なんの仕事、どんな仕事でも、一人前になると言うのは、並大抵の大変さではない。
どこの世界も厳しいが、やはり、職人の世界と言うのは特に厳しい部類に入ると思う。
各言う自分も、勤めている時は最初の3年間は本当に大変だった。
6年勤めたが、最初は地元の店舗で、与えられた仕事を覚えてこなすのが精一杯。
二年やって、余裕が持てるようになったと思ったら、見ず知らずの土地にある店舗へ転勤になり、やったことのない業務をやることに💦
外回りで、仕事もわからなければ、当然地理もわからない❗️💦
そして、寮生活。
独身寮と言うわけでなく、単身赴任の先輩方、係長から支店長まで💦
親ほど差のある先輩方との共同生活💦
本当に苦労しました💦
ただ、年の近い先輩が同じ店、同じ寮で一緒になり、その先輩の存在には随分助けられ、助けてもらいました。
寮で毎晩2人で酒を飲んで愚痴ったり、たまには2人で外に飲みに行ったり。
お互いが相談し合い、励まし合いながら辛い状況を乗り越えていました。
そんなある日、先輩が、「俺、辞めるよ」と言い出しました。
自分は先輩に、「辞めるのはいつでも出来ます。一緒に一年間だけ頑張ってみましょう❗️一年間頑張ってやってみて、それでもダメだと思ったなら、2人で一緒に辞めましょう❗️逆に、一年間やってみて、こんなもんかと思えれば続けられるはずです❗️」と伝えました。
そして、一年間2人で頑張ってやってみて、こんなもんかと続ける事が出来ましたが、もし、先輩が一緒に居てくれなければ、自分も一年間もたずに辞めていたと思います。
その頃、仕事を教えてくれていた上司によく言われたのが「頑張っていると自分で言うな❗️頑張ってるかいないかを判断するのは第三者だ❗️」と言う言葉です。
ひー❗️💦頑張ってるとも言えねーのかよ💦と当時思いましたが(^-^;笑っ
的は得ているかなと(^-^;
その時の上司から教わった事や、先輩達が教えてくれた事が、今の社会での自分を形成してくれたと思っています。
仕事から帰ってきて、寮で布団を被り泣いた夜。部屋にその上司が来て、「バカやろう❗️泣いてないでメシを食え❗️」と言われ、ボソボソメシを食い、ノルマが出来ず、「出来るまで帰って来るな❗️」と、店を夜におんだされ、途方に暮れて、公園の駐車場で泣いていたこともあった。
その時は、たまたまお客さんのお寿司屋さんの年の近い2代目のせがれさんと行き合い、「こんな時間に、こんなとこでどうしたの⁉️」と声をかけて頂き、事情を話したら、「自分も寿司の修行で銀座にいって、辛い思いをたくさんしたよ。でも、それを乗り越えたから今がある。みんな、なんの職業も最初辛いのは一緒だよ。きっと大丈夫。もう帰りな。」と言ってくれました。
ご本人はそんな事があったの、覚えていないだろうなぁ。
でも、すごく救われました。
そして、そのまま店に帰りましたが、何も出来なかった自分を上司は叱らずに「ご苦労様」とだけ言ってくれました。
辛いことがたくさんあった6年間。
結果、思うところがあり、6年で辞めてしまいましたが。
職人は、五年で一人前になる、と職人だった父が言っていました。また、一人前になれば職人は何年やっていようが職人として対等だとも言っていました。
自分は二年勤めて店の中がみえて、五年勤めて会社全体がみえて、6年勤めて会社の行く末がみえました。
今思えば、あの6年間が自分の丁稚時代だったんだなぁ、と思います。
あの時があったから、当時閉鎖的な土地へ婿に来て、よそ者扱いされても、町内でも消防団でもやってこれたんだと思います。
若いみなさんも、今の辛さから逃げないで、一人前になってみて、それでも思うところがあれば辞めてもいいと思いますが、何事も中途半端で辞めていては、何も身に付かないと思います。
今の仕事も、そうなんですが、それはまた次回に譲りたいと思います。
我に課す 一択の
運命と 覚悟する
覚悟さえあれば、乗り越えられない事はない。
頑張りましょう❗️