昨日(2021/4/13)、アメリカ映画「21 Bridges」を見た。映画としてはアメリカでよくある腐敗警官を正義の味方がやっつけるとのもの。映画としてはよくできているとは思うが、少し違う角度より感想を述べる。
"正義の味方"のパターンはいく種類かあれど、彼らが腐敗警官をやっつけるというアメリカ映画は多々ある。勿論フィクションなのだが、この「腐敗警官」というのがアメリカ社会でそれなりの説得力があるのだろうか?つまり良くあることなのだろうか?との疑問を持った。
ほんの近頃、ミネソタにて警察官が黒人を「誤射」するとの報道があった。この「21Bridges」という映画でも腐敗警官が自分の腐敗行為がばれるのを防ぐために黒人を故意に殺すという場面が出てくる。もちろん、ミネソタのケースもそれと言うわけではない。
アメリカの警官が常に銃による暴力にさらされていることは理解する。しかし、そんなに遠くない時期に同じくミネソタで黒人の首を膝で押さえて殺した警官がいたように、このようなことが連続して起こるということを鑑みると、なんだがこの手の映画によく出てくる「腐敗警官」(少なくとも「暴力警官」)というのはアメリカでは説得力のないことでもないのかな?というのが今回映画を見た時の感想である。
警官による黒人への暴力というのはこれまでも連綿と行われていて、それらが近年、明確な形で明らかになる理由は皆が常時録画機器を持ち歩いていて、その撮影したものを簡単に多くの人に見せることができるようになったせいではないのだろうか?
実はミネソタに半年ほどいたことがある。ミネソタで黒人の多く住む地域も通過していた。近ごろのアジア人へのヘイトクライムを考え合わせると、コロナが収まって、アメリカへまた行けるようになってもなんだか気軽には行けないな、という変な映画の感想である。