ふとしたことがきっかけで、とうに忘れていた昔のことを突然思い出すことがある。
つい先日がそうだった。
小銭入れをポケットに入れようとしたとき、いきなり30年以上も前の一万円札の思い出が心をかすめた。
その札が千円か一万円かは最初ははっきりしなかったが、一人でニヤニヤしながら当時の詩集ノートを引っ張り出すことにしたのである。そしてその札が結局は千円札ではなく、一万円札であったことをあらためて知った
というのは私は長男が生まれてからずっとその長男のために分厚い100ページもある大学ノートに何冊も詩を書き綴っていた。そしてその数が1609詩あることを本日知った。途中から八歳半違いの次男のことも書き添えてきたから、あわせて21年近くわが子の詩を書いていたことになる。
当時は日本記録を作るんだなどと若さにまかせての自分のうぬぼれには今さらながらにあきれるが。でもせめてもの救いは、家族や兄弟はもちろん、書かれた二人の息子にも言わなかったし、今もこのことを知らせてない。
小銭入れは毎日持ち歩く。昔からそれは習慣として続いている。が、そこには札は決して入れない。
しかしながら昭和60年の5月13日にかぎっては不思議なことに一万円札がその小銭入れに入っていた。変だなあ~と思いながらそのままにしておいた。
だいぶ時間がたってから「お母さんどうしたの?」と私が聞いてみる。
よく聞いてみると「今月なんかきびしい」と言う。よくよく話をさらに聞くと、「たしか財布の中に一万円札を入れておいたはずが、使ってないのにないんだよね~」。
「あ~」と私は思わず叫んだ。
「お父さんの財布がかわいそうなので、僕がそ~っとお父さんの中に入れてあげたんだ」と小学二年になったばかりの息子が泣きながら言う。
怒りたくても怒れない二人。ずっと昔の不思議な一万円札。
「お父さんの小銭入れには札は入れないんだよ。別に背広の内側に札入れがほんとうはあるんだよ」。
あとでそ~と教えてあげたお母さん。
一万円
どこへ行ってしまったのかな
一万円
不思議だよ
変だよ
いくら探しても見つからないお母さん
たしかこの財布に入れておいたというお母さん
そういえば小銭入れに混じっていた八ツ折りの一万円
いつも四ツ折りなのにどうしたのかな
不思議だよ
変だよ
考えても思いつかないお父さん
あれ
急に泣き出した保志
そうか そうだったのか
そーっとお母さんの財布からお父さんの小銭入れに移しておいたのか
少ないからって増やしてくれたんだね
ありがとう
でもやっぱり いけないことなんだよ
(昭和60年5月13日)「保志の詩 No.1182」(保志7歳8ヶ月)
「つれづれ(66)一万円札の不思議」