9月上旬は”関東大震災朝鮮人虐殺事件”があったとされる時期であるが、それについて述べたい。
”関東大震災朝鮮人虐殺事件”はなかったとする説がある。あったか無かったと問われればその虐殺された人の数は専門家や歴史家の議論を待つとしても虐殺はあったと思う。在日の”朝鮮人”を日頃差別・虐待していた罪悪感があったから、関東大震災の社会不安に乗じて彼らが復讐してくるのではという恐怖が原因だと思う。
今年も小池東京都知事が”関東大震災朝鮮人虐殺事件”への追悼文を東京で行われた虐殺慰霊祭へ送付しなかったことが韓国で政治問題となっているようだ。(韓国マスコミに載っている記事を読むだけなので、実際にどの程度の大きさの問題なのかは肌感覚ではわからない。市民生活のレベルでは大した問題ではないのかもしれない。)追悼文の不送付を非難する記事が韓国の”進歩系”のマスコミに目立つ。
なぜ小池都知事が追悼文を送付しなかったかは本人ではないのでわからないが、これを声高に非難する韓国マスコミ論調には違和感を覚える。理由は追悼文の不送付が虐殺の否定や不反省を意味するとの韓国マスコミの論調が多いが、不送付イコール虐殺の否定や不反省ではないことおよび”従軍慰安婦”問題の一連の経緯の中で日本政府および日本人が学んだことによる。
”従軍慰安婦”問題の一連の経緯の中で日本政府および日本人は多くのことを学んだと思う。
例えば韓国では謝罪は結局受け入れられないということ。
例えば韓国では自分の非はとりあえずさておき、相手を追及することにためらいがないこと。
尹錫悦韓国大統領に”もう日本は何十回も謝罪した。”という発言があった。(この発言は結構驚きだった。)自分で数えていただけでも日本の謝罪は10回以上はあった。しかし、現野党党首の一連の発言を見れば、大統領が交代すればまた”従軍慰安婦”問題”は”最終かつ不可逆な合意”が日韓政府の間で行われたにかかわらず、また蒸し返されることは明らかだ。これが”従軍慰安婦”問題の一連の経緯の中で日本政府および日本人が学んだ「韓国では謝罪は結局受け入れられないということ」である。
韓国系の団体が戦時性暴力の根絶のためという理由で従軍慰安婦像を世界中に設置している。戦時性暴力の根絶のためという大義名分にかかわず、その従軍慰安婦像につけた碑文には韓国軍によるベトナム戦争時のライダイハン問題については触れていない。また韓国マスコミが関東大震災朝鮮人虐殺事件を問題にするにかかわらず、韓国軍によるベトナム戦争時のベトナム民間人虐殺については追及しない。これが”従軍慰安婦”問題の一連の経緯の中で日本政府および日本人が学んだ「韓国では自分の非はとりあえずさておき、相手を追及することにためらいがないこと」である。だからロジックではない、感情論なのだ。
フランスの有名な歴史学者がフランスがかかわった過去の奴隷貿易について、”もう昔のことだから今のフランスには責任はない。”と発言しているそうだ。奴隷貿易があったから北米・中米・南米に今存在している人たちが”もう昔のことだから”と言われてもその発言には反発するし、そう簡単には奴隷貿易を許す気にはならないだろうとは思う。それと同じで韓国が日本の過去の植民地支配を簡単には許す気にはならないだろうことは感情論では理解できる。
ただ、”従軍慰安婦”問題はその経緯の中で、解決不能の問題となってしまったと思う。関東大震災朝鮮人虐殺事件や”徴用工”問題を解決しようとしても同様の結果になるだろう。旭日旗問題や竹島問題などはなから解決不能の問題もある。
”従軍慰安婦”問題、関東大震災朝鮮人虐殺事件、”徴用工”問題はもうほったらかしにするのが一番良いと思う。残念だが。(2024/9/3)