木を見て森を想う

断片しか見えない日々の現象を少し掘り下げてみたいと思います。

China Dreamってあるの?

2020-12-30 16:28:37 | 時事

Chinaでは小邦均衡は長続きしなかった

アメリカンドリームということばがあります。生まれや身分ではなく己の才覚と努力で財産を築いたり、栄誉ある地位に上り詰めたりする、というアメリカンドリームという言葉はアメリカが頑張れば報われる社会であったことを示しています。もちろんある時代まではそれは白人だけの特権だったのですが、このアメリカンドリームがアメリカ社会に活力を与え、アメリカの国力を高めてきたことも事実でしょう。

そのアメリカンドリームの向こうを張って、習近平書記長がチャイニーズドリームを謳いました。しかし古来Chinaに頑張れば報われる社会というのはあったのでしょうか。もちろん科挙は誰にも開かれていました。とはいえその過酷な受験制のために相当に裕福な家柄の子でなければチャンスはなかったし、そもそも不正まみれで、相当な額の賄賂が動いていたそうです。宦官になるという方法はあるが、それはドリームなのでしょうか。

Chinaも古代には日本の戦国時代のように小邦(といってもかなり大きな国ですが)が覇を競う時代がありました。その時代の1つの春秋時代が孔子の時代です。儒教はいろいろな教えがありますが、Win-Winにつながる考えが多いのが特徴のように思います。春秋時代のように小邦が同程度の敵国と対峙する時代に儒教の教えが説かれたことは、彼の地においても小邦が分立するような状態のときはWin-Winの関係構築が合理的であったことを示唆し、とても興味深いです。しかしながらある程度開発が進むと、Chinaのように大河で平原が結ばれる地形においては、小邦が均衡して存立する状態は長く続かず、大帝国が築かれるようになりました。梅棹忠夫氏の第二地域です。

巨大帝国で持続的なWin-Winは期待できるか?

巨大帝国であるがゆえに、周辺の国とは圧倒的な兵力差がありました。国内の生産性を高めることはお国存続のための必要条件ではありませんでした。皇帝が征服欲に駆られたり、北方の騎馬民族の侵略を受けて軍事的な脅威に直面したりすれば、皇帝の胸先三寸で兵力係数を高めればよかったのです。領民からいくら収奪しても、広大な帝国からは敵国へ逃げ出せないません。もちろん帝国の持続的な繁栄には民の繁栄が不可欠であることを見抜き、善政を行った皇帝も数多くいたのでしょう。しかし帝国は民の繁栄なくても存続できました。皇帝や役人が我欲を優先したければいくらでもできる環境にありました。このような状況下で、領民の生産意欲を高めて国力を増すという政治があまり行われてこなかったのは、歴史に記されている通りです。

Chinaは科挙制度という血筋によらない官僚制度を作り上げました。この制度自体は実に先進的な制度に見えるのですが、官僚制の弊害がもろに出る制度でもありました。役人は1つの任地に固定されるわけではありません。今の任地の生産性が上がることは手柄になっても、それですごく出世が早まるわけではなかったのでしょう。そもそもいつまでその任地にいるのかわかりません。生産性を上げるなど悠長なことをしている間に、次の任地に行くことになれば、手柄は後任者のものになるかもしれません。だったらしんどい目をして生産性を高める努力をしても出世競争ではむしろ損になる可能性があります。賄賂を取ったりピンハネして懐を肥やしたりして、それを元手に上官に賄賂を贈った方が出世の早道だったのでしょう。その結果農民が疲弊して生産力が低下しても、困るのは後任者で、出世競争ではむしろ有利になるかもしれません。

皇帝にとっても民の生産意欲向上は喫緊の課題ではなく、民の繁栄は不可欠ではありませんでした。民の繁栄を希求して善政を行うか、我欲を優先させるかは皇帝次第でした。役人たちにとっても民はピンハネの対象でしかなかったのでしょう。その結果、民は収奪されるだけで、支配者と被支配者の間のWin-Win関係はうまれなかったのでしょう。頑張っても取っていかれるだけだったのかもしれません。そのような社会では、頑張れば報われるという価値観が根付くとは考えられません。

他人を信じられない社会

このような社会で支配者と被支配者の間でWin-Winになるとは考えられません。Chinaでは支配者と被支配者の間にWin-Winが構築されない時代が長く続き、多くの民にとってはWinが期待できない社会でした。将来的にWinが期待できなければ、人々は目の前の利益を独り占めするしかありません。古来持っていたWin-Win志向をさらに発展させるどころか、むしろ、他人を押しのけてでも、騙してでも、足を引っ張ってでも、今目の前にある利を確保するようになっても不思議はありません。一度このような不信が社会に芽生えるとそれは悪循環を引き起こします。そのような社会では足を引っ張られる前に、騙されるより先に、人を騙して足を引っ張らなければ生きていけません。

私にはChina人の知人が何人かいます。その中には人格的にも素晴らしい、尊敬できる人の方が多いです。彼らと飲みながら話して驚くことは、彼らの徹底した同胞不信です。家族以外のChina人は信じられないとまで言った人もいました。日本人の方がよほど信じられるそうです。上のように考えると、この発言も必ずしも社交辞令とかリップサービスだけではないように思えてしかたがありません。

そんなChinaのドリームとは何だったのでしょうか。どんな食い詰めたド貧民でも皇帝になる道がありました。易姓革命です。易姓革命こそがChinaドリームではないかと思えます。現在のChinaで易姓革命が起きるとすれば、それは現共産主義体制をひっくり返すものであることに習総書記は気づいているのでしょうか。



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