誰もが避けては通れない問題として『お墓』の問題があります。
核家族化、少子化、高齢化、家族関係も多様になるなど
『お墓』の事情も変わってきていて、お墓の継承者がいない ・ ・ ・
などから永代供養墓や合祀墓というものも登場してきました。
亡くなった人のお骨を『お墓』に納めること(納骨)が
「あたりまえ」ではなくなっていて
いろいろな事情や意識の変化から『お墓』以外の選択として
「散骨」や「樹木葬」をする人も増えているようです。
家族が先祖代々同じ土地に住み続けるという文化は過去のものなので
『お墓』の問題は難しくなっています。
以前もブログに書きましたが ・ ・ ・
熊本県出身の父は「終活」の一環として
熊本にあった先祖代々の『お墓』を
近場の横浜に移しました。
私には姉と妹がいますが、2人とも嫁いでいるので
両親の死後、お墓は長男の私が受け継ぎましたが
問題なのは、私が独身であること ・ ・ ・
私が死んだ後、誰が墓守をするのかな?と考えると
いろいろと複雑な気持ちになります。
「人は2度死ぬ」という言葉があります。
1度目は肉体の死、2度目の死は誰からも忘れ去られたとき
『お墓』は故人を思う人たちのためのもので
故人を思う人たちのこだわり(心の拠り所) ・ ・ ・
子孫が絶えて、故人を思う人たちがいなくなったら(2度目の死)
『お墓』の存在する意味がないような気がします。
私は特定の宗教の信者ではありませんが
肉体(形あるもの)が消えて無くなっても(諸行無常)
魂は永遠に不滅で輪廻転生を繰り返すと信じています。
「もし生まれ変わったら・・・」というフレーズが
死語にならず、いまだに使われているのは
魂の存在を信じている人が多いからだと思います。
人間の思考や喜怒哀楽の感情は脳で起きていますが
なぜ脳がそのような働きを持っているのかは
現代科学では解明することができません。
思考している“私”とは誰なのか?と考えたときに
私は「魂の存在」を感じます。
亡き両親を偲び、近々、お墓参りに行こうと思います。
「富士山に沈む夕日」
(2021年1月25日 自宅ベランダから撮影)