最近街を車で走ると、思うことがある。
対向車を見たり、交差点で止まったとき、原色系の乗用車がふた昔前や、それ以上前に比べ、だいぶ少なくなったなと思う。
その頃は赤や黄や緑の車が少しではあるが、街中をよく走っていた。
昭和の終わり頃はけっこう赤の軽自動車などは目立ったような存在だったと記憶している。
ところが最近は白やグレー系ばっかりで、赤色がほんと数えるくらいに減っている。以前から白色系は多かったが、近年さらに白とグレーが増えて、原色系が減っていると思う。
白色といえばすぐ白地を思い出す。
清潔や雪や兎や平和。イメージは人それぞれだとは思うが、私はなぜかタオルや手ぬぐいなどを思い浮かべる。
小さい頃は白色が生活の基本だったと思えることが少なからずあるからだろうか。それだけ染色技術が今ほど進んでいなかったのも一因かもしれないけれど。
白布の歴史を調べてみると、おおよそ1500年くらい前にはすでに全国的に生産されていたようだ。
当時は原色に染める技術は広くは普及されていなかったらしい。
人は、生まれて初めて袖を通す産着は必ず白色である。
ガーゼで作られているが、それから数日で麻で作られたものに変わる。麻はすくすくと真っすぐに伸びていくから、その赤ちゃんの成長を願うという意味が込められているとか。
その子がもし女の子であれば、やがて成長したら白無垢の汚れのない純真の姿で嫁ぐかもしれない。
表裏一色で仕立てた和服を着て。
室町時代から江戸時代にかけては、花嫁衣裳、出産、そして葬礼でも白色であった。白無垢の衣裳は「嫁ぎ先の色に染まりますように」という意が込められているようだ。
ウエディングドレスにも白色が多いのは、この日本の風習と関連があるのだろうかと思ってみたりもする。
そういえばその時代には切腹の衣服も白無垢であった。
また、人は亡くなるとおおかた死に装束で送られる。それは宗教によっても違うけれど、白を基調とすることから白装束(しろしょうぞく)とも称されている。
人は生まれると、白で始まり、白で終る。
その途中の人生を、どんな色で染められたのか。赤か、バラ色か、それともグレーか。あるいは他の色だったのかもしれない。
それぞれ人に違いはあるけれど、満足できる色でありたいと誰もが願うことだろう。
花嫁の 顔見ず終わる 披露宴
平成26年10月 「ビジネス川柳誌上句 お題 顔」
株ジャパンイーグルス
「つれづれ(23) 白色は産着や白無垢」