Koitama.Comの新作ミックス・テープが出た。
『Love Ya Like』が喜怒哀楽の哀についてうたったモノだが、「Playing EP」は楽についてラップしている。
KOITAMA×AIWABEATZ×SHOT-ARROW – PLAYING EP | DL リンク
それは曲を作ることだったり、レコードを彫ることだったり、9時5時の仕事から離れて音楽と遊ぶことについてラップしている。
「My Song」でもビートをコラボレーションしたSHOT-ARROWと盟友AIWABEATZとのコラボで作られたこのMix Tapeは音楽的にはチョップやフリップを駆使したネタをグルーヴさせるサンプリング・ヒップホップだ。
Koitamaのラップはフロウするが技巧で聴かすというタイプではない。足より心を躍らせるタイプのラップだ。
誤解を恐れずに書けば、ストリートといったことばに表れるようなB Boyではない。ECDがかつていったことに準えればBig Youthというのに近いか。社会と折り合いをつけられるのが「大人」だが、Koitamaはそういう意味で「大人」だ。
都築響一が『ヒップホップの詩人たち』で描いたような社会と折り合いのつけられない・つけなかったB BOYとは違う。
ヒップホップの詩人たち [単行本]
ヒップホップを通じて大人になった人の物語は語られたが、大人がヒップホップを語ることはなかった。正確に言えばそれを聴くことは難しいことだった。この社会において自分のオピニオンをラップすると言うこと自体が「大人」なことではなかったからだ。
けれど、DAWの普及による高音質な自宅録音の、SoundcloudやBandcampなどの配信インフラによる「伝える」ということのハードルが大幅に下がったことによって、"土日の休み"でも充分に"活動"できるようになった。「大人」が「大人」のままでヒップホップすることの道が大きく拓けた。
Koitamaのラップにグッと来るのは(現状のラッパーの中で)一番身近に感じられるから。地域的にも、世代的にも(面識はない)。それがある人にはSimi LabかもしれないしIssugiかもしれないしPunpee、5lackかもしれないってこと、です。
ビッグ・ユース [CD]
『Love Ya Like』が喜怒哀楽の哀についてうたったモノだが、「Playing EP」は楽についてラップしている。
KOITAMA×AIWABEATZ×SHOT-ARROW – PLAYING EP | DL リンク
それは曲を作ることだったり、レコードを彫ることだったり、9時5時の仕事から離れて音楽と遊ぶことについてラップしている。
「My Song」でもビートをコラボレーションしたSHOT-ARROWと盟友AIWABEATZとのコラボで作られたこのMix Tapeは音楽的にはチョップやフリップを駆使したネタをグルーヴさせるサンプリング・ヒップホップだ。
Koitamaのラップはフロウするが技巧で聴かすというタイプではない。足より心を躍らせるタイプのラップだ。
誤解を恐れずに書けば、ストリートといったことばに表れるようなB Boyではない。ECDがかつていったことに準えればBig Youthというのに近いか。社会と折り合いをつけられるのが「大人」だが、Koitamaはそういう意味で「大人」だ。
都築響一が『ヒップホップの詩人たち』で描いたような社会と折り合いのつけられない・つけなかったB BOYとは違う。
![ヒップホップの詩人たち](http://ecx.images-amazon.com/images/I/41CiPIVTMAL._SL160_.jpg)
ヒップホップを通じて大人になった人の物語は語られたが、大人がヒップホップを語ることはなかった。正確に言えばそれを聴くことは難しいことだった。この社会において自分のオピニオンをラップすると言うこと自体が「大人」なことではなかったからだ。
けれど、DAWの普及による高音質な自宅録音の、SoundcloudやBandcampなどの配信インフラによる「伝える」ということのハードルが大幅に下がったことによって、"土日の休み"でも充分に"活動"できるようになった。「大人」が「大人」のままでヒップホップすることの道が大きく拓けた。
Koitamaのラップにグッと来るのは(現状のラッパーの中で)一番身近に感じられるから。地域的にも、世代的にも(面識はない)。それがある人にはSimi LabかもしれないしIssugiかもしれないしPunpee、5lackかもしれないってこと、です。
![ビッグ・ユース](http://ecx.images-amazon.com/images/I/41XDHD5CKEL._SL160_.jpg)
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