マイナスをなくせば組織はよくなる」は経営者の幻想。自律型組織を築いたリーダーがたどり着いた“指針”_BizHint様記事抜粋<
工場ではベテラン職人の怒鳴り声が響き、泣いているスタッフがいるのも日常茶飯事、毎年赤字が続いているような経営状況…。「入社時はとんでもないところに来てしまったと思った」と話すのは、谷川クリーニングの谷川祐一社長です。マイナスだらけの組織を変えるためにルールを徹底し、いい会社にすべく奮闘する日々。しかしその先に待っていたのは、工場の8割のスタッフが辞めるという大量退職でした…。同社はどのようにして、社員一人ひとりが助け合い、主体的に考え行動する組織に変わっていったのでしょうか。そこには、谷川社長が迷い、悩み続けた末に見つけた「組織でいちばん大事な指針」がありました。そして「そもそも自律的じゃない人は存在しない」と語る、その本質とは?詳しく伺います
そもそも自律的じゃない人はいない
――貴社は50年以上の歴史をもつ企業でありながら、上下関係がなく、従業員が主体的に働く組織なのだとか。
谷川祐一さん(以下、谷川): そうですね。そもそも店長をはじめとした役職がありません。なので、役職による上下関係はありませんし、雇用形態による差も、ただ働く時間が違うだけ。社内のルールはあいまいで、仕事上の判断はほとんど個人の裁量任せです。仕事で必要なものであれば、承認など不要で勝手に買ってもらって構いません。
また、基本的に私が現場に口出しすることはありません。何かトラブルが起きても、スタッフ同士で考えて解決にあたるような組織風土です。シフトについても、私は一切関与していません。把握すらしていないので、今日誰が出勤しているかわからないくらいで(笑)。現場で自由に決めてもらって、お互い助け合いながら、シフトの交代も柔軟にやっています。
紆余曲折ありましたが、今はこのスタイルでうまくいっています。昔はまったく人が定着しない会社でしたが、今は離職率5%程度に。ありがたいことに、業界が抱える人手不足とも無縁となりました。
――とはいえ、「社員が主体的に動いてくれない」「社員が自律的になるにはどうしたら?」と悩んでいる企業が多いのも実情です。貴社の場合、どのようにアプローチしているのでしょうか?
谷川: 私の場合はそもそも、スタッフに主体性を求めないところから始まっています。昔の当社は、職人の怒鳴り声が響いているのは日常茶飯事。「いらっしゃいませ」すら言わない店舗。人はどんどん辞めていく…。そんな環境下でスタッフを信用できず、組織のマイナスをなくすためにルールを徹底し、今考えると、自律とは無縁の組織づくりをしていたと思います。
しかし2015年、私の概念が覆されるような大きなターニングポイントがありました。一人ひとりの主体性が発揮される組織の底力を体感し、同時に 「自律的じゃない、他律的な人なんて世の中にいない」 と気づかされたのです。
そして、自律的に見えない人がいるとしたら、そこにははっきりとした原因があります。
――それは何でしょうか?
谷川:他者から見ると自律的ではない・他律的に見える行動も、本人としては「そうするのがいい」と思える環境 なのです。たとえば、何事も人任せ、自分で考えて行動をしない人を他律的と表現しますが、その本人は「自分で考えて行動しない」ことを自律的に選択しているのです。
この考え方は、「TA(Transactional Analysis/交流分析)」という心理学から学ばせてもらいました。TAのベースには、 「人は生まれながらにして自律的である」 という考え方があります。人は誰しも生まれた時は自律的、途中でそれを失うことがあっても、阻害要因を取り除けば必ず自律性は戻ってくる。そして自律的に生きることこそが、人としての幸せな生き方なんだ、というものです。
職人の怒鳴り声が響き、仕事中に泣いてるスタッフもいるような職場だった
―改めて、入社時の状況を教えていただけますか。
谷川: 当社に入社したのは2004年。当時社長だった父に「会社が危ないから手伝ってくれ」と、半ば強引に説得されて、専務という立場で家業に戻ってきました。
――経営状況はいかがでしたか?
谷川: すごく悪かったです。クリーニング業界もバブル期までは景気が良かったんです。そこでどこも出店拡大戦略をとり、投資していくわけですが、バブル崩壊に伴ってそれが回収できなくなって苦しい状態になっていました。当社もまさしくそのパターンに嵌っていて、父もいろいろ手を打っていたものの、限界に来ていたようです。赤字が毎年続き、借金も元本が一向に減らせず、ただ利息だけ返しているような状態で。今、当時の決算書を見ると、父が苦しんでいたのがよくわかります。
――社内はどのような様子だったのでしょうか?
谷川:「とんでもない職場に来てしまったな」 というのが率直な印象でしたね。
まず、クリーニング業務を行う工場。入社初日に足を運んだのですが、こちらから挨拶をしても誰からも挨拶が返ってこない。工場長はずっと怒鳴っていて、パートさんは泣いている。ミスをしたスタッフを殴るような光景も…。私にとってはとにかく衝撃の連続でした。離職率も高く、ベテランの職人さんについていけず、新人が3ヶ月以内にみんな辞めてしまうような環境だったのです。
お客さんから商品をお預かりする店舗の状態もなかなか衝撃で…。全店舗を順番に回ったのですが、「いらっしゃいませ」が聞こえてきた店舗は一つもありませんでした。そもそもカウンターにスタッフが立っていなかったり、立っていたと思ったら見たことのない顔で、話を聞いてみるとスタッフの恋人だったり…(苦笑)。父はよく「店舗を自分の家だと思って仕事をしなさい」と言っていました。自宅だと思えば掃除だってきちんとするし、大切にするだろうという思いだったはず。ただ、当時のスタッフにはその真意が伝わっておらず、店舗が「私物化されている」ような印象でした。
――そこからどうやって立て直していったのでしょう?
谷川: :まず店舗の課題を解決するため、社会人時代の経験をいかして「接客マニュアル」をつくりました。店頭に立つうえでの心構えから接客時の台詞まで、事細かに全部書いたものです。そして、 「自分たちで判断しないでほしい」「迷ったら全部私に確認してくれ」 と指示をだしました。
そして、マニュアルがいかに大事かを知ってもらうため、従業員一人ひとりと面談を実施。長いときには8時間にもわたる講習を実施し、指導を続けました。このやり方は7年ほど続け、一定の効果がありました。売上高は2倍になり、なんとか赤字から脱することができたのです。
ただ、ずっと頭を悩ませていたことがありました。
ひとつは、売上は伸ばすことができたものの、ものすごい数のスタッフが辞めていったこと。20名以上いたスタッフは2名を残し、全員が入れ替わったほどです。そして、店舗から確認の電話が鳴り止まない毎日…自分自身も限界がきていたんでしょう。 今のやり方でこれ以上利益を伸ばすことは難しい… と感じていました。
なにかヒントを得ようといろいろな人に話を聞いたり、セミナーに通ったりした中で頻繁に出てきたキーワードが 「いい会社」。 うちもいい会社になれれば、もっと業績が伸びて安定した経営ができるのでは?そう思い立ち、社内で「いい会社にしよう」と宣言。それが2011年頃です。
いい会社にするためには「悪いこと」をなくさないといけない。つまり、ずっと手をつけていなかった工場の改革が必須でした。生産性にも課題がありましたし、何よりも工場の雰囲気を変えない限り、いい会社にはなれないと思ったのです。
――具体的にはどのようなアプローチを?
谷川: とにかく言葉で伝えました。まず 「挨拶をきちんとしましょう」「愚痴・不平・不満は社内で言わないでください」 と宣言。ただ反発もすごく、それを言った日のうちに工場から3人の退職者が出ました…。
しかし、それで心折れるわけにはいきません。工場長やベテラン職人さんに「悪い職場に変える行為はやめてください」と伝え、戦う毎日…。いつのまにか「変える必要はないと考えるベテラン・社長(父)派」vs「いい会社にするために改革したい専務(自分)派」といった構図ができあがり、会社のことで父とはどんどん仲が悪くなりました。1~2年ほどまともに口も聞けなかったほどです。
工場の8割のスタッフがいなくなった…転機となった2015年の大量離職
谷川: そんな状態で数年を過ごしていたのですが、2015年に大きな危機が訪れます。
――詳しく教えてください。
谷川: 2015年の1月、近所のクリーニング業者が突然倒産したことで、翌日からその店舗のお客様が一斉に当社に流れてきました。ありがたいことなのですが、品物の入荷量も増えて工場がパンクしてしまい…。連日22時までの残業が続き、 そこからの1ヶ月で18人いた工場のスタッフのうち、14人が退職してしまう事態 になったんです。
特に悲しかったのは、「いい会社をつくりたい」と言って私が採用してきた人たちが、全員辞めてしまったこと。辞めた方が口にした退職理由は様々でしたが、今振り返ると、根っこにあったのは、彼らと表面的な関係性しか築けていなかった自分自身に問題があったと思っています。
残ってくれた4人は、工場長含む全員「社長派」のベテラン職人でした。それから、私と数年前に結婚した妻、ちょうど入社予定が決まっていた、アイロンも触ったことのない2人の新入社員の合計8名で、「最低でも12人いないと回らない」と言われていた工場を動かしていくことになったのです。
――最初は何から手をつけたのでしょうか?
谷川: まず、 残ってくれた人としっかり向き合おう と思い、仕事が終わったあと、一人ひとりと話し合いました。
最初に話したのは70代のパートさん、クリーニング歴50年のベテランです。 「気にしなくていいよ、俺は大丈夫だから。ピンチのときこそがんばらないと」 と背中を押してくれて…その言葉に涙が出ました。実は以前、この方が新人を怒鳴っているのを見て、「どうやって辞めてもらおうか」と考えていた時期があったんです。
工場長の言葉も印象的でした。最後にふと「自分はこの業界に入ったとき、同僚たちと”3K”の仕事にどうやったら誇りが持てるかを考えていたんだよ」と言ったんです。私自身、この仕事を”3K”だと思ったことはなかった。店舗で働く人たちもそうだったはず。でも工場では違った。 同じ会社で働いているのに、仕事に対する根本的な認識が違っていた。 頭を殴られたような衝撃でしたね。
スタッフと向き合ったことではじめて、 今までの私は、自分の価値観を一方的に押し付けようとしていた ことに気づかされました。価値観が違う人に、いくら「よくしたい」と言っても伝わりません。それに気づけたことで、心からの謝罪と「チャンスがほしいです。失敗はするかもしれないけど、力を貸してくれませんか?」と話をすることができたのです。「信頼度ゼロ」と思っていたスタッフが、最も頼もしい仲間になった瞬間でした。
自身の価値観が180度変わった“奇跡の2週間”
――そこから、どのように改善を進められたのですか?
谷川: 当時14~15人で回していた工場の仕組みを、半分の人数で回す必要があるわけです。さらに物量は倍になっている。当然今までのやり方では無理です。もう毎日が試行錯誤でした。1時間やってダメだったらまた別の方法を試してみるのは当たり前でしたし、いろいろな書籍も読み漁りました。
そんな中で転機になったのが、全体最適のマネジメント理論である「制約理論」をベースに、工場の業務改善プロセスを主題にした 『ザ・ゴール』 という書籍との出会い。そこに書かれている改善プロセスを一つひとつ実践していったところ、それが見事にハマり、工場内の動きがみるみる変わっていったのです。
工場の見取り図をホワイトボードに描き、人の形をしたマグネットを置いて、毎日みんなで作戦会議をしました。全員が複数のポジションをプレーするマルチプレイヤーとして、状況を見ながら「ここはもう少し改善したほうがいい」「この動きはもう少し効率化できる」などと、リアルタイムで動きを変えていく。そうすることで、コミュニケーションが活発になり、チームワークが生まれる。 ギリギリの人数で回しているからこそ、かえって一人ひとりの主体性が引き出された んです。
ベテラン職人さんから 「50年以上この仕事やっているけど、こんなにクリーニングの仕事が楽しいと思ったのははじめて」 と言っていただいたのは嬉しかったですね。仕事が終わったあと、オロナミンCで乾杯したり…、がむしゃらでしたが、楽しかった。「自律的に生きることこそが、人としての幸せな生き方だ」というTAの教えが身に染みたときでもありました。
そんな毎日を重ねていくことで、 22時までやっても終わらなかった仕事が、気が付いたら定時に終わるようになっていた んです。その期間は、わずか2週間ほどでした。
大幅に生産性が向上したことで、2015年度の利益は前年比10倍を達成。その数字に加え、工場長から耳にした工場の雰囲気にも安心したのでしょう、ずっと私を認めてくれなかった父が翌年、正式に経営をバトンタッチしてくれました。
谷川:この体験を通して、自分の仕事観と人間観が180度変わりました。
たとえば、昔は「悪人」とすら思っていた工場長やベテラン職人さん。ちゃんと腹を割って話して一緒に働いてみたら「いい人」でした。絶対にこの人数じゃこなせないと思っていた仕事だって、不可能じゃなかった。また、この時期工場が忙しすぎて店舗をまったく見れていなかったのですが、私の指示がなくとも店舗スタッフ同士で話し合い、業務を回してくれていた。
私がどれだけ 「自分の見たいようにしか見ていなかった」 のかを痛感しました。そして、私一人では何もできない、無力であることも。周りにいる多くの人たちに支えられて、2015年の大量退職を乗り越えることができたのですから
「マイナスをゼロにするためのルール」では、いい会社を目指せない
――その経験から、組織づくりの考え方は大きく変わったのですね。
谷川: そうですね。 自分が思っていた「いい会社」とはなんだったのか、考え直しました。
過去の私は、お金があれば幸せ、社員が辞めなければいい会社など…いろいろ考えていました。しかし今お話しした経験を経たことで、自分の周りに信頼できる仲間がたくさんいて、協力できる関係がそこにあり、 「いろいろな問題が起きるけど、仲間と一緒なら、きっとこれからも乗り越えていける。」 そう思えている状態が幸せだし、“いい会社”なんじゃないかなと思ったんです。
そして、 人は皆、協力できる関係を自分自身の手で創っていける。「本当に困ったときに皆で助け合える関係性」こそ、当社が一番大事にしたい指針 だとたどり着きました。困った人どうしが助け合えるほうがいいし、そのほうがうまくいくことを経験しましたから。
そこで、大きく変えたことがあります。
「マイナスをゼロにするためのルール」をどんどん廃止 していきました。プラスにする、つまりいい会社にしていくためには不要だと考えたのです。
それまでは「マイナスをなくす」ことばかり考えていました。借金をどう返すか、赤字をどう消すか、クレームをどう防ぐか、悪いことをさせないためにどうするか…。そのために、マニュアルを作ってルールを徹底していました。でも、 マイナスをゼロにはできるけど、プラスにすることはできない んですよね。
たとえば、店舗の接客も、ルールで画一化するより、スタッフのいい面が活きる接客のほうがいい。ルールがないほうが、それぞれが考え主体的に動くし、わからないことがあれば周りに相談するし、助け合える。「困ったときに皆で助け合える関係性」に近づけます。
そうして、冒頭にお話ししたような組織づくりに変わっていったんです。
―結果、離職率などの数字にも効果が表れていると。
谷川: そうですね。離職率は今では5%以下になり、幸いコロナ禍も離職ゼロで乗り切ることができました。採用面でも、当社の面接には年間200名ほどの方が来てくださり、「いい出会いがあれば」という気持ちで採用できる状況です。
嬉しいのは、辞める方との関係も良好なことです。「会社を辞めることは引っ越しみたいなもの」とよく言っていますが、「ここにはいなくなるけれど、いつでもまた会える」という関係性を築けるようになりました。実際、辞めた後なのに店舗の受付を手伝ってくれたりする元スタッフもいらっしゃいます。
ちなみに、採用面接で応募者に毎回言っていることがあります。それは「うちは人間関係のいい会社だと思います。でもあなたが仲良くやれるかは別問題です」というもの。 「いい関係性」は幸せをもたらしますが、それをこちらから与えることはできない。時に悩んだりもして、自分自身で自律的に創り上げて行くもの だと思っているからです。
リーダーシップは誰しもが持っている
――最後に、谷川社長が組織を率いるリーダーとして大切にされていることをお聞かせください。
谷川:何かをやる時に必ず「なぜそれをやるのか」を考えること でしょうか。私もこれまでたくさん失敗をしてきました。今でもたくさんやらかしていますが…(苦笑)。
人間は手段と目的を取り違えがちなんです。ルールにしても、ただルールをつくるのではなく、何のためにそのルールをつくるのか。その目的や方向性をそろえないといけないと感じています。
リーダーシップということでは、冒頭にお話ししたように人間は誰しも自律的な生き物だからこそ、 人間はリーダーシップも本来的に誰もが備えているはずだ と確信しています。また、リーダーが思っている言葉と発する言葉が一致していることも重要です。言い方には配慮しながらも本音できちんと伝えること。それが誤解のない、いい人間関係、そして強い組織づくりの基本だと考えています。
今は当たり前のように様々な価値観があることを受け止められますが、振り返ると、自分と違う考えの人という意味では、妻が最たる存在でした。結婚したことで、自分のものの見方・捉え方はたくさん勘違いしているかもしれない…と思い始めたことも、私が変われた一因だった気がします。とてもありがたい存在ですね。
有限会社谷川クリーニング代表取締役 谷川祐一さん1975年茨城県神栖市生まれ。大学卒業後、東京で会社員・俳優業などを経験し、2004年に父が社長を勤める谷川クリーニングに入社し経営を引き継ぐ