日々雑感

比較的新しい日本語とその力 セクハラ パワハラ ヤングケアラー等々

私が会社員を始めた40年程前には今でいうセクハラ・パワハラなどという言葉はなかった。今の基準で言えばセクハラ・パワハラに該当する事象はその頃も勿論存在した。しかしそれらの被害当事者はそれらの事象が嫌だとは思いつつもそれらの事象を一言で表す言葉がなかったから、簡単に被害を訴えることはできなかったと思う。

ところが今では会社でのセクハラなどもっての外くらいの状況に変わってきた。(全部の会社とは言えないだろうが。それでも若い女性であっても一言「それってセクハラ」くらいのことは今では言えて、その言葉はそれなりの力を発揮するに違いない。)結局事象を一言で表す言葉ができて対応可能になったのが理由と思う。

某県の知事のパワハラ問題とか飛行機内で横柄な態度をとった国会議員とかの話も同様と思う。横暴な知事や公共交通機関内で横柄な態度をとる国会議員などは昔からざらにいたのだろう。でもそれをパワハラという言葉の一言で表し事象を告発できるようになったことが最近この手のニュースを良く見聞きする理由と思う。

ヤングケアラーという言葉も比較的最近の言葉である。そのような状況の子供たちも昔からずっといたのだろう。でも言葉がなかったから人々の注意はその子へ向くことはなかった。それがこの言葉が一般的になるにつれ、そのような子供たちをサポートすべきとの認識が生まれるようになった。

言葉というものはやはり大切だ。物事へ対抗する武器になる。昔ながらの横暴な人たちはきっとセクハラ・パワハラなどという新しい言葉を憎んでいるのだろう。(2024/8/14)
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