたが,私はそれを慰めることも忘れて遠い昔のことを思い出していた。めくるめく思い出の錯綜の中で,もしかしたら私たちが猫の墓標に近いこの家に住むことになったのも偶然ではなかったのではないだろうかという思いが溢れてきた。突然、ももたろうの優しく,それでいて物憂げだった様子が,私が殺してしまった白猫や私達父子を先導した猫と激しく重なった。そういえば、あの猫の模様が白猫とももたろうの体毛を足して割ったような柄であったことさえ不可思議な事の様に思えて、気付くと私は玄関を飛び出して日暮れの空の下に猫の姿を必死で探しているのだった。

 ほんの数分前まで玄関に佇んでいた猫はいつの間にか姿を消していた。そして二度と私達の前に現れることはなかった。