偶然だとか思い過ごしだとかで片付けられてしまうのだろうが、とかく私の人生には未だに解決に至っていないミステリーがいくつも犇めき合っている。
私が大学を卒業して渡英する前の年の夏、姉が飼っていたポメラニアンのチャーリーが死んだ。姉が飼っていると言っても、毎週日曜には職場に向かう途中に私達に預けられていたから、チャーリーは私達家族の一員だった。死ぬ数日前に左前足を引き摺るようにして歩いていて獣医に見せたが原因が分からぬまま、ある朝姉が住む北越谷のマンションのリビングで死んでいるのが見つかった。犬にはよくあることらしいが、当時一般的だった40cmほどの高さのある木製ステレオスピーカーの後に身を隠す様にして事切れていたという。姉から電話をもらって、私は車で20分ほどの姉のマンションへ急いだ。到着した時には既にチャーリーの身体は堅くなっていて、その事が余計に切なさを掻き立てて、悲しさより悔しさの方が上回って不思議と涙が零れなかった。
容態が悪化する前の週に遊びに来た時には普段通り愛嬌を振りまいていたが、思えば抱っこを嫌がるチャーリーが、その日は何故か私に付き纏って何時になく甘えてきたのが解せなかった。あれは、もしかすると自分の死期を悟っていたのだとさえ思える程の甘え様で、抱き上げてやると目を細めて安らかな表情をしていた。
姉の友人が浅草で葬儀店を経営していたので、その伝手でペットの葬儀専門の業者がすぐに来てくれて、チャーリーは小型の犬猫用の木箱に納められて火葬場に運ばれ、昼過ぎには小さな化粧袋の中の骨壺に入れられ草加にある寺のペット用の共同墓地の納骨堂に額入りの小さな写真と一緒に納められた。火葬場でも帰宅してからも姉は狂ったように泣き喚いていたが、私にはまだチャーリーがいなくなったという実感が湧かなくて、そんな姉を宥めながら夕方まで過ごした。
その翌週の日曜日、いつもなら姉が出勤する途中にチャーリーを預けていく時間になって、ようやくチャーリーのいない喪失感を抱き始めた私は、チャーリーが好きだった「県民福祉村」という建築中の公園へ一人で出掛け、いつもの散歩コースをゆっくりと時間を掛けて歩くことにした。
私が工事中の人工池を見下ろしながら芝生の植えられた広場を歩いていると、どこからともなくクロアゲハが舞って来て左肩に止まった。私は余り昆虫の類いが得意ではなかったのだが、その日はとても安らかな気持ちだったからか、あるいは「チャーリーが来たのか」とさえ思って、その大きな蝶を払いもせず暫く・・・それでも5分ほどだっただろうか、その大きな蝶をブローチの様に飾ったまま池の縁まで来てチャーリーを偲んでいた。私はそこでんで池を覗き込みながら蝶と共にいるかもしれないチャーリーの魂に話し掛けた。
「かわいかったなぁ。本当にチャーリーはいい子だったね」
私がそう話しかけると、大人しく止まっていた蝶が突然空高く飛び上がって池の向こう側へ行ってしまった。私が立ち上がって蝶が見えなくなるまで見送っていると、今度は背後からクルークルーという鳩の鳴き声が聞こえた。蝶に少し未練があったが仕方なく振り返ると、池を中心に擂り鉢状になった広場の数メートル上の方に1羽のキジバトが左側を向いて佇んでいた。私は大学の生物部で野鳥班に所属していたことがあったから、脅かさないように近付いたとしても大抵の場合鳩は歩いて離れていくか飛び立ってしまうことを知っていた。しかし、その鳩は私がどれだけ近寄っても何度か頭を傾げるくらいで逃げる気配が全くなかった。怪我でもしているのだろうと考えて確認しようと背中を撫でたが、鳩はそれでも全く逃げようとせず、怪我をしている様子もなかった。チャーリーの魂が宿ってるのを確信した私の胸一杯に、初めて溢れるばかりの悲しみが込み上がってきた。
「チャーリー、ありがとう。お別れを言いに来たんだね・・・」
私はそう唱えながら鳩の背中を優しく3度撫でてから広場の先にある舗道に向かった。すると、鳩は私の後を追う様にしばらく歩いて、私が舗道に辿り着いたのと同時に蝶が飛んで行った同じ方向に羽ばたいた。
私は悲しい気持ちに満ちた心のままチャーリーがいる納骨堂に向かった。私は敬虔な仏教徒ではなかったが、教わった通りに線香をあげてから納骨堂に入ってチャーリーの骨壺を探した。中央の棚の右側の列の真ん中辺りにチャーリーの写真が飾られていた。その写真は福祉村の舗道沿いの芝生の上で伏せてこちらを見下ろす優しい顔のチャーリーを、私が人工池の方から75mmの望遠で撮影したものだった。
そして、私は先程の蝶と鳩が、やはりチャーリーの化身だったことを思い知って、チャーリーの骨壺を撫でながら号泣した。もうチャーリーの埃臭い体毛の匂いはしない。そこには線香の煙だけが静かに漂っていた。
葬儀店が写真を納めた額縁にはかわいらしい蓮の花飾りと一緒にクロアゲハとキジバトのマスコットが据えられていた。
私は悲しい気持ちに満ちた心のままチャーリーがいる納骨堂に向かった。私は敬虔な仏教徒ではなかったが、教わった通りに線香をあげてから納骨堂に入ってチャーリーの骨壺を探した。中央の棚の右側の列の真ん中辺りにチャーリーの写真が飾られていた。その写真は福祉村の舗道沿いの芝生の上で伏せてこちらを見下ろす優しい顔のチャーリーを、私が人工池の方から75mmの望遠で撮影したものだった。
そして、私は先程の蝶と鳩が、やはりチャーリーの化身だったことを思い知って、チャーリーの骨壺を撫でながら号泣した。もうチャーリーの埃臭い体毛の匂いはしない。そこには線香の煙だけが静かに漂っていた。
葬儀店が写真を納めた額縁にはかわいらしい蓮の花飾りと一緒にクロアゲハとキジバトのマスコットが据えられていた。