あべっちの思いをこめた雑記帳

大空に散った筑波海軍航空隊の若者たちを想う

 「同期の桜」の歌の舞台となった旧筑波海軍航空隊に行ってみた。前回この欄で、その歌はここが発祥の地と書いたが、実は私もそのことをつい最近まで知らなかった。
 趣味で童謡唱歌や歌謡曲の生い立ちなどをいろいろ調べ、けっこう各地へと訪ねているが、軍歌の分野にはそういう興味はあまりない。けれど、同期の桜がここで生まれたことを知り、この地が好きになった。
 まだこの史跡はずっと閉ざされたままのようであったらしく、一般解放されてさほど経過はしていないので、平日ということもあり、入館者は私たちを含めその時は4組ほどしか目にしなかった。

 表門から入り、車を指定の空地のような駐車場に停める。そして、季節には見事な咲きっぷりを思わせるような桜の並木をほんの少しばかり歩く。今入った門は太平洋戦争が始まる前までは裏門として使用していたようだが、開戦と同時に正式な表門となった。だから、徒歩にも自然と当時の若者の姿をいくらかでも胸に刻めこめたらとの思いを抱いて建物へと向かう。

 その筑波海軍航空隊は昭和9年に開隊された。筑波山の麓にあり、当時は山と田畑に囲まれた環境で、練習機による操縦訓練を行う施設であった。
 それが、太平洋戦争末期の昭和19年3月には特別攻撃隊として再編成され、戦闘機による「特攻」の訓練も行われたとのこと。
 敷地内には当時の司令部庁舎や号令台、地下戦闘指揮所がそのまま当時の姿をとどめている。滑走路は現在は道路として活用しているが、建物はさまざまな資料とともに日本最大規模で現存している。

 また昭和19年には史上初となる愛機もろとも体当たり攻撃を行うことを前提に「第721海軍航空隊」への移動志願者がこの地で募られ、実際に体当たりを行う「桜花隊」の分隊長がここで選出されたと資料にある。

 ほぼ当時のまま現存する庁舎内には実際にフィリピンや沖縄戦で散っていった特攻隊員の写真や数々の資料が展示されている。また沖縄戦における筑波隊の特別攻撃隊員だけでも55名を超えるその写真が庁内に飾られている。
 旧軍の史跡で写真撮影できる場所や部分があるという事実は、全国でも貴重な存在であろう。今は数々の映画やドラマのロケ地として活用化されるようになり、往時の姿を映像として再現させている。今後はさらにこのようなロケのケースは間違いなく増えていくことと思う。

 宿舎正面にある号令台には多くの隊員が集合し、回りに植えられた山桜やソメイヨシノの桜並木は、その季節になれば、隊員たちの目に触れ、さぞかし心をなごませたことであろう。遠い故郷の父母や、なつかしい喧嘩仲間や、心に秘めた人などをこれらの木々から連想した若者もきっといたに違いない。 

 昭和13年まではそれまで裏門として使われていた入口は、その年からは航空隊の正門として、これら桜の木とともに、隊員たちの姿を振り返るように、当時のままの姿を残している。
 今この時期は、その桜の花はないけれど、来年でも再来年でもいい。次回はきっと桜が満開の時に来たいと思う。そして多くの若者がこの桜を観たであろうと思いながら、当時と同じ心になって、また来る春には同期の桜を見つめてみたいと思う。
 散っていった若者たちを、ほんのわずかでも偲ぶことができたらと思う。


   「心に残る旅(9)大空に散った筑波海軍航空隊の若者たちを想う」
 

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