本日CS放送でオンエアされたオリックス・バファローズ・ジュニアの決勝戦を見てかなり感動いたしました。
ジュニアの皆さん、素晴らしい戦いぶりでした。本当におめでとうございます。
さて。
これを機会に、久々に野球の話題をしようと思います。
今回は、「昭和11年」。
11年前に、私の祖父は亡くなったわけですが、
亡くなる半年前に、普段あまりしゃべらない人でしたが、あるときいろんな話をしてくれたことを覚えています。
例えば、建築家だった祖父は、設計と工事監理として携わった野球場の工事写真を見せてもらいました。
身内自慢とも捉えられかねないのですが、非常に几帳面な人でした。
例えば、このテレビの台となっている棚。
日曜大工で作ったもののようです。
失敗作や、と言ってましたが、こうやって数十年使われてきました。
ちなみに、うちの祖母も、同様なものでして。
掛け軸になっているのは、中学2年生のときに書いた字だそうです。
こういうのが流行っててん、といいますが、真似しても書けるもんじゃないって。
県営の明舞団地の一角に、そんな昭和初期の思い入れがつまった部屋があり、
私は帰省すると必ずこちらへ遊びに来ています。
そして。
恐らく祖父本人が大事に保管されていた、ある雑誌を私はいただいていました。
その雑誌が今回紹介する、昭和12年の運動年鑑というものです。
■日本職業野球の初年度
昭和11年、1936年。
この年は、日本職業野球としてスタートした、現在のプロ野球(NPB 日本野球機構)。
いただいた運動年鑑は、昭和12年度とのことですが、
その中に、プロ野球初年度となる11年の記録が綴られていました。
日本野球連盟 (プロ野球) Wikipedia
上記のWikipediaの記録によれば、
すでにプロ野球チームとして活動していた東京巨人軍、大阪タイガースの2チームに加えて、
名古屋軍、東京セネタース、阪急軍、大東京軍、名古屋金鯱軍の計7チームでリーグ戦が始まったということです。
日本の団体競技で全国規模の社会人リーグ戦はこれが初めてだった、とも書かれています。
つまり、今のオリックス・バファローズの最初の姿である、阪急軍の幕開けの記録ですね。
これは感動ものです。
ずっと昔から祖父は阪急が好きだったと聞いていましたが、この当時からの記録を持っていたということでしょう。
また、中日の当初の姿は、名古屋軍です。
東京巨人軍、大阪タイガース、名古屋軍、阪急軍以外のチームは、このような変遷をたどっています。
・ 大東京軍→松竹ロビンス→大洋ホエールズに合併・消滅
・ 名古屋金鯱軍→1941年、東京セネタースと合併し大洋軍(大洋ホエールズとは無関係)→西鉄軍(西鉄ライオンズとも無関係)→1943年解散
・ 東京セネタース→翼軍→1941年名古屋金鯱軍と合併
そんな形で、大東京軍のみ現ベイスターズという形に変えたものの、他のチームは現在のNPBに残らない形で歴史を閉じていたようです。
そんな7チームで戦ったのは、まず記念すべき第1回春季大会。
第1回目のリーグ戦の優勝は東京セネタース。
その次の7月に、結成記念大会がトーナメントで行われ、
なんと、甲子園大会で阪急軍が優勝しています。
球史に名を刻んだ一歩でしたね。
秋季大会のリーグ戦は、タイガースと巨人軍が同率首位で、
決勝試合を行い、巨人が優勝したと書いてあります。
このほかに、
阪急vsタイガースの定期大会が行われています。
第1回は、阪急が2勝1敗で勝ち越し。第2回は、タイガースが2勝1敗で勝ち越し。
昔から阪急・タイガースで近くにいながら最大のライバルだったということも聞きます。
今は、オリックスは阪神におんぶに抱っこしてもらおうとしていますが。
■世界野球選手権?
ワールド・シリーズのこと、ですよね??
MLBの最高峰の試合のみ、こちらでも記録されていたようです。
太平洋戦争直前のこの時期に。
1936年の対戦は、A(アメリカンリーグ)ニューヨーク・ヤンキース vs N(ナショナルリーグ)ニューヨーク・ジャイアンツ、となっています。
■職業野球の位置づけ
冊子をぱらぱらとめくってみても、本の1/3程度が野球関連、ということで、
世間の関心が野球に対して非常に高かったことが伺えます。
この年、ベルリンオリンピックがあり、その記録もあるのに。
ただ、職業野球は、わずか4ページほど。
関東・関西6大学野球や、高校野球がほとんどのページを占めていました。
甲子園出場校や6大学野球では、選手の写真が掲載され、各試合の選手の成績も事細かに記されていました。
職業野球に関しては、選手名は全く記録にありません。
栄二さんの大先輩、松山商業や兵庫県代表・育英商業のナイン。
また、時代背景が伺えるものには、
朝鮮・満州・台湾チームの参加もありました。
しっかし記録を見てると、朝鮮チーム、結構強いです。
こちらは関西大学、明治大学ナイン。
そんじょそこらの野球マニアでも、なかなか見ることができない、古すぎてわからん世界が見られたのは、
丁寧に物を扱う祖父のお陰です。
私も責任を持って預かろうという思いですね。
もうちょっと紹介するつもりです。
時間とお気持ちに余裕のある方は、ぜひともぽちっと1回どうぞ。
ジュニアの皆さん、素晴らしい戦いぶりでした。本当におめでとうございます。
さて。
これを機会に、久々に野球の話題をしようと思います。
今回は、「昭和11年」。
11年前に、私の祖父は亡くなったわけですが、
亡くなる半年前に、普段あまりしゃべらない人でしたが、あるときいろんな話をしてくれたことを覚えています。
例えば、建築家だった祖父は、設計と工事監理として携わった野球場の工事写真を見せてもらいました。
身内自慢とも捉えられかねないのですが、非常に几帳面な人でした。
例えば、このテレビの台となっている棚。
日曜大工で作ったもののようです。
失敗作や、と言ってましたが、こうやって数十年使われてきました。
ちなみに、うちの祖母も、同様なものでして。
掛け軸になっているのは、中学2年生のときに書いた字だそうです。
こういうのが流行っててん、といいますが、真似しても書けるもんじゃないって。
県営の明舞団地の一角に、そんな昭和初期の思い入れがつまった部屋があり、
私は帰省すると必ずこちらへ遊びに来ています。
そして。
恐らく祖父本人が大事に保管されていた、ある雑誌を私はいただいていました。
その雑誌が今回紹介する、昭和12年の運動年鑑というものです。
■日本職業野球の初年度
昭和11年、1936年。
この年は、日本職業野球としてスタートした、現在のプロ野球(NPB 日本野球機構)。
いただいた運動年鑑は、昭和12年度とのことですが、
その中に、プロ野球初年度となる11年の記録が綴られていました。
日本野球連盟 (プロ野球) Wikipedia
上記のWikipediaの記録によれば、
すでにプロ野球チームとして活動していた東京巨人軍、大阪タイガースの2チームに加えて、
名古屋軍、東京セネタース、阪急軍、大東京軍、名古屋金鯱軍の計7チームでリーグ戦が始まったということです。
日本の団体競技で全国規模の社会人リーグ戦はこれが初めてだった、とも書かれています。
つまり、今のオリックス・バファローズの最初の姿である、阪急軍の幕開けの記録ですね。
これは感動ものです。
ずっと昔から祖父は阪急が好きだったと聞いていましたが、この当時からの記録を持っていたということでしょう。
また、中日の当初の姿は、名古屋軍です。
東京巨人軍、大阪タイガース、名古屋軍、阪急軍以外のチームは、このような変遷をたどっています。
・ 大東京軍→松竹ロビンス→大洋ホエールズに合併・消滅
・ 名古屋金鯱軍→1941年、東京セネタースと合併し大洋軍(大洋ホエールズとは無関係)→西鉄軍(西鉄ライオンズとも無関係)→1943年解散
・ 東京セネタース→翼軍→1941年名古屋金鯱軍と合併
そんな形で、大東京軍のみ現ベイスターズという形に変えたものの、他のチームは現在のNPBに残らない形で歴史を閉じていたようです。
そんな7チームで戦ったのは、まず記念すべき第1回春季大会。
第1回目のリーグ戦の優勝は東京セネタース。
その次の7月に、結成記念大会がトーナメントで行われ、
なんと、甲子園大会で阪急軍が優勝しています。
球史に名を刻んだ一歩でしたね。
秋季大会のリーグ戦は、タイガースと巨人軍が同率首位で、
決勝試合を行い、巨人が優勝したと書いてあります。
このほかに、
阪急vsタイガースの定期大会が行われています。
第1回は、阪急が2勝1敗で勝ち越し。第2回は、タイガースが2勝1敗で勝ち越し。
昔から阪急・タイガースで近くにいながら最大のライバルだったということも聞きます。
今は、オリックスは阪神におんぶに抱っこしてもらおうとしていますが。
■世界野球選手権?
ワールド・シリーズのこと、ですよね??
MLBの最高峰の試合のみ、こちらでも記録されていたようです。
太平洋戦争直前のこの時期に。
1936年の対戦は、A(アメリカンリーグ)ニューヨーク・ヤンキース vs N(ナショナルリーグ)ニューヨーク・ジャイアンツ、となっています。
■職業野球の位置づけ
冊子をぱらぱらとめくってみても、本の1/3程度が野球関連、ということで、
世間の関心が野球に対して非常に高かったことが伺えます。
この年、ベルリンオリンピックがあり、その記録もあるのに。
ただ、職業野球は、わずか4ページほど。
関東・関西6大学野球や、高校野球がほとんどのページを占めていました。
甲子園出場校や6大学野球では、選手の写真が掲載され、各試合の選手の成績も事細かに記されていました。
職業野球に関しては、選手名は全く記録にありません。
栄二さんの大先輩、松山商業や兵庫県代表・育英商業のナイン。
また、時代背景が伺えるものには、
朝鮮・満州・台湾チームの参加もありました。
しっかし記録を見てると、朝鮮チーム、結構強いです。
こちらは関西大学、明治大学ナイン。
そんじょそこらの野球マニアでも、なかなか見ることができない、古すぎてわからん世界が見られたのは、
丁寧に物を扱う祖父のお陰です。
私も責任を持って預かろうという思いですね。
もうちょっと紹介するつもりです。
時間とお気持ちに余裕のある方は、ぜひともぽちっと1回どうぞ。
図書館でもこれくらいの年代になると書庫にもなく、博物館扱いだと思います。
あぁあのときは、ていう風に見られないでしょうね。
(ハムぞーさんが大正生まれと言ってるのでなくて)
多少、朝日新聞社に著作権等があるんでしょうが、
探し出してお願いしても、なかなか戦前の雑誌など見られないものだと思いますので、
ケチなことせずに多少の紹介をした方がいいかな、と思って公開してみました。
最大の驚きです。
アサヒということで
スポーツ版の「知恵蔵」みたいなもん
ですかね。
内容で興味深いのは広告ですね。
ある薬の宣伝は戦後のヒ○ポンが流行る
下地なのかなと思ったりして。
これからも大事に保管してください。
ですからね。
大事に保管して後世に伝えて欲しいです。
プロ創設期は、学生野球に比べ人気があまりなく、
且つお金を貰ってプレーするという点が当時の人達
には賤しく思われていました。
そのことが、プロ選手達の写真が1枚も載ってない
ことにつながっているのでしょうね。
その時代の風潮を表しているのかな?て思ったりします。
また、身内のことながら、自分の祖父に対しては
本当に感謝の思いと
その思いを受け継ごうという決意になります。
私にこのような書物を預けてくれたことについては
本当に重く受け止めて、責任を持って保管しようと思います。
でも、当時のプロ選手たちがいてこそ、
今のプロ野球があるともいえます。
名も残らなかった選手たちに感謝したいですね。