今日は個人的なことを書きたい。本日8/9は長崎原爆忌である。原爆を搭載したB-29の最初の攻撃目標は小倉であったが長崎へ変更された。雲にて視界不良であったからとされている。米軍の爆撃による煙または広島の原爆投下のことを知った八幡製鉄がコールタールを燃やして煙幕を作っていたとの話もある。
いずれにせよその日が快晴であったなら、多少の煙があったとしても小倉へ原爆は投下されていたであろう。75年前の1945年の小倉のその雲の下には私の父親がいた。彼は旧国鉄の職員であった。おそらくその日の小倉の天気が理由で私は今ここにいることになる。そしてその代わりの多くの長崎の人々が死んだ。
このことについてコメントを書くことはできない。ただ、夏になるとそのようなことがあったのだと思う。