世界トップクラスの地位と報酬が約束されたゴールドマン・サックス。だがその実態は、金と女性に対するおそるべき強欲、嫉妬にまみれた職場だった――。
同社の元マネージング・ディレクター(上位8%の幹部職)の女性が1998~2016年の在職期間に目撃した、ミソジニー(女性嫌悪)と人種差別にあふれる、堕ちた企業風土を明らかにする衝撃の暴露本『ゴールドマン・サックスに洗脳された私』から、一部内容を抜粋してお届けする。
巨額の退職金を捨てて、秘密保持契約書(NDA)へのサインを拒否。同社の内幕を告発する道を選んだ彼女の回顧録を読み進めるうちに明らかになる、金融資本主義の欺瞞と、その背後にある差別的な思考とは?
ホリデーシーズンが近づいてきた。トレーディング・デスクの面々は興奮でざわついている。ボーナスが出る季節だからだ。私は自分のボーナスの金額をすでに知っているので、それほど興奮はしていなかった。新入社員の私の場合、契約でボーナスは4万ドルと決まっている。そのうちのいくらかは、高校3年生のときに買った愛車1987年型ホンダ・シビックを買い替えるのに遣おうと思っていた。
ボーナスの支給日になると、ひとりひとり会議室に呼ばれて、パートナーからボーナスの金額を伝えられる。会議室を出入りする人たちを横目で見ながら、覆面捜査官のように顔の表情から金額を読みとろうとしたが、どの人も無表情で顔色ひとつ変えなかった。ボーナス日に感情を顔に出すのはご法度だと聞いたことがある。
その日の仕事を終えて帰り支度をしていると、マイクが会議室のドアのところで私の名を呼んだ
私にはきみにボーナスを支払う義務はない
「ジェイミー」マイクは資料を手にしたまま、目を細めて私を見た。「契約では、きみの1年目のボーナスは4万ドルだ」マイクの背後にある大きな窓の外では、風が笛のような音をたてて吹いている。ちょうどマイクの姿と重なるように、ワールド・トレード・センターが遠方に見えた。「だが契約書には、ボーナスの支給は私の裁量に任せると書かれている。それに、私にはきみにボーナスを支払う義務はない」息が詰まった。横っ面をはたかれたような気分だ。“裁量に任せる”という言葉が契約書に含まれていたかどうかは覚えていないが、すべてを子細に読んだわけではない。そんな重要な点を見逃していたなんて、自分でも信じられなかった。ボーナスをもらえると信じて疑わなかったとは。とんだまぬけ者だ。
「そうですか、わかりました」私は答えた。真摯な態度に見えただろうか。不服そうな表情は見せたくない。たとえボーナスをもらえなくても、給料だけでかなりの金額をもらっているのだ。内心がっかりしていたが、それを悟られないように、ぎこちない笑顔を顔に貼りつけて歯を食いしばった
「だが、きみの仕事ぶりは素晴らしいとブライアンから聞いている」マイクが続けた。「きみの今年のボーナスは8万ドルだ」
私は前に身を乗りだしたまま固まった。何かの間違いだろうか。契約書には4万ドルと書かれている。これはその倍だ。もしかして冗談だろうか? マイクがニカッと笑った。歯にピンク色のガムがついているのが見えた。「ジェイミー、聞いてるか?」
ドアの向こうから、トレーディング・デスクの電話がけたたましく鳴っているのが聞こえてきた。その音が頭の奥で反響し、耳元で鳴り響く。「は、はい。聞いてます。ただ、わけがわからなくて」
マイクは首を振りながら笑った。「あはは、わけがわからないだって? きみのボーナスを倍にしたのは、きみがうちで最高のアナリストだからだよ。ウォール街へようこそ」
その言葉を聞いて、私は驚きで目を丸くした。冗談ではなかったのだ。家族とモノポリー・ゲームで遊んでいて、高額な資産を手に入れたときのような気分だった。
「なんと言ったらいいのか……」私はかすれた声で言った。喉の奥が詰まったような声で、ずいぶんと間の抜けたことを言ってしまった。
「ありがとうございます、でじゅうぶんだと思うよ」マイクがクスッと笑った。
「ええ、ええ。そうですね。本当にありがとうございます」彼は立ち上がって握手をしてくれた。彼の手を握って初めて、自分の手がとても冷たくなっていたことに気づいた
私はそのままトイレに直行した。こんな表情のまま自席に帰るわけにはいかない。こめかみを血がドクドクと流れ、顔がほてっている。それでいて、手足の先はしびれているような感じだ。洗面台で冷たい水を顔にかけ、鏡を見た。もしかすると、私はここでやっていけるかもしれない。この私でも、ゴールドマンという実力主義の世界でやっていけるかもしれないと、このときばかりは思えた。
ペーパータオルを取って顔をふくと、これまで同僚に対して感じていたフラストレーションも、いくらか拭いされた気がした。これまで払ってきた犠牲の対価を得ることができたのだ。いや、もしかすると、犠牲などではなかったのかもしれない。母が昔、初めて我が子を抱いたとき、出産の痛みは忘れてしまったと話してくれたことがあった。私はボーナスを産んだようなものだ。これまでの苦しみは煙のように消えていた。それがいいことなのかどうかは、わからなかったが。
家族にボーナスの話をしたい
その日は、早く家に帰って両親と祖母にボーナスの話をしたくてしかたなかった。2時間後、駆けこむように家の玄関に入ると、みんなはファミリールームでテレビを見ていた。祖母はいつものようにロッキングチェアでかぎ針編みをしていて、両親はカウチに座っていた。私はテレビの前に立ち、家族に向かって微笑んでみせた。
「ご報告があります」私は高らかに言った。心臓がドキドキして胸がいっぱいになる。「今日はボーナスの支給日だったの。4万ドルもらえるはずだったんだけど……」
「なんてこった」ジーンズにTシャツ姿の父が、ソファにもたれて腕を組みながら言った。口の端にタバコをくわえている。
「続きを聞いて。マイクに言われたの。私はとてもいい仕事をしたから、ボーナスは8万ドルだって。つまり、今年の年収は13万5千ドル」
みんなが口をあんぐりと開けた。祖母の手から金属製の編み針が木の床に落ち、ころころと転がっていった。私の後ろにあるテレビからは、大きな笑い声が聞こえてくる。
「嘘でしょう!」母はそう言って、両手で口を覆った。
「信じられない」父が言った。「宝くじに当たったみたいじゃないか」母がカウチから跳ねるように立ち上がって私をぎゅっと抱きしめると、そこに父と祖母も加わった。「あなたを誇りに思うわ」母が言った。「私たちの娘がウォール街でうまくやっていけてるなんて」母は私の手を取ってぎゅっと握った。
フットボールのクォーターバックにでもなった気分だった。決勝点となるタッチダウンパスを決めて、喜ぶチームメイトに囲まれているみたいだ。喜びのハグを交わしたあと、私たちはカウチに深く腰かけた。父はテレビを消し、タバコの火をもみ消した。
急に現実に引き戻された
「母さんと私は長く生きてきたが、1年でそんな大金を稼いだことはない」父は私の後ろにある窓の外を見つめながら言った。疲れがにじんだ目の下にはクマが見える。火を消したばかりのタバコから出る煙が、父の顔の前を立ちのぼっていった。両親はもうすぐ60歳だから、40年近く働いてきたことになる。父は口元をかすかに上げたが、それが微笑みなのかどうかは、わからなかった。
急に現実に引き戻された気がした。両親は何十年とキャリアを築きながら、子どもを育て、私の体のケアまでしてきた。無一文からスタートし、がむしゃらに働いて人生を切り開いてきた。それを私は一瞬で追い越してしまったのだ。私たちは家族であり仲間であることはわかっている。両親が私を誇りに思ってくれているのもわかっている。私への投資が多額の配当金となって返ってきたわけだ。でも私は、長年にわたってチームを率いてきた愛すべきベテラン選手を引退に追いこんだ、新人のクォーターバックのような気分だった。
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