日々雑感

”アムステルダム市長 奴隷制を謝罪”の記事と”植民地支配””奴隷制”への謝罪の世紀

2021/7/2 時事通信にて”アムステルダム市長 奴隷制を謝罪”の記事にて、オランダ政府は国として謝罪をしていないが先んじてアムステルダム市長が過去の奴隷貿易に対して謝罪したことが報じられた。
また、これに先んじて2021/5/28の共同通信にて”ドイツ政府は28日、植民地として支配していたアフリカ南部ナミビアで1904~08年、ドイツ軍が先住民数万人を殺害した事件を虐殺だったと初めて公式に認め、謝罪した。11億ユーロ(約1470億円)を被害を受けた地域の整備などに拠出するとも表明した。 ”との記事も配信されている。
アムステルダムの件にては”法的”なものを認めたか、道義的な謝罪であるかの記述はないが、おそらく後者であろうと類推する。法的性格について市長がコメントすることは不可能であろうと思うからだ。またドイツ軍の件については法的性格は不明だ。

日本による韓国・台湾への植民地支配が不道徳なものではあったがその当時は合法であったように、オランダによる奴隷貿易は不道徳なものではあったが、その当時は合法ではあったと思われる。ドイツ軍によるナミビアでの虐殺は当時でも合法であったとは言えないが、ドイツ政府が道義的でなく法的に賠償責任があると認めたとの話は聞いていない。

現状の国際法は欧米の作ってきたものであるので、欧米に有利に働くようにできている。おそらく、欧米の植民地支配や奴隷貿易・奴隷制度に対して現在より法的な賠償責任が認定されることはないであろう。欧米諸国のもつダブルスタンダードは唾棄すべきものではあるが、現在において過去の植民地支配や奴隷貿易・奴隷制度を違法としてしまえば現在の世界秩序の底が抜けてしまうので、いまさら違法とするのは無理があることは理解できる。

それにもかかわらず、植民地支配や奴隷貿易・奴隷制度の悪行に対しての道徳的な謝罪は逃れられないものと考えられる。それはその当時合法であっとはいえ、あまりにも不道徳な行為であるから。21世紀は植民地支配や奴隷貿易・奴隷制度への謝罪の世紀となり、日本も過去の植民地支配への再度の謝罪・補償から逃れることはできないであろう。

日本による韓国への1965年の支払いは”いったいどういう性格のものか”は依然明確でない。”独立祝い金”であるとかも言われてはいるが、実際には植民地支配に対する賠償金であろう。21世紀になってイタリアのよるリビアへの植民地支配への賠償的性格としてインフラ投資が約束されたり、今年のドイツによるナミビアへの地域整備への拠出などが出てきているが、日本はそれに先立ち50年以上前にの植民地支配への一種の賠償を行ったことはそれなりに評価されるべきことではないだろうか。

前にも一度書いたが、日本のみが過去の植民地支配に対して法的な責任を認めることは、欧米各国の 植民地支配や奴隷貿易・奴隷制度の悪行があった中で日本のみが聖人君子となれということであり、不可能なことである。地球全体規模での"過去への謝罪”を行うことが必要でその中での日本の過去の植民地支配への再度の謝罪と補償も行うべきと考えられる。

(なんと壮大なことか..........。韓国政府の今の態度を見ていれば、日本が欧米諸国に先だち植民地支配への賠償的性格の金銭を支払ったことを評価はしないであろうし、欧米諸国の過去の悪行への謝罪態度と比較して日本の現在の態度を評価することはないだろうな........。)

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