サロン・ド・クロノ分社

Harmony中国茶&SpiritualCareサロン 埋蔵LOG

イザナギとイザナミ

2010年02月08日 | 徒然
私はイザナギです。
私は日本を創った神として知られていますが、 この日本民族全体の男性性をも司っています。
私が司る男性性の領域とは現実化するということです。
古代の神話には女神であるイザナミが先に私に声をかけたので 国創りが上手くいかなかったとあり、 女から男に愛の営みを求めてはいけないというあやまった 思い込みを作ってしまいました。
しかしこの神話の伝えようとしている真実は 「はじめに言葉ありき」と同じことであるということを 改めてお伝えしたいと常々機会を伺っておりました。
つまり私とイザナミがどろどろとかき回していたものは 想念体であり、その想念が形作られてできあがったのが日本だということです。
ですからその上で暮らす日本民族は 私の意図した想念体の上で生きているということになるのです。
つまりはじめに何を現実化したいのか?をはっきりとした意図と言葉を持ってから 女性性の扱う部分であるインスピレーション=神の意思に従うということなのです。
はじめに自分で何を形作ったら良いのかもわからず ただ神の意思のままに・・・と願うだけでは満足の行くものは創造することができないと 伝えたいのです。

私はイザナミです。
イザナギの対になる女性性の象徴です。
私はみなさん日本の女性たちに謝らなくてはなりません。
私はイザナギに黄泉の国で私の衰えた姿をさらしてしまい イザナギに裏切られ、嫌われたと思ってしまったのです。
それゆえ私は「男性は女性を穢れた存在だとみなし、 美しくしていなければ裏切られてしまう」という信念体系を日本に植えつけてしまいました。
先のイザナギのメッセージにもありましたが、日本は私たち二人の想念体で創られ、その上で生きる日本国民たちは 神聖さを保ってはいるものの、私達のネガティブな思い込みには 敏感に反応してしまうようです。
美しいとはどういうことでしょうか?
美しいとは生き生きと生命力にあふれているということ。
そして美は感情体を癒すのです。
本当の美しさとは生きていること、そのことがそれだけで美しいものなのです。
イザナギが黄泉の国へ私を求めてきた神話では、美が損なわれたがゆえ イザナギの愛が無くなったように感じておりました。
それゆえ先に述べたような信念体系を日本に植えつけてしまったのですが、 この神話の真実はこうです。
「亡くなった人に執着をもたない」ということを伝えようとしているのです。
イザナギの行為は人間らしく情に基づいたものでしたが、 黄泉の国は旅立った私の魂の成長にとってはマイナスでした。 イザナギが禊をするたびに私は自分自身を汚らわしく感じずにはいられなかったのです。
今一度この場をお借りして 「男性は女性を穢れた存在だとみなし、美しくしていなければ裏切られる」という 信念体系を日本人の集合意識から、集合無意識から取り除いてください。

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