東京近郊の地方都市で下宿しながら大学に通っていた時、ぼくの仕送りはかなり少ないほうだった。一ヶ月の仕送りと外国の高級ウィスキーが同じぐらいだった。ただ部屋代が安いため、何とかなっていた。仕送りされた金の3分の1は部屋代に、3分の1は飲食費に消え、残りの3分の1を交通費や本代などに使っていた。とにかく節約していたのだが、それでも馬鹿なことに、マージャンやパチンコに溺れて、時には、無一文で一週間過ごしたこともあった。
2年生の夏だったろうか。夏休みに入っても、帰省する金がなく、部屋にこもって、一日に食パンにキャベツを挟んで2、3枚ずつ食べて、ほぼ1週間暮らしていた。体重はぐっと減って、歩く力さえないような状態だった。そこへ、先輩が来て、ぼくの事情を知ると、東京へアルバイトに行こうという。先輩もお金が足りなくて、帰省できないという。東京に行けば、アルバイトがたくさんあって、帰省もできるというのだ。ぼくも同意して隣の住人に東京までの旅費を借りて、いっしょに出かけた。
東京でアルバイトを紹介する店に行き、そこで紹介された保谷市の工場へ行った。夜9時から朝9時まで工場でライン上の灰皿を箱に詰めるというバイトだった。ほとんどまともな食事をしていないせいだろう、目まいがした。すこしつらかった。ただ、単純作業なので、それほど頭を使わないから耐えられたのだろう。ふと、チャップリンの映画を思い出したことも覚えている。朝9時過ぎて、仕事が終わり、多少のお金をもらって、とにかく食べようじゃないかと、近くのスーパーで食べ物を買い込み、ビールも3本買って、池袋に住んでいる友人宅へ先輩といっしょに行き、三人で乾杯しながら、栄養を取った。そして、残った金で帰省した。
やせ衰えて帰省した僕を見た母が「どんな生活してるの?」と驚いた。それから二週間ほど、運動もせず、朝から晩まで毎日よく食べたぼくは一気に太った。体重も戻り過ぎたが、顔色もよくなり、元気になった。だが、大学に戻れば、また、痩せる生活が続くこともわかっていた。どちらが心地よいかというと、実は大学生活のほうが性に合っていたのが今でも不思議だ。
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